如来滅後五五百歳始観心本尊抄

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 序講 1

 

御述作の由来

 観心本尊抄は、日蓮大聖人、佐渡ご流罪のおり、聖寿52歳の時に、御述作された御抄である。末尾に「文永10年太歳癸酉卯月二十五日日蓮之を註す」と明記されているとおりである。そして、翌26日には、富木殿にあてて「観心本尊抄送状」をそえて送られている。

1、対告衆と御正筆の所在
 本抄の対告衆は、富木胤継である。くわしくは富木五郎左衛門射胤継のことで、因幡国の人である。弱冠にして鎌倉幕府に仕え、下総国葛飾郡の若宮に住し、入道して常忍と称し、日蓮大聖人の折伏教化を受けて、日常と法諱を賜わった。次第に行学が進み、大聖人の御化導を受けつつ、房総関東方面の信徒の中心的立場にあって、大田、曾谷氏とともに、大聖人門下として、活躍していたのである。
 文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は立正安国論をもって国家諌暁されるや、たちまち、三類の敵人は競い起こり、怒り狂った念仏者たちは、権力をたてに大聖人を迫害してきた。松葉ヶ谷の草庵は焼き打ちにされ、所を追われた大聖人をお助け申し上げたのは、ほかならぬ富木胤継であった。また、その後の諸難にも、鎌倉の四条金吾とよく連繋をとり、つねに外護の任にあたってきた。
 とくに宗門の二大柱石といわれる「開目抄」を四条金吾に、「観心本尊抄」を富木胤継に与えられたということは、四条・富木の両人が、大聖人の外護の任の双翼であったことを如実に示すものである。
 いただいた御書も数多く、観心本尊抄のほかに、法華取要抄・四信五品抄の10大部の御書をはじめ、寺泊御書・佐渡御書・始聞仏乗義・常忍抄・観心本尊得意抄、その他を含めれば数十篇にものぼるほどである。
 日享上人は、「付近の大田・曽谷等の武人と連盟し、鎌倉の四条氏と結合して外護にあたり、安国論奉献前後の法難を凌いで、少しも退くことなく勇猛精進を励んできた。これをもって信徒の首領として老弟子と比肩するに至り、本門第一の重書たる観心本尊抄を始め、数十の義抄を賜っており、また関東の重鎮として聖教多く自然に集まりて今に現存している」と述べられている。
 ただ、本抄に対告衆の名が記されていないことから、また本抄送状の御文の誤った解釈によって、曾谷入道への賜書としたり、大田・曾谷両氏の賜書として富木氏も兼ねたものであるとするごとき異説がある。
 しかしこれらの説はいずれも誤りであって、次にあげる建治元年(1275)の観心本尊得意状の文によって対告衆が誰であるかは明瞭である。
 「抑も今の御状に云く教信の御房・観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候」(0972:06)
 次に、本抄御正筆は、本書17紙の漢文体であり観心本尊抄送状とともに中山・法華経寺に現存する。
 中山・法華経寺は、富木日常が始祖である。日常は、若宮の地に法華寺を起こし、大田乗明の子の帥阿闍梨日高を住せしめたが、後に大田家が、その住地に本妙寺を起こすにおよんで、若宮の寺と合併してできたのが今の法華経寺である。
 富士一跡門徒存知の事では、観心本尊抄の項については「一、観心本尊抄一巻」(1605:05)とあり「取要抄」「四信五品抄」と合わせて「已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り」(1605:08)とある。この文ではっきりしているように、大聖人の御正筆が、はじめから現在にいたるまで、中山・法華経寺に存することがわかる。また、本抄を賜った主が、富木日常であることも明記されている。現在、中山には富木・大田・曾谷等の各氏に与えられた大聖人の御真筆が数多く残されていることは、富木常忍の功績といえる。
 それにしても、大聖人が、富木氏等に、多くの御書を与えられたということは、今にして思えば不思議である。大聖人が、未来のために、もっとも安全な地に御書をのこされようとしたためか。仏智はかりがたしである。およそ、その日暮らしの民家や、定住の寺もない僧尼では、長年の間に散失するおそれも多く、まして国全体が三災七難に襲われている時代には、大聖人の御書を保存することは、非常に困難なことであったと想像される。
 日蓮大聖人が、御書をあらわされたのは、一往は、大聖人御在世の人々のためである。だが再往考えれば、滅後の人々のためである。とくに重要な御書は、令法久住のために、末法万年の一切衆生救済のために留め置かれたのである。たとえば、三大秘法抄をあらわされ、それを大田入道に与えられた趣旨を、大聖人は次のように述べられている。
 「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」(1023:10)と。
 すなわち、大聖人は、滅後のために三大秘法抄をあらわされたことを述べられ、さらに大田入道にそれを大事にして後世のために残しておくよう指示されているのである。
 観心本尊抄もまた同様である。同送状には次のように仰せられている。
 「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開柘せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土にて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(0255:01)
 したがって当時は俗弟子門下のなかでは、富木日常を主として、下総の一部の2・3人のみが、本抄を拝読することができたのであろう。直弟子門下のなかでも、日興上人のように常髄給仕して文筆の助手をつとめておられた方以外は、恐らくは本抄の相伝はなかったものとうかがえる。
 したがって、大聖人弟子門下の御写本も日興上人のものと、中山・法華経寺の日高のものぐらいである。
 また現存する遺文の中で、安国論の名は20数ヶ所にその名を見るし、開目抄でも4ヵ所に見られるが、本尊抄の場合は、観心本尊得意抄の1ヶ所のみである。
 かくして本抄は「当身の大事」と送状におおせのごとく、三人四人並座の誡めのとおり、厳格に護持して、後世に伝えられたのである。
 大聖人は当時なにゆえに、本抄を公開されようとしなかったのか。
 それは、まだ一宗弘通の始めであり、大聖人の門下で、このような前代未聞の重要な御書を理解する人は少なかったからであろう。それは大聖人滅後五老僧が、公然と天台沙門と名のり、数々の師敵対の大謗法をおかしていることからも明瞭である。
 送状に「大田殿、教信御房等に奉る」と名を連ねている大田入道・曾谷入道のような人でさえ「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」(0249:06)等の文を曲解して、迹門不読の見解を起こし、大聖人より「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし」(0989:09)ときびしく戒められているほどである。すでに本抄述作の文永10年(1273)から7年も過ぎていたのである。大聖人の御一生を通じても、晩年に当たるのに、本迹の立て分けにすら迷っていたのである。
 大田入道・曾谷入道のふたりはともかく、本抄の直接の対告衆となった富木入道ですら、弘安2年(1279)になってから、次のようなお質問をした模様である。
 「御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと」(0987:03)
 また、大黒天をまつったり、釈尊の仏像を造立したりするなど、天台流の造仏造像の執着がぬけきれていなかったことも事実である。仏法に対するこの程度の理解で、どうして種脱相対や第三の法門がわかろうか。観心本尊抄に遠くおよばないのも当然である。
 この本尊抄こそ、実に末法万年の一切衆生救済の大御本尊を明かしているがゆえに、無二の信心に立脚しなければ拝することはできないものである。またこれを誹謗すれば、無間地獄の焔にむせび、永久に苦悩に沈まなければならないことは必定である。そこで大聖人は、広く門下に公開することなく、富木日常に託し、未来のためにのこされたのであった。それは、富木日常が本抄を理解できる人だからというより、大事に大聖人の御抄を後世にのこす人であると信頼されたからであると推察できるのである。
 日蓮大聖人の正法正義は、ひとり第二祖日興上人によって受け継がれ、後世に伝えられた。日興上人が、日蓮大聖人の御入滅後、諸抄を集められたことは有名である。そして、日興上人は、多くの御抄を筆写された。現存する写本としては、立正安国論・法華取要抄・本尊問答抄・開目抄・観心本尊抄・始聞仏乗義などである。これは大聖人が御入滅後、日興上人が御抄を大事にされた証拠である。
 富木日常が、本尊抄等の多くの御書をのこしたのは、信心というより家宝として大事にしてしまっておこうとしたからであろう。それに対して日興上人が、五老僧が御書をないがしろにし、焼却したりしたのを断固いましめ、御書を集め、できるかぎり書写されたのは、ひとえに令法久住のためであり、末法万年の民衆救済のためであった。その精神は富士一跡門徒存知事の「具に之を註して後代の亀鏡と為すなり」(1604:08)とのおおせにも、にじみ出ているではないか。本尊抄こそ滅後の明鏡であることを誰よりも知っておられたのは日興上人だったのである。
 以上のことで、大聖人が、本尊抄をあらわされたのは、まったく滅後の人々のためであることは明白である。
 しかして、滅後のなかでも、化儀の広宣流布の時、すなわち今日のために、あらわされたといっても過言ではない。「時を待つべきのみ」のおおせは、いまや時来たれりの現実となってあらわれたのである。日蓮大聖人は、法体の広宣流布の時代にあって、あらゆる末法の原理をのこされたのである。本門戒壇の大御本尊をご建立あそばされたのも、一往は在世の人々のため、再往は今日のためであり、かつ全人類の永久の幸福を築くためである。法体の広宣流布の時にあたっては、大聖人おひとりの戦が中心であった。そのような時に、本尊抄をあらゆる人に公開する必要もなく、かえって害があり、これを秘して後世にとどめたのは今から考えるときにまことに、当然至極のことであった。
 今まさに、時きたり、機熟す。かく思うならば、化儀の広宣流布に邁進するわれらこそ、観心本尊抄その他いっさいの御書の対告衆といえるではないか。

2、御述作の背景

 日蓮大聖人が、観心本尊抄をあらわされたのは、先にも述べたように、文永10年(1273)4月25日、佐渡の国、一の谷においてである。われわれは、観心本尊抄を拝するにあたり、御述作の背景がいかなるものであったかを知ることが、本抄の重大性を理解するのに必要なことではないかと思う。そこで、その背景を大聖人の佐渡御流罪中のご行動を中心に論じていくことにする。
 時はさかのぼって文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は、立正安国論をもって、最明寺入道を諌めたのである。いうまでもなく、第一回の国諌である。だが、にわかに三類の強敵競い起こり、文応元年(1260)8月27日には松葉ヶ谷の法難に遭われ、翌弘長元年(1261)5月12日、伊豆の伊東へ流罪されたのであった。弘長3年(1263)には赦免されて鎌倉へ帰られる。だが息つくひまなく翌文永元年(1264)には、安房に行かれた際、小松原の法難に遭われた。それは弟子が戦死をし、御自身も傷を負われるという重大事件であった。
 文永5年(1268)には、11通の御状をもって、当時の幕府ならびに宗教界を諌め、公場対決を迫ったのである。ときに大聖人の御心底にはいよいよ蒙古襲来近しという他国侵逼難を予言されてのご行動であったことは当然であり、この最大国難をいかにして救済せんとの固い御決意であったと拝される。
 その後、文永8年(1271)にはいって、幕府はふたたび弾圧をはじめた。その背後には、祈雨の勝負で敗北し大聖人より完膚なきまでに破折され、うらみ骨髄に徹していた極楽寺良寛等の陰険な裏工作があったことはいうまでもない。
 そのときのもようは、種種御振舞御書に「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す」(0911:03)とあり、報恩抄に「禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよ」(0322:12)とあり、また妙法比丘尼御返事には「極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす」(1416:16)等とおおせられているなかに、その光景がまのあたりに映じてくるではないか。
 かくして、9月10日、大聖人は奉行所に呼び出され、平左衛門尉が取り調べに当たった。つづいて9月12日、幕府は大聖人を捕えて竜の口の頸の座にすえた。いわゆる竜の口の法難である。だが所詮、いかなる国家権力をもってしても御本仏の境涯をこわすことはできなかった。夜空に突如あらわれた光り物に、役人たちは肝をつぶした。「日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ 近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0914:05)
 まさに荘厳な儀式というべきである。この瞬間こそ、日蓮大聖人が、迹の姿をはらわれ、御本仏の境地を開かれたそのときであった。
 竜の口の法難後、大聖人は、相模の国依智に行かれた。そこに滞在すること20余日、その間、鎌倉に火事がしきりと起こり、人殺しもひんぱんに行われ、世の中は騒然としていた。念仏者たちは、てんでに、幕府に讒言を加え、火つけや人殺しは、日蓮大聖人の弟子が、幕府の仕打ちを怨んでやったことであると申し立てたのである。じつは、火つけ等は念仏者たちの策謀であった。この事実をみても、いつの時代でも邪宗教がいかに人の心を陰険に、残酷に、また横暴にしていくか、わかるではないか。
 その結果、大聖人は佐渡流罪と決定。弟子たちも260人ほど、名簿に名が記され、皆遠島に流罪するか、首を切るか等と詮議されたのであった。
 しばらくして、大聖人は佐渡に流罪された。文永8年(1271)10月10日依智を出発、28日に佐渡上陸、11月1日佐渡塚原に到着。
 竜の口の頸の座、佐渡流罪は、日蓮大聖人の御一生において、ご自身の御身の上にも、また同門の上からも、佐渡以前、佐渡以後というあざやかな一線を画すほどの一大転換期であった。次の御書がそのことを如実に示している。
 四条金吾殿御消息にいわく、「今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く『十方仏土中唯有一乗法』と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば 日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」(1113:06)と。
 竜の口において、日蓮大聖人は「命を捨てた」「命をとどめた」とおおせられているように、凡身を捨てて、上行菩薩としての迹の姿をはらわれたのである。
 開目抄にいわく、
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」(0223:16)と。
 この御文中の「此れは魂魄・佐渡の国にいたる」とは、久遠元初自受用報身如来、すなわち末法の御本仏としての生命の誕生を意味するのである。
 佐渡の国にお着きになってからのご生活は、われわれ凡夫の立場でいえば、さながら、地獄のどん底のような苦しいものであった。佐渡は厳寒の地であり、一度流されれば生きては帰れないところで、名目は流罪であるが、死罪同様なものだ。しかも、頃は冬に向かう。もっとも厳しい季節であった。住まいといえば、塚原という死人を捨てるような場所で、さびしく立っている一間四面の堂であった。それも天上は板間が合わず、すきま風がびゅうびゅう吹き込んでくるあばら屋である。
 食べるものも着るものもなく、火の気のないところで北国の厳寒を過ごされる大聖人のご境遇は、想像も絶するほどである。また監視もきびしく、お弟子方が大聖人のもとへゆくことも至難のことであった。
 「同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり、彼の李陵が胡国に入りてがんくつにせめられし法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも只今とおぼゆ」(0916:04)
 また「かくて・すごす程に庭には雪つもりて・人もかよはず堂にはあらき風より外は・をとづるるものなし」(0917:10)と。
 さらに、念仏の僧たちは、大聖人の命を虎視たんたんとうかがってあらゆる挙に出ようとしていた。大聖人の命は、危険にさらされ、いつ殺されるかわからない状態であった。
 「いづくも人の心のはかなさは佐渡の国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・生喩房・印性房・慈道房等の数百人より合いて僉議すと承る、聞ふる阿弥陀仏の大怨敵・一切衆生の悪知識の日蓮房・此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りていころせかしと云うものもありけり」(0917:12)と。まさに、大聖人の命は風前の灯であった。
 一方、迫害の魔の手は、鎌倉にいる弟子たちにも伸びた。所領を没収される者、妻子をとられるもの、牢へ入れられるもの等が続出した。あまりのつらさに、ひるむものも出はじめた。
 だが、日蓮大聖人は、一歩も退かれなかった。難があればあるほど、偉大な御本仏としての大確信の上にたたれて、弟子たちを励まされた。
 大聖人のご行動は、まさしく師子王の姿そのものであった。文永9年(1272)正月、有名な塚原問答が行われた。集う邪宗の僧は数百人。「越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国国より集れる法師等なれば」(0918:03)とあるように、北陸地方・奥羽地方一帯の僧が、大聖人との問答にかけつけてきた。しかし、大聖人の師子吼ひとたびひびいて百獣おののき、邪宗の僧百千万ありとも、大聖人の一刀のもとに屈服してしまったのである。「さて止観・真言・念仏の法門一一にかれが申す様を・でつしあげて承伏せさせては・ちやうとはつめつめ・一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりも・はかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもて・うりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなる・のみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ、善導が柳より落ち弘法大師の三鈷を投たる大日如来と現じたる等をば或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ或は念仏ひが事なりけりと云うものもあり、或は当座に袈裟・平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり」(0918:08)
 さらに、大聖人は、佐渡在島中に、数多くの御書をあらわされている。
 生死一大事血脈抄・草木成仏口決・祈祷抄・諸法実相抄・如説修行抄・顕仏未来記・佐渡御書・当体義抄等々、38種もの現存せる重要なご述作があり、とくに日蓮大聖人の仏法の骨髄ともいうべき人本尊開顕の書たる開目抄および法本尊開顕の書たる観心本尊抄は、これらの御述作中でも、もっとも赫々たるものである。
 「佐渡の国は紙候はぬ上」(0961:07)とあるように、紙や墨、筆さえも充分にない佐渡流罪中のわずか2年数か月間に、これほど多くの、かつ重要な御書をあらわされた。その御境涯というものは、とうてい、われわれの想像も及ばないところである。
 その内容もまた、巌のごとき御本仏のご境涯、広宣流布への絶対の確信に満ちている。
 開目抄にいわく「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232:05)またいわく「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(0237:11)と。
 これが、極寒の真冬に、雪中にしるされた御文であるとだれが想像できようか。まさになにものにもおかされず、なにものをもおそれず、ただ全民衆の幸福のため、かつは永久の未来の人々のためを思う一念に徹せられているお姿ではないか。
 如説修行抄にいわく「天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」(0502:06)
 諸法実相抄にいわく「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360:09)
 おそらく、当時の大聖人ご境涯を知らない人が、これらの御文を読めば、広宣流布は順調に進み、あたかも旭日のごとき勢いを想像するに違いない。日本国の大半の人が、大聖人に帰依したのではないかと思う人もあるであろう。だが、事実は、まったくちがい、まさしく絶体絶命の逆境にあったのである。しかし、その大聖人の叫びは700年後の今日において事実となってあらわれた。わが創価学会の行動こそ、大聖人の広宣流布への宣言が虚妄でない証拠である。釈尊は3ヵ月後の涅槃を知り、また付法蔵経の予言も適中し、法華経勧持品その他涅槃経等に説かれた、御本仏出現のいっさいの末法の世相も寸分も狂いなく、事実となってあらわれた。いわんや大聖人は、釈尊より百千万億倍すぐれたる御本仏である。すでに「余に三度のかうみようあり」(0287:08)と申されているごとく、大聖人の御在世において、予言せられたことはことごとく適中している。さらに、あの逆境のさなかに「大地を的とするなるべし」(1360:11)とまで、絶対の確信をもって叫ばれた広宣流布のご断言は、実に大聖人が今日あるを知って言々句々であられたことを痛感するのである。
 顕仏未来記にいわく「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(0508:10)と。
 大聖人は佐渡の地において、たんに日本の広宣流布のみならず、日本より起こった仏法がかならず、西へ西へと滔々と流れゆくことをご断定あそばされたのである。700年前の日本の国の現状を考え、かつは日本国の広宣流布すら思いもよらない、当時の情勢をかんがみ、この大聖人の御文を括目して拝するならば、大聖人こそ、末法の全民衆救済のために出現された御本仏であることが躍如しているではないか。
 さらに観心本尊抄にいわく「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254:09)と。一閻浮提とは、現代語に訳せば全世界である。すなわち、大聖人のあらわされた大御本尊は全世界に流布するとの宣言である。なんと偉大な御確信であろうか。大海原をもって、たとえることのできない雄大さ、広さではないか。
 文永9年(1272)2月、大聖人が前年の9月10日の取り調べおよび12日の竜の口の法難のさいに、平左衛門尉に向かって「遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし」(0911:11)と予言されたことが、現実となって起こった。
 すなわち、北条時宗の兄・時輔が、弟が政村の跡をついで執権になったのを不満に思い、その政権を奪おうとはかったのである。陰謀は事前に発覚し、時宗は、大蔵頼季らを遣わし、名越時章・教時らを倒し、ついで北条義宗に時輔を襲って殺させた。幕府はいちおう事なきを得たが、この事件は、人々の心に深刻な動揺を与えた。執権とその兄とが同族相食む争いを展開した。その姿が、そのまま世相の鏡に映し出された。しかも、時は蒙古襲来寸前であり、大聖人は、そのときのありさまを次のように述べられている。
 「相州鎌倉より北国佐渡の国.其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに.へだて山は峨峨.海は涛涛・風雨.時にしたがふ事なし、山賊.海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし.犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず」(1217:10)
 さらに日蓮大聖人は、このように、予言が適中したこと、また薬師経の「自界叛逆難」仁王経の「聖人去る時七難必ず起らん」、金光明経の「三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王を縦にし冶せざるに由る」等の経文に照らし、ご自身こそ末法の御本仏であることを宣言せられている。佐渡御書にいわく「宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く『自界叛逆難』と是なり、仁王経に云く『聖人去る時七難必ず起らん』云云、金光明経に云く『三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る』等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし纔に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん」(0957:13)
 幕府の動揺はひとからぬものであった。すでに、他国侵逼難も時々刻々と迫りきたり、自界叛逆難も適中したことに幕府は恐れをなし、竜の口の難以来捕えていた弟子たちを放免する一方、文永10年(1273)4月、佐渡へもお使いを送って、大聖人を塚原の三昧堂から一の谷に移すよう命じたのである。
 それからというものは、大聖人に対する監視もずっと軽くなり、文永11年(1274)2月、赦免となり、無事鎌倉へお帰りになられたのである。その時も、念仏者たちが、なんとか大聖人を本土へ帰すまいと、あらゆる準備をしていたのである。だが当時としては天候の悪いときには日本海の荒海を渡るのに100日・50日も待たされることもあり、順風であっても3日かかるところを絶好の天候と順風にめぐまれ、ほんのわずかの時間で渡ることができた。そのため、かれらは、予定がはずれ、まったく手のくだしようがなかったのである。まことにいかに国家権力が強くとも、邪宗の僧がそれと結託し、さまざまな留難をなすといえども、御本仏の金剛不壊の幸福境涯をいかんともすることができなかったのである。
 以上、佐渡流罪中の大聖人の行動をみてきたが、まことに御本仏の御振舞い以外のなにものでもないことが明瞭である。また、大聖人のあらわされた、観心本尊抄・開目抄等の諸御抄は、まったく御本仏の所作であることを知るのである。
 このようにして、日蓮大聖人は、竜の口法難、佐渡流罪という大法難を契機として顕本し、御本仏の立場から、出世の本懐たる大御本尊建立へ総仕上げの段階に入られたのである。

 

本抄の大意および元意

1 本抄の大意

 本抄は、大要次のように論旨が進められている。すなわち、本抄が本門戒壇の大御本尊の御抄となることは、後に詳論するところであるが、その大御本尊を説き明かすにあたり、大きく四段に分けている。
   第一、一念三千の出処を示し、観心の本尊を明かす序分とされている。
   第二、観心の本尊の観心について。
   第三、末法に建立される三大秘法。
   第四、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が、妙法五字の大御本尊を建立される。
 第一に一念三千の出処を示すのであるが、末法に弘通される観心の本尊を明かす御抄において、なにゆえに最初に一念三千の出処を示すか。それは法華経の迹門にも本門にも一念三千の名のみあって実体はない、一念三千の当体はすなわち末法に建立される観心の本尊であり、文底下種事行の一念三千とはすなわち三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊であられるからである。
 第二に観心の本尊を明かすのであるが、まず観心について論じられている。
 まず観心の意義については、
 「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(0240:01)
 と示されている。だが観心には天台家と日蓮大聖人の二通りの観心があり、附文の辺と元意の辺とに分別して拝さなければ、正しく観心の意義を理解することはできない。
 すなわち、この文をそのまま読めば附文の辺であり天台家の観心である。元意の辺でよめば「己心を観じて」とは御本尊を信ずる義で、「十法界を見る」とは妙法蓮華経と唱える義であり、これは大聖人の観心である。
 観心の意義を示されたあと、さらに一歩すすめて、観心を十界互具の面から論ずるのである。この十界互具というのは、なかなか理解するのがむずかしい。なかんずく凡愚のわれわれが仏たる素質を持っているということを信ずるのは容易ではない。そこでまず前提として、十界互具を示した法華経の経文を引かれているのである。
 そして実際生活の上から、われわれの生命に六道、三聖が具していることを明かし、さらに「但仏界計り現じ難し」の文を受けて、末代凡愚のわれわれの生命の中に仏界を具していることを説き明かすのである。
 次に、受持に約して観心を明かす段になる。まず教主、すなわち仏に約して疑いを強くして正解を請うのである。すなわち権・迹・本の釈尊の因位の万行、果位の万徳をあげて、主師親の三徳を備えた立派な仏が、凡夫の劣心にどうして存在しえようかと疑うのである。
 次は経論の上から、仏教には十界互具はありえないと疑うのである。まず初めに華厳・仁王・金剛・般若等の三経、起信・唯識等の二論をあげ、次に法華経方便品の「断諸法中悪」の文を引いて、十界互具を否定するのである。この二つの難のうち、初めの教主の難をしばらくおいてまず経論の難を会するにあたって、四義をあげて弁駁されている。方便品の文も「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文文明に十界互具之を説く」と答えられ、十界互具を説き明かした法華経こそ最高唯一であることを論じられている。
 さて教主の難を会するにあたって、まずこのことが、いかに難信難解であるかを所受の本尊の徳用を法華経の開結二経の文によって明かし、最後に正しく受持即観心を明かすのである。なぜ観心を明かすに本尊の力用が問題になるかといえば、天台は観念観法によって、自力で己心の十法界を見ようとしたのに対し、末法の観心は本尊の徳用によって観心の義を成ずるからである。
 そして「『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0256:11)とおおせられ、正しく受持即観心を明かしている。要するに、独一本門の大御本尊に権・迹・本の釈尊の因位の万行・果位の万徳がそなわり、われわれはこの大御本尊を受持することによって自然にその福徳をことごとく譲り受け、観心を成ずると結論されているのである。
 第三に末法に建立される三大秘法の大御本尊を明かすのである。そこでまず簡略に従浅至深して本尊を明かしている。すなわち権迹熟益の本尊、本門脱益の本尊、文底下種の本尊と、そしてさらに詳論して五重三段の教判によって本尊を明かしている。
 五重三段とは、一代三段、十巻三段、迹門熟益三段、本門脱益三段、文底下種三段である。三段とは序分・正宗分・流通分のことである。本抄の文底下種三段を明かす段の終わりに、
 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)
 とおおせのように、釈尊在世と末法の本門との種脱勝劣を論じ、末法に流通する大御本尊の正体を示して、観心の本尊を結成されているのである。
 以上をもって、末法の観心の本尊、すなわち本門戒壇の大御本尊の解明がなされたわけである。しからば、この大御本尊は、だれがいつ、どこでご建立になり、弘通されるのか。この点について、次に述べられていくのである。
 まず、法華経本門の序分・正宗分・流通分のそれぞれの証文を引き、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経は、ただ地涌の菩薩にのみ付嘱があったことを明かし、さらに地涌の菩薩は、正像2000年の間に出現せず、ただ末法に限って出現することを明かすのである。それを経文によって論証し、そして、自界叛逆・西海侵逼の二難が起きている今こそ、地涌の菩薩が出現し「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」を建立することを述べられている。地涌の菩薩とは外用の辺であり、付属の儀式をふんでおおせられたもので、内証の辺は、久遠元初自受用身がそのまま末法に出現し、全世界の民衆を救う大御本尊を建立あそばすことを宣言せられたものである。久遠元初自受用身の再誕は即日蓮大聖人であり、末法の御本仏として、本門戒壇の大御本尊を、末代幼稚の頸にかけたもうことを「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)とおおせられ、本抄を終えられている。

2、本抄の元意

 日蓮大聖人の御出現の意義は、一切衆生を幸福にすることにある。したがって民衆を化導されるにあたって、一代にわたって種々の法門を説かれている。だが、弘通された法門の究竟するところは、三大秘法なのである。
 三大秘法とは、第一に本門の本尊・南無妙法蓮華経の大御本尊であり、第二は本門の戒壇・大御本尊おわしますところであり、第三は本門の題目・大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることである。
 日蓮大聖人が、仏滅後2220余年の末法濁悪の世に出現され、なぜ三大秘法を顕示されたのか、そしてこの三大秘法とはいかなる法であるのか。このような、最大神秘の法門を説き明かされたのが、日蓮大聖人の文底下種仏法である。
 大聖人御在世中に認められた御書は400数十編におよぶ。これら多数の御書のなかで、三大秘法について述べられているのは、ひじょうに少ない。すなわち、三大秘法抄・報恩抄・法華取要抄・法華行者逢難事・御義口伝等の御書である。
 いまその一文を報恩抄より拝する。
 「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(0328:13)と。
 さて、日蓮大聖人はまず、建長5年(1253)4月28日、32歳にして宗教革命の大宣言をなされ、南無妙法蓮華経の題目を建立されたのである。そして27年目の弘安2年(1279)10月12日に、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのである。日蓮大聖人の出世の本懐が大御本尊のご建立にあったことは次の御文に明確である。
 聖人御難事にいわく、
 「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189:01)と。
 さらに大聖人は、この大御本尊とともに、末代の化儀の広宣流布を日興上人に遺付され、弘安5年(1282)10月13日、61歳で御入滅あそばされたのである。
 日蓮大聖人一代の仏法の大網は、前述のとおり三大秘法であるが、なかでもその要は大御本尊にある。この要を知らずして、いかに大聖人の弘通せる法門を千万言を尽くして論じようとも、それは実に群盲評象のたぐいであり、木石が衣鉢を帯持しているようなものである。
 ゆえに、弘安2年(1279)10月12日の大御本尊建立より立ち還って、大聖人ご一代を拝するならば、いっさいのご説法、お振舞いの真意は明白となる。なかんずく本抄が、在世文上脱益の本尊を簡び、まさしく文底下種観心の本尊を説き明かした御抄であることを体得できるのである。これ本抄の真髄であり、元意である。
 この大御本尊に迷うところに、いっさいの誤りの原因があり、不幸の原因がある。日蓮大聖人は、御在世当時の宗教が、根本として尊敬すべき本尊に迷っている状態を、次のようにおおせられている。
 開目抄にいわく、
 「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し」(0215:01)と。
 しかして、大聖人滅後700年になんなんとする今日においてはどうか。以前にもまして本尊の雑乱ぶりは、目に余るものがあるではないか。
 日本の宗教界は、18万もの教団が雑居している。もちろん教義も本尊もまったく相異なる。しかも、「宗教界は協力しよう」などと称して結束を図っている。
 本尊という、宗教として、もっとも根本的な問題を解決しようとせず、自らの邪教性をかくさんがために、策をもって自己の宗教を粉飾し、時の権力と結びついて、いかにすれば宗教に無知な大衆をだましつづけることができるかに腐心しているのが、今日の宗教界なのである。まことに憎むべき魔の所作というべきである。
 しからば、なにをもって本尊となすべきなのか。大聖人は次のように仰せである。
 本尊問答抄にいわく、
 「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ 以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、槃経の第四如来性品にく『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云」(0365:01)
 そしてさらに、同抄にいわく「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり」(0366:07)と。
 ここにおおせられる法華経の題目とは、寿量文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経の大曼荼羅であらせられることは、いうまでもない。
 同じく本抄にも、次のようなおおせがある。
 「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」(0247:15)、「我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:09)、「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251:09)等と。
 以上の御文は、究竟するところ大御本尊を示しているのである。
 また「本尊とは勝れたるを用うべし」の御金言を拝するならば、日蓮門下と称しながら、釈尊や、竜神や、云何や、先祖の戒名等、なんでもまつって本尊とするとは、まったく言語同断である。もっとも勝れた南無妙法蓮華経の大御本尊でなくてはならないのが当然である。
 さて、本抄に説き明かされた御本尊のお姿を拝するならば、
 「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(0247:16)とおおせである。
 また、建治3年(1277)8月にお認めの日女御前御返事には、釈尊滅後、正法時代に出現した竜樹・天親等も、また像法時代に現われた天台・伝教も顕わすことのできなかった大御本尊を、日蓮大聖人がはじめて図顕されたことを述べ、その御本尊の相貌を明かされている。すなわち、
 「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(1243:09)と。
 これらの御文は、いずれ建立されるべき大御本尊の相貌を予め述べられたものである。
 しかして、いよいよ現実に出世の本懐たる大御本尊建立の時が到来した。すなわち建長5年(1253)に立宗宣言せられて以来27年目の弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊をあらわされたのである。それは先に引用した聖人御難事の「余は二十七年なり」(1189:04)との御文のごとくである。
 この御本尊こそ、本抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254:08)とおおせられた一閻浮提第一の大御本尊なのである。
 前述のとおり日蓮大聖人は、御入滅にあたり、お弟子の日興上人にいっさいをご付嘱になった。身延相承書に「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり」(1600:01)と。そして第二祖日興上人は大聖人の付嘱を受けて大石寺の建立、お弟子の養成、国家諌暁と広宣流布の基をかためられて、御入滅に先だって、お弟子日目上人にいっさいを付嘱あそばされた。日興跡条条事に、
 「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」と。
 この大御本尊が、日本国中はいうまでもなく、全世界へ広宣流布し、末法万年より永遠の未来にわたって、いっさいの民衆を苦悩から救い、即身成仏の大功徳を得せしめ、平和楽土が建設させるとの仏教の予言である。
 法華経の薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布」弥勒菩薩の瑜伽論には「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師は「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師は「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等と述べられている。
 これらの文は、数ある中の代表的な予言をあげたにすぎないが、ことごとくその指示するところは、大御本尊の広宣流布にある。
 しかしながら日蓮大聖人は、ご一生を通じて立正安国論の大精神をお説きになり、本門戒壇の大御本尊を建立あそばされて、法体の広宣流布を成就されたが、化儀の広宣流布をば未来の弟子に遺命されたのである。
 上野殿御返事にいわく「梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候」(1539:15)
 しかして、時のしからしむるか。はたまた仏意仏勅によるか。今や創価学会の手によって、広宣流布の予言が着々と実現しつつある。折伏活動による本尊流布は急増し、五百数十万の一大集団となり、学会即社会という姿になりつつある。今日こそ、化儀の広宣流布、すなわち順縁広布の時なのである。
 本抄にいわく、
 「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(0254:01)と。
 日寛上人は、この御文を、
 「折伏に二義有り、一には法体の折伏、謂く法華折伏破権門理のごとし、蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏謂く涅槃経に云く正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持つべし」等云云。仙予国王等是れなり。今化儀の折伏に望み法体の折伏を以て摂受と名づくるなり。或いは復、兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と。このように、化儀の折伏に相対すれば、数々の大難に遭われた日蓮大聖人の折伏行すら、聖僧として摂受を行ずるお姿となる。しかし、この場合における摂受も、釈迦仏法における摂受とは、本質的に異なるのである。
 われわれは、仙予国王のごとく、弓矢のごとき武器こそ持たないが、大聖人の仏法哲理を根底において、言論戦・経済戦、文化・芸術・教育等、一切をあげて、戦いを進めている唯一の団体である。ゆえに、創価学会の立ち場こそ賢王となって愚王を誡責している姿そのものであると確信してやまぬ。
 いま、いやまして大御本尊の偉大な功徳は、中央に輝く太陽のごとく、全人類の上に、さんさんとふりそそぐ時代となった。本門に入った創価学会の責任の重大さを感じ、化儀の広宣流布の総仕上げへ、さらに力強く前進することこそに、日本・世界平和達成の要諦であると叫ぶものである。

3、教行証における本抄の位置

 教とは仏の所説の教法、行は教法によって立てた行法、証は教行によって証得される果徳をいう。この教行証の三つを日蓮大聖人の御書の上から拝し、本抄の位置を論ずることとする。なお、日寛上人が当体義抄文段に述べられているので、それをもとにした。開目抄と本抄と当体義抄とを、教行証に配すると、開目抄は教の重、本抄は行の重、当体義抄は証の重となる。
 開目抄が教の重となるのは、開目抄において、一代の諸経の勝劣浅深を配しているからである。その一切経の勝劣浅深を判ずるに五段の教相をもってしている。
 一に内外相対。通じて一代諸経もってこれを論ずる。「一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし」(0188:11)と。
 二に権実相対。八箇年の法華経をもって真実となし、40余年の権教に相対して論じられている。「大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給し」(0188:15)と。
 三に権迹相対。迹門の二乗作仏をもって爾前の永不成仏に相対して論じている。「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうに・をぼゆもし」(0195:18)と。
 四に本迹相対。本門をもって爾前迹門に相対してこれを論ずる。「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す」(0197:15)と。
 五に種脱相対。寿量品の文上は脱益、文底は下種である。「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)と。
 以上のように、五重相対して、はじめて日蓮大聖人の御本懐に達するのである。
 一念三千文底秘沈とは、但法華経、但本門寿量品、但門の底に秘し沈められているとの意で、権実・本迹・種脱の相対が明らかである。
 この種脱相対は、本抄においては「彼は脱此れは種なり」(0249:17)と判ぜられ、また常忍抄には「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981:08)とも判ぜられている。
 諸宗の輩は、ただ内外相対のみを知って、余の相対を知らなかったり、あるいは一致派の徒は本迹相対を知らず、勝劣派といえども本迹相対までは知っているが、種脱相対を知らないのである。ゆえに大聖人の本門に達することなどできないのは理の当然である。
 妙楽は「諸の法門は所対によって同じからず」といい、大聖人は法華取要抄に「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0330:07)とおおせられている。このような金言があるにもかかわらず、他門流の者は盲目のゆえか、はたまた偏見のゆえかこのことを知らないのは、哀れむべきことである。まことに法門を論ずるには、この判定の基準がなければ、空論・盲論となることを知らねばならない。
 次に、本尊抄が行の重であるということは、本抄に受持即観心の義を明かしているからである。
 本尊抄に「無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:11)と。
 またいわく「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)と。
 以上の御文は、事の一念三千の本尊を受持すれば、事の一念三千の観行を成就すとの明文である。
 次に、当体義抄が証の重であるということは、当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)と、また「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512:12)とあることによって明らかである。
 なお、教行証御書に、末法には教のみあって行証なしというのは、釈迦仏法においては、行証がないということである。しかるに、末法には大聖人の仏法において教行証がことごとくそなわっているのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 序講 2

 

本抄の題号

(1)日寛上人観心本尊抄文段の首文

 まず日寛上人の観心本尊抄文段の首文を拝読してみよう。
 「それ当抄に明かすところの観心の本尊とは一代諸経の中には但法華経・法華経二十八品の中には但本門寿量品・本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり。
 この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身・法は謂く久遠名字の本地難思境地の妙法なり。法に即してこれ人・人に約してこれ法・人法殊なれどもその体恒に一なり。その体一なりといえどもしかも人法宛然なり。応に知るべし当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ。これすなわち諸仏諸経の能生の根源にして諸仏諸経の帰趣せらるるところなり。ゆえに十方三世の恒沙の功徳・十方三世の微塵の経経の功徳・皆威くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。たとえば百千枝葉同じく一根に趣くがごとし。
 ゆえにこの本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用あり。ゆえに暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うればすなわち祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるなし。妙楽のいわゆる『正境に縁すれば功徳猶多し』はこれなり。これすなわち蓮祖出世の本懐・本門三大秘法の随一・末法下種の正体・行人所修の明鏡なり。ゆえに宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり』等云云」。
 御文に明らかにお示しのとおり観心本尊抄にお述べの御本尊とは実に十方三世の仏・十方三世の諸経がことごとく帰一するところの大御本尊であらせられる。ゆえにこの御本尊の功徳は広大深遠であらせられ、「祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるはなし」との御文のごとく、われわれ凡夫の祈りはことごとく叶えられ、いかなる重罪もことごとく消滅し、人生の幸福がことごとく凡夫の一身に具わり、理として顕われないものはないのである。
 しからばその大御本尊を日蓮大聖人は、いつ、どこへお遺しあそばされたか。これこそ弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊として建立あそばされ、御弟子日興上人に一期の弘法とともにご相伝あそばされた大御本尊である。
 われわれ創価学会員はいまだ広宣流布にいたらない今日といえども、この御本尊に親しくお目通りがかない、また各自の家庭においては大御本尊の分身としてそれぞれの御本尊をいただいて朝夕勤行し奉ることのできる無上最大の幸福に歓喜し、さらにさらに広宣流布の仏意・仏勅のままに日夜闘争する福運を深く感じて感謝と感激を新たにすべきである。たとえいかほどに観心本尊抄の研究や勉学を積むといえども、肝心の大御本尊に対する信仰と感激の広宣流布の決意がなければまったくその深意に到達しえないのみか、かえって懶惰懶怠の徒となり、謗法の徒輩となって、無間地獄に沈むのである。実に誡心すべきことである。
 しかるに日蓮宗学者と自称する僧俗は、古来多数あったが、彼らはことごとくこの大御本尊を知らず、信心の血脈がないために釈迦本尊・釈迦仏像を崇めて本抄の深意を解することができなかった。京都・要法寺の日辰、八品派の日忠などである。
 ただ房州・妙本寺の日我のみは、ある程度その大要を得ていたようであるが、それでもまだ不完全であると日寛上人は仰せられている。ましてそのほか各宗派の学者はもとより最近にいたっても各種の解釈が行われているがことごとく文底下種の三大秘法に迷う妄論にすぎないのである。
 いま、本抄の題号について述べるにあたり、日寛上人の分段に準じて、通じて文点を詳らかにし、別釈・総結を論ずる。

(2)通じて文点を詳らかにす

1、「始」の文点

 本抄の題号は文点によって次にあげるようにまちまちの読み方となり、したがって文意がまったく異なってくる。しかればどのように読むのが正しいか。
(1)五五百歳に始めて心を観る本尊抄
(2)五五百歳の始め
(3)五五百歳に始まりたる心の本尊を観る抄
(4)五五百歳に始まる観心本尊抄
 上のような古来の文点はすべてご文意に反して誤りであり、正しくは次のように四義具足してまったきを得るのである。
 時・応・機・法の四義を説明すれば、「時」とは仏の出世する時を指し、「応」とは衆生の機根に応じて仏が出現して法を説く等の振舞いを指し、「機」とは衆生の機根であり、「法」とは仏の説き弘める法体である。すなわち衆生に機あって仏の出世を感じ、仏はこれに応ずる。これを感応という。これに反して衆生の機がないところに仏は出世することなく、仏の出世にあわない衆生はそれだけの機がないのである。
 御義口伝にいわく「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁と為す」(0716:第三唯以一大事因縁の事:03)
 この原理を現在のわれわれに当てはめるならば、「時」は末法であり、「応」は日蓮大聖人が久遠の本仏としてご出現になり、「機」とはわれわれ末法の衆生であり、「法」とは三大秘法の南無妙法蓮華経である。

四義

時 如来滅後五五百歳    上行出世の時を明かす

応 始む         上行始めて弘むる義を明かす

機 観心         文底下種仏法に縁のある衆生の観心

法 本尊         人即法の本尊

 すなわち、この文点は「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」とするのが正しい。ゆえにその題意は「如来滅後五五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄」となるのである。なにゆえにこれが正しいか。日寛上人はその理由として次の五門に約して証明している。

@題号所依の本文による

 この題号は法華経神力品第二十一に「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文によられている。というのは神力品において上行菩薩に別付嘱があり、上行菩薩が末法に出現して三大秘法を弘通する正しき証文がここにあるからである。さて「我が滅度の後」とは「如来滅後五五百歳」にあたり末法の時を示している。「応」の一字は仏が勧奨するのを示し、すなわち「始む」の字にあたる。「受持」は機に約して「観心」にあたり、「斯経」は法に約して「本尊」にあたる。このように本抄の題号の依り所となる神力品の文と一致」して四義を具足すべきである。

A四義具足の例証による。

 法華経には、次の通り四義具足の文がある。

四義 方便品      寿量品

時 爾の時       爾の時

応 世尊は告げて云く  仏告げて云く

機 舎利弗に      諸菩薩及一切大衆

法 諸仏智慧甚深無量  如来秘密神通之力

B四義具足の明文による

 また同じく観心本尊抄の次の文には正しく四義を具足している。

 この時(時)地涌の菩薩始めて世に出現し(応)但妙法蓮華経の五字を以て(法)幼稚に服せしむ(機)。

 仏・大慈悲を起し(応)妙法五字の袋の内に此の珠を裏み(法)末代(時)幼稚(機)の頸に懸けさしめ給う。

 上のような明文からみても題号もまた四義を具足すべきことは明らかである。

C「始」の字を応に約する明文による

 救護本尊の端書に「後五百歳の時・上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」との明文があり、「始」の字は「始めて弘む」という「応」の意となる。

 救護本尊と万年救護の本尊とも称し、文永11年(1274)に日蓮大聖人が御建立あそばされた御本尊で現在は保田本妙寺にある。

D古来の諸師の文点を料簡す

  古来の諸師の文点は次のように誤りである。

(1)蒙抄 不受不施派 日講の書

 蒙抄には「五五百歳に始めて心の本尊を観ずる抄」と点じ、始の字は正像を簡んで未曾有の言に合すると説いている。

 難じていわく蒙抄にいうこころの「始めて観ず」との意は機に約しているのであり、「未曾有」の言は法に約して言うべき語であるから、始と未曾有が合するわけがない。まして豪抄のごとく読めば「始めて観ず」が体となり本尊の二時が用となって本抄の大旨に反するのである。

(2)忠抄 八品派 日忠の書

 忠抄には五五百歳の200年に蓮祖が出現するから「五五百歳の始」と点ずべきであるという。

 難じていわくそれは文異義同を知らないで煩重の失を招くことになる。すなわち「如来滅後五五百歳」とことわる必要がない。いわんや「始めて之を弘宣す」との御文に反するから、用いるわけがないのである。

(3)常抄 中山派 日祐の書

 常抄には「五五百歳に始まりたる心の本尊を観ずる抄」と点じ、しかもこれが相伝であるといっている。

 難じていわく常抄は富木入道日常の述作ではなく中山派三代日祐の筆である。相伝であると言いながら同じ一致派の蒙抄すらこれを用いておらない。ましてそのように読めばすでに始まったことになり、本抄の今始むという大旨に反することになる。

(4)辰抄 要法寺 日辰

 辰抄には万年の始を指して始というと。

 難じて云く五五百歳とは既に末法の始を指している。なにゆえに重複して始というか。

(5)日我抄 本妙寺 日我

 日我抄には「五五百歳に始まる観心本尊抄」と言っている。これは「始」を法に約し、しかも今始むに約して未曾有の言に合い、また広宣流布の文に応じているではないか。

 難じていわく日我は所弘の辺に約するから始まるという。今能弘の辺に約すれば始むとなるのである。もし能弘の辺をあげればおのずから所弘の辺を摂する。すなわち始む人があってこそ始まるのである。ゆえに始むと点ずればおのずから日我の始まるという点を含む。いわんやまた広宣流布の言はつぎにおおせられるのごとく能弘の辺、大聖人が始めて弘めるという意を強くおおせられているから日我の点を用いるべきではない。

 顕仏未来記にいわく、

 「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」(0507:06)と。

 

2、観心本尊の文点

 この文を古来の諸師は

 (1)「心の本尊を観ずる抄」

 (2)「心を観ずる本尊抄」

 (3)無点で「観心本尊抄」

 等としているが、はたしてどう点ずるのがご正意であるかといえば、これらはみな誤りで、正しくは「観心の本尊抄」と点ずべきである。およそもろもろの法相は多くは相対してその名を立てている。たとえば十双権実・六重本迹等はもとより、大小・権実・迹本等もみな相対の上に立てた法門である。教相と観心の立て分けは諸宗を通じて同じ立て分けである。さてこのような相対の法門にあっては、事の言は理を簡び、果の言は因を簡び、大の言は小を簡び、実の言は権を簡び、本の言は迹を簡ぶ。ゆえに観心の言もまた教相を簡ぶのである。たとえば三大秘法の中に本門の本尊という時には本迹の本尊を簡ぶと同じで、観心の本尊とは教相の本尊を簡ぶのである。

 教相の本尊と観心の本尊とは、その体がどのように違うかとなれば、教相の本尊とは、文上脱益迹門理の一念三千の本尊をいうのであり、観心の本尊とは、文底下種本門事の一念三千を本尊というのである。この義をつまびらかにするにあたり日寛上人の文段に準じてつぎの三段として解説する。

@大聖人所立の教相観心の相

教相と観心については各宗派ともこれを立てるのであるが、教相の観心とはどのような相であるかを次に五文を引いて説明する。

 開目抄、

「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)

 上の御文で「一念三千」とは観心の法門であり、文底をもって観心と名づけているから、文上の法門はすべて教相であることが知られる。

 十法界事、

 「法華本門の観心の意を以て一代聖教を按ずるに菴羅果を取つて掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡じ・本門の大教起れば迹門爾前亡じ・観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず此れ是れ如来所説の聖教・従浅至深して次第に迷を転ずるなり」(0420:06)

 爾前・迹門・本門・観心と立てられているが、第四の観心とは諸宗でいうところの観心とは異なり、文底下種法門をもって観心と名づける。文底下種法門をもって観心と名づけるから、爾前・迹門・本門ともに教相となるのである。

 本因妙抄,

 「一には名体無常の義・爾前の諸経諸宗なり、二には体実名仮.迹門.始覚無常なり、三には名体倶実・本門本覚常住なり、四には名体不思議是れ観心直達の南無妙法蓮華経なり」(0870:14)

 御文の通り文底をもって観心直達と名づけるゆえに爾前・迹門・本門ともに教相に属することが明らかである。

 本因妙抄

 「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり、是を不思議実理の妙観と申すなり」(0872:07)

 文底下種本門事の一念三千をもって不思議真理の妙観となすのであるから、文上脱益迹門も理の一念三千となり、教相に属するのである。

 本因妙抄、

 「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877:02)

 文底下種法門事の一念三千を直達正観と名づけるので、文上脱益迹門理の一念三千は教相に属する。

 上の諸文によって大聖人所立の教相観心が実に明白となるのである。

A大聖人所立の下種三種の教相

 第一、根性の融不融の相───┬第一、権実相対

 第二、化導の始終不始終の相─┘

 第三、師弟の遠近不遠近の相──第二、本迹相対

                第三、種脱相対

 すなわち天台の第一・第二は、大聖人仏法の第一法門・権実相対にあたり、天台の第三法門は、大聖人仏法の第二法門・本迹相対にあたり、大聖人仏法の第三法門は、種脱相対、天台・伝教もいまだかって弘通したことのない深秘の法門であって次の御書にお述べのとおりである。

 常忍抄にいわく、「法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、 五五百歳は是なり」(0981:08)

 しかるに、日蓮の名を冠にする各宗派においては、天台の第三法門をただちに日蓮大聖人の第三法門と解している。これは大聖人出世の御本懐たる種脱相対を知らず、文底と文上の勝劣に迷うがために起こる迷乱である。

 つぶさに日蓮大聖人の出世の本懐たる種脱勝劣のご深意に到達しなければならないのである。

B本抄にまさしく下種観心の本尊を顕わす

 本抄には在世脱益の本尊を簡び、まさしく下種観心の本尊を顕わしているが、次の諸御書をあわせ拝してその理由を明らかにしよう。

   本因妙抄、

 「一は待教立観.爾前・本.迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ」(0872:06)

 「不思議実理の妙法蓮華経の観」とは、すなわち文底下種観心の本尊である。ゆえに迹門・本門ともに文上熟脱の教相を破すことが明らかである。

   本因妙抄、

 「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよ」(0872:11)

 「教相の法華」とは文上熟脱の法華経である。「観心の法華」とは文底下種の法華経であり、まさしく観心の本尊である。

   観心本尊抄、

 「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや」(0247:15)

 すなわち本門の言は本迹相対して迹門脱益の本尊を簡び、肝心の言は種脱相対して文上脱益の本門を簡び、南無妙法蓮華経とは文底下種観心の本尊を顕わすのである。

   観心本尊抄、

 「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:10)「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251:09)

 上記の御文で寿量品とは迹門を簡び、肝心といい肝要というのは、文上脱益本門をを簡び、南無妙法蓮華経はまさしく文底下種本尊を顕わすことは前文と同趣旨である。

   観心本尊抄、

 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)

 これらの諸文に文上脱益本尊を簡んで文底下種観心の本尊を顕わすことが明らかである。

 

(3)別釈

 次に別釈にあたり同じく日寛上人の文段に準じて次の4項に分けて説明する。

 

1、如来滅後五五百歳

 如来滅後五の五百歳に広宣流布するとは法華経薬王品の文であり、この文に準じて五五百歳と立てられた正意は、神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文である。「如来」とは三身即一の応身如来であり、「滅後」といえば正像末の三時にわたるが、その意は末法にあり「五五百歳」とは500年にわたるが、その意は大御本尊建立の末法のはじめである。すなわち仏滅後2220余年等とおおせられるのがこれである。

 

2、「始」の意義

 正像2000年いまだかってひろまらざる大御本尊を末法の初めに久遠の本仏が出現して弘通を始むの義である。すなわち次の御書に示されるごとし。

   本尊問答抄、

 「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ」(0373:17)

 さしてしからば日蓮大聖人御一代においていつこれを始められたのであるか。建長5年(1253)に宗旨を建立せらあれたが、題目のみで、いまだ三大秘法の名字すらなかった。ゆえに御抄には佐渡以前は仏の爾前経と思しべせと次のごとくおおせられている。

   三沢抄、

 「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489:07)

 すなわち佐渡以前においてはいまだ身業読誦が終わらず、佐渡にいたって初めて「内内申す法門」とて開目抄および観心本尊抄を御述作あそばされた。しかして開目抄には日蓮大聖人が上行菩薩の再誕であらせられること、および末法にいたって主師親三徳の御本仏は日蓮大聖人であらせられるとて末法に建立される人の本尊を開顕あそばされたのである。ついで観心本尊抄においては法の本尊を開顕あそばされ、末代三毒強盛のわれら衆生が即身成仏の大御本尊の相貌をまさしく説き示したのである。

 しからば佐渡において初めて大御本尊を建立あそばされ終窮究竟の御本懐を達せられたかというにそうではない。大御本尊の建立は広宣流布の暁に本門の戒壇が建立されることを予期し、その時にいたって本門の大戒壇に安置されるべき本門戒壇の大御本尊のご建立こそ真の極説中の極説と拝せられるのである。ゆえに、

   聖人御難事にいわく、

 「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189:03)

   日興跡条条事にいわく、

 「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」

 以上のごとく日蓮大聖人出世のご本懐は、まさしく弘安2年(1279)10月12日の本門戒壇の大御本尊建立にあらせられ、しかも御入滅にさきだってお弟子日興上人に付属せれ、日興上人はまた、日目上人にご相伝あそばされたことが明らかなのである。

 弘安2年(1279)に出世のご本懐を達せられた点について日寛上人は、大聖人と天台大師とを次のように比較しその不思議をお述べになっている。

天台大師         日蓮大聖人

隋の開皇十四年御年57歳    文永10年4月25日本尊抄を終わり

4月26日より止観を始め    弘安2年御年58歳10月12日に

一夏にこれを説き4年後     戒壇本尊を顕わして4年後

同17年御年60歳11月に御入滅 弘安5年御年61歳10月に御入滅

 これについて三つの不思議あり、

 一には、天台大師は57歳で止観を説き、日蓮大聖人は58歳で本門戒壇の大御本尊を顕わす。天台は60歳で入滅、大聖人は61歳の御入滅、このように像法の天台は末法の大導師にさきだっている。

 二には、天台は4月26日に止観を始め、大聖人は4月25日に本尊抄を完成されている。天台は11月御入滅、大聖人は10月の御入滅。すなわち大聖人は後に生まれても下種の本仏であらせられるゆえ、熟益の教主たる天台にさきだって化導を終えられている。

 三には、天台も大聖人も同じく4年前の終窮究竟の極説を顕わしている。

 次に諸御書ならびに御本尊脇書が「二千二百二十余年」と、「二千二百三十余年」とあり、その相違はいつから起きているのか。弘安4年(1281)が2230年になるが、弘安元年(1278)以後すでに「二千二百三十余年」とおおせられている。すなわち、

 弘安元年(1278)7月御述作の千日尼御前御返事「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」(1301:03)

 弘安元年(1278)9月御述作の本尊問答抄「二千二百三十余年」(0373:17)

 とあり、弘安元年(1278)以後には、すでに「30余年」とおおせられている。しかし、弘安元年(1278)は仏滅後2227年である。なにゆえに30年とおおせられるのか。これについて日寛上人は深意ありと次のようにお述べになっている。釈尊の法華経は8ヵ年にわたって28品を説かれているゆえに、1年には3・5品となる。御年72歳より法華経を始めると、76歳で寿量品を説き、77歳で神力品を説き、地涌千界に付嘱して4年後、80歳で御入滅となる。ゆえに釈迦仏の出世の本懐である寿量品を説き顕されてから弘安元年を数えると、弘安元年は(1278)は2231年となる。すなわち「今此の御本尊は寿量品に説き顕し」と仰せのごとく、また本尊問答抄にも「此の御本尊は世尊説き置かせ給いて後」等の文意から拝して、寿量品の説法より数えて弘安元年(1278)以後をまさしく2230余年とおおせられたと拝することができるのである。

 

3、観心の二字を釈す

 観心を釈するにあたり日寛上人の文段に準じて二段に分けて釈する。

@まさしく我等衆生の観心なるを明かす

 文底下種の一念三千を観心と名づけることは前段の説明ではっきりしたが、しからばその観心とはだれびとの観心かとあるかといえば、末法今時のわれら衆生の観心である。その理由は次の文に明らかである。

 観心本尊抄、

 「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(0253:16)「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)

 「服せしむ」「懸けさしむ」ともに観心の意であり、「末代幼稚」とは、末法今時のわれら衆生であることもはっきりしているのである。

 また日辰抄には観心の二字が能化・所化に通ずると言っているが、この義は一般的に論ずればその通りであるが、当文の観心の二字は所化に約すべきである。すでに「始む」の字が能化の動作であるから、観心を所化に約するのが正しいのである。

 また、日我抄にいわく「当流の意は、観とは智なり智とは信なり信とは信智の南無妙法蓮華経なり、心とは己心なり己とは末法出現の地涌なり、地涌の心法・妙法蓮華経なる処が観心なり、末世の衆生を救わんが為に出現あれば本尊なり」等云云、すでに観心の二字をもって地涌の菩薩の境地の二法に約し、どうしてわれら衆生の観心であるといえようか、と言っているが、そのように考えるのは観心と本尊とを混乱しているのである。本門の本尊とは本地難思境智の妙法である。地涌の菩薩をもって本尊の二字を釈すべきであり、観心の二字をもって釈すべきではない。いわんや三大秘法のなかの「本門の本尊」と今の「観心の本尊」とその意が同じではない。どうしてこの観心の二字をもって本尊の二字と同じであるといえるのか。もし即本尊であるというなら、時応機法の四義を欠くことになり不徹底である。

A我等衆生の観心の相貌

 久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず 直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877:04)等とお示しのごとくである。

 およそ観心とは、正法1000年は最上利根の衆生であったから、あるいは不起の一念を観じ、あるいは八識元初の一念を観じた。

 ついで像法に入ると衆生も鈍根となり根塵相対芥爾六識に三千の性を具すことを観じて観心となした。

 しかるに末法はただ題目を唱えて観心となすということか。

 末法今時は理即但妄の凡夫であって、正像年間の観心と末法の観心とは違うのが当然である。しかしまた、像法時代の観心といっても一様ではなかった。伝教大師が天台山国清寺で道邃和尚から四箇の大事を相伝した中に、一心三観・一念三千があり、そのなかに甚深の口伝がある。その中で「法具の一心三観とは、臨終の苦しみの時南無妙法蓮華経と唱えよ」と、また「臨終の一念三千とは妙法蓮華経であり臨終の時南無妙法蓮華経と唱えよ」と言っている。ゆえに題目を唱えることが観心であるとはすでに天台宗においても甚深の口伝となっているのである。

 像法迹門の時ですらこのとおりであって、末法本門の時には、ただ信心口唱をもって観心となす。天台大師は「心に思惟せざれども法界に遍照す」と釈し、伝教大師は「本門実証の時は無思無念に三観を修す」と釈しているのがこれである。

 また、唱法華題目抄にいわく「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」(0012:17)との文によれば、一念三千の観を修学すべきであって、信心口唱のみではならないのではないか、と天台流の考え方の者は疑問を出すであろう。だがそれは次の諸御抄と、当文の御書における位置とを考えるならばはっきりとする。

 すなわち、四信五品抄にいわく「汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや」(0341:13)持妙法華問答抄にいわく「利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり」(0464:05)等云云、十章抄にいわく「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり・日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり」(1274:08)等云云。これらの諸御書の意に準ずるならば、おのずから明らかであり、かの唱法華題目抄は佐渡以前文応元年(1260)の御著作にして一往天台随順の釈であり、日蓮大聖人の正意ではないのである。

 また、唯信心口唱のみをもって、即観行を成ずることができるということは、なかなか信じ難いことであろうが、日蓮大聖人の意をもってすれば、ただ弘安2年(1278)10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を信じて題目を唱うるならば則所信所唱の本尊の仏力と法力によって速やかに観行を成ずるのである。

 ゆえに、

 当体義抄にいわく、

 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は 煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり 敢て之を疑う可からず之を疑う可からず」(0512:10)と。

 さて御文に明らかなごとく「但法華経を信じ」とは信力である。「南無妙法蓮華経と唱う」とは行力である。「法華の当体」とは法力であり「自在の神力」とは仏力である。ゆえに信力・行力を励むときは、則仏力・法力によって観行を成就するのである。

 同じく当体義抄にいわく、

 「日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は 本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)と。

 「本門寿量の教主」とは人の本尊・仏力であり、文底下種寿量品の教主とは、即日蓮大聖人であらせられる。「金言」とは要の法華経、意の法華経、下種の法華経であって、すなわち大御本尊の法力である。「信じて」は信力、「唱うる」とは行力である。このように信力・行力を励む時は法力・仏力によって観行を成就することが明らかである。伝教大師の神秘の口伝にいわく「臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功により速やかに菩提を成ず」と。妙法三力とは、一には法力、二には仏力、三には信力であり、南無妙法蓮華経と唱うるは即行力である。ゆえに前引の当体義抄の意とまったく同じであることを知るのである。

 本因妙抄にいわく、

 「五に住不思議顕観・文に云く理は造作に非ず故に天真と曰う・証智円明なるが故に独朗と云う云云、釈の意は口唱首題の理に造作無し、今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す、信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」(0872:12)と。

 ゆえに、文底下種本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる時は、仏力・法力によって観行を成就するのである。不信の者は絶対にこれを成就することができないのである。

 持妙法華問答抄に、

 「唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり」(0464:11)

 とおおせられているのがこの意である。

 

4、本尊の二字を釈す

 本尊を釈するにあたり、また日寛上人の文段に準じて二段となす。

@本尊の体徳

 およそ本尊とはわれら衆生が受持する法体であり、信じて題目を唱うるところの大曼荼羅である。まさしく本尊を明かしたところの本抄の大意は、在世八品の本尊ではない。在世の本門八品の儀式は、ただこれ在世脱益の本尊であって、末法下種の本尊ではない。ゆえに本抄の中に、具さにこれを簡別して、文底神秘の大法・本地難思・境智冥合・本有無作・事の一念三千の妙法をもって末法幼稚の本尊となしているのである。これすなわち、本抄所宣の元意である。

 また事の一念三千についても、諸門流の義は異論がまちまちである。当流の意は次のごとし、

 迹門は諸法実相に約して一念三千を明かすゆえに理の一念三千と名づく。

 本門は因果国に約して一念三千を明かすゆえに事の一念三千と名づく。

 ただ文底神秘の久遠元初自受用身即一念三千をもって事の一念三千と名づくるのである。

 また、久遠元初自受用身の身相をたずぬるに、日本国中の諸門流の輩は劣応・勝応・報身・法身・応仏昇進の自受用身を知って、いまだ久遠元初の自受用身を知らないのである。ゆえに日蓮の名を冠にする流派は数多くあるけれども、同じく本尊に迷っているのである。久遠元初の自受用身とは、本地難思・境智冥合・本有無作の真仏であらせられ、名字凡夫の当体・本因妙の教主であらせられる。

 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、

 「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時 我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)と。

 久遠のゆえに五百塵点といい、元初のゆえに当初と言う。知の一字は本地難思の智妙であり、我が身等は本地難思の境妙のことである。この境と智とが冥合して南無妙法蓮華経と唱うるゆえに即座に開悟し、久遠元初の自受用身とあらわれるのである。

 この自受用身の色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち釈尊の五大即十法界の五大である。地獄界より仏界にいたる十法界のおのおのが異なるが、その構成要素たる五大種は即一である。すなわち、 三世諸仏総勘文教相廃立に、

 「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり内典・外典・名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり 是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり」(0568:01)

 とおおせられているのがこれである。

 また、この自受用身の心法の智妙も、一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち、

 当体義抄にいわく、

 「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513:04)

 この文に「因果倶時・不思議の一法」とは、すなわち自受用身の一念の心法であるゆえに一法という。因果倶時のゆえに蓮華と名づく。不思議の一法なるゆえに妙法と名づけるのである。この妙法蓮華経の一念の心法に十界三千の諸法を具足しているのであるから、自受用の妙心・妙智が一念三千の南無妙法蓮華経である。

 また、この無始の色心すなわち妙境と妙智とが、境智冥合するところに因果があり、ゆえに天台大師は「境智冥合則因果あり、境を照らす末だ窮らざるを因と名づく、源を尽くすを果と名づく」等と」おおせられている。「境を照らす末だ窮らず」とは、自分の智が、まだ客観世界を見きわめえない状態で、すなわちこれは下種家の本因妙・九界である。「源を尽くす」とは、智が客観世界をきわめつくすのであり、すなわちこれは下種家の本果妙・仏界である。この本因・本果は、刹那の始終・一念の因果であって、真の十界互具・百界千如・一念三千の南無妙法蓮華経である。このように本地難思の境智冥合・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を証得するのを、久遠元初の自受用身と名づけるのである。この時に、法をたずねれば、人の外に別の法なく全体が即法である。この時、人をたずねれば、法の外に別の人なく、法の全体が即人である。すでに境智冥合して人法一体であるから、事の一念三千と名づけるのである。ゆえに日蓮大聖人は「自受用身即一念三千」また伝教大師いわく「一念三千即自受用身」等とおおせられるが、これはすなわち今ここに説き明かそうとする御本尊のことであり、ゆえに事の一念三千の本尊というのである。

 この久遠元初の自受用身が末法に出現して、日蓮大聖人とあらわれ給うといえども「雖近而不見」にして、だれびとも自受用身即一念三千を知らぬゆえにことごとく本尊に迷っている。本尊に迷うがゆえに、わが色心に迷う。わが色心に迷うがゆえに生死を離れることができない。ゆえに本仏・大聖人は大慈悲を起こして、大聖人の証徳し給うところの全体を、一幅の大曼荼羅に図顕して末法幼稚のわれら一切衆生にこれを授けられたのである。ゆえにわれわれはただこの御本尊を信じ、余事を雑えることなく南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その深義を理解することができなくても、自然に自受用身即一念三千の本尊を知ることになる。すでに本尊を知ることにならば、わが色心の全体が事の一念三千の本尊であることを知ることになる。たとえば幼児が乳の味を知らなくても、自然にその身を成長し、名医の良薬は、その理を知らなくても、服すれば自然に病の癒えるのと同じである。これすなわち本尊の仏力・法力のあらわすところの功徳である。けっして疑ってはならない。

A本尊の名義

 本尊と名づけるものは、外道にも、内道にも、権教にも、実教にも、迹門にも、本門にも通じている。ゆえに、あらゆる宗派はことごとく主師親をもって、それぞれ本尊となしているのである。

 開目抄にいわく「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186:01)とおおせられているのがこの意である。このように各宗派にあって「根本と為して尊敬する」ものを本尊と名づけるのである。

 さて、このように、各宗派とも本尊を立てているから、その当体は天地雲泥の相違がある。儒教にあっては三皇五帝を本尊とし、キリスト教は神を、また狐、蛇等の畜生を本尊とするものもある。仏教では、倶舎・成美・律ならびに禅宗等は、三鞍・劣応の小釈迦を本尊とす。法相・三論の二宗は通教の勝応身・大釈迦を本尊とす。浄土宗は阿弥陀仏を、華厳宗は廬遮那報身を、真言宗は大日如来を本尊とす。また、あるいは弘法大師のごとく、祖師であるからといって本尊とするものもある。天台大師は、止観の四種三昧のときは阿弥陀をもって本尊となし、別時の一念三千の時は南岳所伝の十一面観音をもって本尊となし、まさしく法華三昧の中には但法華経一部をもって本尊と定めた。また伝教大師は、迹門戒壇に四教開会の迹門の教主釈尊を本尊とした。また根本中堂の本尊は薬師如来であるが、これについては多くの相伝があるという。

 このように、各宗各派によって多くの本尊があるけれども、すべて根本となして尊敬しているものがすなわち本尊である。日蓮仏法もまたそのとおりである。文底深秘の大法・本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用報身・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を根本となして尊敬し、これを本尊と名づけるのである。これすなわち十方三世諸仏の御本尊であり、末法下種の主師親であらせられるがゆえである。

 本尊問答抄にいわく、

 「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には 皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、涅槃経の第四如来性品に云く『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、 天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云。疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、 答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり、但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による、是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし、 不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり」(0365:01)

 その他類文は繁多のゆえに省く。

 さて、この本尊に人法があり、人は即久遠元初の自受用報身・法は即事の一念三千の大曼荼羅である。人に即してこれ法のゆえに事の一念三千の大曼荼羅をもって主師親となす。法に即してこれ人のゆえに久遠元初の自受用身日蓮大聖人をもって主師親となす。人法の名は異なれども、その体は恒に一つである。これすなわち末法われが下種の主師親の三徳である。しかるに、日本国じゅうの諸門流は己の主師親を知らないで在世脱益の三徳に執着し、他人の主師親をもって自分の主師親とし、かえって己の主師親を卑下している。じつにあわれむべく悲しむべき現状である。

 蒙抄には「この本尊は本有の尊像なり、ゆえに本尊という」と。忠抄には「本門事具の三千の尊敬なり、ゆえに本尊という」と。日我抄には「本とは本地・尊とは迹仏の思慮に及ばず無始色心妙境妙智の尊体なり、ゆえに本尊という」と。これらの諸義は皆一分の義で、正義は先に示したとおりである。

 

(4)総結

 当抄の題号に多くの意を含む。今、日寛上人の釈を略して示す。

 

1、三大秘法を含む

 「如来滅後五の五百歳に始む」とは、すなわち正像末弘の意である。「観心」の二字は、すなわち題目である。そのゆえは本門の題目とは、但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることであり、今この観心もまた、本尊を信じて南無軽報蓮華経と唱える義であるから、観心即題目である。「本尊」の二字は、まさしくこれ本門の本尊であり、その本尊所住の処は本門の戒壇である。ゆえに当抄の題号は正像末弘の三大秘法である。

 

2、事の一念三千を含む

 「如来滅後五五百歳に始む」とは末法弘通の始めであり、「観心本尊」とは弘通するところの事の一念三千である。すなわち「観心」の二字はわれら衆生が能く行ずる意味で九界であり、「本尊」の二字は一念三千即自受用身の仏界である。われらが一心に御本尊を信じ奉れば、本尊の全体が即我が己心であり、ゆえに仏界即九界である。ゆえに「観心本尊」の四字は、即十界互具・百界千如・事の一念三千である。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは、また末法弘通の事の一念三千である。

 

3、本因の四妙を含む

 「如来滅後五五百歳」とは、すなわち末法下種の始めである。「観心本尊」は、すなわち本因妙であり、この本因妙にまた境智行位の四妙を具すのである。「本尊」とはすなわちこれ境妙である。「観心」とはすなわちわれらが信心口唱である。信心とは智妙であり、口唱は行妙であり、これを信じ唱うるわれらはすなわち理即但妄の位妙である。この四妙を合して種家の本因妙と名づける。すなわち四妙の名は同じであっても、脱家の本因妙とは天地の相違があるわけである。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法下種の本因妙抄である。

 

4、事行の題目を含む

 「如来滅後五五百歳始」とは末法事行の始めである。「観心本尊」とは事行の題目である。すなわち観心は能修の九界であり、本尊は所修の仏界であるから、十界・十如が分明であり「法」の字に当たる。このように、九界と仏界が感応道交し能修と所修・境智冥合し、甚深の境界は言語同断・心行所滅であるから「妙」の字に当たる。また信心は題目を唱える始めであるから本因妙であり、題目を唱えるのは信心の終わりのゆえに本果妙である。これすなわち刹那の始終・一念の因果で「蓮華」に当たるのであり、この妙法蓮華経は本有常住であるから「経」の字に当たる。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法事行の題目抄である。

 

5、決定作仏の義を含む

 如来滅後五五百歳に「始む」とは、すなわち末法下種の教主・本地自行の真仏・最極無上の仏力である。「本尊」とはすなわち久遠元初自証の本法・尊無過上の法力である。「観心」とはわれら衆生が本尊を信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱うる義であるから、信力・行力ではないか。信力・行力・仏力・法力とは決定成仏の義をあらわすのである。もししからば「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは「於我滅度後・応受持此経・是人於仏道・決定無有疑抄」ともいうべきである。

鳳凰は樹を選んで栖み、賢人は王を選んで仕えるという。仏法を学ぶ者が、どうして、本尊を選ばないで信行できようか。もし正しい本尊でなければ、たとえ信力・行力を励んでも、仏種を成ずることはできない。本抄をよくよく拝して、法華経文上・脱益教相の本尊を簡別し、下種観心の本尊を肝に銘ずべきである。この御本尊は,三世の諸仏の恩師であり、八万法蔵の勧進であり、正中の正境・妙中の妙境である。ゆえに、この御本尊を一念も信解する功徳は五十展点の功徳にも超え「妙法経力即身成仏」といわれるのである。ゆえに、この御本尊は最極無上の尊体であらせられ、尊無過上の力用があらせられるのである。

 末法の今日において、仏道を修行せんとする者は、すべからく信力・行力の観心を励むべきである。智慧第一の弟子といわれた舎利弗すら、なお信をもって得道することができたのである。いわんや末代の愚人たるわれらは、信心なくしては、けっして成仏得道がないわけである。像法の智者と仰がれた天台大師ですら、なお毎日一万遍の題目を唱えたという。どうして末代のわれらが題目を唱えないでおられようか。さいわいにして人身を受けたのに、今生を空しく終わるならば、万劫にもふたたび人身を受けがたいのである。一生を空しく過ごして永劫悔ゆることなかれ。

 

本朝沙門日蓮について

 

1、本朝沙門の義

 本朝とは日本国のことであり、沙門とは出家して仏道を修める者の通号である。沙門はまた桑門ともいい、勤息と釈すのである。善法を修して悪法を止息する者の意である。

 とくに本朝沙門と記されたゆえんのものは、日本国こそ、民衆救済の御本尊御出現の所であり、仏道を修する僧侶によってのみ、なされることを意味したものである。

 

2、日文字の義

 日文字については重々の口伝がある。釈尊の氏は、あるいは日種と号し、日種太子とも呼ばれた。また慧日大聖尊とも号したが大聖尊とはすなわち大聖人の意である。唯我一人というも唯我独尊というも同意であり、尊とは人である。また、本化地涌の菩薩をば神力品に「日月の光明の如く…能く衆生の闇を滅す」と説かれている。これすなわち本化の大菩薩を日月にたとえ、また、その地涌の菩薩の出現する国の名は日本であり、その日本国の御主を日の神と呼び、しかも本門戒壇の建立されるべき地を大日蓮華山という。みなこれ日の字を用いられたことは自然の道理ではないか。

 このゆえに文底下種の教主であらせられるがゆえに、日蓮とお名のりあそばされたのである。なおこれらの深義については、次の諸御書を参照にするとよい。

 撰時抄、

 「摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば 日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり」(0282:12)

 産湯相承抄,

 「富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり」(0879:09)

 百六箇抄、

 「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり」(0863:06)

 

3、蓮の字の義

 蓮の字には泥の中より生じて泥に染まらない徳、種子を失わざる徳、因果倶時の徳、その他十八円満等の種々の深があり、また本化地涌の菩薩をば湧出品に「蓮華の水に在るが如し」と説かれており、しかも弘通し給う法は妙法蓮華経である。しかしこれらの深義をここに説きつくすことはできない。また次の諸御書もあわせ拝読すべきである。

 当体義抄では、全体の大旨が蓮華の当体と譬喩について詳述されている。

 十八円満抄には

 「問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師の修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし」(1362:01)とあり、以下、十八円満について詳説されている。

 

4、日蓮大聖人とは慧日大聖尊

 慧日大聖尊とは、仏の通号であって、方便品第二に「慧日大聖尊久しくいまし此の法を説く云云」とある。すなわち日蓮大聖人と申し上げる御名は、慧日大聖尊と申し上げるのと同じである。ゆえに日蓮大聖人は、御自ら諸御抄に次のごとくおおせられているのである。

 「日本第一の大人なりと申す」(0289:07)

 「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(0974:12)

 「南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらん」(0287:06)

 また日文字は主師親の三徳を顕わす。章安大師は会疏第二に「日字に三義あり一には高く円明なるは主徳に譬え、万物を生長するは親徳に譬え、照了して闇を除くは師徳に譬う」と言っている。ゆえに諸御書には日蓮大聖人が、末法当世の主師親三徳を備えた本仏であるとおおせられているのである。

 また日文字は唯我独尊の義を顕わす、韻会にいわく「通論にいわく天に二の日なし、ゆえに文において…一を日と為す」等云云、経にいわく「世に二仏なく国に二主なし、一仏境界に二尊なし」等云云、顕仏未来記にいわく「五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」(0508:01)等云云、百六箇抄にいわく「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり」(0863:05)

 以上のようにお示しのごとく日文字が顕すところの日蓮大聖人の御名は慧日大聖尊と同号であらせられ、主師親の三徳を備えた久遠元初の唯我独尊であらせられる。されば文底下種の教主であらせられ、末法今時の人本尊であらせられることが明らかではないか。

 しかるに日本国中の日蓮の名を冠に置く諸門流はこの義を知らず、あるいは釈尊を仏宝となし、大聖人を僧宝に下し、あるいは日蓮大菩薩と下して本尊に迷っているのは、ことごとく誤謬の甚だしいものといわなければならない。

 実に久遠元初においては自受用報身と号し、霊鷲山においては上行菩薩と号し、末法においては日蓮大聖人と号されているが、名字は異なれども一体の御利益であらせられる。ゆえに百六箇抄に「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854:03)とおおせられているのである。また日興上人の御弟子の三位日順は、詮要抄に「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」等と言っているのである。しかるに諸門流の学者は、ただ上行菩薩の再誕であらせられることのみを知って、いまだ久遠元初の自受用身であらせられることを知らない。その上かえって大聖人の正義を破ろうとしているさまは、妙楽が次に言っているがごとき呵責を蒙ることになる。

 籤八にいわく「学者・法をやぶり人を毀る・良に体同名異を知らざるによる。天主の千名を識らず・しこうして?尸はこれ帝釈ならずとおもう、ゆえに弘教者はここに旨を失い、恐らくは弘法利他の功は秘法毀人の失を補わず」と。

 たとえいかなる立派な法を説き、いかに私利私欲を捨てて民衆を救うために努力しようとしても、久遠元初の自受用身が即日蓮大聖人であらせられることを知らず、正法の正義を非難するならば、弘法利他の功はさらになく、その謗法の罪は絶対に消えることがないのである。

 この義を知らぬ輩は、日蓮大聖人は上行菩薩の再誕であるのに、どうして久遠元初の自受用身というか、との疑念をもつであろう。しかし天台大師は薬王の再誕・伝教大師は後身であるが、山門の口伝には天台・伝教を教主釈尊と呼んでいる、と日寛上人が仰せられているように、久遠元初の自受用身の垂迹は上行再誕であり、上行菩薩の再誕は日蓮大聖人であらせられるから、久遠元初の自受用身は即日蓮大聖人であらせられるのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0238:01〜0238:04 第1章 一念三千の出処を示す

 

本文

如来滅後五五百歳始観心本尊抄   本朝沙門日蓮撰   文永十年   五十二歳御作
 摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。
 「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云或本に云く一界に三種の世間を具す。

 

現代語訳

 摩訶止観の第五にいわく
「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具すれば百法界である。この百法界の一界に三十種の世間を具すれば即ち一心に三千種の世間を具することになる。この三千世間は一念の心にあり、もし心がなければ三千を具することがない。ほんのわずかばかりの心でもあれば即ち三千を具するのである。ないし所以に不可思議境と称し、意は此にあるのである」。

 

語釈

摩訶止観
 略して止観ともいう。天台大師智が隋の開皇14年(0594)4月26日から一夏九旬にわたって荊州玉泉寺で講述したものを、弟子の章安大師灌頂が筆録した書である。本書で天台大師は、仏教の実践修行を止観≠ニして詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、梵語で偉大なという意の摩訶≠ェつけられている。止≠ニは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを観≠ニいう。内容として、法華経の一心三観・一念三千の法門を開き顕し、それを己心に証得する修行の方軌を示しており、天台大師の出世の本懐とされる。構成は、章安大師の序分と天台大師の正説分からなっている。正説分として@大意、A釈名、B体相、C摂法、D偏円、E方便、F正修、G果報、H起教、I旨帰、の十章が立てられており、これを「十広」ともいう。しかしながら、F正修章において十境を立てるなか、十境中の第八増上慢境以下は欠文のまま終わっている。

世間と如是と一なり開合の異なり
 止観の第五には、一念三千を明かす文が二つあるが、開釈のなかでは如是に約し、結成のなかでは世間に約して法数を成ずるから、計算の過程においては、次のような違いがある。
 開釈 …… 百界−三百世間−三千如是 になる。
 結成 …… 百界−千如是――三千世間 となる。
 以上のように、開釈のなかでは三千如是で結び、結成のなかでは三千世間となっているが、三千の数量を成ずることに変わりなく、その途中において、あるいは世間を合して如是を開き、あるいは如是を合して世間を開いているだけの相違であるから、「世間と如是と一なり開合の異なり」とおおせられているのである。
 一念三千を明かすのに、天台は法華経方便品の十如の文によったのであるから、如是に約すべきであり、世間に約すのはおかしいという疑問があるが、天台は迹面本裏といって、一往迹門を表面に立てて、裏に本門の意をおいて一念三千を説いた。したがって、開釈のなかで迹門の如是に約して法数を成じ、結成のなかでは、国土世間のあらわれた本門の意によって法数を成じているのである。十章抄には「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」とある。

十法界
 十界と同義。凡聖迷悟の一切の世界を十種に分類したもの。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界をいう。「十界」の明文は経論にはないが、法華経法師功徳品第十九には「三千大千世界の下阿鼻地獄に至り、上有頂に至る、其の中の内外の種種の所有る語言」として挙げられているなかに、地獄声・畜生声・餓鬼声・比丘声・比丘尼声・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声などがある。また大智度論巻二十七には「四種の道あり。声聞道・辟支仏道・菩薩道・仏道なり……復六種の道あり。地獄道・畜生・餓鬼・人・天・阿修羅道なり」とあり、十界の名称が出そろっていたことが分かる。これらの経釈を受けて、天台大師の法華玄義巻二上には「気類相似を取って合して四番と為す。初めに四趣、次に人天、次に二乗、次に菩薩・仏なり」とある。十を通じて法界と名づける理由について、法華玄義巻二上には「今権実を明かすとは十如是を以って十法界に約す、謂く六道四聖なり。皆法界と称することは其の意三あり。十数皆法界に依る、法界の外に更に復法なし。能所合称するが故に十法界と言うなり。二には此の十種の法は分斉同じからず、因果隔別し凡聖異あるが故に、之に加うるに界を以ってするなり。三には此の十は皆即ち法界にして一切法を摂す。一切法は地獄に趣く、是の趣過ぎず。当体即ち理にして更に所依なきが故に法界と名づく。乃至仏法界も亦復是くの如し」と釈している。

或本に云く一界に三種の世間を具す
 引用されている本は、十如のそれぞれに三世間を具する意であるから、三十種の世間を具すれば、「一界に……」となる。「或本」のほうは、十如の中の一如是に約するから、三種の世間という。一をあげて九に例するのである。両方とも十如を挙げていないが、十界と三世間をあげて、おのずから十如を含め顕わしているのである。

 

 

講義

 摩訶止観の文を通解のように理解すれば、ただ止観の第五の文を表面的に解釈したのにすぎない。すなわちこれは附文の辺である。もし観心の本尊を明かすに当たって最初にこの文を引かれた元意はまったく事行の一念三千の御本尊の相貌をお示しになったのであり、したがって次のごとく拝すべしと日寛上人はおおせられている。
 最初は本尊の文で「夫れ一心」の一心とは、すなわち久遠元初自受用身の一念の心法でありすなわち御本尊の中央の南無妙法蓮華経である。「十法界を具す」というのは南無妙法蓮華経の左右にしたためられている仏・菩薩・梵天・帝釈・鬼子母神等によって、左右の十界互具・百界千如・三千世間が顕わされている。
 ゆえにこの御本尊は久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人の心具の十界三千(ご生命)の相貌である。ゆえに宗祖のおおせには「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし……日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124:07)と。次に観心の文で「此の三千一念の心に在り」とは、この一念三千の御本尊がまったく余所にあることなく、ただわれら衆生の信心の中にあり、もし信心がなければ一念三千を具することがない、「介爾も心有れば」とは介爾ばかりの微細の信心でもあれば、一念三千の本尊を我が一身に具することができるとのことである。次に結文で「不可思議境」等とは本尊を結す。不可思議境とは妙境をいい、妙境とは南無妙法蓮華経の御本尊をいうのである。「意此に在り」とは観心を結して天台大師の深意はまさしくここにありとのおおせである。
 問う、信ずる者の一念に三千を具足し、不信者は三千を具さないというならば、十界の依正は悉く妙法蓮華経の当体であるとの御書の意に反するがどうか。
 答う、若し理によって論ずるならば法界にあらざるはなく悉く三千の当体である。いま事について論ずれば信・不信によって具・不具が定まるのである。当体義抄においても十界の依正悉く妙法の当体なりとおおせられているが、さらに正直に方便を捨てて但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱える日蓮の弟子檀那が本門寿量の当体蓮華仏であるとおおせられているのである。このように文底下種の法華経たる三大秘法の御本尊を信じないならば、当体蓮華の仏と顕われることがないのである。妙楽は「取着一念・不具三千」と説いているが、もし文上の熟脱の釈迦本尊に執着して文底下種の信心がないならば、どうして一念三千の本尊を具すことができようか。たとえば水のない池には月の影がうつることなく少しばかりの水でもあればすなわち影をうつすのと同じである。
 問う、「夫れ一心」の文をそのように解釈するのは前代未聞であるがどうか。
 答う、不相伝家にはとうていうかがい知ることができない深義であり、これこそ日蓮大聖人の御正意であるから次に甚深の御相伝を示そう。
 本因妙抄にいわく、
「観行理観の一念三千を開して名字自行の一念三千を顕す、大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲・是なり」(0872:10)
 すなわち釈尊も天台も窮極において志す仏法の最大秘密の大法は、事行の一念三千の御本尊であらせられる。これこそ上行所伝の秘曲であり、日蓮大聖人御建立の御本尊であらせられるのである。
 以上、日寛上人の文段にもとづいて論じたが、さらに、ここで一念三千の一念について考察し、十界互具等については、後章にゆずり、ここでは省略することにする。

 

一念について

 一念というと、一般的には、心に深く思い込むこと、心に強く信ずること、ふと思い出すこと、きわめて短い時間等の意味があるが、そのもとは、仏法から出ているのである。
 所詮、生命の奥底を説ききる仏法においては一念の問題が最重要問題であり、この解決にあらゆる聖賢がいっさいの努力を払ったといっても過言ではない。
 一念三千の哲理も、一念を十界互具、百界千如、三千世間で説明しようとしたものであり、法華経の極理も、この解明に徹しきっていることはいうまでもない。
 いま、われわれは、この一念の問題を、仏法に説くところにしたがって、漸次考察していこうと思う。
 仏法で説く一念にはおよそ次の二つの意味がある

(1)時間の短少なることをあらわす

 法華経神力品第二十一、普賢経には弾指を説かれている。一弾指は、おや指と中指をもって人さし指を圧し、急に人さし指をはずして弾声を発する時間をいう。この一弾指を六十分にしたものを一念とする。大智度論第三十に「一弾指の頃に六十念あり」として、同三十八に「時の中にもっとも小なるものは六十念中の一念なり、大なる時を劫と名づく」とある。仁王経上に「九十刹那を一念となす」、止観三上に「六百生滅を一念となす」、また「六十刹那を一念となす」等とある。種々の説があるが、いずれも文句八上に「一念は時節の極促なり」とあるごとく、刹那、瞬間の時間をさすのである。

(2)瞬間の生命をさす

 天台は一念を一心ともいい、妙楽は一心法といっている。止観正観章中の一念三千を明かす文にある一念、すなわち一念三千の一念もこれである。天台は、一瞬の生命をとらえて、これを子細に観察してみれば、そこに十界、百界千如、三千世間が具足することを明かしたのである。妙楽もまた、「初めに一念において唯一念の時頃(時の間)を経るにあらず、一心法をさして、名づけて一念となす」といい、一念とはたんなる時間の微小なことをいうのみではなく、瞬間の心法(生命)をさしていることを明かしている。
 十八円満抄に「一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に」(1362:12)とあるのもこの意である。心王と心数でいえば、心王にあたるものである。また持妙法華問答抄に「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」(0466:14)とあるのも、やはり瞬間瞬間の生命をさしていっているのである。
 まことに、生命ほど不思議なものはない。瞬間瞬間の生命に、幸、不幸を感じ、因果を具足し、森羅万象も、過去遠々劫、未来永劫をはらみ、善悪も、色心二法もことごとく具足しているのである。西欧でいうたんなる「こころ」というような観念的な意味ではない。あらゆるものを包含しているがゆえに、これを究明した哲学もまた、あらゆる哲学を、あらゆる思想をリードしていくところの大哲学である。
 しかして、これを、遠くは三千年前に釈尊が法華経において説き、像法時代の天台は、観念観法という実践的立ち場から説き、七百年前に出現された、日蓮大聖人は、それらをも包含し、さらに徹底して瞬間の生命に言及し、しかも受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生救済の大哲理を示されたのであった。
 まさに、日蓮大聖人の仏法こそ、全思想界の最高峰であり、「智者に我義破られずば用いじとなり」との大宣言、大確信のごとく、唯一無二の哲理であり、東洋哲学の真髄である。
 いま、これを示すのに、@色心不二の一念であること A善悪を起こす根本の一念であること B依正不二の一念であること C因果倶時の一念であることをあげ、さらに D信心の一念であること E御本尊の中央の南無妙法蓮華経であることを論じていきたい。

@ 色心不二の一念である

 一念というのは、けっして西洋哲学でいう「観念」とか「こころ」といったものではない。「観念」とか「こころ」は、肉体や物質を離れたものとして考えられている。仏法で説く一念は、色心不二の一念である。
 一念三千理事には「十如是とは如是相は身なり玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り文、如是性は心なり玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り文、如是体は身と心となり玄二に云く主質を名けて体となす文、如是力は身と心となり止に云く力は堪忍を用となす文、如是作は身と心となり止に云く建立を作と名く文、如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす文、如是縁止に云く縁は縁業を助くるに由る文、如是果止に云く果は剋獲を果と為す文、如是報止に云く報は酬因を報と曰う文、如是本末究竟等玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す文」(0407:11)とある。
 このように、十如是が色心にわたることは明らかである。十如が一念に収まる以上、色心の二法はともに一念に具わるのである。
 また、一念に空仮中が具わる、空諦は心法、仮諦は色法、中諦は色心二法、ゆえに一念は色心総在の一念なのである。
 また、日寛上人は、当体義抄文段に「問う因果倶時不思議の一法とはその体何物ぞや、答うすなわちこれ一念の心法なり、ゆえに伝教の釈を引いて一心の妙法蓮華というなり、まさに知るべし一念の心法とはすなわちこれ色心総在の一念なり、妙楽の総在一念というは別して色心に分け、別を摂し総に入る等とこれなり」とおおせられている。
 たしかに、地獄の苦にさいなまれている人は、その時の苦悩は顔やからだ全体に、にじみ出てくる。餓鬼道におちこんでいる人は、それがありありと色法にあらわれ、修羅の境涯の人も、天界の境涯の人も、それぞれの心法が、厳然と色法にあらわれるのである。
 逆に色心の変化は、即座に心法に影響し、さまざまな心の変化をきたす。色法は心法に、心法は色法にと、たがいに影響し合い、一体不二なる関係をたもっているのが、生命の実体なのである。
 最近の物理学などでも、素粒子の世界が究明されつつあり、それにともない、質量とエネルギーが同一のものの別形態であり、瞬間瞬間にエネルギーが質量に、質量がエネルギーにと変化していることが判明している。これなども、広く論ずれば色心不二に通ずるものである。また、すべての物質は、粒子の性格だけではなく、波の性格もあるとされ、それが物質波と名づけられるなど、森羅万象が、たんなる一面的な見方だけではとらえられないことが明らかとなっている。
 生命学においても、色心不二に近い発想をする学者がしだいにあらわれるようになり、また医学においても、実際に患者を扱うところから、従来の唯物的な生命観ではどうすることもできず、病気の治療にとっては、精神面の働きが重要であることを痛感しないわけにはゆかなくなっているのである。最近とみに精神身体医学が叫ばれるようになったのも、そのあらわれである。
 このように、現代科学も、帰納的に仏法の説く色心不二の生命哲学の正しさを証明しつつあるのが時代の趨勢であり、しかも、現実に、われわれの生活の実相は、色心不二なのである。
 御義口伝にいわく「色心不二なるを一極と云うなり」(0708:04)と。
 色心不二の生命哲学こそ、最高、究極の哲学であることが示されている。この大聖人の呼号こそ、かならずや全世界に行きわたり、矛盾と混乱とにみちた思想界、哲学界にくさびを打ち込み、かつまた、唯物、唯心の二大思想をリードし、世界平和達成の指針となることは必然であると確信してやまない。

A 善悪を起こす根本の一念である

 瞬間の生命に、善悪がともに具わるのである。
 妙楽の止観輔行伝弘決の八には「一念というは極促一刹那をいうにあらず、いわく善悪業成を名づけて一念となす」とあり、一念は善悪を起こす根本であることが示されている。
 当体義抄には「法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり」(0510:06)とあり、また治病抄には「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997:07)とおおせられ、善悪ともに備わったその本質が生命なりと示されているのである。
 中国の荀子や孟子は、人間の本質を性悪だけとしたり、性善だけとしたりしているが、これは、人間生命の本質を、一面的に見たにすぎず、部分観であり、偏見であり、ともに仏法の善悪不二の生命観に摂せられるのである。
 また、現今の多くの思想哲学は、煩悩や我欲が、不幸の根本であるとし、これを断ち、あるいは、はなれるべきことを教えているが、これまたあまりに、観念的であり、生活の実相を見失った偏見である。
 低き思想、哲学なるゆえ、煩悩を忌み、我欲を嫌い、あたかも、聖人君主のごとき特別な人間を理想とするのである。それこそ現実からはなれようとするものであり、逃避の哲学なのである。
 力ある思想、哲学は、煩悩、我欲に左右されない自己を形成していくがゆえに、それらを断ずる必要はないのである。むしろ、それらを用い、幸福の方向へと転換させていくのである。
 また、煩悩を断ずるというのは、たんなる架空の議論であり、現実にはできるものではない。人間の生活を虚心にながめるならば、瞬間瞬間が煩悩即菩提を願っての生活なのである。
 善悪不二こそ、生命のあるがままの実相であり、これを説ききった仏法こそ、人間性を最高度に発揚させる大哲学であり、人間のあまりにも自然な欲求を満足し、幸福へと導く大哲理である。

B  依正不二の一念である

 聖愚問答抄上には「此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり」(0487:01)とあり、依正がともに一念に具足していることが示されている。また三世間のうち国土世間は依法である。すでに三世間が一念のなかに具足することが説かれているのである。したがって、依正不二の一念であることは明瞭である。この依正不二の原理からすれば、宇宙の森羅万象は、ことごとく、一念に具足するのである。妙楽は文句記に「ゆえに成道の時この本理にかのうて、一身一念法界に遍し」と述べているのである。文中「法界」とは、宇宙の森羅万象を意味する。また一生成仏抄に「一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界に?満するを指して万法とは云うなり」(0383:04)とあり、われわれの生命が大宇宙に遍ずることが明かされている。
 依正不二については、後に詳論するところであるが、今はこれによって、われわれの生命は、環境と不可分であること、また自己の一念によって、環境を変え、国土まで楽土にしていくことができること、さらに、瞬間瞬間宇宙の大リズムと合致した生活をしていく方途が示されたことをあげるにとどめておく。

C  因果倶時の一念である

 当体義抄には「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」(0513:04)とのおおせがある。
 このなかの「因果倶時不思議の一法」とは、一心の妙法蓮華経であり、色心総在の一念であることは、さきに当体義抄文段を引いて示したとおりである。当体義抄文段には、さらに一念の生命における因果倶時の相貌を明かしている。
「一には一往九因一果に約す。いわくこの一念の心に十法界を具す。九界を因となし仏界を果となす。十界宛然といえども互具互融して一念の心法にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり、二には再往各具に約す。しばらく地獄の因果の如き悪の境智和合すればすなわち因果有り。いわく瞋恚はこれ悪口の因、悪口はこれ瞋恚の果、因果を具すといえどもただ刹那にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。……善の境智和合すればすなわち因果あり、いわく信心はこれ唱題の因、唱題はこれ信心の果、因果を具すといえども唯一念にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。これ仏界の因果なり。略して始終をあぐ。中間の八界准説して知るべし」と。
 歴劫修行が根幹となっている釈迦仏法は、因果異時の立ち場であり、受持即観心を説ききる日蓮大聖人の仏法は因果倶時の立ち場である。因果異時も因果倶時も生命の因果の両面である。生命のあらわれたる現象面を問題にすれば因果異時であり、生命の本源をたずねれば、因果倶時である。
 佐渡御書に「人を軽しめば、還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得……是は常の因果の定れる法なり」(0960:03)とあるのは、過去の行業の果報を現在に受け、現在の行為が未来に影響する等の因果異時の立ち場である。したがって釈迦仏法では過去世の罪業を何回か生まれてきては一つずつ消していくのである。そのため現在は、ただ悪いことをしないようにといったていどの消極的な態度になってしまうのである。
 日蓮大聖人の仏法は、瞬間瞬間の生命を説ききり、過去遠々劫の宿命をも転換し、未来永劫の福運も、この瞬間に決定づけるのである。本尊抄の、受持即観心を明かすところの「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」の文は、妙法を唱うる一念に、三世十方の諸仏のあらゆる因位の修行も、果位の万徳もそなわることを示されたものであり、因果倶時をあらわしているのである。因果倶時と因果異時については、さらに後に詳論することにする。
 以上、瞬間瞬間の生命には、宇宙の森羅万象、色心、善悪、依正、因果をことごとく具足しているのである。結局、生命といっても瞬間の連続であって、瞬間以外に生命の実在はない。この瞬間の生命こそ、真実の存在で、仏法ではこれを中道法相といっているのである。いま、その瞬間と思った刹那は、ただちに過去となり、未来と思った瞬間は、現在となって、ただちに過去にうつるので、ありといえばなく、なしといえばあるという空の概念にあたる実在である。したがって、この瞬間が、生命全体といえるのである。実に、この瞬間の生命にこそ、たてに過去、現在、未来をも具し、横に三千万法をも具足するのである。なんと不思議ではないか、偉大ではないか。天台大師が、わが生命を不可思議境となしたのもゆえなくはない。

D  信心の一念である

 われわれは、いままで、生命に三千万法が具足していることを論じ、その立ち場から一念を論じてきた。だが、大聖人は、そればかりではなく、さらに一念三千の一念とは、信心の一念であり、理の上から論ずれば一切衆生ことごとく三千を具するが、事の上から論ずれば、信心のないものには、三千を具することはなく、ただ、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える信心の一念に三千万法を具足するのであることを説かれている。止観の正観章の文の元意も実にここにあり、すでに日寛上人の文段にもとづいて論じたところである。
 それは、あたかも当体義抄において、冒頭には、一切衆生ことごとく妙法華経の当体であるとおおせられていながら、次には、信心のないものは妙法蓮華の当体ではない、ただ、日蓮大聖人の弟子檀那で、御本尊を信じ、妙法を唱える強盛なる信力行力を有するもののみが、当体蓮華の仏であると示されているのと同じである。
 ゆえに、信心の一念にこそ、宇宙の三千万法も具足し、三世十方の諸仏、菩薩も己心におさまり、悠然たる人生行路を行くことができるのである。

E  御本尊の中央の南無妙法蓮華経である

 一念三千の究極は御本尊である。ゆえに本尊抄の結文には、「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)とある。この文の「仏」とは、久遠元初の自受用身即日蓮大聖人の御事である。すなわち、御本仏日蓮大聖人は、大慈悲を起こされて、妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕されて、末代幼稚の頸にかけてくださったのである。また、草木成仏口決に「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(1339:13)とあるのも、これとまったく同意である。
 御本尊に約して一念三千を論ずれば、一念三千の一念とは、中央の南無妙法蓮華経であり、三千とは、左右の十界互具、百界千如、三千世間である。御本尊は、宇宙の森羅万象を一法も欠くることなく具足しているから輪円具足ともいい、三世十方の諸仏のあらゆる功徳が雲集しているから、功徳聚というのである。われわれが御本尊に帰命したてまつったときにわが一念に三千を具することができるのも、所詮は、御本尊が一念三千の当体だからである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0238:05〜0239:02 第2章 止観の前四等に一念三千を明かさざるを示す

 

本文

 問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、疑つて曰く玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云、文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り千種の性相・冥伏して心に在り現前せずと雖も宛然として具足す」等云云、問うて曰く止観の前の四に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、答う弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方に能く正修の方便と為すに堪えたり是の故に前の六をば皆解に属す」等云云、又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云。

 

現代語訳

 問う、玄義に一念三千の名目を明かしているか。
 答う、妙楽は明かさないと言っている。
 問う、文句に一念三千の名目を明かしているか。
 答う、妙楽は明かさないと言っている。 
 問う、その妙楽の釈はどうか。
 答う、「並びに未だ一念三千と云わず」と。 
 問う、止観の一・二・三・四等に一念三千の名目を明かしているか。
 答う、明かしていない。 
 問う、その証拠があるか。 
 答う、妙楽がいわく「止観に至って正しく観法を明かすに当たり並びに三千を以て指南となしている」と。
 疑っていわく、玄義第二には「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是となる」と、文句第一には「一入に十法界を具すれば一界が又十界である。十界が各十如是を具して即ち千如是となる」と、観音玄にいわく「十法界が交互に具して百法界となり、千種の性相は冥伏して心にあり、一時にその性相が現われるのではないが宛然(おんねん)として具足している」等とあり、これらの意はどうかとの疑いを設けている。その答えはないがこれらの意はすべて千如是を明かしており、一念三千を明かしていないことが文にあって明らかである。 
 問う、止観の前の四に一念三千の名目を明かしているか。  
 答う、妙楽は明かしていないと言っている。
 問う、その妙楽の釈はどうか。
 答う、弘決第五にいわく「若し止観の第五正観章に相対するならば、それまでの一・二・三・四等は全く未だ行を論じておらないでまた二十五法の修行等を明かし具体的な問題に約して解を生ぜしめている。正に能く正修のための方便となす修行であった。この故に前六章は皆解に属して正行ではなかった」と。またいわく「故に止観に至って正しく観法を明かす際に三千を以て指南となした。即ちこれが終窮究竟の極説である。故に止観会本・章安の序の中に『己心の中に行ずる所の法門を説く』といっているが、天台大師の己心に行ずる自行の法門が即ち一念三千であるとは誠に理由の深いことである。請い願わくば尋ね読まん者、この点において心に異縁を生じてはならない」と。

 

語釈

玄義
 妙法蓮華経玄義のこと。十巻。天台大師智講述、章安大師灌頂筆記。法華玄義ともいう。法華経の題号である妙法蓮華経の深義を明かした書で、法華文句とともに、天台教学の教相を説いたもの。妙法蓮華経の題号は一経全体の意を顕すという考えから、五重玄を用いて題号の意義を明らかにし、法華経の内容を総括的に示している。

一念三千
 天台大師智が摩訶止観巻五で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。三千とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、十種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す十種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。

妙楽
 (0711〜0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖。常州晋陵県荊渓(現在の江蘇省宜興市)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興浄楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻、「止観輔行伝弘決」十巻、また「五百問論」三巻等多数ある。直弟子に、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道??・行満がいる。

文句
 法華文句のこと。天台大師智の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。十巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四釈を用いて解釈し、迹門の開三顕一、本門の開近顕遠等の法華経の深義を解明している。

一入

 十二入の一つ。十二入とは、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)と六境(色境・声境・香境・味境・触境・法境)の十二をいう。十二処ともいう。入とは渉入の義。渉とは水と歩がいっしょになって徒ちわたる心である。すなわち、根と境とが渉入、相互に関係し合って、六識を生ずること。たとえば、耳根が外界の声境に触れて、その働きを起こす等をいう。

観音玄
 天台の著作中、五小部と呼ばれる中の「観音玄義」をいう。法華経観世音菩薩普門品の大綱を五重玄の分科を立て釈したもの。二巻。章安の筆録であるが天台がどこで、いつ講述したものであるかは不明である。その内容は百界千如を説いているところから、摩訶止観以前の説であろうともいわれる。

弘決
 止観輔行伝弘決のこと。十巻。中国・唐代の妙楽大師湛然の著。天台大師の摩訶止観の注釈書。内容は題号の釈出をはじめ、無情仏性に関する十難や華厳宗の法華漸頓・華厳頓頓説を打ち破るなど、摩訶止観の妙旨を明らかにするとともに、天台宗内外の異義に破折を加えている。

二十五法
 止観の第六方便に説く二十五の方便である。すなわち第七正観章にはいる前に観心の完全を期するため身心を調え定慧を磨く等の方便である。@具五縁(持戒清淨・衣食具足・閑居静処・息諸縁勝・近善知識)、A呵五欲(色・声・香・味・触)、B棄五蓋(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑)、C調五事(調心・調身・調息・調眠・調食)、D行五法(欲・精進・念・巧慧・一心)

 

 

講義

 天台大師御一代の仏法は広範囲にわたるが、そのうち最も大切で有名な御著作が玄義・文句・止観の三大部である。
 玄義は法華経の幽玄なる義旨を概説し、この経の一代仏教における最極無上なるを明かし、
 文句は法華経八巻の文々句々について科段を分け字句を解釈し、法華独尊の旨義を明かし、
 止観は一念三千の法門に諸大乗の円義を総摂し、己心修証の方規として十境十乗の行門を明かし、法華円頓の行法とした。
 しかして玄義と文句と止観の第四巻までは五時・八教・百界千如等を説いていまだ究極の極説たる一念三千を明かすことがなかった。実に一念三千こそは仏教の極理であり、竜樹・天親は内鑑冷然にして天台智者大師のみこれをいだけりとは開目抄に次のごとくお示しの通りである。
「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189:02)
 さて一念三千の法門とは何か、これこそ三大秘法の南無妙法蓮華経である。このことは釈尊・竜樹・天台等はじゅうぶんに知っていたのであるが、時いまだ至らざるゆえと付嘱なきゆえに、化他に出ずる場合には戒定慧の三学と説いて、三大秘法とは言わなかった。しかして釈迦仏は法華経二十八品を説き、竜樹・天親は権大乗教を弘め、天台・伝教は理の一念三千等と説いてきたが、それらのことごとく帰一するところが文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経なのである。
 ゆえに文底下種事行の一念三千を知らない学者は、いかに博学多才であろうとも、いかに世間の尊敬を受けようとも、まったく仏法の正軌を逸脱したものである。あたかも三大秘法の御本尊を知らない日蓮宗各派が日蓮大聖人に師敵対謗法の人であるのと同様である。

「説己心中所行法門」について

 「説己心中所行法門」とは、「己心の中に行ずる所の法門を説く」ということであって、これは、摩訶止観の序の中に、章安のいっていることばである。
 すなわち、天台大師は一念三千を説いて、十界互具、百界千如、三千世間と立て、全宇宙も即わが一念に具し、わが一念は即全宇宙に遍ずると説いた。この法門が、天台の指南とする根本義であり、己心の中に行ずるところの法門である。
 天台の場合は観念観法によって、このように生命の本質を体得しようとするのに対し、日蓮大聖人の仏法では事行の一念三千を、三大秘法の御本尊とお建てになった。この事の一念三千の御本尊こそ、日蓮大聖人の御内証の法門であり、己心の中に行ずるところの法門なのである。
 われらはこの御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることによって、観行を成就し、わが生命は、御本尊と一体であり、全宇宙と一体であると、証得することができるのである。
「説己心中所行法門」を、さらに生命論、生活に約して論じておこう。
 われわれの生活というものは、瞬間瞬間の生命活動のあらわれたる現実である。いっさいのふるまい、いっさいの姿、それらはことごとく、わが一念の所作である。われわれの生活すべてが、己心の中に行ずるところの法門を説法している姿である。地獄の苦にさいなまれている人は、その一念が強く、その人の姿に、ふるまいにあらわれている。修羅の境涯の人もそれがその人の行動に、姿・形に強くにじみ出ている。天にものぼらんばかりの楽しい境涯のとき顔は生き生きと、身も、足どりも軽く、また口からは自然と軽やかな歌が出たりする。その人のいっさいのふるまいが、その人の境涯を説きあらわしているのであり、諸法実相である。これ、「説己心中所行法門」なのである。
 さらに、一歩立ち入って、仏法の眼をもって、みるときに、まさに、奥底の一念が、いっさいを決定していくということは、厳然たる事実である。どんなに、表面をつくろおうと、偽善をよそおうと、一念の表われをどうすることもできないのである。
 御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」(0714:07)と。三千万法もことごとく一念に具足しているのが、生命の実相であり、きびしき大宇宙の鉄則なりとのおおせである。
 されば、瞬間瞬間をどう生ききるかが大事なのである。信心を失えば、形はどうであろうと、その人の生命の奥底は地獄である。その証拠に、必ず、その人の人生は、破壊の道をたどっていくのである。また、御本尊に対する絶対の信に立った人生は、即座に無量の福運と光輝にみちた人生である。その証拠に、未来は洋々と開けゆき、十年、二十年、三十年たつうちに功徳がとめどもなく、生活にあらわれるのである。
 きびしくいえば、国土も、楽土とするも、悪国土とするのも、われらの一念である。謗法の者が充満すれば、国土に天変地夭があいついで起こり、生命力の弱まったところに、疫病も曼延するのである。さらに、戦争を起こすも、起こさないも、われわれの一念なのである。
 所詮「説己心中所行法門」なれば、一念のめざめこそ、いっさいを幸福へ導く源泉である。信心を根本にし、みずからに立ちかえるならば、いかなる難関も、太陽のまえの霜露のごときものなりと確信すべきである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0239:03〜0239:07 第3章 一念三千を結歎

 

本文

  夫れ智者の弘法三十年・二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時・八教・百界千如を明かし前き五百余年の間の諸非を責め並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く「斯の言若し墜ちなば将来悲む可し」云云。

 

現代語訳

 それ天台智者大師の弘法は30年におよび、29年の間は玄義・文句等を説き五時八教・百界千如を明かした。しかしてそれまで五百余年にわたり中国の仏教界が甲論乙駁していた諸非を責め、さらにインドの大論師さえいまだかつて述べたことのない甚深の奥義を顕わした。章安大師は天台を賛嘆して、「インドの大論師さえなお天台と比較することができない。いわんや中国の仏教学者をどうして一々挙げて批評する必要があろうか。これは誇りたかぶっていうのではなくて、まったく天台の説かれた法相がそのように優れ勝っているからである」と。しかるに情けないことには天台の末学者が華厳宗や真言宗の元祖に一念三千の重宝を盗み取られ、かえって彼らのごとき盗人の門家となってしまった。章安大師はかねてこのことを知って嘆いていわく「この一念三千の法義がもし将来失墜するようなことがあれば実に悲しむべきことである」と。

 

語釈

智者
 (0538〜0597)。中国・南北朝から隋代にかけての人。天台宗開祖(北斉の慧文、南岳慧思に次ぐ第三祖でもあり、竜樹を開祖とするときは第四祖)。智者大師と尊称し、また天台山に住んだので天台大師という。姓は陳氏。諱は智。字は徳安。荊州華容県(湖南省)の人。父の陳起祖は梁の高官であったが、梁末の戦乱で一族は離散し、父母もまたなくなった。十八歳の時、湘州果願寺の法緒について出家し、慧曠律師から方等・律蔵を学び、大賢山に入って法華三部経を修学した。陳の天嘉元年(0560)23歳のとき、光州の大蘇山に南岳大師慧思を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」(隋天台智者大師別伝)と、その邂逅を喜んだ。南岳は天台に普賢道場を示し、四安楽行を説いた。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得したといわれる。これを大蘇開悟といい、後に薬王菩薩の後身と称される所以となった。南岳から付嘱を受け「最後断種の人となるなかれ」との忠告を得て大蘇山を下り、32歳(あるいは31)の時、陳都金陵の瓦官寺に住んで法華経を講説し高名をはせた。宣帝の勅を受け、役人や大衆の前で8年間、法華経、大智度論、次第禅門を講じ名声を得たが、開悟する者が年々減少するのを嘆いて天台山に隠遁を決意した。太建7年(0575)天台山(浙江省)に入り、翌年仏隴峰に修禅寺を創建し、華頂峰で頭陀を行じた。至徳3年(0585)陳主の再三の要請で金陵の光宅寺に入り、大極殿で「大智度論」「仁王経」を講ず。禎明元年(0587)齢50で法華経を講じて章安が筆録したのが「法華文句」である。隋の世となるや、開皇11年(0591)隋の晋王であった楊広(のちの煬帝)に菩薩戒を授け、智者大師の号を賜わる。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で「法華玄義」「摩訶止観」を講じ天台三大部を完成す。間もなく晋王広の請いで揚州に下り、ついで天台山に再入し、翌年の開皇17年(0597)、石城寺で入寂した。60歳であった。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏(観無量寿経疏)」がある。

百界千如
 天台教学において諸法実相(万物の真実の姿)を分析的に表現した語。百界とは、衆生の境涯を十種に分類した十界のいずれにも、それ自身と他の九界が、次に現れる可能性として潜在的にそなわっていること(十界互具)。十界それぞれが十界をそなえているので、百界となる。さらに、この百界に、諸法(あらゆる事物)が共通にそなえている特性である十如是がそれぞれにあるので、千如となる。

章安大師
 (0561〜0632)。天台智者大師の弟子で、師の論釈をことごとくを聴取し結集した。字は法雲。諱は灌頂。中国浙江省臨海県章安の人で、陳の文帝の天嘉2年(0561)に生まれ、7歳で摂静寺にはいった。陳の至徳元年(0583)、天台大師に謁して観法を稟け、常随給仕し、所説の法門をことごとく領解した。その聴受の結集は、天台三大部(文句・玄義・止観)をはじめ、大小部合わせて百余巻ある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」三十三巻を著わす。名声天下に響き、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観6年(0632)8月7日、天台山国清寺で年72にして寂し、弟子智威に法灯を伝えた。

華厳真言の元祖の盗人
 具体的には、華厳宗の澄観、真言宗の善無畏等をさす。開目抄上に「華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、其の子細をしらぬ学者等は天竺より大日経に一念三千の法門ありけりと・うちをもう、華厳宗は澄観が時・華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり、人これをしらず」とおおせである。

 

 

講義

 本節では天台の三十年にわたる弘法が正法時代千年はいうまでもなく、像法に入って五百年のあいだにも誰一人述べたことのない深義であることをお示しになっている。このように仏教の極理たる一念三千を天台大師が説き顕わしているにもかかわらず、天台宗の末学たちは、一念三千の法門が仏法の最極理たることを知らないで他宗がよいと思い、かつはまた、華厳真言等の開祖が天台の一念三千の法門を盗み取ったのを知らないで、かれがれの法門の中に一念三千の重宝があると思い込んで、かえって彼らの門家となってしまった。実にはかないことではないか。宗祖日蓮大聖人、日興上人の流れを汲みながら戦時中に邪教怪山の身延へ合同化した北山本門寺・西山本門寺・要法寺等もこの類いであろう。実にはかない者どもである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0239:08〜0239:18 第4章 一念三千情非情にわたるを明かす

 

本文

 問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提・未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至し給い彼の二説を壊る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力等」と云云、釈籤第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体・力・作・縁は義色心を兼ね因果は唯心・報は唯色に在り」等云云、金?論に云く「乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。

 

現代語訳

 問う、百界千如と一念三千とどう違うか。
 答う、百界千如は有情界に限り一念三千は情非情にわたるのである。
 不審していわく、非情界にまで十如是がわたり因果が具わるならば、草木にも心が有って有情と同じに仏道を修行して成仏するのであろうか。
 答う、このことは難信難解である。天台の難信難解に二つあり、一つは教門の難信難解、二には観門の難信難解である。その教門の難信難解とは爾前経で二乗と一闡提は未来永久に成仏しないと説き、また教主釈尊はこの世で始めて成仏したと説いたが、法華経迹門では二乗と闡提の成仏を説き、また本門では始成正覚を破って久遠実成を説き顕わしている。このように爾前と法華経では所説がまったく相反するので一仏が二言となり水火のごとき関係になって誰人も容易に信ずることができない。これは教門の難信難解である。
 観門の難信難解とは百界千如一念三千であり、非情界に色心の二法・十如是を具えていると説く点である。しかしこの点が難信難解であるからと言っても木像や画像をば外道でも仏教の各派でもこれを崇めて本尊としているが、その義は天台一家より出でたというべきである。なぜなら非情の草木の上に色心の因果をおかなければ、木画の像を本尊として崇め祈願することがまったく無意味になるからである。
 疑っていわく、それでは草木国土の上の十如是の因果の二法はいずれの文に出ているのか。
 答う、摩訶止観の第五にいわく「非情の国土にも十如是がある故に悪国土には悪国土の相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等があり、同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にもそれぞれの十如是を具している」と。釈籤の第六にいわく「相は外面に顕われたもので物質である。性は内在する性質であり心である。また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、これらの体力作縁は皆色心の二法を兼ね、因と果は唯心、報は唯色法である」と説いている。また金?論にいわく「一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等皆悉く一個の仏性、一つの因果が具わっており縁因・了因の性を具足している。すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており、非情の草木であっても有情と同じく色心・因果を具足していて成仏するのである」と。

 

語釈

国土世間
 十界の衆生の住む場所にそれぞれ差別があること。三世間の一つ。国土は、その世界を構成する山川草木など非情のすべてをさす。ここでいう世間は、差異の意。国土は十界それぞれに特徴があり違っているので、国土世間という。摩訶止観巻五上に「十種の所居、通じて国土世間と称するは、地獄は赤鉄に依って住す、畜生は地水空に依って住す、修羅は海畔海底に依って住す、人は地に依って住す、天は宮殿に依って住す、六度の菩薩は人に同じく地に依って住す、通教の菩薩の惑いまだ尽きざる者は人天に同じく依住す、惑を断じ尽くせる者は方便土に依って住す、別円の菩薩の惑未だ尽きざる者は人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせる者は実報土に依って住す、如来は常寂光土に依って住す……土土同じからざるが故に、国土世間と名づくるなり」とある。

釈籤
 法華玄義釈籤のこと。十巻(または二十巻)。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師湛然が天台山で法華玄義を講義した時に、学徒の籤問(疑問箇所に付箋をつけて意味を質すこと)に答えたものを基本とし、後に修正を加えて整理したもの。注釈は極めて詳細で、法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。

金?論
「金剛?論」の略。一卷。荊溪湛然(妙楽大師)の著。華厳宗・澄観の非情に仏性なしとする説を破折し、仏性は、情非情にわたることを顕わした。天台の法門を金剛の斧にたとえている。

 

 

講義

 天台の難信難解に教門の難信難解と観門の難信難解の二つあるとおおせられている。実にもってしかりである。

教門の難信難解

 爾前経においては声聞の成仏を説かず、かつまた仏の永遠の生命も明かしていない。しかるに法華経に至って声聞の成仏はおろか、提婆、竜女の成仏をも説いて皆成仏道とて悪人も女人も声聞も一切成仏し、衆生と仏とともに永遠の生命であるとなしている。実に爾前経につかまっている者からすれば「惑耳驚心」「驚天動地」の事件である。近ごろの学者が法華は金口にあらずというのもこの辺から来たのであろう。
 この境涯は末法に至って大聖人が出現して文上文底の法華経をたて分け、第三の法門とて種脱の法を顕わされたのと同じである。法華経文上に執着している輩には、日蓮大聖人の下種の法門、文底秘沈の大法を聞いては惑耳驚心、驚天動地のことであろう。
 まず、二乗作仏についていえば、爾前経においては、実に徹底的に二乗が排撃され、それこそ、大悪人以上の取り扱いをうけたのであった。
 大方広仏華厳経には「如来の智慧・大薬王樹は唯二処に於て生長して利益を為作すこと能わず、所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び善根を壊る非器の衆生は大邪見・貪愛の水に溺るるとなり」等とある。
 この経文の心は、雪山という山に大樹があり、その名を無尽根とも大薬王樹ともいい、世界じゅうの諸の木の中の大王とされている。この木の高さは十六万八千由旬であり、世界じゅうのいっさいの草木は、この木の根ざしで、また枝葉華菓の次第にしたがって華菓がなるのである。この木を仏の仏性にたとえ、一切衆生を、一切の草木にたとえたのである。だが、この大樹は、火の坑と水輪の中には生長しないとされる。これをもって、二乗の心中を火の坑に、一闡提人の心中を水輪にたとえたのであり、二乗と一闡提人が永久に成仏できないと示したのがこの経文の意味なのである。
 また大集経には「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等とある。これもまた、二乗は、自分のわずかばかりの悟りに満足しそのなかに閉じこもり、みずから成仏できないばかりではなく、人をも利益することもできず、むしろ父母等をも永久に不成仏の道へ入れてしまうので、不知恩の者であるといっているのである。
 維摩経には「維摩詰又文殊師利に問う何等をか如来の種と為す、答えて曰く一切塵労の疇は如来の種と為る、五無間を以て具すと雖も猶能く大道意を発す」また「譬えば族姓の子・高原陸土には青蓮芙蓉衡華を生ぜず、卑湿汚田乃ち此の華を生ずるが如し」また「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復道意を起して仏法を具すこと能わざるなり、根敗の士・其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」等とある。
 貪瞋癡の三毒は仏の種となり、父を殺す等の五逆罪も仏種となり、高原の陸土に青蓮華が生ずることがあっても、二乗は絶対に仏にならないと、二乗の善をそしり、凡夫の悪をほめているのである。
 また、方等陀羅尼経には、枯れた木に花が咲かないように、山から流れてきた水が逆流して山に戻るようなことがないように、また破れた石が合わないように、また焦った種から芽が生じないように、二乗は絶対に成仏できないとあり、浄名経には、二乗を供養すれば三悪道におちるとまで説かれ、さらに大品般若経、首楞厳経等、またその他のあらゆる経典で二乗の永不成仏が述べられている。
 開目抄には、これらの経文を引いたあとに次のように述べられている。 
「此等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ・をもひしに幾許の人天・大会の中にして・かう度度・仰せられしは本意なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ」(0193:07)
 釈尊が二乗を呵責することは、このように「責め殺すのではないか」とまで思われるようなきびしいものであった。
 ために、迦葉尊者のH泣の音は三千大千世界にひびきわたり須菩提尊者は、ぼうぜんとして手にもっていた鉢をすててしまい、舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であることを嫌われた。
 かくまで嫌われ、責めつけられた二乗が、法華経にきたって、劫・国・名号等の記を授けられたのである。これ難信難解であるゆえんである。
 開目抄には、これについて次のようなおおせがある。
「而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会・信仰をなすべしや、用ゆべからざる上・先後の経経に疑網をなし五十余年の説教・皆虚妄の説となりなん、されば四十余年・未顕真実等の経文はあらませしか天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに・げにげに・しげに劫・国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば教主釈尊の御語すでに二言になりぬ自語相違と申すはこれなり、外道が仏陀を大妄語の者と咲いしこと・これなり」(0193:16)
 次に一闡提人の成仏であるが、これを代表するのは、提婆達多である。提婆達多は、釈尊の従弟であり、阿難尊者の兄に当たる。釈尊の八万法蔵、外道の六万蔵を誦持し、出家して神通を学び、学道大いに進んだが、元来、?慢な心の持ち主で、虚栄心、利欲の俗念が強く、仏として尊ばれている釈尊を深く恨んでいた。たまたま釈尊が、提婆の?慢な心を指摘して、「汝は愚人であり、人の唾を食う者である」と叱咤したことがあった。これに提婆達多は毒箭が胸にはいったような思いをなし、うらんで「瞿曇(釈尊のこと)は仏陀ではない。自分は斛飯王の嫡子であり、阿難の兄であり、瞿曇とは従兄弟の間柄である。どんなに、悪いことがあっても、内々に教訓すべきであろう。それなのに、これほどの大衆の面前で一族の者を罵倒するような人が、大人や仏陀の中にいるであろうか。されば釈迦出家以前には恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生々・世々に必ず釈迦の大怨敵となるのだ」と誓ったのである。以来、釈尊をなきものにしようとあらゆる策謀に出、三逆罪をおかし、また生涯をかけて、釈尊をののしり、迫害し、正法を誹謗し、ついに無間地獄の焔にむせぶのである。
 だが、法華経にきて、これほどまで釈尊に敵対した提婆達多に天王如来の記別を与えたのである。霊山一会の大衆の驚きはひととおりではなかった。これこそ、善悪不二、邪正一如の大原理を示されたものである。だが爾前経に執する人にとっては、このような教法もまた、前代未聞であり、難信難解のことであった。
 かくして、釈尊は、法華経にきたって、いままでの説を打ち破って、真実最高の法門を樹立したのである。しかしながら、法華経迹門においては、いまだ、始成正覚という考え方に立脚しており、久遠実成は隠されていたのであった。
 19歳で出家し、それ以来難行苦行し、30歳で、伽耶城近くの菩提樹下で成道した――形の上ではこのとおりであり、なんの疑いもない事実である。したがって、雑阿含経には「初め成道」、大集経には「如来成道始め十六年」、浄名経には「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」、大日経に「我昔道場に坐して」、仁王般若経には「二十九年」等と説かれ、いずれも、釈尊がインドに生まれてから出家して修行し、成仏したと説いており、法華経寿量品の久遠実成、永遠の生命観など微塵も説かれていない。さらに法華経の序分たる無量義経にも「我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」とあり、法華経方便品にも「我れは始め道場に坐し樹を観じ亦た経行して」等とあり、なおかつ、始成正覚をもとにしていたのである。
 釈尊は涌出品にいたり、涌出した地涌の菩薩をさして、「是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地従り涌出せる、汝等の昔より未だ見ざる所の者は、我れは是の娑婆世界に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり」と説くのである。これに対し、弥勒が「如来は太子為りし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れ従り已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊よ。云何んぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作したまえる」と質問するのである。
 この疑念をはらすために寿量品を説こうとして、まず爾前迹門で説いてきたことを挙げて「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆な今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たと謂えり」等と述べ、しかして、まさしく、この疑いに答えて「然るに善男子よ。我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」として五百塵点劫を明かしたのであった。これこそ、釈迦仏教中の骨髄であり、それまでのあらゆる経典に明かさなかったところの甚深の義なるがゆえに、難信難解である。
 以上のことは、すべて、釈尊の経文の上の難信難解であり、教門の難信難解というのである。

観門の難信難解

 観門の難信難解に至っては難信難解中の難信難解である。
 当本文において「観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり」とおおせられている。これはすなわち釈尊にしても天台にしても本仏日蓮大聖人にしても、あらゆる非情に仏性があると悟られることを表現しているのである。木にしても紙にしても瀬戸物にしても一枚の木の葉にしても仏性があると断ずるのである。ゆえに大聖人は道理として、
「爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」とおおせられているのである。
 事実釈迦仏法の時代にも木画の二像を仏と拝んで利益があったし、末法においても御本尊を拝んで利益がある。この事実は、いかんともすることのできないことで草木に仏性のあることを信ぜざるを得ない。しかしてその文証としその仏教哲学的理論として当文は止観第五、釈籤の第六と金?論を引かれて説明している。

 

草木成仏の二意

 諸御抄の意を案ずるのに草木成仏には二つの意があると日寛上人はおおせられている。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏である。

一、不改本位の成仏

 不改本位の成仏とは草木の全体(非情)本有無作の一念三千即自受用身の覚体である。このことをいま少しやさしくいうならば、宇宙の生命それ自体である。
 草木成仏の口伝にいわく「草にも木にもなる仏なり」と。この御心は草にも木にもなる寿量品の釈尊なりというおおせで、寿量品の釈尊とは三大秘法の御本尊にわたらせられ、またいわく「草木の根本本覚の如来、本有常住の妙体なり」と仰せられているのも同じ意である。
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく
「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(0574:15)
 この御文によれば草木の体すなわち草木それ自体が本覚の法身で、その時節を違えず花咲き菓の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育する慈悲は本覚の応身である。ゆえに草木がことごとくそのままの姿で本覚の三身如来であるところから不改本位の成仏というのである。すなわち宇宙生命の発動変化それ自体が不改本位の成仏というのである。

二、木画二像の成仏

 木画二像の成仏とは木画の二像に一念三千の魂魄を入れる時、木画二像は生身の仏となる。
 四条金吾釈迦仏供養事にいわく
 「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰世間、三には国土世間なり。前の二は且く之を置く。第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これより起る。木と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり、天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1144:14)
「此の法門」というのは一念三千の法門で、文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経のことで、「魂魄」とは命のことであり、「法華経の力」とは御本尊のことである。
 木絵二像開眼之事にいわく、
「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469:08)
 要するにこの草木成仏の二義が明らかになれば、われわれの日夜信仰し奉る文底下種・三大秘法の御本尊が生身の御本仏であらせられることがはっきりするであろう。ゆえに信じ奉る者は現世にも未来世にも絶対の幸福を獲得し、謗ずる者は無間地獄の苦悩へ堕ちるのである。決して木や紙であるといってないがしろにしてはならない。

有情と非情

 現代科学においては、この宇宙に実在するすべてのものを、生物と無生物とに分ける。すなわち、生命あるもの(生物)と生命のないもの(無生物)とである。
 だが、仏法においては、生物と無生物といった区別はまったく存在せず、これにかわって有情、非情という分類が存在するのである。有情とは、人間、動物等のように感情や意識をもち、意思活動を自動的にできるものをいう。非情とは、草木、山河、大地のように無感情、無意識で、その活動も他動的なものをいう。あるいは、これが厳密な定義とはいえないかもしれないが、生物学的にごく平易にいえば、有情とは「神経のあるもの」であり、非情とは「神経のないもの」である。また、広くいえば有情を動物界、非情を植物界(無生物を含む)とも立てることもできる。
 したがって、植物は、生命学上は、動物とともに生物を構成するのであるが、仏法の上から論ずるならば、非情であり、無生物である土や石と同じ範ちゅうに含まれるのである。
 さらに、ひとりの人間のなかに有情と非情を論ずることができる。われわれの爪の先や髪の毛はいくら切っても痛くない。すなわち、ここは神経の通っていない非情の部分である。草木成仏口決に「我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり」(1339:10)とある。皮膚の一部でも、足の裏などはつねっても痛くないから、むしろ非情に近いといえる。
 有情と非情と立て分けるが、しかし、ここに厳密な区分があるわけではなく、また、これが有情で、これが非情と絶対的に決定づけられているものではない。あくまでも相対的な区分であり、したがって、われわれの一身に具足する有情、非情も論ずることができるのである。
 また有情と非情を、生と死にわければ、有情は生、非情は死である。正報と依報とに分ければ、有情は正報、非情は依報である。もとより仏法においては、生死不二と説き、依正不二と明かしている。したがって、有情も非情も「二にしてしかも不二」であり、ともに妙法蓮華経の当体であり、本質的には無差別であり、縁にふれて差別相を現ずるのである。ゆえに、有情と非情とは密接不可分であり、有情は非情に、非情は有情にと互いに交流しあい、転換し合うのである。
 いま、まずこれを依正不二の観点から論じてみよう。
 瑞相御書にいわく
 「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる」(1140:06)と。
 ここに衆生とは有情と同義である。梵語の薩?を新訳では有情と訳し、旧訳では衆生と訳すのである。ゆえに「衆生は正報なり」とは、有情の生命は正報であるとも拝せるのである。それに対して非情の草木国土は、依報である。有情の生命は、体であり、積極的に活動するものである。環境から物を摂取し、また、体内から物を分泌する。そこには、たえざる自己の維持と発展がある。そのために環境に順応しようとし、また環境を変えようとする。
 この有情の生命は、また、非情である草木・国土によって作られていることも事実である。先に引用の総勘文抄にも「草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し」(0574:16)云云とあるごとくである。国土自体も実に不思議である。たえず、生成発展をつづけ、内には偉大な力をそなえ、時には、絶大なエネルギーを放って、死におもむくこともある。大宇宙も、星雲も、無数の星も、あたかも、人生における生老病死のごとく、生住異滅の変化をしつつ流転してゆくのである。また、天体の運行、地球の自転、公転等、厳然たる法が貫かれているのである。まことに、国土自体も妙法の当体といわなければならない。したがって、本文に引用の摩訶止観第五の文にも「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等とあるのである。
 この国土自体が妙法の当体である以上、ある一定の条件がそなわれば、国土自体にもともとあった力が発揮され、そこに生命体の発現があるのは当然である。衆生(有情)といい、国土(非情)といっても、それは同一のものの二つのあらわれかたであり、根底は差別がないと説いたのが仏法であることは前述のとおりである。したがって、いまどこかの天体に、かつて地球に起こった変化と同じ変化が起きないとはいえないし、また、地球と同様に、他の天体に人間がいないとだれが断定できようか。また、何兆何億年の昔に、他方の世界に、現在のわれわれと同じような社会がなかったと誰が言いきれようか。
 はたせるかな現代の科学は、しだいに、このことを実証づけるような方向に進んでいるのである。まことに仏法は偉大であり、すばらしいではないか。
 次に、有情、非情の関係を生死不二の観点から論じてみよう。
 草木成仏口決にいわく「有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(1338:03)と。また同抄にいわく「理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり」(1339:08)と。
 われらの生命は、死後・非情にやどり、大宇宙それ自体となり、そこで苦楽を成ずるのである。たとえば焼死した人の生命は、死ぬ瞬間の苦悩煩悶がそのまま連続し、地獄界に宿り、現実に火焔の中に実在している。その証拠が黒き死体である。寒き世界で凍死した人は、極寒地獄にはいり、その生命は雪の中、氷の中に実在しているのである。
 このように、死後のわれわれの生命は非情の世界なのである。だが、再び縁にふれて有情としてあらわれてくるのである。かくして有情から非情へ、非情から有情へと連続して、永遠にその流転を繰り返すのである。
 有情から非情へ、非情から有情へ移行する姿は、現実のわれわれの身体についてもいえることである。摂取する食物は非情である。それが肉体にはいり、消化され、呼吸され、有情を構成する。また一方では、有情であるこの身体は、たえず新陳代謝を行ない、死んだ細胞が捨てられていく。これは有情から非情への移行である。先に述べた一身にそなわる有情非情についても、この事実を明白に証拠づけるものといえる。
 また、非情から有情への転換は、現代科学と矛盾するものではなく、否、現代科学がそれを証明しつつあるのが、実相である。すなわち、非情である地球から、生命体が発生し、さらに動物界も、ほかでもない、この大地から形成されたという事実である。
 伝教大師の修禅寺相伝日記に説かれている、十八円満の法門中第十五の内外円満の文に「非情の外器に六情を具す有情数の中に亦非情を具す」とあるのも、有情、非情の密接不可分の関係を示されたものである。
 さらに、仏法においては、こうした応身論的な肉体、形質の連続のみならず、法報応の三身常住と説き、法身、報身の連続をも説き明かしているのである。とまれ、生命が永遠であるということは厳然たる大宇宙の鉄則であり、だれびとが否定しようが、事実はきびしく流転されていっているのが生命の実相である。
 有情非情を三世間の関係についていえば、衆生世間、五陰世間は有情であり、国土世間は非情である。したがって百界千如までしか説いていない法華経迹門では、まだ有情の成仏のみ明かしているに過ぎない。それに対し法華経本門においては、国土世間を説いたがゆえに、情非情の成仏が明かされ、一念三千が確立するのである。
 法華経本門において、国土世間があらわされたとは、具体的にはどういうことなのであろうか。本門寿量品の文にいわく「娑婆世界説法教化」また「常住此説法」と。すなわち、寿量品において、釈尊は、自分はこの娑婆世界に常住して説法してきたのだと述べたのである。これはまさに画期的なことであった。それまで、仏は娑婆世界には常住せず、別世界にいると考えられていた。したがって、同居土・方便土・実報土・寂光土の四土に差別し、仏は寂光土に住すると説いている。ところが寿量品にきたって、仏が現実に久遠以来、娑婆世界に常住したことが明かされ、娑婆即寂光の原理がうちたてられたのである。
 これは教相の上のことであり、生命論でいえばこのわれらが住む現実の国土に仏界がそなわることを意味する。すなわち非情の草木国土に仏性があることを示すのである。ゆえに本文に止観第五の「国土世間亦十種の法を具す……」、金?論の「一草・一木・一礫・一塵(・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等の引用があるのである。 
 国土世間が確立することによって国土にも、十界互具、百界千如が具足すると説き、三千世間の数量が明かされるのであるが、この三千世間も一念の生命の中にあると説いたところに仏法の偉大さがある。われわれは、周囲の多種多様な世界に目を奪われ自己と対立的に見ようとする。だが、森羅万象は、けっして外にあるのではなく、自己の生命におさまるのである。非情の草木国土もわが生命の内にあり、わが己心が即一切法であり、一切法は即己心である。「己心の外に法なし」とは、このことをいうのである。
 

仏性について

 まず「仏性」とはどういうものであろうか。「仏」とは、十界のなかの仏界を意味し、清浄無染で力強く、金剛石のごとく絶対に破壊されないところの大生命である。「性」とは不改(改めない)の意で、その仏界の生命がだれから作られたものでもなく、また時代の推移で変化するものでもなく、本然的にそなわり、無始無終に存続していくことをいうのである。
 最高の仏法哲学では、この仏性が、特別の人間にのみそなわるのではなく、あらゆる人に、さらに有情、非情にわたり、森羅万象に具足することを説き明かしている。さらに、いかにしてわれら衆生に内在する仏性を開発し、崩れざる幸福境涯を樹立するかを究明しきっているのである。仏法の究極は、これにつきるといっても過言ではない。
 仏法ほど生命の尊厳を明確に説ききった哲学はない。あらゆる人々が、最高価値ある仏界という大生命を内包する玉体なりと説き、しかも、それを事実の上に証明するからである。これまた、あらゆる人に仏性ありと断ずるゆえに、真の平等ではないか。また、仏界を顕現することは、なにものにもしばられず、なにものにもおかされない、自由自在の幸福境涯である。これ真の自由ではないか。
 したがって、自由、平等、尊厳を基調とする民主主義の実体は、ことごとく仏法にあると叫んでやまない。
 巷間、民主主義と口々に叫び、自由を口にし、平等を主張し、尊厳を論ずる。これは一面では、人間の本然の欲求をあらわしたものといえる。だがもう一面・時代の趨勢に同化し、なんら主体性なく、それを口にすることが近代人であるかのような、いわゆる進歩的知識人≠フ慣用語になっていることも知らねばならない。後者の場合は、戦争中、時代の趨勢に押し流されて、ただ感情的に国粋主義を吹聴したり、いわゆる忠君愛国を唱えた、その当時の進歩的知識人に通ずる面がある。
 民主主義をいかに口で叫ぼうとも、その民主主義の実体が明示されなければ無意味である。たしかに自由≠熹しきことばである。平等≠ノもその人々の心をときめかす響きがある。尊厳≠烽キばらしい。だが、なにをもって自由≠ニいうのか。なにをもって平等≠ニいうのか。なにを根拠として尊厳≠ニいうのか。それを論ぜずして、いかに単語を並べても、根なし草であり有名無実である。現在唱えられている民主主義が、あまりにも空虚であるのはそのためである。所詮、生命の奥底を説ききった仏法哲理を根底に置かざる民主主義は、たんなる幻映にすぎない。
 世の人々は、民主主義の幻影を追い、しかもあまりにも理想とは離反した現実のまえに、もだえ、苦しみ、懊悩するのである。
 今なお世界には動乱の絶え間がない。幼ない子供までが、銃剣に、若き生命を絶つ悲惨な現実。核戦争の恐怖におののく民衆。クーデター、それも大国の意のままに、また、弱小国の貧困と無知。
 一方、国内においても、吹きまくる中小企業の倒産旋風。政治汚職。殺ばつたる事件の続出。あたかも三悪道、四悪道さながらの現実である。ここに、なんの自由があり、平等があり、尊厳があるかといいたい。
 これ、仏法の精神が具現化されていないがためである。また低級な哲学、偏狭なる思想、また貪・瞋・癡の三毒が人々の心を支配している結果である。ここに生命の尊厳をあますところなく説き明かした日蓮大聖哲の生命哲学を全世界の人々の支柱にすべきであると訴えるものである。
 以上、仏性について略述してきたが、次に三因仏性について論及しよう。

正・了・縁の三因仏性

 三因仏性とは、一に正因仏性、二に了因仏性、三に縁因仏性である。正因仏性とは、宇宙森羅万象が本然的に有する仏界という生命の本質であり、本体である。了因仏性とは、正因仏性を覚知する智慧の働きであり、縁因仏性とは、正境に縁することによって、了因の智慧を助け、正因仏性を開発していく働きである。正因が体であるのに対し、了因、縁因はその用の関係になる。
 四明知礼(北宋時代の天台宗の学僧)の拾遺記には「正は謂く中正、了は謂く照了、縁は謂く助縁、縁因は了因を資く、了は正因を顕す、正因は勝縁を起す、亦た是れ正因は了因に発り、了因は縁因に導かれ、縁因は正因を厳り、正因は勝縁を起す」と、正、了、縁の三因仏性の関係を明かしている。これによれば、正、了、縁の三因仏性はたがいに、他を薫発し合い、影響し合い、しかも一個の生命に混然一体となっ
 ここに一つぶの柿の種があるとする。その種それ自体は正因仏性にたとえられる。その柿の種は、それ以外のたとえば桃の木や、栗の木に育つということは絶対になく、種自身の中に将来柿になる性質をそなえている。この、智慧といおうか、性質といおうか、かかる柿自身に本然的に有する働きは、了因仏性にたとえられる。だがそれだけでは柿の木にはならないし、柿の実もならない。日光、雨、湿度、養分等を縁とし、それらの外界と内部の要素とが相応し、しだいに成長していくのである。このように外界のものを呼吸し、外界に反応し、育ちゆく働きは、縁因仏性にたとえられる。しかも、これらの働きも一粒の種の中に収まるものであり、他から与えられたものではない。同様に三因仏性は、生命に本然的にそなわっているものであり、かつバラバラなものではなく、混然一体のものであり、?体?用なのである。
 天台大師は、金光明玄義に三仏性を土中の金にたとえて説明している。
「云何なるか三仏性なる、仏とは名づけて覚となす。性とは不改に名づく。不改は是れ常に非ず、無常に非ず、土の内に金の蔵せるが如し。天魔外道も壊ること能わざるを、正因仏性と名づく。了因仏性とは、覚智は常に非ず、無常に非ず智、理と相応し、人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名く。縁因仏性とは、一切の常に非ず、無常に非ざる功徳善根覚智を資助し、正性を開顕す、草穢を耘り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく。当に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり」
 すなわち、土中の金は、あらゆるもののなかに改められざる仏の性として自存している正因仏性をたとえ、土中の金を了することは智と理と相応し、正因仏性を覚知すること、すなわち了因仏性をたとえ、草や土を取り除いて、金蔵を掘り出すことをもって、正境に縁し、功徳善根を積み、了因を助け、正因仏性を開発する働き、すなわち縁因仏性をたとえているのである。
 いま、この正、了、縁があらゆる人にそなわることを、折伏活動との関係において論じてみよう。一切衆生の生命に仏性があるというのは正因仏性についていったものである。ある人が、信心している人から折伏をうけたとする。だが、初めは信じられない。聞き入れようともしない。だがひとたび御本尊の話を聞くや、それは聞法下種となっているのである。そして、外面はいかに反対をつづけても、あたかも水が高きより低きに流れるごとく、自然に、信心しようという心が薫発されてくる。これあらゆる人々の生命に了因仏性があるからである。さらに、あるなんらかのものを縁として、御本尊を信ずるようになる。いわゆる発心下種である。これ、あらゆる人々の心中に縁因仏性がある証拠である。始聞仏乗義にいわく「凡そ心有る者は是れ正因の種なり随って一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手は是れ縁因の種なり」(0983:02)また証真いわく「聞法を下種と為す了因の種なるが故に、発心を結縁と為す仏果の縁なるが故に」と。
 されば、われわれの折伏活動こそ、最高限に相手の生命の尊厳を認めた行為である。あらゆる人々の生命の奥底に、仏界という偉大な生命があり、折伏しておけば、たとえその時には入信しなくとも、折伏が縁となり、仏種が薫発され、やがて入信し、真に光輝ある人生を進みゆくことができると確信してのふるまいだからである。
 事実、創価学会員、五百数十万世帯の中には、折伏された当初、猛反対した人が少なくない。否、すべての人が大なり小なり、反発の心をもっていたといっても過言ではない。ところが、それらの人々が、現在では口々に創価学会こそ最高唯一であると叫んでいるのである。これぐらい不思議なことがあろうか。これぐらい偉大なことがあろうか。これ、仏法が正しき原理であることを事実の上に証拠づけるものである。
 法華経不軽品には、威音王仏の像法時代に不軽菩薩が我深敬等の二十四文字の法華経をもって、当時の一切衆生を救おうとしたことが説かれている。その時、不軽菩薩は、「但行礼拝」といって礼拝の行を専らにした。民衆は、不軽をみて、悪口し、石を投げ、杖で打つなど、さまざまに迫害した。だが不軽は礼拝の行をやめなかった。ではこのように迫害し、圧迫する衆生をなぜ礼拝して歩いたか。それは、そのような軽毀の衆生であっても妙法の当体であり、尊厳なる仏界を有しているからである。
 御義口伝には、これについて「内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成って皆当作仏す可しと礼拝し給うなり」(0768: 第廿四蓮華の二字礼拝住処の事)とおおせられている。すなわち、不軽の礼拝したのは衆生の心中にある三因仏性であった。礼拝の行は、現在まったく用をなさないが、仏法の一貫した方程式を示しているではないか。
 また、さきに示したように法華経の提婆品には、提婆達多の天王如来の記別があげられている。あれほど釈尊をにくみ、たてつき、釈尊をなきものにしようと必死になった提婆達多が成仏の記をうけたのである。これこそ仏法が、一部の特別の人々を救うためのものではなく、あらゆる人々の生命の尊厳を説き、かつそれを事実の上にあらわさんとしていることが明瞭である。
 また、日蓮大聖人は、松葉谷の焼き打ち、小松原の法難、および佐渡への流罪、竜の口の法難等々、あらゆる迫害にあった。だが、大聖人は、平左衛門尉等の迫害した張本人をうらむどころか、むしろ第一の善知識とよばれたのである。さらに、時の執権に対しても「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」とまでいわれたのであった。これ、一切衆生をことごとく包容しきった、末法の御本仏日蓮大聖人の広くかつ深きご境涯である。創価学会の折伏活動は、あくまでも、この仏法の精神、大聖人の御振舞いに立脚しているのである。
 以上、あらゆる人にそなわる三因仏性について考え、われらの折伏活動は、実に、これらの三因仏性を開発せしめる実践行為であることを論じたが、次に、信心に約して三因仏性を論ずることにしよう。
 われわれが信心をする目的は、この正、了、縁の三因仏性の開発にある。法華経方便品には、仏の出世の目的は、衆生の仏知見を開示悟入せしめることにあると説かれている。天台は、この方便品の文をうけて「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」と釈し、また章安も、「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」と論じている。これも、仏の生命、成仏の境涯は、けっしてよそにあるものではなく、われわれ凡夫の生命のなかに本来備わっていることを示したものである。
 しからば、この絶対にくずれない、最高の幸福境涯である仏界の生命(正因仏性)を、湧現するにはどうすればよいか。これが仏法の究極の問題であり、日蓮大聖人は、そのために、三大秘法の御本尊をあらわされたのである。
 われわれが、この御本尊を信じて、題目を唱え、折伏に励むことは、縁因仏性の働きであり、それによって自分の生命の智慧の働きを豊かにし、自分自身が仏であるということを悟って、成仏の境涯を得る。これ、了因仏性の働きである。
 大涅槃経邪正品にいわく「一切衆生仏性ありと雖も、かならず持戒に因りて、然して後乃ち見る、仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」と。この文中「一切衆生仏性あり」とは、正因仏性である。次に「持戒に因りて、然して後乃ち見る」の「持戒」とは、すなわち縁因仏性である。持戒とは末法の今日においては、受持即持戒であり、御本尊を受持することである。これによって仏性を開発することができるのである。次に「仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」の「仏性を見る」とは、了因仏性である。すなわち御本尊を受持することによって、わが身妙法の当体なりと悟り、即身成仏するのである。
 法華玄義第五に、三仏性を三軌に約して「三因仏性に類通せば、真性軌は即ち是れ正因の性、観照軌は即ち是れ了因の性、資成軌は即ち是れ縁因の性なり、故に下の文(法華経信解品)に云く、汝は実に我が子なり、我は実に汝が父なりとは、即ち正因の性」であると述べている。
 これまた同様であり、大宇宙、またわれらの生命に真理として厳然として存在している仏界の生命を真性軌といい、正因仏性をあらわしている。それを透徹した智慧をもって観ずるのを観照軌といい、了因仏性をあらわす。ここに観照とは、天台宗では観念観法によって、わが生命を照らし、仏界を観ずることを意味するのであるが、大聖人の仏法においては、御本尊を信じ、仏智によりわが身妙法の当体なりとさとることをいう。資成軌とは、資は「たすく」の意で、了因仏性を助け、仏界を顕現し、即身成仏することである。具体的には題目をあげ、折伏をし、福運を積み、内外相応し、真実の幸福境涯を自在に遊戯することをいうのである。(すなわち縁因仏性である――追記)
 また、三因仏性は、日寛上人のおおせのごとく、空仮中の三諦となるのである。すなわち、正因仏性が中諦、了因仏性が空諦、縁因仏性が仮諦である。しかして、この三因仏性は、御本尊を信じ、題目を唱え、折伏を行ずるならば、御本尊の偉大な功力により、即法、報、応の三身とあらわれるのである。
 妙法尼御前御返事にいわく「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候」(1403:11)と。
 ゆえに、われらの正因仏性は、金剛不壊の仏身とあらわれ、いかなる三類の嵐もものともせず、峨峨たる大山のごとく確固不動の幸福境に生ききることができるのである。また了因仏性は、仏智とあらわれ、宇宙、人生、社会を透徹した智慧で見ていけることができるのである。これこそ正しき人生を歩み、かつまた、社会、民衆に正しき方向を与えていく源泉なのである。
 また、縁因仏性は、応身とあらわれ、事実の生活の上に、功徳があらわれ、福徳にみちみち、生き生きとした日々の行動をしきっていくことができるのである。
 なお、正了縁の三因仏性が、非情の草木、また一微塵にもそなわることについては、先に論じた有情非情の問題と密接な関係がある。もったいなくも、御本尊は、紙である。だが、紙であっても、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経とお認めになるや、御本尊として、偉大な力用を発揮するのである。これ、非情にも三因仏性が内在している証拠なのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0240:01〜0240:04 第5章 観心の意義を示す

 

本文

 問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。

 

現代語訳

 問うていうのには、一念三千の法門の出処が摩訶止観の第五に説かれているということを既に聞いて了解したが観心の意義はどうか。
 答えていうのには、観心とは我が己心を観じて己心の生命に具足している十法界を見ることである。たとえば他人の眼・耳・鼻等の六根を見ることはできるが、自分自身の六根は見ることができないから自具の六根を知らない。明らかな鏡に向かって始めて自分の六根を見ることができるように、設い爾前の諸経の中に処々に六道ならびに四聖を説いているといっても、法華経ならびに天台大師の述べられた摩訶止観等の明鏡に向かわなければ自己の生命に具わっている十界・百界千如・一念三千を知ることができないのである。

 

語釈

六道並びに四聖
 六道はまた六凡ともいい、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天上の六である。四聖は声聞・縁覚・菩薩・仏である。六道は凡夫迷者で、四聖は覚者聖人の意。

 

 

講義

 観心について

(1)観心の意味

 観心とは、一般的には心を対境としてそれを思索し、明らかに見ていくことをいう。心は万法の主であり、一法も心に欠けるものはない。したがって心を観ずることは、結局、いっさいを明らかに見通していけることになる。心が万法の主である文を参考に引用する。
 @ 華厳経の心如工画師の文。「心は工なる画師の種々の五陰を造るが如く一切世界のなかに法として造らざることなし心のごとく仏もまたしかなり、仏のごとく衆生もしかなり、三界唯一心なり、心の外に別の法なし、心・仏および衆生のこの三差別なし」A玄義第二「まえに明かすところの法、あに心の異なることを得んや。ただ衆生法は、はなはだ広く、仏法は、はなはだ高く、初心において難しとなす。しかるに心・仏および衆生、この三差別なければ、ただ己心を観ずるをすなわちやすしとなす」B総勘文抄「無量義経に云く『無相・不相の一法より無量義を出生す』已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり」(0564:03)
 そこで、天台の立てた観心を初めとして、正法像法年間には、さまざまな観心が唱えられた。いわゆる正法年間には不起の一念を観じたり、あるいは八識元初の一念を感じたりする修行が行なわれた。不起の一念とは華厳経に「頓とは言説に絶し、理性頓にあらわれ、解行頓に感じ、一念不生すなわちこれ仏なり」等とあるように、空観を観ずることである。また、八識元初の一念とは法相宗等で、第八識の阿頼耶識を根本識と立て、その一念を観じようとするのである。これらの観心は、観心という名目はあるが、真に己心を見つめきれる哲学ではない。
 像法年間にはいって、天台は、法華経の十如実相、十界互具等の文により一念三千の法門を打ち立て、これを観心として、一念三千の観法、一心三観の修行を唱えたのであった。天台家の観心は観念観法ともいわれるものであり、法華経の極理を実践的に体系づけたのであった。この場合の心を観ずるというその心とは、たんなる唯識論的な心ではなく、現代的にいえば生命ともいえるものである。まことに生命というものは不思議な実体である。天台の止観第五に「心はこれいっさいの法、いっさいの法はこれ心なるなり。ゆえに縦にあらず、横にあらず一にあらず、異にあらず、玄妙深絶にして識の識るところにあらず。言の言うところにあらず、ゆえに称して不可思議境となす。意ここにあるなり」とある。一生成仏抄に「抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に?して中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり」(0384:06)とある。
 この妙なる生命の実体を把握するのが観心である。そして、自己の生命が十界互具、百界千如、一念三千の当体であると悟るのが天台家の観心である。そのために十乗観法等の修行方法を立てるのである。
 しかしながら、天台家の観心は、もはや過去のものであり、現在のわれわれの幸福を築く力はまったくないのである。自分自身を見つめることが、いかに大事であるかを知ったとしても、また、自分を見つめることができたとしても、自分で自分自身をどうすることもできないのが現実である。さらにまた、現代のような複雑化した社会、せわしい生活のなかで、天台家のように、人里はなれた山林にまじわり、そこで観念観法などをするならば、それこそ、現実逃避であり、一部の特権階級、上流知識人の遊戯にすぎないではないか。
 現在において、観心を論ずれば、日蓮大聖人の仏法で説く受持即観心こそ、末法の全民衆の幸福への大原理であり、それは、日蓮大聖人御建立の御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱題することに尽きるのである。いまこのことについてさらに論じておこう。
 観心とは、教相の対語である。玄義の一に「教とは聖人下に被らしむる言なり、相とは同異を分別するなり」とあるように、仏の所説の教法の相を分別し判釈するのを教相という。観心とは「己心を観じて十法界を見る」とあるごとく教相の肝要、奥底を己心に観じていく実践修行をいう。この教相・観心の二つは、大乗の諸宗で等しく立てているところである。たとえば法相宗では「三時の判」を教相とし、「五重唯識」を観心としている。天台家の教相と観心についていえば天台は、釈尊の一代の教法を、華厳・阿含・方等・般若・法華の五時、また蔵・通・別・円(化法の四教)・頓・漸・秘密・不定(化儀の四教)の八教に立て分け、法華経が釈尊の出世の本懐である最高の経文であり、それ以前の経教は権教であることを明らかにした。これが天台の教相である。
 法華経が最高であるゆえんは、ここに生命の極理が説かれ、真に成仏の教法であるからである。爾前の経教では、空仮中の三諦をばらばらに説く、いわゆる隔歴の三諦の立ち場であるが、生命は本来、三諦円融を実相とする。この円融の三諦はさらにきわめれば一念三千となる。天台は法華経方便品第二の十如是の文により、本門の義を裏付けとして一念三千を説き明かした。すなわち、まえに引用した止観の五の文である。天台は心に真理を観念する法として三種の観法を立てた。すなわち天台所立の観心の方軌であり、一に託事観、二に附法観、三に約行観である。この第三の約行観がそのなかの肝要であり、一念の心を所観の対境として即空即中即仮を諦観するのである。
 別言すれば、生命の真実の姿は円融の三諦であり、百界千如、一念三千である。自分の一念の心法が即三諦・一念三千なりと諦観する一心三観一念三千の観法が、天台の観心である。そして天台はこの観心を成就する行規として、十種の乗法を立てた。すなわち十乗の観行を練磨する、観念観法によって衆生はよく成仏の境涯に到達できるとしているのである。
 しかしながら、天台家の観心というものは、あくまで釈尊の説いた法華経の実践修行であって、その域を出るものではない。天台の末流の人々が、天台の観心修行を尊んで法華経の本迹二門を捨てるというが、これは大きな誤りである。止観には「漸と不定とは置いて論ぜず今経によってさらに円頓を明かさん」、弘決には「法華経の旨をあつめて不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」、止観大意には「もし法華を釈するには、いよいよすべからく権実本迹を暁了すべし、まさに行を立つべし、この経ひとり妙と称することを得。まさにここによって、もって観意を立つべし、五方便および十乗軌行というは、すなわち円頓止観まったく法華による円頓止観は、すなわち法華三昧の異名なるのみ」、疏記には「観と経と合すれば他の宝を数うるにあらず。まさに知んぬ、止観一部はこれ法華三昧の筌?なり、もしこの意をうれば、まさに教旨にかなう」、行満の天台学法門大意には「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず経によって観を修す」等とある。これらの文によれば、天台の観心が法華経の実践修行であり、法華経よりすぐれるとか、法華経を捨てて修行すべきものであるということがいかに誤りもはなはだしいかがわかる。したがって、日蓮大聖人も立正観抄に「若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背く可からず止観一部は法華経に依つて建立す一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なることを」(0527:05)とおおせられている。したがって末法の今日においては、釈迦仏法の「白法隠没」とともに天台家の観心もなんの意味もなさなくなってしまっているのである。たとえそれが法華経であっても、いまや功力がなくなっている以上、それによって成り立つ天台家の観心はあえなくくずれさってしまったことを知るべきである。上野殿御返事には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(1546:11)とあり、高橋入道殿御返事には「法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず」(1458:14)とある。
 さらに、天台家の観心は、あくまで天台の己心の法門であって迹仏の思慮であり、そこに限界がある。立正観抄に「止観の二字をば観名仏知・止名仏見と釈すれども迹門の仏智仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり、其の故は止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す迹門の正意是なり、故に知んぬ迹仏の知見なりと云う事を但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名けるなり」(0531:06とある。
 末法にはいり、御本仏日蓮大聖人がご出現になり、三大秘法の御本尊を建立され、末法における観心をわれら衆生のために示されたのであった。しからば末法の観心とはいったいなにか。観心とは自己の生命の実体を見つめて幸福を証得することである。末法においては御本尊を信じ、唱題することが観心なのである。したがって本抄には「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」とあり、明鏡に向かって自具の十界、百界千如、一念三千をみるべきことを示され、これについて己心の十界は信じられないとの問いに、六道を明かし四聖を明かし、さらに「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す」(0242:14)以降には、凡夫の一念に仏界を具しているというのは絶対に信ずることができないとの反問を掲げ、それに対する答えとして「但し初の大難を遮せば……」(0245:09)から本尊の妙用・大功徳を明かして、この御本尊を受持することが観心であると結論して「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)とおおせられているのである。すなわち、釈尊の過去無量劫にわたって積んできた因位の万行および果位の万徳は、ことごとく妙法五字の御本尊に具足している。われらがこの御本尊を受持するならば、自然に仏と等しくなる。すなわち凡夫即諸法実相の仏と開顕するのである。
 天台家の観心と末法の観心の勝劣については治病抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候」(0998:15)とあるごとく、天地のへだたりがあるのである。
 さらに天台家の観心と末法日蓮大聖人の観心との関係は次のごとく諸御書にお示しになっている。@百六箇抄「在世観心法華経の本迹 一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0856: 在世観心法華経の本迹)A本因妙抄「彼の観心は此の教相……」(0875:05)B本因妙抄「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと」(872:11)C本因妙抄「仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり」(0874:01)、これらの文によって天台家の観心も大聖人の観心に比べれば、教相であることは明らかである。

(2)受持即観心

 さきに引用した観心本尊抄の「観心とは己心を観じて十法界を見る」の文を、そのままよめば天台の観心であることは前述したとおりである。これを附文辺といい、このことばによって大聖人のお心を拝するを元意の辺という。
 附文の辺において論ずるならば、自分の心をよくよく観測して自分の生命のなかに起こる種々な現象を十界、百界千如、一念三千と悟ることである。その悟った十法界は即仏心であり大宇宙そのものである。されば自己の生命は即宇宙の生命であり、仏の生命である。おのが生命を小宇宙なりと喝破した哲人があるが、それも一理といいうる。しかし、この考え方は宇宙に類似するというような意識を起こさせる。仏教観においては、類似でなく即である。いいかえれば大宇宙即小宇宙である。こういうならばことばの意味はわかるであろうが、宇宙即我とか、我即仏とかいうような実感はわいてこない。仏道修行の究極はこの実感が大事なのである。ここに天台家の観念観法が末法に用をなさないことが明らかである。そこでこの実感をうるために大聖人の仏法が必要となってくる。この短いことばを附文の辺と、元意の辺とにとるのはそのためである。元意の辺をもって観心を論ずれば「己心を観じて」とは、すなわち御本尊を信ずる義であって「十法界を見る」とは南無妙法蓮華経と唱える義である。そのゆえはただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、御本尊の十法界はまったく、わが己心の十法界と冥合して一と観ずることができるからである。
 以上のことを日寛上人は本尊抄文段に総勘文抄を引いて次のごとく説かれている。
「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く『一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観じ給うに由るが故に仏に成ること得る』と已上、此れを観心と云う」(0569:16)
 仏心も妙法五字の本尊であり、己心も妙法五字の本尊である。己心仏心異なっているが妙法五字の本尊においては異ならない、ゆえに「一なりと観ずれば」とおおせられているのである。しこうして「観」とは、「信」のことをいうのである。されば初心の行者がその義を知らずともただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、しぜんに己心と仏心と一なりと観ずることになるのである、これを末法の観心というのである。
 また、自分の面と他人の面とのたとえを引かれて、自分の面の六根を見んとするならば鏡に向かって初めてその面を見ることができるとおおせられている。ただ鏡に向かって見るものは眼耳鼻舌身の五根であって六根ではない。されば他の一根を何とするかというに、「意」である。これを意根という。なぜ六根を鏡にうつしてこの意根まで見るかというに、心の動きたとえば喜怒哀楽というようなものは面に現われるからである。
 つぎに鏡に向かう時には十界の相を見ることができる。いいかえれば鏡に十界の相を現ずるのである。すなわち、あるいは「瞋」あるいは「貪」あるいは「癡」あるいは「諂曲」あるいは「平」あるいは「喜」あるいは「無常」あるいは「慈愛」等がならび現ずるのである。しかして十界を現ずるということばに九界しか現じていないが、その一界はすなわち鏡であって、鏡自身は仏界を意味するのである。この鏡については、
「法華経ならびに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり」とおおせられて法華経ならびに摩訶止観を明鏡と指されている。附文の辺より論ずれば、いうところの明鏡は法華・止観であることはいうまでもない。しかし元意の辺はまさしく本尊をもって明鏡とするのである。
 御義口伝にいわく、
「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり」(0763:第四是人持此経安住希有地の事:02)
 また御義口伝にいわく
「惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し」(0724:第七以譬喩得解の事:02)
 また御義口伝にいわく、
「鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ・法の鏡には法界の体を浮べ・蓮の鏡には法界の果を浮べ・華の鏡には法界の因を浮べ・経の鏡には万法の言語を浮べたり……我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり」(0724:第七以譬喩得解の事:04)
 以上の御義口伝をもって結論すれば、大聖人のおおせの「明鏡に向うの時」の明鏡とは、法華止観を指すのではなくして、一念三千の南無妙法蓮華経であることは明らかであろう。このゆえに元意の辺というのである。
 また、鏡とは、信心に約せば、われらの信心こそ鏡である。ゆえに、引用の御義口伝の文に「一心の鏡」とおおせられているのである。一心とは、師に約し、自受用身の一念の心法即事の一念三千の御本尊であり、弟子に約して、御本尊を信ずる一念をいう。われわれは、信心により、生命の奥底より、仏智がほとばしり出てくるのである。心を澄まし自己の生活をみつめ、また、人生を、社会をさらに政治、経済、時代の潮流をも正しく見つめ、リードしていくことができるのである。

六根について

 六根の六とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六官のことである。また根とは、生命には対境に縁すると即時に作用する力や機能があり、その力、機能の本源が根である。生命に眼根があるから、色境に縁すれば眼識(視覚)を生じ、生命に耳根があるから、声境に縁すれば耳識(聴覚)を生じ、乃至生命に意根があるから、対境に縁して、たとえばこわいとか、楽しい等の意識を生ずるのである。六根のうち前の五根、すなわち、眼・耳・鼻・舌・身の五根は、いずれも色法であり、意根だけは心法である。
 法華経法師品第十九に「若し善男子・善女人は、是の法華経を受持し、若しは読み……若しは書写せば、是の人は当に八百の眼の功徳……千二百の意の功徳を得べし。この功徳を以て、六根を荘厳して、皆な清浄ならしめん」とある。すなわち、法華経は即身成仏の法であり、これを信じ行ずる凡夫は、不浄の凡身を即清浄の仏身に変えることができ、したがってその六根もまた清浄なものとなる。そして六根が清浄になるとは、たとえば意根を例にとれば、自分では自分の心をどうしようもないのである。人はさまざまなことを考え、思い、意識する。そのさまざまな考え、思い、意識にはその人の本質的なものがあらわれており、よく性根ということばで表現される。これが意根である。この意根それ自体が妙法の力によって浄化されるのである。ゆえに、いっさいの考え、思いが、ことごとく宇宙のリズムにかない、それによる行動も正しい人生行路を歩んでいけることになる。
 御義口伝にいわく「眼の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり」(0762: -第二六根清浄の事)と。
 さて、この六根というものを考えるにつけて、わがこの身体は、まさに宝器であることを痛感するのである。所詮、宇宙の多種多様な現象も、人生の千変万化も、六根がなければ感ずることができない。人生の醍醐味も、悲哀もともにこの六根を通じて知るのである。
 もし生命が委縮し、地獄の苦悩に沈んでいるとすれば、眼に映ずるもの、耳に聞こゆるもの、香りも、味わいも、身体にふれるものも、心に思うことも、ことごとく、苦悩煩悶に満ち満ちたものである。だが、ひとたび境涯を開けば、われわれに映ずる世界は、楽しみに満ちた常寂光土となるのである。ゆえに、この身が宝器なりと真実にいいきれるのは、わが生命に仏界を顕現した人生、すなわち、信心根本の人生について、初めていいうるのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0240:05〜0240:16 第6章 十界互具の文を引く

 

本文

 問うて云く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何、答えて曰く法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云是は九界所具の仏界なり、寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命・無量阿僧祇劫・常住にして滅せず諸の善男子・我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云此の経文は仏界所具の九界なり、経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云地獄界所具の仏界なり、経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を持つ者を護るは福量るべからず」等云云、是れ餓鬼界所具の十界なり、経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云此れ畜生界所具の十界なり、経に云く「婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云修羅界所具の十界なり、経に云く「若し人仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云此れ人界所具の十界なり、経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの如く・必ず当に作仏することを得べし」等云云此れ天界所具の十界なり、経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云此れ声聞界所具の十界なり、経に云く「其の縁覚を求むる者・比丘比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云、此れ即ち縁覚界所具の十界なり、経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云此れ即ち菩薩所具の十界なり、経に云く「或説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり。

 

現代語訳

 問う、十界互具・一念三千を説く法華経はどのような文があり、天台の釈にはどのような釈があるか。
 答う、法華経第一方便品に「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲するが故に諸仏は世に出現する」と説いている。これは総じて九界の衆生に仏界を具えていることを顕わす。同じく寿量品に「かくの如く自分が成仏してよりこのかた甚(はなは)だ大いに久遠である。その寿命は無量阿僧祇劫であり常住不滅である。諸の善男子よ、自分が本菩薩の道を行じて成就した所の寿命は今なお未だ尽きないで復五百塵点劫と説いた上の数に倍するのである」と説かれているのは仏界に九界を具しているとの文である。
 同じく提婆達多品に「提婆達多は天王如来となる」とある。これは謗法の罪により地獄へ堕ちた提婆達多すら仏界を具えているという。地獄界へ仏界を具えているならその他の八界を具えていることはいうまでもない。同じく陀羅尼品には「十羅刹女の第一は藍婆であり、十羅刹たちが妙法蓮華経を護持する行者を擁護すると誓ったその福報は無量である」と説かれているが、餓鬼界の羅刹が無量の福報たる仏果を得るのは餓鬼界に仏界を具えているのであり従って余の八界を具えていることが明らかである。同じく提婆達多品には「竜女が等正覚を成ず」とあり、竜は畜生であるからその女が成仏するのは畜生界に十界を具する文である。同じく法師品には「婆稚阿修羅王が此の経の一偈一句を聞いて随喜の心を起こすならば阿耨多羅三藐三菩提を得る」とあり、これは修羅界に十界を具する文である。同じく方便品に「若し人が仏を供養せん為に形像を建立するならばこの人は必ず仏道を成就する」とありこれは人界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「大梵天王等の諸天子は我等も亦舎利弗の如く必ず作仏するであろう」とあり、これは天界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「舎利弗は華光如来となる」とあり、これは声聞界に十界を具する文である。同じく方便品に「縁覚を求める比丘・比丘尼が合掌し敬順の心を以て具足の道を聞かんと欲した」とあり、具足の道とは一念三千の妙法蓮華経であってすなわちこれは縁覚界に十界を具する文である。同じく神力品に「千世界微塵数の無数の地涌の菩薩は是の真浄の大法を得ようと欲した」とあり、真浄大法とは事の一念三千の南無妙法蓮華経であって、すなわちこの文は菩薩界に十界を具する文である。同じく寿量品には「或は己身を説き或は他身を説き、或は己心を示し或は他身を示し、或は己事を示し或は他事を示す」等と説いているのは仏界を具する文である。

 

語釈

提婆達多
 梵名デーヴァダッタ(Devadatta)の音写。また調達とも書く。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従弟とされるが異説もある。出生のとき諸天が、提婆が成長の後、三逆罪を犯すことを知って、心に熱悩を生じさせたので、天熱と名づけたという。釈尊が出家する以前に悉達太子であったころから釈尊に敵対し、悉達太子から与えられた白象を打ち殺したり、耶輸陀羅女を悉多太子と争って敗れたため、提婆達多は深く恨んだ。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。最後は、王舎城の中で、大地が自然に破れて生きながら地獄に堕ちたとされる。しかし法華経提婆達多品第十二で釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に千年間仕えて法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられ悪人成仏が説かれた。

「一を藍婆と名け……」
 法華経陀羅尼品に「爾の時、羅刹女等有りて、一に藍婆と名づけ、二に毘藍婆と名づけ、三に曲歯と名づけ、四に華歯と名づけ、五に黒歯と名づけ、六に多髪と名づけ、七に無厭足と名づけ、八に持瓔珞と名づけ、九に皐諦と名づけ、十に奪一切衆生精気と名づく」とある文を指す。鬼子母神およびその子十羅刹女は、餓鬼界をあらわす。悪鬼である鬼子母神・羅刹女が法華経で善神と転ずることは、善悪不二、十界互具をあらわし、それは即百界千如一念三千なのである。

「婆稚阿修羅王……」
 法華経序品に「四阿修羅王有り。婆稚阿修羅王・?羅騫駄阿修羅王・毘摩質多羅阿修羅王・羅?阿修羅王なり。各おの若干百千の眷属と?なり」とある文を指す。@婆稚阿修羅王の婆稚とは、文句の二によれば、被縛、五処被縛等という。帝釈と戦って敗れ縛されたことによって、その名がある。A?羅騫駄阿修羅王は、訳して吼如雷。文句の二によれば広肩胛という。形貌広大のゆえである。また悪陰と訳するのは、その性をあらわすものである。海水を沸かしむる者である。B毘摩質多羅阿修羅王は、訳して浄心または種々疑という。海水をかきわけて声を発さしめ、これを毘摩質多という。乾闥婆の女をめとり、舎脂夫人を生み、帝釈にとつがしめたという。新訳に綺画というのは、彼が文身(刺青、入墨)せるをいう。C羅?阿修羅王は、つぶさには羅?羅阿修羅王という。羅?羅とは障持、執月と訳す。この阿修羅は帝釈と戦うとき、よくその手をもって日月を障蔽するゆえに名づける。以上四阿修羅王がいるが、ともにつねに帝釈と戦闘する。

 

 

講義

 われら衆生の己心に十界を具しているから、尊厳無比の仏界も苦悩のどん底たる地獄界もことごとく我等の一念に具わっている。しかし、われらの生命の内に仏の境涯があるということ、すなわち、われらが仏たる素質を持っているということはなかなか信じられない。そのゆえにまず前提として十界互具という哲理を知らしめるために事実の上から説き明かした法華経の文を引かれるのである。
 引用の文に総別あり、方便品の文は総じて九界所具の仏界を明かし、寿量品の文は総じて仏界所具の九界を明かしている。
「衆生をして仏知見を開かしめん」とは九界の衆生に仏の知見が蘊在しているからこそ、その知見を開かしめんというのである。もし衆生に仏の知見がないならば、開く開かない等と論ずることは無意味であろう。たとえば無一物の貧乏人が自分の蔵を開くとか開かないとかいうことができないのと同じである。
 次に「菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」とは因位の万行が果海に流入しているがゆえに仏界所具の九界というのである。すなわち久遠において行じた菩薩行が成仏と同時に消え去ったのではない。その菩薩行がそのまま仏界に流入して今猶未だ尽きず、復上の数に倍するとの意である。菩薩行をなにゆえに九界というかについては、菩薩は九界の位であり一を挙げて余の八に例したのである。
 次に「提婆達多乃至……地獄界所具の仏界なり」以下は別して十界互具の文を引く。地獄界のみが「所具の仏界」とあり、餓鬼界以下は「所具の十界」とあるけれども、仏界を具するならば十界を具することが明らかであり、また十界を具すならば仏界を具すことが当然の理であって互顕となるのである。
 今この御文をはっきりするために、次のようなかんたんな表を付記しておく。参考とされたい。


 衆生をして ………………… 九界所具の仏界
 是の如く我成仏して ……… 仏界所具の九界

 提婆達多乃至天王如来 …… 地獄界所具の仏界
 一を藍婆と名け乃至汝等 … 餓鬼界所具の十界
 竜女乃至成等正覚 ………… 畜生界所具 〃
 婆稚阿修羅王乃至 ………… 修羅界所具 〃
 若し人仏の為の故に ……… 人界所具  〃
 大梵天王乃至我等 ………… 天界所具  〃
 舎利弗乃至華光如来 ……… 声聞界所具 〃
 其の縁覚を求むる者 ……… 縁覚界所具 〃
 地涌千界乃至真浄大法 …… 菩薩界所具 〃
 或説己身或説他身 ………… 仏界所具  〃

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0240:17〜0241:04 第7章 難信難解を示す

 

本文

 問うて曰く自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ之を見ず如何が之を信ぜん、答えて曰く法華経法師品に云く「難信難解」宝塔品に云く「六難九易」等云云、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師云く「仏此れを将て大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」等云云、伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等之を扶けて諫暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り五千席を去り人天移さる況や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。

 

現代語訳

 問う、自分の六根や他人の六根は見ることはできるけれども他人の生命にも自分の生命にも十界を具しているというのは一向に見えないがどうしたことか。
 答う、法華経法師品には「信じ難く解し難し」と説かれ、宝塔品には「六難九易」を挙げて法華経の難信難解を説かれている。また天台大師は法華文句に「迹門は二乗の作仏、本門は久遠実成を説いて昔日四十余年に説いた権教とはことごとく相い反するので難信難解である」と。また章安大師は「仏がこれをもって大事となしているからどうして解し易いわけがあろうか」と。伝教大師は「この法華経は最も難信難解である。なぜなら衆生の意に随って説いた随他意の爾前経と異なって仏が悟りのままを説いた随自意の教えであるから」等といっている。
 以上に明らかなごとく法華経は難信難解である。ゆえに釈尊在世の正機は過去世に下種を受けて宿習が厚い上に、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏を始めとして、地涌千界の大菩薩・文殊・弥勒等の諸菩薩が釈迦仏の説法を助けて諌暁したのに、それでさえなお信じない者があった。すなわち方便品の広開三顕一の時には五千人の増上慢が席を去り、宝塔品の時には多くの人界天界の衆生が他の国土へ移された、在世の正機ですらこのとおりであったからいわんや仏滅後の正法時代、像法時代となればいよいよ難信難解となり、さらに闘諍堅固・白法隠没の末法となれば信じ難いのがとうぜんであり、汝が容易に信じられるとすれば、かえってそれは正法ではないのである。

 

語釈

難信難解
「信じ難く解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第十には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。

六難九易
 法華経見宝塔品に、法華経を持つことのむずかしさが示されている。およそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだ易しいと説いたうえで釈尊は、滅後の法華経の弘通を促している。
 まず「九易」とは、@余経説法易(法華経以外の無数の経を説く)A須弥擲置易(須弥山をとって他方の無数の仏土に擲げ置く)B世界足擲易(足の指で大千世界を動かして遠くの他国に擲げる)C有頂説法易(有頂天に立って無量の余経を説法する)D把空遊行易(手に虚空・大空を把って遊行する)E足地昇天易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る)F大火不焼易(枯草を負って大火に入っても焼けない)G広説得通易(八万四千の法門を演説して聴者に六神通を得させる)H大衆羅漢易(無量の衆生に阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせる)。
 次に「六難」とは、@広説此経難(悪世のなかで法華経を説く)A書持此経難(法華経を書き人に書かせる)B暫読此経難(悪世のなかで、暫くの間でも法華経を読む)C少説此経難(一人のためにも法華経を説く)D聴受此経難(法華経を聴受してその義趣を質問する)E受持此経難(法華経をよく受持する)。

伝教大師
 (0767〜0821)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)滋賀郡に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。31歳にして内供奉十禅師に列せられ、36歳にして和気清麻呂の子、広世・真綱に招かれて初めて山を下り、京都高雄山寺(神護寺)において法華三大部の講義を行い、南都の諸大徳も列席し称賛したという。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生 の勅許が下り、訳語僧義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続けた。弘仁13年(0821)6月4日、比叡山中道院において入寂す。ときに寿56歳であった。没後7日目に大乗戒壇建立が聴許され、冬11月、嵯峨帝は「哭澄上人」の六韻詩を賜った。翌年、義真によって初めて大乗戒の受戒が行われ、延暦寺の寺号を賜った。貞観8年(0866)清和天皇から伝教大師の諡号が贈られたのは、円仁の慈覚大師号とともに、日本における僧侶の諡号の最初であった。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」三巻(各巻を上中下三巻に開いて九巻)、「山家学生式」一巻(三式)等がある。

諌暁
 諌め暁すこと。諌(かん)は礼をもって他のあやまりをただすこと。暁はさとし明かすこと。

五千席を去り
 法華経方便品の広開三顕一に入る時「此の語を説きたまう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷五千人等有りて、即ち座従り起ちて、仏を礼して退きぬ。所以は何ん、此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失有り。是を以て住せず。世尊は黙然として制止したまわず」とあるをいう。

 

 

講義

 ここに難信難解を示す理由はこの疑いを挙げて十界互具・一念三千という法体の甚深を称嘆するのである。
 問いの意は世間の鏡に向かえば自他面の六根を見ることができるけれども、法華経等の鏡に向かっても自分や他人の十界を見ることができない、どうしてこれを信じたらよいかとの意である。
 人間界の十界については難信難解というといえども、これを説明することはさほどの無理ではない。そのゆえは各自の生活が九界まで顕然とこれを感じ得るからである。
 今日において難信難解の根幹をなすものは十界互具ではなかろうか。
 人間界の十界は信じるとしても人間界以外の十界すなわち前において表に示したように地獄界の十界、畜生界の十界ないし菩薩、仏界の十界とは、どんな状態を指すものであろうか。そしてそれはどこに存在するのであろうか、それは大きな問題となって来る。現代の人が仏教哲学を究明する時にまず突き当たるのはここであろう。しかし遺憾ながらここまで突き当たった人の苦慮もきいたことなく、これを解明しようと努力している人にも接したことがない。このことはまことに難信難解の問題なのである。
 まず思索の第一歩をわれわれの生命の活動状態におくこととする。この方法はすなわち天台の「己心を観じて十法界を見る」ということに当たり、大聖人の「本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える」に当たるのである。
 当抄にも示されており、われわれも生命論を論ずるたびに論じてきたことであるが、われわれの十界の生活を一応次に表示しておく。
瞋り ……怒りのあまり苦悩のどん底へ堕ちる生活 … 地獄界
貪り ……物を欲しがる生活 …………………………… 餓鬼界
癡か ……目先にとらわれて大意を失う生活 ………… 畜生界
諂曲 ……人に諂い己の心を曲げ闘争を事とする生活 修羅界
平か ……人間らしい生活 ……………………………… 人 界
喜ぶ ……歓喜に燃えた生活。時間的制限がある …… 天 界
無常 ……世の中に永久的なものはないと悟って
     已れの思索に安心を求めているもの ……… 声聞界・縁覚界
徳 ………人間の徳性生活 ……………………………… 菩薩界
信仰 ……三大秘法の南無妙法蓮華経を信ずる生活 … 仏 界
 以上のような生活場面が突如として日常生活の中に現われてくる。その一場面が常住しているのでもなければまた無いものであると断定できるものでもない。実在はするが、縁にふれなくてはその場面は現われないものである。それを体験することによって吾人はこの十界の生活の実体を認識せざるを得ないのである。さて、この十界の生活がわれらの生命に実在することを認識した以上は、そういう命が宇宙に存在することは認めざるを得ないであろう。
 そうなると、仏界というと仏の住む清浄な世界が、宇宙のどこかに固定しているように考えられる。また菩薩界といえば観音菩薩や弥勒菩薩や文殊師利菩薩等々の、あの絵で表現されているような生活が宇宙のどこかにあるように考えられる。また地獄界といえば鬼の住む世界であって、そこで悪いことをした人がさかんにいじめられている特殊な世界があるように考えられる。また天といえば、天の一方に天国というような所があって梵天帝釈や神々が、ゆうゆうと汚れをわすれて遊んでいるような所があるように考えられる。
 しかしこれらのような考え方は全部あやまりである。ただそういう生命を知らしめんがためのたとえとして、仏教典の中に表現されてはいるが、それは権大乗以下の経典の説明法であって決して実在ではあり得ない。しからばいかなる状態において存在するのか。
 われわれの生命は即宇宙の生命であるとまず観じなくてはならぬ。その大宇宙は一個の大生命である。この大生命の中に、吾人等の生命の中に存在するがごとく十界が実在しているのである。地獄界が仏界に重なっているのでもなく、仏界と餓鬼界が別々の個所にあるのでもなく、混然一体として融和して融通無礙の状態にあるのである。たとえばラジオにおいて摂取できる各国各様の電波が重なっているのでもなくまじっているのでもなく、混然一体のような状態にあるがごときものである。ただ縁にふれてその生命が躍動するのであって、仏界の生命にも十界を具し、菩薩界の生命にも十界を具するというにすぎないのである。
 死後の生命は大宇宙の生命に融和してしまう。とけ込んでしまう。その生命が、仏界の業を感ずるのも、地獄界の業を感ずるのも、皆生前の業によることであって、その業を感ずる状態は肉体も心もない生命というものの特質である。吾人の非才にしてはこれを書き切ることは至難であるが、大宇宙それ自体が十界の生命であり、その十界はまた互いに十界を具するということは事実である。真に難信難解という以外にはない。ゆえにこの章において仏は難信難解、六難九易、天台大師いわく「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師いわく「仏此れを将て大事となす何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」と説かれているのである。

随自意について

 随自意とは、随他意に対することばであり、衆生が信解するとしないとにかかわらず、みずから悟ったところの内証の法門を直接説くことをいう。諸経と法華経と難易の事にいわく「仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随つて説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(0991:14)と。
 釈尊の随自意の教法は法華経である。それに対し爾前経は随他意である。法華経方便品にいわく「我れは無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞を以て、諸経を演説す。是の法は思量分別の能く解する所に非ず、唯だ諸仏のみ有して、乃し能く之れを知しめせり」と。すなわち、爾前経においては、衆生に理解しやすいように、さまざまな方便、種々の因縁、譬喩等をもって衆生を引導してきたが、いま説く法華経は、思慮分別もできない難信難解の大法であり、仏のみ知るところのものであるとの意である。
 しかして、随自意、随他意といえども、それは「所対不同」であり、権実相対する時、権教は随他意、法華経は随自意。本迹相対する時、迹門は随他意、本門は随自意。さらに色相荘厳の釈尊の説く一代仏教は、たとえ法華経本門といえども、世情に随順する随他意の法であり、文底下種の南無妙法蓮華経こそ随自意なのである。まことに日蓮大聖人の仏法こそ、八万法蔵の奥底、生命の本源を説き明かして余りなく、全民衆を根底から救い切る大哲学である。あらゆる仏は南無妙法蓮華経によって仏となり、またあらゆる仏が帰趣するところも南無妙法蓮華経である。十方三世の諸仏の骨髄であり、魂であり、眼目である。ゆえに難信難解であることは当然であり、本文に「汝之を信ぜば正法に非じ」、汝が容易に信じられるとすれば、かえってそれは正法ではない、とあるのも、まことにゆえあるかなと思うものである。

随自意とファッショとの区別

 いま、随自意ということを、創価学会に、信心および生活に約して論じてみよう。
 創価学会の立ち場はまさしく随自意である。いままで、世間のいわゆる知識人・評論家と呼ばれる人たちの学会認識というものは、驚きあきれるほどいいかげんなものであった。
 彼らは、かつて学会員を、知的レベルも低く、またなんの批判精神もなく、小羊のごとく随順であり、「病気がなおる」「金がもうかる」等の甘言にあやつられて、それに盲従するものと考え、またそのように言ってきた。その底流には恐るべき、民衆蔑視と、慢心とがひそんでいた。彼らは、学会員を馬鹿にし、あざ笑った、どうせ行くところまで行けば頭打ちになって、いずれは崩壊してしまうものと考えた。だが、学会は微動だにすることなく、さらに躍進につぐ躍進をつづけた。彼らは、こんなはずがないと、いままで傍観視していたのが、急にあわてだし、学会に恐怖・脅威の念を懐きはじめた。その脅威の念をこう表現した。
「学会はファッショである」と。
 彼らは、学会の出現を、けっして謙虚な心で知ろうとしなかった。そしてことごとく自分の頭のなかの範ちゅうにあることばと結びつけようとした。やれナチズムに似ているとか、やれ一向一揆に似ているとか、やれプジャード派に似ている等と、そしてそれらの偏見は、さまざまに形を変え今なお続いている。
 中世において、キリスト教徒たちは、教会の権威をおびやかす科学者を「無神論者」とか「魔術師」「マホメット教徒」と呼んで、迫害した。また、日本において戦時中に、少しでも正しいことをいえば、「自由主義者」「人民戦線」「非国民」というレッテルをはり、それを抑えたのである。終戦によって、その様相は一変した。だがそれは人間生命に巣食う事大主義、偏見、迷信が変革されたのではなく、その形が変わったにすぎなかった。自由主義者のかわりに「反動」ということばが使われ、また、どんな人でも自分が少しでも民主的な人間であるかのように装うのである。
 団結=ファッショという単純なものの考え方のうらにもそうした人間の性向があることを知らねばならない。
 みずからの目で正しく判断しようという気力なく、鸚鵡のように「ファッショ」「ファッショ」と繰り返す姿は、あわれの一言に尽きる。権力におもねり、迎合し、人気取りに熱中する世の評論人、知識人こそ、かつて軍部のお先棒をかついで日本を戦乱の巷に追いやった人間となんら変わりがないと断ぜざるをえないのである。
 これに対し、学会の主張は定見である。最高の哲学に根ざし、願うところは全民衆の幸福であり、全世界の平和であるがゆえに、だれにこびへつらう必要もない。あくまでも随自意なのである。しかして、わが創価学会の行き方に対して万人が嵐のごとき賛同の意を表することは必然であると確信するものである。

「ファッショ」の意味するもの

 学会はファッショであるといっている本人に、こう質問してみるがよい。彼らの大部分は、たちまち答えに窮してしまうであろう。学会とは何か、ファッショとは何か、この二つを冷静に、正しく認識し、しかるのちにこそ似ているか似ていないかの判断が下されるのである。子供でも心得ている、こんな道理を無視して「学会ファッショ論」をふりまわしている評論家たちは、まさしく牧口初代会長がいわれたごとく「高等精神病患者」ではないか。
 ファッショとは、1919年、イタリアにおいてムソリーニが組織したファシスト党から始まり、以後、それに類似した動行、傾向、体制をいうようになった。その最も代表的な例として、ドイツのヒトラーによるナチズム、スペインのフランコ政権があり、わが国における軍国主義も、広い意味でのファッショに含まれる。
 その特色として、すでに学会の定説となっていることは、まず第一に、暴力主義による独裁、第二に独占資本主義を擁護する体制、第三に、全体主義によって議会民主主義および個人の基本的人権を否定する。第四に、人間の価値の平等を認めない。国内的には少数の指導者が権力を独占行使する専制政治をしき、対外的には武力、策謀等、目的のためには手段をえらばない侵略主義をとる、という点である。
 これらのファッショの基本的な原理を、いま、わが創価学会の行動、理想、また、その根本となっている仏法に照らし合わせてみるならば、何一つとして当てはまるものがない。むしろ、これらの狂気じみた考え方を、真っ向から否定し、根底から崩壊せしめる力ある哲学こそ仏法であり、創価学会の行動なのである。
 第一の暴力主義による独裁について。およそ暴力主義の団体に、五百万世帯、一千数百万人の大衆が賛同してくるなどと考えること自体すでに狂気のさたというべきである。暴力で組織を拡大できるのであれば、新聞などで盛んに騒がれた暴力団がもっとも発展するはずである。
 いったい学会の中で、暴力をふるったという事例があったか、断じて否である。ひるがえって世間を見ると、労働組合が第一、第二組合と分かれて血を流し合ったことがあった。会社が暴力団を雇って組合員を迫害したり、組合員が大挙して会社側につめよったりすることも、いまや珍しいことではない。国の中心たる国会においてすら、暴力国会という汚点を残している。世は挙げて修羅界の巷と化しているときに、わが創価学会のみが、和気あいあいと、明るく前進し、また、社会人として価値創造に励んでいる。しかして、世界を修羅界、地獄界より救済し、平和楽土を建設する、唯一の原理こそ、日蓮大聖哲の仏法であることを主張してやまない。
 すなわちファッショないしファッショ化の傾向は、仏法を知らない修羅界の世界にこそあるといわなければならない。創価学会は慈悲の団体である。日蓮大聖哲の仏法をもって、永久に崩れざる平和を世界に打ち樹てる使命をもった唯一つの団体なのである。むしろ、暴力をふるわれたのは学会である。日蓮大聖人立宗七百年の歴史、また創価学会35年の歴史は、権力による弾圧、無知な人々による盲目的批判と迫害の連続であった。いまこそ、われわれは、この偉大な仏法を正しく認識し、正当な評価を下すべきことを世の人々に訴えるものである。
 個人の独裁について一言する。独裁が成り立つ第一の要件は、指導原理、理念がないということである。すぐれた指導原理があるところには、独裁は成立しない。学会には、日蓮大聖人の大仏法哲学、南無妙法蓮華経の厳然たる法則がある。かつ、その原理、哲学をば、全会員が学び、身につけて、有智の団体の一大和合僧団と発展、前進しているのが学会の行き方である。独裁者は、成員、後輩の成長を嫌う。努めて無智化しようとするものである。後輩を自分より成長させよう、自分より力ある指導者に育てようというのが、令法久住を願う学会精神であり、これは独裁と全く相反するものであることは、いうまでもない。
 第二の独占資本主義の擁護云云について。よく「学会は社会の底辺の人々を組織している」等と批判した評論家がいた。もとより、学会は日本の社会の縮図であり、即大衆であって、どの階層がとくに多いということはない。強いていえば青年層が多いといえようか。しかしながら、与えてこれを論ずれば、このような批判自体、独占資本主義擁護うんぬんの批判を否定することになる。奪って論ずれば、学会は、いまだかつて一度も資本家の味方をしたことはない。私腹を肥やさんがために民衆を踏み台にして、金もうけに狂弄する輩は、これ餓鬼の衆生であり、あわれむべき連中である。そのような者を、学会が擁護し結託する道理がないのである。
 第三の全体主義による議会民主主義の否定、個人の基本的人権の否定についても、全く逆である。創価学会の目的、日蓮大聖人の仏道修行の究極するところは、一生成仏である。
 一生成仏とは、現代語に訳すると、個人の主体性の確立、真実の自我の確立、自由自在の絶対的幸福境涯の確立である。個人の基本的人権を最高に確立してゆくのが、日蓮大聖人の大生命哲学実践の、究極の目的なのである。
 また、仏法民主主義の樹立であり、人間性社会主義の実現である。指導理念なきがゆえに、腐敗と混乱におちいっている議会民主主義に魂を入れ、生かしていくところに学会の目標があるのである。
 第四の人間の価値の平等についても、これをもっと正しく認めている団体が学会である。また、人間の価値を平等に認め、その尊厳を最高度に発揚してゆく原理が大聖人の仏法である。仏法は全人類ひとりもれなく事の一念三千の当体であり、仏の子と説く。社会的地位の相違、学歴の有無、男女の性別、年齢の高低、人種の差別等々を問わず、仏法の前に平等である。現実に、創価学会の同志愛に結ばれた和合僧の姿を見るならば、ファッショ云云の批判は雲散霧消するであろうことを確信するものである。
 次に、信心および生活に約して随自意、随他意を論ずるならば、信心こそまさに随自意なのである。地位、名誉、財産等、これらはことごとく随他意である。信心ほど強いものはない。天上界の楽しみも五衰をうけ、地位、名誉、財産等も化城に等しい。いかなる時代がこようとも、巌のごとく盤石であり、あらゆる苦難を打開し、あらゆる福運を万里の外より招きよせる大源泉は信心である。
 また、環境に支配された生活は随他意であり、環境に左右されず、むしろ環境を変え、支配し、思うがままに遊戯する生活は随自意である。生命力弱き人は、環境の重圧におしつぶされてしまい、もがき、苦しみ、あがくのである。生命力強き人は、環境にしばられず、真に自由自在の、幸福環境を満喫するのである。それも所詮は信心が根本である。信心はあたかも大綱のごとく、あらゆる自己の生活、また環境の網目のごときである。大綱を引けばいっさいの網目は引き寄せられるように、信心によって、いっさいを引っぱっていくことができるのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0241:05〜0241:09 第8章 心具の六道を示す

 

本文

 問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖も信を取り難し、今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。

 

現代語訳

 問う、法華経の文にもまた天台・章安等の解釈にも、十界互具が説き明かされていることは疑う余地がないことがわかった。ただし火をもって水であるといい、黒い墨をもって白いというがごとく、われわれの常識とはまったく相反するのでたとえ仏説であるからといっても信じられない。今しばしば他人の面を見るにただ人界ばかりであって他の九界は見られない。自分の面を見てもまた人界ばかりであるが、どうして十界が互具すると信じられるであろうか。
 答う、今しばしば他人の面を見るにある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平らかに、ある時は貪りの相を現じ、ある時は癡を現じ、ある時は諂曲である。これらは皆六道の輪廻であって瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人界である。このように他人の相には六道がすべて具わっているのであり、四聖は冥伏していて日常に現われないけれども委しく探し求めるならばかならず具わっている。

 

語釈

瞋るは地獄
 貪・瞋・癡の三毒を地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる因とした。瞋恚は修羅闘諍にも通ずるが、瞋りのあまりに生活の一切を破壊し、苦悩のどん底へ堕ちるをいう。

貪るは餓鬼
 慳貪ともいう。他に対して慳み貪ること。この因によって餓鬼道に堕ち飢渇に苦しむ。

癡は畜生
 親子・兄弟で骨肉相喰み、また目前の安穏や利益に迷う等の愚癡を畜生の性とする。

諂曲なるは修羅
 諂い曲れる心を修羅とし、闘争を事としてたがいに讒諂し合う。

平かなるは人
 五常・五倫等の道を守り一家も平和に社会のためによく働く等を人という。人間界は苦と楽が相半ばし人はこのあいだにあって常道を守り平和を求めるという。

喜ぶは天
 天界は日々の生活を喜び楽しむ境涯をいう。しかし天界の喜楽は一時的なものでかならず衰え移ろうのである。

四聖
 声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。仏道修行によって得られる覚りの境涯。迷いの境涯である六道に対する語。

 

 

講義

 人界に十界を具えていることを明かすにあたり、まずわれわれの日常生活から推して六道を具えていることを明かしている。しかもわれわれの生活はある時に瞋り、ある時に貪り、またある時は平らかに、ある時は喜び楽しむ等の六道を毎日朝から晩までくりかえしていることがわかるであろう。ゆえにわれわれは六道輪廻の衆生である。
 現在、世の中には多くの迷信が横行している。その中には仏教で説かれているものが、あやまり伝えられて起きたものも少なくない。十界もその一つである。たとえば世間の人に地獄とは何かと問えば「地獄なら知っている。なにか地の下にあって、悪いことをした人がおちるところだろう。三途の河を渡って獄卒に責められて、閻魔王のところにいき、審判をうけて苦しむという、あれだろう」ぐらいにしか答えられないのが実情である。
 このように一方に迷信化されたものをほんとうと思いこむ無知な大衆がいれば、また他方、まったく生活と遊離した、わけのわからぬことをいってすます学者階級がいる。こころみに世間の仏教学者の十界についての説明をあげてみよう。
 十界=迷悟の階級を十種に分けたもの。仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人間界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の称。六凡四聖。十法界(大蔵法教、五十三)法界者、諸仏衆生之本体也、然四聖六凡、感報界分不同、故有十法界菩(梁粛、三如来画像賛序)出八十界随所利見。
 十界=顕教には法華経に依って地獄餓鬼畜生阿修羅人天の六梵と声聞縁覚菩薩仏の四聖を以って十法界となし、密教には理趣釈経に依って地鬼畜人天の五凡と声縁菩権仏実の五聖を以って十法界となす。(望月「仏教大辞典」)
 いったいこれではなんのことやら、わからないのも当然である。このように難解な言辞をろうして、あたかも高遠な哲学のごとくふりまわすところに現代の仏教界の迷乱がある。
 また、山辺習学の「仏教に於ける地獄の新研究」なる著には、およそつぎのように述べられている。
 彼いわく「地獄、極楽や三世因果の説は、いわば過去に奏でられた音楽のようなものである」と。またいわく「三世因果説の宗教的任務は、まったく心霊上の基礎工事、または自覚に入る準備的施設である」と。
 すなわち、彼に言わせれば、地獄や極楽は芸術的宗教的表現であり、科学的実証的立ち場と矛盾することがあってもよい。また地獄、極楽、三世因果説は、どこまでもそれを押し立てようとすれば無理がゆく。釈迦は、その思想を、宗教的内省への手段として用いた。たとえば、地獄に落ちるということによって、人に深い罪の自覚をよび起こして、内面的に宗教的自覚を得させるのだ、というのである。
 彼の言い分だと、地獄などというものは、ほんとうにはない。ただ悪いことをすると、地獄に落ちるといって、悪いことをさせないようにする手段なのだ、ということになる。
 さらにいわく「かようにして、現世の向上が地獄の向上であるということは、人間が正しく教養を進めてゆけば、ついに最下の無間に堕在するの外はないということである。すなわち、人間精神の最高の実に到達することは、地獄の最下に入ることで、他のことばで言えば、傲?の自我がその全姿を自覚せらるるの謂である。魔極まりて仏は出現する」等と。
 なんと愚かな、狂おしい説であろうか。所詮、仏法は真実の生命哲学なることを知らざる故に、仏教の原理をまげて勝手なこじつけ解釈をなし、まるで地獄というものを悪いことをさせるために架空に設定したというようなことをいってみたり、「現世の向上は地獄の向上」などという気違いじみた説をなすのである。
 他の学者も、その主張する点は異なるとも、仏法を知らず、いたずらに観念論をもて遊んでいることにおいては同じである。
 仏法は生活法である、ゆえに日蓮大聖人は総勘文抄に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(0563:17)とおおせられている。そして地獄界より仏界にいたるまでの十界についても十字御書に「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候」(1491:04)と、また、上野殿後家尼御返事にも「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり」(1504:09)と説かれている。
 また、本文において十界とは、じつに、われらの、悩み、苦しみ、悲しみ、欲望、怒り、おろか、また喜び等の生命状態をくまなく説き明かしたものであることが、述べられているのである。
 仏教を迷信・神話・伝説などと同じように考えている現代社会の教育を受けた者は、このようにして地獄餓鬼畜生等のことばを表わす真の意味を知り、しかして十界常住・一念三千等の法門こそ真の宗教であり正しい哲学であることを知らなければならない。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0241:10〜0241:16 第9章 心具の三聖を示す

 

本文

 問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万が一之を宣べん、所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。

 

 

現代語訳

 問う、われわれの生命に六道があるということははっきりしないけれども、今の説明で大体わかったように思う。しかし四聖があるということはぜんぜん見られないがどうか。
 答う、前には人界の六道まで疑っていたので、しいて一々の相似した事例を挙げて説明したところ略わかったのである。四聖もまたこれと同じであろう。よって試みに道理の説明を加えて理解させることにしよう。すなわち世間の姿を見るに有為転変のありさまが眼前にある。この無常を日夜見ていることは人界に二乗界のある証拠ではないか。まったく他を顧りみることのない悪人もなお自分の妻子に対しては慈愛の念を持っているということは、人界に具えている菩薩界の一分である。ただ仏界ばかりは日常生活に現われがたいのである。しかしすでに九界を具していることがわかった以上は、しいて仏界のあることを信じ疑ってはならない。法華経方便品に人間界を説いていうには「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する故に諸仏世尊はこの世に出現し給うのである」と。この経文は人間に仏界を具している証拠である。涅槃経にいわく「大乗を学ぶ者(現在では御本尊を信じ奉る者)は物を見るに肉眼で見ているがそれを仏眼であるといえる」と。このように人界に仏の知見があることをはっきり説かれている。末代の凡夫が人間と生まれてきて法華経を信ずるのは人界にもとより仏界を具足しているから信ずることができるのである。

 

語釈

世間の無常
 世間とは、衆生が住む世界をいう。無常とは、常に生滅変化して移り変わり、瞬時も同じ状態にとどまらないこと。二乗は世間の無常を観じて空寂の涅槃に帰するのを極地となした。

肉眼
 肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼を五眼という。一に肉眼とは肉体にそなわった眼で、普通の眼である。二に天眼は天人所具の眼で遠近や昼夜にかかわらず見ることができる。三に慧眼は二乗が空理を遠見する智慧の眼。われわれ凡夫の立ち場からいえば、深い知識体験にもとづく物事の判断力である。四に法眼とは、菩薩が衆生を救うために法門を明らかに知る眼。われわれの立ち場でいえば、仏法の法則の上から、いっさいの事物を判断する力。五に仏眼は三世十方にわたり、いっさいの事物を見とおす仏の眼で、他の四眼もともにそなえており、五眼具足ともいう。しかして、開目抄上に「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり」とあり、根本の判断力は、御本尊を信ずることによって得たところの法眼、仏眼によるほかないのである。

 

 

講義

 地獄界から仏界までのうち、菩薩界までの九界をわれわれ人間生活に具えていることは、地獄とか菩薩とかの本性の一分を常識的な道理の上から説明することができるけれども、仏界ばかりは、ことばや説明のおよぶところではない。しかし、われわれ人間の生命には本有常住に仏界がある。その仏界を事実の上に顕現してそれが事実であることを確認するにはどうすればよいか。それは「明鏡」に向かって、わが生命の実体をうつし出して見なければならない。すなわち「明鏡」とは御本尊であり、「向かって」とは、われわれがこの御本尊を唯一最尊なりと信じ奉ることである。ゆえに「末代の凡夫出生して法華経を信ずる」とは、御本尊を信じ奉ることであり、われわれ凡夫が御本尊を信じ奉ることのできるのは人界に仏界を具する証拠なのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0241:17〜0242:13 第10章 仏界を明かす

 

本文

 問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。

 答えて曰く汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや、然りと雖も試みに之を云わん仏に値いたてまつつて覚らざる者・阿難等の辺にして得道する者之れ有ればなり、其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり、其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり、過去の下種結縁無き者の権小に執着する者は設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず、自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ或は華厳大日経等に同じ或は之を下す、此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり、此等は且らく之を置く、十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん堯舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。

 

現代語訳

 問う、前から示された文によって十界互具を仏が説いた経文は分明になったが、われら凡夫の劣等な心に尊極無上の仏界を具しているということはとうてい信ずることができない。今もしこれを信じないならば一闡提(いっせんだい)不信の者となるであろう。どうか大慈悲心を起こしてこれを信ぜしめ、阿鼻地獄へ堕ちて苦悩するのを救ってもらいたいと思う。
 答う、汝は既に方便品の一大事因縁を説かれた文に衆生に仏知見があると説かれているのを見聞しておりながら、しかもこれを信じないというならば、釈尊の言を信じないのだから、釈尊を始め、四依の菩薩もならびに末代理即の凡夫たるわれらが汝の不信を救護することができないのは当然である。しかしながら試みにもう少し人界所具の仏界を説明してみよう。なぜなら釈迦仏の教化を受けておりながら覚らなかった者が、かえって弟子の阿難等によって得道する者があったのだから、今ここで説明して汝にわからせることが不可能とは一概にいえないのである。
 一体、衆生には二種の機根があって、一には仏に値い直接の教えを受けて法華経によって得道した者、二には仏には値わないけれども法華によって得道する者がこれである。その上、仏教以前の時代にあっては中国の道士やインドの外道たちが儒教や四韋陀というそれぞれの教えを縁にして正見に入った者があった。すなわち仏教以前には外道の教えであっても、それが縁となって法華の正見へ入ることができたのである。また爾前経を説いている四十余年のあいだには、利根の菩薩や凡夫は華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞いた縁によって、過去三千塵点劫のその昔釈迦仏によって法華経の下種を受けたことを悟った者がたくさんある。すなわち法華経迹門の説法を聞く前にすでに大通智勝仏の時の下種を受けた衆生が自分であるという過去世の因縁を思い起こすことができたのである。たとえば独覚の人は仏のいない世に生まれて、飛花落葉などを見ては無常観の極地を悟ることができるというようなものである。これらを教外の得道というのである。
 もし過去世に法華経の下種結縁がない者で現在権教小乗教に執着している者は、たとえ法華経に値い奉ることができても、小権の見を脱けきれないで、自分の見解をもって正義とするがゆえに、かえって法華経をあるいは小乗経と同じだといい、あるいは華厳や大日経と同じだといい、あるいは法華経はこれらの経に劣るものだなどといっている。このように主張する仏教学者は、儒教や外道の賢聖よりも劣る者である。ただし過去世に下種結縁がなくても権小に執着しない者は法華の正見に入り得道することができるのである。これらの論議はしばらくこれをおく。
 本題の十界互具を説明しよう。十界互具を立てることは石の中に火が燃え、木の中に花が咲くように信じ難いけれども、なにかの縁に値ってこれが事実となって現われれば、人々はこれを信ずるのである。人界に仏界を具していることは、水の中の火・火の中の水のようにもっとも甚だ信じがたいけれども、竜火は水から出で、竜水は火から生ずるといわれている。甚だ心得られないことではあるが、現証があれば人々はこれを信じないわけにはいかない。既に汝は人界に地獄から菩薩までの八界があることを信じたのであるから、どうして経文に説かれているとおり仏界があることを信じないのか。中国古代の堯王や舜王は万民に対して偏頗の心がなく平等に善政を行なったことは人界に具している仏界の一分の現われである。不軽菩薩は見る人をことごとく礼拝して「汝等に仏性がある」といっている。またインドの悉達太子は人界に生まれながら仏身を成就して釈迦牟尼仏となった。これらの現証をもって人界に仏界を具えていることを信ずべきである。

 

語釈

四依の菩薩
 四依には法の四依と人の四依があり、人の方をいう。依とは依止所の意である。仏の滅後、仏法を弘通し、衆生済度の中心人格となった人々の位を四段階に分け、初依、二依、三依、四依とする。この人の四依がかならず遵守しなければならないところの四種の法があり、これを法の四依という。いま小乗および別教、円教の菩薩の位に配立すれば次のごとくになる。
    小  乗          別 教      円 教
初依:三賢(煩悩性を具す人)……… 十住・十行・十回向 … 十信
二依:初果(須陀?の人)
 〃:二果(斯陀含の人)…………… 初地乃至六地 … 初住乃至六住
三依:三果(阿那含の人)…………… 七地乃至九地 … 七住乃至九住
四依:四果(阿羅漢の人)…………… 十地・等覚 …… 十住以上
 末法の四依とは、地涌の菩薩で、別しては日蓮大聖人、総じては折伏するものがすべて四依の菩薩である。

理即
 天台所立の六即位のもっとも低い位である。理即とは理性においてのみ仏と相即するの意。すなわち、理の上で論ずれば一切衆生にことごとく仏性があるゆえに理即の凡夫という。六即とは、理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即の六つの位をいう。

月氏
 中国、日本で用いられたインドの呼び名。紀元前三世紀後半まで、敦煌と祁連山脈の間にいた月氏という民族が、前二世紀に匈奴に追われて中央アジアに逃げ、やがてインドの一部をも領土とした。この地を経てインドから仏教が中国へ伝播されてきたので、中国では月氏をインドそのものとみていた。玄奘の大唐西域記巻二によれば、インドという名称は「無明の長夜を照らす月のような存在という義によって月氏という」とある。ただし玄奘自身は音写して「印度」と呼んでいる。

四韋陀
 四つのヴェーダ(Veda)。韋陀はヴェーダの音写。ヴェーダとは「知る」の名詞で知識を意味し、とくに聖なる知識を指すようになり、古代インドのバラモン教の四聖典を総称した。リグ・ヴェーダ(讃誦)、ヤジュル・ヴェーダ(祭祀)、サーマ・ヴェーダ(歌詠)、アタルヴァ・ヴェーダ(穣災)をいう。各ヴェーダの主要部分は、サンヒター(本集)と呼ばれ,狭義のヴェーダはこの部分をさす。付随文献のブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)を含めて広義のヴェーダと呼ぶ。成立年代は紀元前千五百年頃、また前千二百年頃、あるいは前一千年頃からと諸説あるが、以来、紀元前五百年頃にかけて編纂されたとするのは一致している。最古のリグ・ヴェーダから最新のアタルヴァ・ヴェーダまで、成立には約一千年から数世紀の開きがある。

大通久遠の下種
「大通」とは三千塵点劫の過去に大通智勝仏が出現した時をさす。三千塵点劫とは、三千大千世界(一人の仏の教えが及ぶ範囲とされる)の国土を粉々にすりつぶして塵とし、千の国土を過ぎるごとにその一塵を落としていって塵を下ろし尽くし、今度は一塵を下ろした国土も下ろさない国土も一緒にしてまた粉々にすりつぶして、その一塵を一劫とし、その膨大な数えきれない劫以上の無量無辺の長い時間をいう。この三千塵点劫の昔に仏がいて、その名を大通智勝仏といった。大相という時代に、好成国に転輪聖王の太子として生まれた。いちどは国王となり十六人の王子があったが、のち修行を積み仏となった。十六人の王子も出家した。大通智勝仏は、十六人の王子の願いによって二万劫過ぎてから妙法蓮華経を説いた。その時十六王子および少分の声聞は信受して法益を得たが、多分の衆生は疑いを起こして信じなかった。そこで後に十六王子が父王の説をくりかえして、法華経を説いた。これを「大通覆講」という。また、これによって、その時の衆生は、ようやく信解することができた。この時の第十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種、大通久遠の下種等という。

不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、「我れは深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と、必ず成仏できる≠ニの言葉(鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。

堯舜
 ともに中国古代の伝説上の帝王。堯は、姓は伊祁、名は放勲。堯は諡号。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏といい、唐堯ともいう。徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。史記では五帝の一人に数えられている。舜は、姓は虞、名は重華。舜は諡号。虞舜ともいう。30歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後、人心が舜に傾いたので位に就き、八元八トという十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。史記では五帝の一人に数えられている。舜は孝に徹した人で、頑愚な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めにしようとしたが果たさなかった。ついに父は盲目になったが、舜は最後まで孝養をつづけたという。堯典、報恩伝等にある。

 

 

講義

 六道を明かし三聖を明かして「但仏界計り現じ難し」との前文を受け、十界互具の経文は明らかであるが、われら凡夫の劣心に仏界を具するとは信ずることができない、もしその義を信じなければ必ず一闡堤となるであろうからどうか信じられるようにして欲しいと質問をおこして、しかして、これに対して人界に必ず仏界を具していることを懇切にお示しになっている。
 いうまでもなく、当御抄は、末法凡愚のわれわれが信ずべき御本尊を明らかにせられているのであるから、そのためには、われわれの生命の中に仏界を具していることをはっきりとしなければならぬために、いろいろとおおせられているのである。一大事因縁の経文はさきにも説いたように、仏が出現するその根本目的は衆生の仏知見を開発して、その仏知見を衆生に示し、その仏知見を悟らしめ、そして仏知見道に入らしめるためである。いかに仏に力ありとするも、衆生に仏知見がなかったならばどうしてこれを開くことができようか。われわれ衆生に仏界を具していることは明らかなことではあるが、問題は末法に至ってどうしてこの仏知見を開かしめるかにある。
 思うに在世の釈尊は法華経二十八品をもって衆生の仏知見を開き、像法の天台・伝教は摩訶止観をもって仏知見を開いたのであるが、末法に至っては法華経二十八品も摩訶止観も、理上のものであって事実としては役立たないのである。ここにおいて末法の民衆の仏知見を開いて、これらに最高唯一の幸福を得させんと念願せられた大聖人は、三大秘法の御本尊を図顕してわれらにお授けになったのである。このゆえにこの御本尊を信行しなくては、絶対に仏知見を開くことはできないのである。されば大聖人のおおせに、
「其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり」と。
 このおことばは一応は釈尊在世に通ずるのであるが、再往これを見ればその機とは末法の機を指すのである。末法の機においては、大聖人に会い奉って自行化他の題目を唱え奉った者、あるいは御本尊をいただいて題目を唱えた者は皆成仏したのである。またわれらのごとく大聖人に会い奉ることができなくとも、御本尊を信じてこれを行ずるものはまた成仏し得るのである。
 また大聖人は仏の出世以前の悟りを説いて「儒教、四韋陀等を以て正見に入る」とおおせられているが、これは真の悟りではない。有余涅槃といって声聞縁覚の悟りである。これに当たるものは、今日においてはキリスト教等がその中に入るであろう。また「利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり」とおおせられているのは正法像法のことであって、末法においてはこれらでは絶対に得道成仏はできない。末法においてはただ題目の五字のみが仏知見を開発するものであって、この御抄に例するものを考うればいまだ三大秘法の御本尊の流布しない朝鮮、中国、インドの国々において利根の菩薩凡夫があれば、ただ題目を唱えることによって久遠元初の下種を顕示することができることもある。
 また、たとえ末法下種の本尊たる三大秘法の大曼荼羅に会うといえども、他の邪宗に執着のある者はけっして仏知見を開いて幸福になることはできないのである。これについて日寛上人のおおせに「過去の下種結縁無しと雖も権小に執着せざれば今日始めて下種結縁して正法の行者と成るなり」と。
 また十界互具を立て人界に仏界ありと断ずることは石中の火・木中の花のごとく信ずることができないが、縁に会って出生すればこれを信ずるとおおせられているのは、仏教は全部証拠主義である。文証・理証・現証と三つの証拠を立てるが、その中でも現証をもっとも大切にする。御本尊を信ずれば幸福になり、仏知見を開発することができるという経文や理論があっても、事実幸福にならなかったら真実のものとはいえない。しかるにこの御本尊を信ずる者は百発百中、皆幸福になる証拠をつかみ得るのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0242:14〜0243:10 第11章 教主に約して問う

 

本文

 問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、又迹門爾前の意を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏なり、過去の因行を尋ね求れば或は能施太子或は儒童菩薩或は尸毘王或は薩?王子或は三祇・百劫或は動喩塵劫或は無量阿僧祇劫或は初発心時或は三千塵点等の間七万・五千・六千・七千等の仏を供養し劫を積み行満じて今の教主釈尊と成り給う、是くの如き因位の諸行は皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か、果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏四十余年の間四教の色身を示現し爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益し給う、所謂華蔵の時・十方台上の盧舎那・阿含経の三十四心・断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日・金剛頂等の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る或は小身大身と現じ或は盧舎那と見る或は身虚空に同じと見る四種の身乃至八十御入滅舎利を留めて正像末を利益し給う、本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う、本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一Hと大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猿猴を以て帝釈に比するに尚及ばず、其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己心の三千か、仏説為りと雖も之を信ず可からず。

 

現代語訳

 問う、教主釈尊は、(これより以下に説く所は、御本尊の妙用によって受持即観心の義を明かす、これこそ文底深秘の奥旨であるから堅固にこれを秘せよ)見思・塵沙・無明の三惑をすでに断じ尽くした仏様である。このように三惑を断じて娑婆世界の衆生を化導するうえに、また十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の一切衆生の主君である。そして釈尊の行かれる時は、大梵天王が左に、帝釈天が右にお伴し、四衆と天竜八部がその後に従い、金剛神は前を導き、八万法蔵といわれる一切経を演説して、一切衆生を得脱させるのである。このように荘厳・尊厳な仏様がどうしてわれら凡夫の己心に住しているといえようか。
 また法華経の迹門・爾前経等の意をもってこれを論ずるならば、教主釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道した仏である。過去世にどのような因行があるかと見れば、ある時は能施太子と生まれて布施を行じ、儒童菩薩と生まれては、髪を布き、燃燈仏に供養し、尸毘王と生まれては、鳩に代わって自分の肉を鷹に与え、薩?王子と生まれては、飢えた虎にわが身を施された。このような菩薩行を、蔵教では三大阿僧祇・百大劫の間行じたと説き、通教では動喩塵劫、別教では無量阿僧祇劫の間行じたと説き、円教では初発心の時より四十二位の菩薩行を行じてきたと説いている。以上のように四教を説いて後、法華経迹門化城喩品では、三千塵点劫にわたる修行を説いている。このような長時にわたり、七万・五千・六千・七千等の諸仏を供養し奉り、劫を積み、修行を満足して、インドに出現し悟りを開いて、今の教主釈尊と成り給うたのである。このような因位におけるもろもろの修行は、皆われらが己身に具えている菩薩界の功徳であるというのか。
 また爾前迹門における仏としての果位をもってこれを論ずれば、教主釈尊は、過去世における因行によってインドに出現し三十歳で成道した仏である。しかして成道の時より華厳・阿含・方等・般若と説き進め、四十余年の間、蔵・通・別・円の四教を説くごとにそれぞれ四種の仏身を示現し、爾前経・法華迹門・涅槃経等を演説して、一切衆生を利益し給うたのである。いわゆる華厳経を説法の時は、十方に化作した諸仏の中央蓮華台上に、盧舎那仏と現われ、阿含経の時には、三十四の智慧心をもって見思の惑を断じ尽くして成仏の姿を示し、方等の時には、来集した諸仏の中において説法し、般若の時には千仏とともに現じて説法し、大日経・金剛頂経の時には胎蔵界の七百余尊・金剛界の五百余尊の威儀を現じ、法華経迹門では、宝塔品第十一の時、三変土田して、凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四土の仏身を示現し、涅槃経の時には、一会の大衆があるいは丈六の仏と見、あるいは小身・大身と現われ、あるいは盧舎那報身の仏と見、あるいはその身が虚空と等しい法身仏と見た。すなわちこのように四種の身を現じたのである。乃至御年八十歳でご入滅あそばされた後までも、正法・像法・末法の三時にわたって一切衆生を利益し給うたのである。このような仏が凡夫の己身に住するとは考えられない。
 また法華経本門の内容からこれを疑うならば、教主釈尊は久遠五百塵点劫已前に成仏し、因位もまた五百塵点復倍上数の長遠である。それより已来娑婆世界はいうまでもなく、十方世界に分身の諸仏を遣わし、一代聖教を演説して、大地微塵のごとき無数の衆生を教化してきた。本門における所化の衆生を、迹門の所化に比べるならば、一Hと大海の水を比べるごとく、一塵と大山のごとき相違がある。本門の一菩薩を迹門の十方世界から来集した文殊・観音等の菩薩に相対するならば、猿と帝釈天を比較するよりさらに大きな相違がある。このように無量無辺の大菩薩たちを教化してきた大徳の釈迦仏がわれらの己心に住するとは、なおいっそう信じ難いことである。
 そのほかにまた十方世界にいて、惑を断じ果を証した二乗や、梵天・帝釈・日月・四天・四輪王等の天界や、また無間大城の大火炎等々、これらはみなわが一念の十界であるのか。わが己身の三千世間であるというのか。たとえ仏の説であるからといってもこれを信ずることはできないではないか。

 

語釈

四衆八部
 四衆とは比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。八部とは八部衆で、仏法を守護する八種類の諸天や鬼神。法華経譬喩品第三などにある。天竜八部ともいう。天(天界の神々)・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩?羅伽の八種。

金剛
 執金剛神のこと。賢劫千仏の法を護る二神で、寺門の左右に安置される。大日経には「是れ夜叉王なり、金剛杵を執りて常に仏に侍衛するが故に金剛手という」とある。

能施太子
 釈尊が過去世に檀波羅蜜を修めた時の名。大施太子ともいう。賢愚経巻八、大智度論巻十二にある。昔、波羅奈国に大施太子という人があって、衆生が生活に苦しみ、羊や狗(いぬ)などを殺生しているのを憐れみ、所持の宝を全部民衆に施し、なお竜宮にいたって、万宝を生ずる如意宝珠を得て衆生に万宝を施したという。

儒童菩薩
 釈尊が過去世に修行していた時の名。太子瑞応本起経(瑞応経)巻上によると、釈尊が、因位の修行のとき儒童菩薩として、五百の金銭で買い取った五茎の青蓮華を定光仏に奉り、自分の髪を解いて泥地に敷き、仏に通らせた。その功徳をもって、仏は儒童菩薩に、「汝は将来仏となり、釈迦牟尼仏という名で世界の燈明となるであろう」と授記した。

尸毘王
 釈尊が過去世に修行していた時の名。鷹に追われた鳩を救うため、自分の肉を切り取って鷹に与えたという。鳩も鷹も、それぞれ毘沙門天と帝釈天が尸毘王の求道心を試そうとして現した仮の姿であった。檀(布施)波羅蜜を説く仏教説話として、菩薩本生鬘論巻一、大荘厳論巻十二等にある。

薩?王子
 釈尊が過去世に修行していた時の名。摩訶羅陀王の第三子で摩訶薩?王子という。金光明経巻四によると、薩?王子が二人の兄と竹林で遊んでいた時、子を産んで飢え苦しんでいる虎を見つけた。二人の兄は去ったが、薩?王子は我が身を与えて虎を助けたという。

動喩塵劫
「動もすれば塵劫を喩ゆ」と読む。動踰塵劫とも書く。通教の菩薩の修行の期間が、塵劫を喩えていること。通教の菩薩は十地の第七・已弁地で三界見思の惑を断ずるが、断じ尽くすと三界に生ずることができないゆえに、誓って習気(煩悩の残習)をのこして三界に生じ衆生を化度し、第八地、第九地で修行に励み、塵劫を経て第十地の仏地で余残の習気を断じ尽くし、七宝樹下に天衣を座として成道する。この期間が動もすれば塵劫を喩えることをいう。

十方台上の盧舎那
 華厳の結経たる梵網経(梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十)に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に坐し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。

三十四心・断結成道の仏
 阿含経で三蔵教の菩薩が最後に成道する時、煩悩を断ずる過程である。三蔵教の菩薩は最後まで煩悩を持ち六道に生じて化導の功を積み、最後に煩悩を断尽するという。

四土色身
 法華経宝塔品で十方分身の諸仏が多宝如来の宝塔を供養するために娑婆世界へ来集するにあたり、釈尊が三度国土を清浄にする儀式が説かれている(三変土田)。すなわち、初めに白毫相を現じて娑婆世界を清浄ならしめ、さらに八方の二百万億那由他阿僧祇の国土を変じて清浄ならしめ、さらにまた八方の二百万億那由他阿僧祇の国土を変じて清浄ならしめた。これにしたがって、仏身もまた凡聖同居土では劣応身、方便土では勝応身、実報土では報身、寂光土では法身とそれぞれ姿を現じた。これを四土の色身というのである。

四種の身
 涅槃経の文で「丈六」は劣応身、「小身大身」は勝応身、「盧舎那」は報身、「身虚空に同じ」は法身を指す。

 

 

講義

 堅固にこれを秘せよとのおことばは「正像未弘の御本尊の妙能に寄せて、受持即観心を成ずるということを説いても、権小に執着する人はなかなかこれを信じられない。信じないだけでなく誹謗する。これは堕獄の罪を成ずるばかりでなく、大聖人出世の本懐を無にするの恐れがある、ゆえに強信の者でなければ説いてならぬ」とのおこころである。されば当抄の送状にいわく「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開?せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」と。
 また日寛上人当抄の講義にあたっていわく、
「享保第六太歳、猛夏中旬、総州細草の学校および当山所栖の学徒等四十数輩、異体同心に予に当抄を講ぜよと謂う、懇志一途にして信心無二なり、余謂く四十余輩一人にあらずや、あるいは三四並席の誡を脱れんか、このゆえに老病堪うべきなしといえどもついに固辞するあたわず粗文の起尽を分かち、略して義の綱要を示す、またこれを後代の君子に贈り苦に三仏の顔貌を拝せんことを帰するのみ」と。
 以上のように重大なる当抄の肝要を述べられるがゆえに、「堅固に之を秘せよ」とおおせられているのである。されば古義にこの義を種々の観点から説かれているのを一応次にあげることにする。
 一、天台の自解仏乗の一念三千は、余師未弘の深秘なるがゆえである。
 二、天台の一念三千に寄せて、当家の深意を尋ぬるゆえである。
 三、本門の難信難解に寄せて、観門の深旨を問うゆえである。
 四、迹化未弘の寿量の文を引いて、事の一念三千を判ずるゆえである。
 五、末法の凡夫の信心の一念に釈尊の因行果徳を具足する深義を顕わすゆえである。
 六、日寛上人は、「これより堅固に秘せよ」を説いていわく、この下まさに本尊の妙能によりて受持即観心を成ずるの義を明かす。これすなわち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達正観のゆえに「堅固に之を秘す」というのである。
 さて十界互具が真理として正しい以上、いままでの権小の宗教では自分以外に自分以上のものとして存在していた仏が、われらの己心に内在することになる。
 われらの生命に内在する仏は、総じていえば三惑已断の仏(親の徳)であり、十方世界のあらゆる者の主君であり(主の徳)、またあらゆる荘厳をつくして八万法蔵を演説する仏(師の徳)である。とすれば、実にりっぱな仏である。このような仏が、どうしてわれわれ凡夫の心に住しているかということが信じられない。信じられないけれども内在するのだということを、これから強く説かれるのである。さればその仏の因位と果位を爾前、迹門、本門の三重に分けて説き、ますます疑いを深めて結論を出そうとせられている。
 しかして本文において、その菩薩を称嘆して、「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一Hと大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず」とおおせられているのは、本門の所化とは地涌の菩薩をさしておられるからである。
 また、十界互具の道理よりして「是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か」とおおせられて、われら個々の生命に菩薩界を具していることを説かれている。また「其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か」とおおせられて、仏界、菩薩界以外に声聞・縁覚・天・地獄・修羅等の八界をも具しているのだと説かれるのである。十界互具の道理を信じない以上は、これを解することはなかなかむずかしいことであるので、これから章を追って文証・道理・現証をあげて説明せられているのである。そして結論として末法の観心・末法の本尊を明らかにして、末法の凡愚のわれわれを救済くださる御慈悲を示されるのである。
 また、梵天左に在り帝釈右に侍りのおことばについて日寛上人は次のようなご意見を述べられている。
 この文は止観の文であるが、おそらくは左右のとり違えで、梵天が右、帝釈が左となるべきであろう。そのゆえは、およそインドの風俗としては右尊左卑である。そのゆえは君・父・師は東面するので、右は南にあたり陽で尊、左は北にあたり陰で卑となる。ゆえに諸文に帝釈は左、梵天は右とあり、また舎利弗は右、目連は左等の文があり、これは仏が行く時、あるいは座する時に東面を正座とするから右尊左卑となるのである。次に聴法の時は、仏が東向きなら大衆は西向きとなり、仏が西向きなら大衆が東向きとなる。法華経宝塔品以後は仏が西向きで説法し、衆生は東面でこれを聞く。

釈迦仏法における「歴劫修行」

 本文は、受持即観心を説き起こす問いの文である。この文に、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違がきわめて明確に示されていることを知らなければならない。
 まず「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや」と、総じて教主を嘆じ、これほどまでに尊い教主釈尊が、なんでわれわれのごとき凡夫の己心に住することがあろうかと疑問をなげかけている。
 さらに疑問はつづく。すなわち、別して権迹本の仏に約して、その因位の万行と果位の万徳を嘆じ、このような権迹本の仏の因位の万行と果位の万徳がわれらの己心にあるとは考えられないと疑うのである。初めに爾前迹門の意でいえば、釈尊は、かつてあるときは能施太子として、または儒童菩薩、尸毘王、薩?王子等とさまざまな姿を現じて、あるいは三大阿僧祇、百大劫、動踰塵劫、無量阿僧祇劫あるいは初発心時、また三千塵点劫という長い間、何千何万という仏を供養したり、六波羅蜜の修行をして、仏となったとしているのである。また果位をもって論ずれば、四十余年の間、一切衆生を利益し、また、滅後の人々まで救っているのである。
 さらに、本門の意でいえば、釈尊は、五百塵点劫という昔から仏であり、それにいたるまで、その数に倍するほどの長い間修行しており、それ以来無数の衆生を利益してきたのである。このような仏は、われわれ凡人がとうてい到達できるものではない。まして、われわれの生命のなかに備わるということなど、ありえようはずがないではないかとの疑問がかかげられている。
 この疑問のなかに貫かれているものは、仏の境涯というものは、歴劫修行によって、ようやくたどりついた特別なものであり、凡人のとうていおよびもつかぬ理想境であるという思想である。
 当時の衆生は、釈尊を遠くの世界にみたことであろう。遠くの世界にいる仏に渇仰恋慕をなし、それに向かって、みずからも歴劫修行をはげみ、理想とする仏に近づこうとしたのであった。衆生の目に映じた仏は、三十二相八十種好をそなえた色相荘厳の仏であった。すなわち完成された仏であり、まさに理想人格そのものであった。これは釈迦仏法全般につうじていることであり、たとえ、法華経本門において、五百塵点劫を説き、久遠以来常住する仏を説き明かしても、やはり、その時仏になるまでに、それに倍するほど長きにわたって菩薩道を修したと説くのであるから、作られた仏であり、いまだ宇宙とともに常住する仏ではなく、迹中化他の虚仏にほかならない。
 このように、釈迦仏法は、完成された仏を中心とする教法であるから、本果妙の仏法といい、また仏果(果)とそれにいたる修行(因)とが遠く離れているから、因果異時と名づけるのである。
 このような、歴劫修行によって仏になるという考え方には、釈迦仏法の本質的な因果論が横たわっている。
 すなわち、釈尊は、次のように三世の因果を説いている。この世で多病である、また短命である人は、殺の報い、貧愚で失財の人は盗みの報い、眷属不良で婦が貞実でない人は、邪淫の報い、身に誹謗を受け人に誑惑されるのは妄語の報い、親類に離れ親友にも捨てられるのは両舌の報い、悪声を聞き訴訟をおこすのは悪口の報い、人に信じられず言語が不明瞭なのは綺語の報い、多欲で足ることを知らず、金がほしい物がほしいというのは貪の報い、人のためにすきをうかがわれ、あるいは殺されたりするのは瞋りの報い、邪見の家に生まれて心諂曲なのは愚癡の報いである等と。
 佐渡御書に般泥?経を引いていわく「我人を軽しめば還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得。人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず。正法の家をそしれば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ」(0960:03)と。
 そしてさらに、このような因果の理法は「是は常の因果の定れる法なり」とおおせられ、釈迦仏法で説くところの通途の因果であり、とうぜんのこととされているのである。
 これは低き因果であり、浅き因果である。しかし、いかに低いとはいえ、また浅いとはいえ、これらの因果の理法はまちがいではなく、厳然たる事実なのである。
 しかしながら、このような低い因果の説法をもって仏法の全体とするならば、運命は定まれるものとなり、ただ人生を悪いことをしないようにするていどの消極的な生活におちてしまうのである。
 所詮釈迦仏法においては、ずっと過去からの悪業が原因で今生に不幸な結果を生じたのであるから、その原因は、今世・来世と順次生に断ち切っていけば、遠い未来のいつか、その悪業をぜんぶ断ち切って幸福な結果を得ると説くのである。これ歴劫修行であり、遠きかなたに理想境をおくゆえんである。

日蓮大聖人の仏法における「受持即観心」

 これに対し、日蓮大聖人の仏法は、釈尊の五百塵点劫の成道をも打ち破って、さらにその本源を説き明かしている。すなわち、久遠元初の顕本であり、働かさず、つくろわず、もとのままの本有常住の生命観をうちたてられたのである。
 総勘文抄にいわく「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)と。
 この文において、釈迦如来とは、法華経本門文底の釈尊即久遠元初の自受用身如来であり、五百塵点劫の当初とは、久遠元初である。
「我が身は地水火風空」とは、我が身即全宇宙ということである。すなわち、生命は宇宙より先に生じたものでもなく、宇宙より後から発生したものでもなく、宇宙と同時に存在し、宇宙が流転してゆく限り、宇宙とともに無限に続きゆくものである。
 日蓮大聖人はさらにこの無始無終の生命が、実は瞬間のなかに含まれるのだと説かれたのである。瞬間は永遠をはらみ、永遠は瞬間の連続である。これを久遠即末法という。
 過去とか、現在とか、未来とかいっても、いったい、どのようにして区別するのであろうか。現在の一瞬は矢のごとく流れ、次の瞬間には過去となっており、また未来はたちまちのうちに現在に流れ込んでくる。その瞬間は、有りといえば無く、無しといえば有るという、いわゆる空という概念にあたる実在なのである。
 しかし、その瞬間にしか生命の実在はなく、永遠といえども瞬間の連続である。現在のこの瞬間こそ真実の存在であり生命の全体であり、これを仏法では中道法相という。また、われわれはこの瞬間に幸福を感じ、不幸を味わい、希望をもったり、失望したりする生活を送るのである。
 因果論でいえば、この一瞬の生命に因果を具しているのである。過去のあらゆる行業、あらゆる行動の集積が因となって、現在を規定し、現在に結果としてあらわれている。また現在の行動が因となり、未来に果を生むのである。現在の瞬間を離れて未来はない。否、未来は現在の瞬間の一念でどのようにも変えることができるのである。すなわち、一瞬の実相のうちに過去永遠の生命をはらみ、かつ未来永遠の生命をはらむ。これを「因果倶時不思議の一法」すなわち妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮大聖人の仏法はこの瞬間の生命をあますところなく説ききり、永遠の幸福確立の方途を示されたのであった。これこそ、末法の御本仏の所作であり、釈迦仏法と根本的に相違せるゆえんである。
 総勘文抄にいわく「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」(0562:08)と。過去、現在、未来は、一念の生命におさまるとの明文である。また御義口伝にいわく「所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」と。また百六箇抄にいわく「久遠一念元初の妙法」と。また本因妙抄にいわく「久遠一念の南無妙法蓮華」と。本因妙抄にいわく「因果一念の宗」と。
 これらの文によれば、久遠の生命も一念に収まることは明々白々たるものがある。
 日蓮大聖人は、かかる大生命哲学を根本として、受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生が、真実の幸福を会得する原理をうちたてられたのである。本抄にいわく「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と。釈尊とは、権・迹・本の釈尊である。また十方三世のあらゆる仏を代表して釈尊といわれたのである。あらゆる仏の因位の万行、果位の万徳は、ことごとく三大秘法の御本尊を信ずる一念のなかに具足するのである。これ因果倶時ではないか。
 したがって、釈迦仏法のように、過去遠々劫よりの悪因を、これから何度も生まれてきて消していくようなものではなく、たとえ過去に少しも福運を積んでいなくとも、御本尊を信ずる一念のなかにあらゆる因位の万行が含まれ、それだけの修行を積んできたと同じことになり、また、未来のあらゆる幸福境涯を現在の瞬間に開くのである。
 幸福というものは、なにか遠くにある特別な世界ではない。また、過去の因によって現在というものが、がんじがらめに身動きができないようにしばりつけられているものでもない。大事なのは過去でもない。また現在をはなれた未来でもない。この瞬間瞬間がいっさいである。しかして、御本尊を信ずる一念こそ、現在の瞬間を、真に幸福に生ききる源泉であり、絶対の幸福境に思うがままに遊戯することができる本源なのである。
 以上のことを結論すれば、歴劫修行を説く釈迦仏法は、因果異時であり、受持即観心を説く日蓮大聖人の仏法は、因果倶時の生命観に立脚しているのである。
 ゆえに、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違を克明に知るためには、さらに因果異時と因果倶時の問題を追究していかねばならない。今ここにそれを、われわれの生活に約して論じていこう。
 春に種をまくと秋に実がなる。一生懸命に勉強して試験に合格できた。薬を飲んで、その薬が全身にまわり、利き出すのに時間がかかる。これらは、原因と結果が同時ではなく、ある一定の間隔があるのである。したがって、これらの事象の因果を表面的に追っていけば、因果異時である。
 これに対し、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずるのは、瞬間の因果である。また、怒ると人相が変わるというのも瞬間の因果である。このように因果が同時であるのを因果倶時というのである。しかし、これらの例は、あくまでも因果倶時をわかりやすくするための類似の例であり、因果倶時そのものではないことを了承されたい。因果倶時は、仏法、なかんずく日蓮大聖人の生命哲学の奥底をなすものである。
 もしも、厳密にいえば、因果異時の例としてあげた春種をまいて秋実が成るということも、因果倶時の例としてあげた、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずることも、ともに因果異時である。因果異時とか因果倶時というものは、けっしてこれが因果異時で、これが因果倶時であるというような、因果の法則のたんなる分類ではない。正しくいえば、いっさいが因果異時であり、いっさいが因果倶時である。
 たとえば、春種をまいて秋実が実るということはたしかに因果異時にみえる。しかし春にまいた種のなかに秋に成る実が含まれていると考えた場合、それは因果倶時なのである。すなわち、ある事象にあらわれた姿について因果を究明していけば、因果異時であり、その事象の本質をみていけば因果倶時なのである。

平左衛門尉の例

 いま、それを七百年前、日蓮大聖人を迫害しつづけた平左衛門尉を例にとって考えてみよう。
 平左衛門尉頼綱は、大聖人を竜の口で頸を切ろうとした張本人であり、佐渡流罪を画策した張本人であり、また熱原の法難で神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の頸をはねた張本人である。頼綱は、当時の執権の家司と侍所の所司を兼ねていた。北条氏の政務は評定制であるが、最後の決定権は執権が握っていたので、執権の執事たる家司の政治上の権力は絶大なものがあった。のみならず侍所の所司として軍事、警察権をも握っていた。実質的には政府と軍部の大権を、みずからの手中におさめていたのである。しかも父祖三代にわたってこの任にあたったことをもって頼綱の権勢のいかに大きいかを知るべきである。このことは日蓮大聖人が十一通御書のなかの平左衛門尉頼綱への御状のなかで「貴殿(頼綱)は一天の屋梁為り万民の手足為り」(0171:03)と述べられていることからも推察できるのである。
 ところが、この頼綱は、晩年は悲惨であり、次男資宗(すけむね)を将軍の位に登らせようと計って長男宗綱に訴えられ、永仁元年四月、北条貞時によって父子ともに誅殺され、長子宗綱は佐渡に流罪された。大聖人滅後十二年目のことである。日寛上人はこれについて撰時抄文段に「今案じて云く、平左衛門入道果円は首を刎ねられてしまった。これすなわち蓮祖大聖人の御顔を打った故である。また最愛の次男である安房の守も首を刎ねられた。これすなわち安房の国の蓮祖大聖人の御頸を刎ねようとしたためである。嫡子宗綱は佐渡に流罪になった。これすなわち蓮祖大聖人を佐渡が島へお流ししたゆえである」と述べられている。
 ところで大聖人が建治三年六月にあらわされた下山御消息には「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に?たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(0363:01)と仰せられている。また熱原法難の真最中であった弘安二年十月の御書、聖人御難事には「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190:02)とおおせられている。
 すなわち、平左衛門尉頼綱が滅亡することが、はっきりとこれらの御書の上にあるのである。これらの御書があらわされたときには、頼綱は、まさに天をもつかん勢いであり、権勢をほしいままにし、栄耀栄華を誇っていた。しかしながら、その時すでに彼があのような悲惨な末路をとげることは、決定づけられていたといえるではないか。
 もしも、頼綱を表面的にあらわれた現実をみれば、そのときは華々しい、また万人からうらやましがられる立ち場である。しかしその頼綱の生命の奥底は、無間地獄の苦悩をはらんだ生命である。頼綱は大聖人滅後十二年にして滅亡したとみれば因果異時である。大聖人を迫害したときすでに頼綱の滅亡は決定していたととれば、因果倶時ではないか。
 このように日蓮大聖人の仏法は、あらわれた事実を表面的に因果づけるのではなく、事物の本質、生命の奥底を問題にし、また瞬間というものを、徹底して説ききわめられているのである。 
 心地観経にいわく「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と。それを表面的にみれば釈迦仏法の因果の説である。しかし、この文を大聖人の仏法の立ち場からみれば因果倶時をあらわしているといえるのである。すなわち、過去の因は現在の瞬間にあり、未来の果もまた現在の瞬間にあるのである。
 この平左衛門尉の例からも明らかなように信心を失えば、ただちに地獄なのである。だんだんと地獄に落ちるというのは、皮相的であり、あらわれた姿、形のみ注目するいきかたである。生命の究極を論ずれば、だんだんと地獄に落ちるのではない。たとえ、形はどうあろうとも生命の本質はすでに地獄である。

因果倶時について

 逆に御本尊を信ずる立ち場で、因果倶時を考えてみよう。二十年、三十年と、うまずたゆまず信心を貫いていけば、必ず幸福に満ち満ちた生活になる。どんなに落ちぶれた人でも、心に御本尊を信ずれば、将来かならず幸福になる。
 しかし、このように考えることは、まだ因果異時の立ち場である。御本尊をひとたび受持する者は、たとえ身はどんなに貧賎であろうと、その人の生命の本質は即座に仏界であり、いかなる大王よりも尊貴なのである。
 松野殿御消息にいわく「又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為れ第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば?尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候」(1378:06)と。されば、われら御本尊を護持したものは、世界一の幸福者であると確信して進んでいこうではないか。
 いまは、不幸な身であるが、二十年、三十年後は幸福な身になる、それは、あらわれた姿についていったにすぎない。いまが幸福なのだ。いま大福運を積んでいるのである。こうなれば幸福だ、ああすればよいのにと願うのは、人間の自然の心の発露である。しかし、こう願うだけでなすすべを知らず、また瞬間瞬間の行動がなんら幸福の方向に向かわず、悶々として楽しまざる日々を送っているとすれば、因果異時にとらわれたものであり、釈迦仏法の亜流と断ぜざるをえないのである。
 十字御書にいわく「今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(1492:08)と。御本尊を信じた人は、すでにありとあらゆる福運を積んでいるのである。現在の瞬間瞬間を幸福に生きることこそ大聖人の仏法に生きる態度なのである。だからといって因果異時が誤りなのではない。生命の本質、奥底は因果倶時である。しかしあらわれた現象、姿は、因果異時であることは当然である。直達正観とか、即身成仏というのは、因果倶時についていっているのであり、生命の奥底を問題にしているのである。だが、その証拠として、幸福な姿を五年、十年、二十年先に現じていくのである。したがって因果異時も因果倶時に摂せられるのである。
 仏法はきびしい。それは、表面的な因果の追求ではなく、奥底の一念を問題にしているからである。御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」と。三千万法も一念におさまる。一念がすべてを決定するのである。洋々たる未来を開くのも、悲惨な末路を遂げるのも、けっして現在の自分の地位や身分や立ち場ではなく、自己の一念が決定していくことを思えば、これでよいという現在に対する自己満足をうち破り、このかけがえのない瞬間瞬間を強くたくましく生ききろうではないか。
 四条金吾殿御返事にいわく「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや……所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり……苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(1143:01)と。
 これ、南無妙法蓮華経と唱えた、ただ今の生活が、ゆうゆうたる生活であり、幸福境涯であるとのおことばである。信心ほど強きものはない。信心の一念があれば、いっさいを動かせる。国土を安穏に、悲惨な世界を平和な世界に変えるのも、また三災七難をくいとめることも、信心によってなしうるのである。さらには、過去遠々劫の罪業をことごとく宿命転換し、偉大な未来を築きゆくのも、ことごとく信心しかないことを心に銘記すべきである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0243:11〜0244:06 第12章 教論に約して問う

 

本文

 此れを以て之を思うに爾前の諸経は実事なり実語なり、華厳経に云く「究竟して虚妄を離れ染無きこと虚空の如し」と仁王経に云く「源を窮め性を尽して妙智存せり」金剛般若経に云く「清浄の善のみ有り」馬鳴菩薩の起信論に云く「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」天親菩薩の唯識論に云く「謂く余の有漏と劣の無漏と種は金剛喩定が現在前する時極円明純浄の本識を引く彼の依に非ざるが故に皆永く棄捨す」等云云、爾前の経経と法華経と之を校量するに彼の経経は無数なり時説既に長し一仏二言彼に付く可し、馬鳴菩薩は付法蔵第十一にして仏記に之れ有り天親は千部の論師・四依の大士なり、天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず誰か之を信ぜん、其の上多を捨て小に付くとも法華経の文分明ならば少し恃怙有らんも法華経の文に何れの所にか十界互具・百界千如・一念三千の分明なる証文之れ有りや、随つて経文を開〓するに「断諸法中悪」等云云、天親菩薩の法華論・堅慧菩薩の宝性論に十界互具之れ無く漢土南北の諸大人師・日本七寺の末師の中にも此の義無し但天台一人の僻見なり伝教一人の謬伝なり、故に清涼国師の云く「天台の謬りなり」慧苑法師の云く「然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為し其の名謬濫するを以て」等云云、了洪が云く「天台独り未だ華厳の意を尽さず」等云云、得一が云く「咄いかな智公汝は是れ誰が弟子ぞ、三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」等云云、弘法大師の云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、夫れ一念三千の法門は一代の権実に名目を削り四依の諸論師其の義を載せず漢土日域の人師も之を用いず、如何が之を信ぜん。

 

現代語訳

 以上のように十界互具・一念三千は信じられないことから考えてみるのに、法華経は誤りであって、爾前の諸経が実事であり、仏の実語である。ゆえに華厳経にいわく「初住の悟りの相は究竟して煩悩の虚妄を離れ、染がなくて清らかなこと虚空の如し」と。仁王経にいわく「大覚涅槃にいたれば無明の本源を窮めつくし、無明の本性をことごとく尽くし除いて、妙智のみが存している」と。金剛般若経にいわく「悟りにいたれば清浄の善のみがあり」と。また仏滅後においても馬鳴菩薩の起信論にいわく「如来蔵の中には清浄の功徳のみがあり」と。天親菩薩の唯識論にいわく「煩悩障と所知障を棄捨してなおあますところの有漏と・劣れる無漏の種とは、菩薩の最高位たる第十法雲地に、金剛のごとき堅固な禅定が現前すれば、極円明純浄の本識に入ることができる。かの余の有漏・劣の無漏を種とするものでないから、本識を所依として煩悩生死を永く棄捨するのである」と。これらの経論には、仏の生命にはただ清浄の善のみがあって、十界互具がない。
 さて爾前の経々と法華経と比較してみるのに、爾前経は無数であり、法華はただ一経である。また説く期間も爾前経は四十余年にわたり、法華経はただ八年である。ゆえに爾前と法華の所説に相違があるならば、爾前につくべきである。また馬鳴菩薩は付法蔵の第十一で仏の予言にあり、天親菩薩は、千部の論師で四依の大菩薩である。どうして馬鳴・天親の説くところに誤りがあろうか。それに比較して天台大師は仏教発祥の中心たるインドからはるかに離れた辺鄙の中国に生まれた小僧であっていまだ一論をも述べていない。どうして天台を信ずることができようか。
 その上にまたあるいは大部の爾前経を捨てて、少ない法華経につくことがありうるとしても、法華経の文に十界互具がはっきり説かれているなら、少しはよりどころとなるけれども、法華経の中のどこに十界互具、百界千如、一念三千を説いた明らかな証文があるか。そのような文はないのである。したがって法華経を開いて見るのに、方便品では「諸法の中の悪を断じ給えり」と説いて、仏界の善には九界の悪が具わっていないことを明らかにしている。ゆえに天親菩薩の法華論にも、堅慧菩薩の宝性論にも、十界互具は説かれていない。さらに中国においても、天台以前の南三北七の十派におよぶ諸人師も、日本における七宗の末師の中にも、十界互具を述べたものがない。ただ天台一人の間違った見解であり、伝教一人の誤り伝えたものである。ゆえに清涼国師は「華厳経を下して法華経を尊重するのは天台の謬りである」と説き、慧苑法師は「天台が小乗教を三蔵教と名づけているが、三蔵は小乗教に限らず、大乗にも経・律・論があるから、天台の説く所は大小を謬乱している」と説き、了洪は「天台の判教などは相当なものであるが、しかし天台はいまだ華厳の深意を解しておらない」といい、得一は「咄いかな智公(天台)よ、汝はいったい誰の弟子か、三寸にも足りない舌根をもって面を覆うほどの舌を持つ仏が説法した教時を謗り、法相の説く真実の三時教判を誹謗し、自己流の五時八教を立てている」といい、日本の弘法大師は「中国の人師たちはみな諍って六波羅蜜経に説く第五陀羅尼蔵の醍醐味を盗んでおのおの自宗に取り入れている。天台が法華を醍醐味にたとえるのも、実はこのようにして盗み入れたに過ぎない」といっている。このように一念三千の法門は、釈尊一代の権教にも実教にも説かれていないし、釈尊滅後の四依の諸論師も、その義を載せていないし、中国・日本の人師もだれ一人これを用いておらない。どうしてこれを信ずることができようか。

 

語釈

馬鳴菩薩
 梵名アシュヴァゴーシャ(A?vagho?a)の訳。二〜三世紀ごろに活躍したインドの仏教思想家・詩人。付法蔵の第十一。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、付法蔵第十の富那奢に論破され、屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。中インド華氏城で民衆を教化していたとき、北インドの迦弐志加王が中インドを征服し、和議の結果、華氏王に報償金九億を求めた。そこで華氏王は、報償金の替わりに馬鳴と仏鉢と一つの慈心鶏をもって各三億にあて、迦弐志加王に納受された。こうして馬鳴は北インドに赴き、迦弐志加王の保護のもと、おおいに仏法を弘め民衆から尊敬された。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を嘶かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には、釈尊の一生を美文で綴った「仏所行讃」(ブッダチャリタ、Buddhacarita)五巻があり、「?稚梵讃」一巻、「大荘厳論」十五巻等も馬鳴に帰せられる。

起信論
 大乗起信論の略称。梁の真諦訳一巻と唐の実叉難陀訳二巻があるが、真諦訳が広く流布した。大乗への信心を起こさせることを目的として、すべての衆生に如来となる可能性がそなわっているとする如来蔵思想の立場から大乗仏教の教理と実践を要約した論書。冒頭に「馬鳴菩薩造」とあるが、馬鳴は二世紀頃の人であり、内容から竜樹や世親らの思想より後の五〜六世紀の成立と考えられる。サンスクリット原本はなく、中国撰述説もある。古来、大乗諸宗に広く読まれ、数多くの注釈書がある。

天親菩薩
 四〜五世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワル)出身の論師。梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)、音写して婆薮槃豆。旧訳で天親、新訳で世親という。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無著(アサンガ)に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執してきた非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後、舌をもって大乗を讃して罪を償うようにと諭され、大乗の論をつくり大乗教を宣揚し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させた。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」四巻、「唯識三十論頌」など多数あり、千部の論師といわれる。

唯識論
 本抄に引用の文は、天親(世親)の著書を玄奘が解釈した「成唯識論」の文である。すなわち天親の「唯識三十論頌」に対する十人の論師の解釈を、護法(ダルマパーラ)の説を中心に、玄奘が一書として漢訳したもの。十巻。唯識の論書として法相宗でよりどころとされた。

堅慧菩薩
 梵名サーラマティ(S?ramati)。摩竭陀国那蘭陀寺の学者。玄奘のいう那蘭陀の八大学者の一人。解説西域記によると、堅慧は中インドの刹帝利に出て仏教を修め、「大乗法界無差別論」一巻を著し、真如縁起を主張したとある。また賢首の無差別論疏を引いて、「究竟一乗宝性論」四巻も堅慧の作であることを認め、その時代を、五世紀より六世紀の前半にまたがって生存した大衆であると断じている。しかし堅慧については異説多く詳かではない。

宝性論
「究竟一乗宝性論」四巻のこと。著者は堅慧といわれるが、弥勒とする説もある。内容としては一切衆生に仏性があるとして二乗、一闡提も成仏することができると主張している。

清涼国師
 (0738〜0839)。澄観のこと。中国・唐代の僧。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経はじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を習うなど、多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺(清涼寺)で請われて華厳経を講じ、多くの書を著し、華厳宗の興隆に努めた。著作に「華厳経疏」六十巻、「華厳経随疏演義鈔」九十巻等多数ある。華厳経随疏演義鈔巻一には、「法華は余経を摂して華厳に帰す。是れ則ち法華亦華厳を指して根本と為す」と説いて、法華経をはじめとする一切経の帰すべき根本の教えが華厳経であるとしている。同巻十九では、華厳経の「心如工画師」の文を、天台大師の一念三千の法門が説かれてはじめて可能な性悪性善の法門を用いて解釈している。

慧苑法師
 華厳宗の僧。出家して、中国華厳宗第三祖の法蔵三蔵の弟子となり、華厳に精通した。法蔵が「新訳華厳経」を十九巻まで注解して死んだため、その後「続華厳経略疏刊定記」十五巻を著わした。また、華厳の音訳「新訳華厳経音義」二巻(「慧苑音義」といわれる)を書いた。しかし、法蔵が説き明かした五種の教(小乗教、大乗始教、大乗終教、頓教、円教)は、まったく天台大師の影響をうけたものであるとして、みずからは四教を立てた。そのため、異端者とされ、華厳宗の正統を継ぐものとはみなされず、法蔵三蔵の後は、澄観が継いで、中国華厳宗の第四祖となった。

了洪
 伝不詳で、あるいは奈良の華厳宗の僧ともいわれる。

得一
 生没年不明。徳一、徳溢とも書く。平安時代初期の法相宗の僧。藤原仲麻呂の子と伝える。出家して興福寺の修円について法相宗を学び、常陸(国筑波山に中禅寺を開いた。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師とのあいだにしばしば法論をたたかわした。著書に「仏性抄」一巻、「中辺義鏡」三巻、「中辺義鏡残」二十巻、「恵日羽足」三巻などがある。「三寸に足らざる舌根」等の文は「中辺義鏡残」にあるといわれている。

 

 

講義

 ここは、十界互具がありえないとして、爾前の経論を反論し一念三千を説く天台・伝教は誤りであると反駁している。このような反論を見ると、権経小乗経に執着する者の考え方がはっきりすると同時に、十界互具・一念三千の法門が一代仏教の真髄であり極理であることを、理解するのが、いかにむずかしいことかがわかる。小泉八雲氏が、高等仏教教理論(ハイヤーブディズム The Higher Buddhism)において「日本の大乗仏教を研究すると、あたかも迷路に入った感がある」と述べているが、これは権大乗経にとらわれてくると、実大乗教の理論がつかめないことを意味しているのである。現代の人々も、権小の宗教たる、念仏、真言、禅、法華経文上の天台等に執着すると、末法の本門の原理がどうしても理解できないのである。要するに、末法の本門の三大秘法の原理がわからなければ、経教を知ったとはいいえないのである。
 政治、経済、教育、文化、科学、道徳その他あらゆる活動が、ことごとく人類永遠の幸福を求めて進んでいる。しかし、これらの日常生活の根本は、みな宗教であり、しかも、その宗教は十界常住、一念三千をその極理とする宗教でなければならぬということを、一般世間が知らないのを遺憾とするのである。
 さればいかに十界互具・一念三千を知らない宗教を信仰し修行を積んだところで、十界互具、一念三千がわからないのだから、自己の生命の実体を知ることがとうていできない。生命の実体・本質がわからなければ、世間の諸現象の根源を見きわめることができないことになる。寿量品に「如来は如実に三界の相を知見す」とあるが、われわれは三界の相を如実に知見することができないから迷いの凡夫となり苦悩にあえぐ衆生となっているのである。さてしからばいかにして自具の十界、己心の三千を知るかとなれば、ただひたすらに十界互具の本門の御本尊を受持し奉って信行を励む以外にその道はないのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0244:07〜0244:17 第13章 教論の難を会す

 

本文

 答えて曰く此の難最も甚し最も甚し但し諸経と法華との相違は経文より事起つて分明なり未顕と已顕と証明と舌相と二乗の成不と始成と久成と等之を顕わす、諸論師の事、天台大師云く「天親竜樹・内鑒?然たり外には時の宜きに適い各権に拠る所あり、而るに人師偏に解し学者苟も執し遂に矢石を興し各一辺を保ちて大に聖道に乖けり」等云云、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑒?然なり然りと雖も時未だ至らざるが故に之を宣べざるか、人師に於ては天台已前は或は珠を含み或は一向に之を知らず已後の人師或は初に之を破して後に帰伏する人有り或は一向用いざる者も之れ有り但し断諸法中悪の経文を会す可きなり、彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く所謂「欲令衆生開仏知見」等云云、天台此の経文を承けて云く「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」云云、章安大師の云く「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無んば何ぞ示す所あらんや」等云云。

 

現代語訳

 答えていう、今述べたところの難問は最も甚だしい非難である。これに答うるにまず教論の難を説明しよう。ただし爾前の諸経と法華経との相違は経文に説き示された事実によって明らかである。爾前は未顕真実で法華は正直捨方便・但説無上道、法華には多宝如来・十方分身諸仏の証明と梵天にまでとどく舌相の証明があるのに、爾前の諸経にはこのような証明がない。阿弥陀仏の舌相も問題にならない。爾前では二乗が永久に不成仏であるが法華では一切皆が仏道を成ずる。爾前の諸経は釈尊がこの世で修行し成道したと説く始成正覚、法華は久遠実成を説き顕わしている。このように比較してみると、爾前は劣小の教であり、法華経こそ最勝真実の教であることが経文によって明らかではないか。
 次に諸論師が非難している点について説明しよう。天台大師いわく「天親や竜樹は一念三千の法門を心の中では知っていた。しかし外に対しては正法時代に適した法門を立て、権大乗教を弘めてそれぞれ権に拠る所があった。しかるにその後の人師は偏見に執着し、仏教学者も我見を立てて、ついに論争に論争を重ね衆生済度を忘れて闘争し合い、各宗各派は仏教のわずか一辺を保って我見を立て大いに釈尊の真意に背反してしまった」と。章安大師いわく「仏教の発祥地たるインドの大論師さえなお天台大師とは比較にならない。中国の仏教学者など、どうして一々に論ずる必要があろうか。これは誇って自慢して言っているのではない。天台の説く法門自体がこのように勝れているのである」と。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等の諸菩薩は、内心で一念三千を知っていたが、未だ正法時代で法華経流布の時でなかったからこれを弘通しなかったのである。その他、正法時代の人師および像法時代の人師たちは、天台以前の人々はあるいは一念三千の宝珠を内心に含み、あるいは一向にこれを知らなかった。天台以後の人師たちはあるいは初めに一念三千の法門を破りながら後に帰伏した者もあり、あるいは一向にこれを用いない者もあった。
 但し方便品の「諸法の中の悪を断じ給えり」の文を理由に論難している点をはっきりさせなければならない。この方便品の文は、法華経に爾前の教義を説いている文であるから、十界互具を否定しているようにみえる。しかし法華経の文を開いてよくこれを見るならば、分明に十界互具を説いている。いわゆる「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲す」とは、衆生に仏の知見が本来具足している旨を説いたことが明らかである。ゆえに天台はこの経文を釈していわく「もし衆生に仏の知見が無いならば、どうして開かしめることができようか、まさに仏の知見が衆生の本性に蘊り具わっていることを知るべきである」と。章安大師はさらにこれについて「衆生にもし仏の知見が無いならば、どうして仏知見を開いたり悟ったりすることができようか。もし貧乏の女に自分の蔵がないなら、何物も開いたり示したりすることができないではないか」と釈している。

 

語釈

矢石を興し
 中国の故事に虎と見間違えて石を射たというところから、矢と石と相容れざるに譬えたという。また、矢も石も昔の戦争の道具であるところから仏教の各宗派が諍論闘諍を事としたのを指すと考えられる。

天台已前は或は珠を含み
 天台以前に一念三千の珠を含んでいたのは、傅大士・慧文・南岳・羅什・道生のごとき人師で、法華経の真義を会得した上で権教を弘めていた。南三北七のごとく法華経に敵対しなかったのである。

 

 

講義

 前章において仏教上十界互具の論はあり得ないとして、三経(華厳経・仁王経・金剛般若経)二論(起信論・唯識論)を挙げて文証上の否定をなし、また人師論においてもこれを説いた人がいない、かつ法華経においてすら「諸法中の悪を断ず」との方便品の文を引いて、どこまでも十界互具は仏教上の理論ではないとする人々に対して、本章においては三経二論は、四義を挙げて弁駁しているのである。四義とは、
 一、未顕と已顕
 二、証明と舌相
 三、二乗の成不
 四、始成と久成
とである。
 また、前章において挙げられた論師人師の意見は依るべき文証もなく道理もないと論駁し、天台以前においても天親・竜樹・馬鳴・堅慧のこれ等の人々は、十界互具・一念三千を知っておったと説かれている。いうまでもなく、真に実大乗経を研究するならば一切宇宙はこれ南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経即宇宙生命であることを知るのは当然である。されば古代の仏教研究者が、これに到達したということは何らの疑いもないことであろう。
 次に法華経中に十界互具は説いていないとして「諸法中の悪を断ずる」の文を引いているが、この文は仏が法華経を説くに当たって法華経以前に四十二年間、阿含・方等・般若・華厳を説いた理由を説明する中の文で、爾前の仏の境涯をいったことばである。すなわち今まで仏は荘厳であるとして、衆生に声聞・縁覚・菩薩の三乗を説いてきた。しかしこれは方便であって、実際は一乗妙法を説くのが仏の出世の本懐であるという方便の教相において、その三乗を説かねばならなかった理由の一句である。それであるから本抄に「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く」とおおせられているのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0244:18〜0245:08 第14章 教主の難を会すにまず難信難解を示す

 

本文

 

 但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり、此の事を仏遮会して云く「已今当説最為難信難解」と次下の六難九易是なり、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し鉾に当るの難事なり」章安大師の云く「仏此れを将つて大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ仏滅後に至つて一千八百余年・三国に経歴して但三人のみ有つて始めて此の正法を覚知せり所謂月支の釈尊・真旦の智者大師・日域の伝教此の三人は内典の聖人なり、問うて曰く竜樹天親等は如何、答えて曰く此等の聖人は知つて之を言わざる仁なり、或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云わず或は機有つて時無きか或は機と時と共に之れ無きか、天台伝教已後は之を知る者多多なり二聖の智を用ゆるが故なり所謂三論の嘉祥・南三北七の百余人・華厳宗の法蔵・清涼等・法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等・真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等・律宗の道宣等初には反逆を存し後には一向に帰伏せしなり。

 

現代語訳

(経文と論師人師が十界互具・一念三千を明かしていることは以上のように明らかであるが、それ以上に)会釈し難い所は、さきほど権教・迹門・本門の教主釈尊がわれらの己心に住していること、また地獄界から菩薩界に至る九界がことごとくわれらの己心に具足していることを論難する点である。この十界互具の法門はただ法華経に限る法門であるから、仏はあらかじめ法華経の難信難解であることを次のように示している。
 すなわち法師品には「四十余年の爾前経を已に説き、無量義経を今説き、また将来に説く涅槃経の中にあって、この法華経は最も難信難解である」と。しかして次の宝塔品に諸経は易信易解・法華経は難信難解と六難九易のたとえをもって示しているのがこれである。また像法時代の正師たる天台大師も法華文句に「法華経の迹門に二乗作仏・十界互具を説き、本門に久遠実成を説くが、その二門ともことごとく昔に説いた爾前経と相反するから信じ難く解し難いのであって、戦場で鉾に当たるの難事である」と。天台の弟子章安大師は「仏はこの法華経をもって出世の本懐となす大事を説かれているのであるから、どうして解し易いことがあろうか」と。日本の伝教大師いわく「この法華経はもっとも難信難解である。なぜなら仏の悟りをそのままに説く随自意の教えであるから」と。すなわち十界互具こそ仏の本懐であり随自意であるから難信難解であるのはとうぜんである。
 一体、釈尊滅後一千八百余年の長い期間に、インド・中国・日本の三国にわたってわずかに三人の人が初めてこの正法を覚知したのにすぎない。それはインドの釈尊と中国の天台智者大師と日本の伝教大師の三人である。この三人は実に内典の聖人というべきである。
 問う、竜樹・天親などはどうであるか。答う、これらの聖人は心の中に知っていたが言わなかった人たちである。あるいは迹門の一部分の教義を述べて本門と観心については一向に説き示すことがなかった。この時代には一念三千を聞く衆生の機根はあっても説くべき時代ではなかったのか、あるいは機も時もともになかったのであろう。しかるに天台伝教以後は一念三千を知った者がたくさんあり、みな二聖すなわち天台大師・伝教大師の智慧によって開拓されたものである。なかでも初めには天台に反対していたが、のちしだいに天台の法門に屈し、一向に帰伏するようになったものが多い。すなわち三論の嘉祥、南三北七の百余人の僧、華厳宗の法蔵・清涼等、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、律宗の道宣等の人々は、それぞれの宗派では開祖や大学者と尊ばれていてもことごとく天台に帰伏した人たちである。

 

語釈

遮会
 遮はさえぎる、会は会通するの意。会通とは和会疏通の意。和会、融会、会釈ともいう。経論の異義異説を和会し、一意に帰させること。和会は経論の説を照らし合わせること、疏通は筋道が通ることをいう。ここで十界互具は難信難解であるから、そのような疑問をもつのは当然のことであると、容易にわかろうとするのをさえぎり、会通しているわけである。

六難九易
 法華経見宝塔品に、法華経を持つことのむずかしさが示されている。およそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだ易しいと説いたうえで釈尊は、滅後の法華経の弘通を促している。「九易」とは、@余経説法易(法華経以外の無数の経を説く)A須弥擲置易(須弥山をとって他方の無数の仏土に擲(な)げ置く)B世界足擲易(足の指で大千世界を動かして遠くの他国に擲げる)C有頂説法易(有頂天に立って無量の余経を説法する)D把空遊行易(手に虚空・大空を把って遊行する)E足地昇天易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る)F大火不焼易(枯草を負って大火に入っても焼けない)G広説得通易(八万四千の法門を演説して聴者に六神通を得させる)H大衆羅漢易(無量の衆生に阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせる)。「六難」とは、@広説此経難(悪世のなかで法華経を説く)A書持此経難(法華経を書き人に書かせる)B暫読此経難(悪世のなかで、暫くの間でも法華経を読む)C少説此経難(一人のためにも法華経を説く)D聴受此経難(法華経を聴受してその義趣を質問する)E受持此経難(法華経をよく受持する)。

鉾に当るの難事なり
 戦場の最前線で大勢の兵士が鉾を突き出してすき間なく並べ構えている槍衾に向かって突進して当たるほどの、容易ならぬ難事である。

三論の嘉祥
 嘉祥(0549〜0623)は中国・南北朝から唐代にかけての僧。三論教学の大成者。名は吉蔵といい、祖父または父が安息(パルチア)人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵(南京)の人。幼時、父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し、三論(中論・百論・十二門論)を学ぶ。隋代の初め、開皇年中に嘉祥寺で八年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わし、三論宗を立て般若最第一の義を立てた。その後、晋王広(後の煬帝)に招かれて揚州(江蘇省)の慧日道場に移り、諸経論の講義を行なった。また天台大師智とも交友があった。著作に「三論玄義」一巻、「中観論疏」十巻、「大乗玄論」五巻、「法華玄論」十巻、「法華遊意」一巻など数多くある。法華遊意では「二乗作仏を明かすことについては般若経よりも法華経が勝れているが、もし菩薩のために実恵と方便の二恵を明かす点では、般若経が勝れ法華経が劣る」として、般若経の智慧を最勝としている。
 嘉祥が天台に帰伏した意は、開目抄に「三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時・会二破二と定れども天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり」とある。

華厳宗の法蔵・清涼等
 法蔵(0643〜0712)は華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の教判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
 法蔵が天台に帰伏した意は、撰時抄に「華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く『思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り』等云云」とある。
 清涼は中国華厳宗の第四祖。名は澄観といい、五台山清涼寺に住んだことから清涼国師と呼ばれた。浙江省越州山陰の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、南山律、三論等を学び、蘇州妙楽大師から天台の止観等を習うなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺(清涼寺)で請われて華厳経を講じた。多くの書を著し、華厳宗の興隆に努めた。華厳経随疏演義鈔巻十九では、華厳経の「心如工画師」の文を天台大師の一念三千の法門が説かれてはじめて可能な性悪性善の法門を用いて解釈している。著作には「華厳経疏」六十巻、「華厳経随疏演義鈔」九十巻等と著述が多い。
 清涼が天台に帰伏した意は、開目抄下に「華厳の澄観は華厳の疏を造て華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや」とある。

法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等
 玄奘(0602〜0664)は中国・唐代の僧。中国法相宗の初祖と立てられる。洛州?氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は?。13歳で出家。律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ七十五部千三百三十五巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて十六年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
 慈恩(0632〜0682)は中国・唐代の僧で、法相宗第二祖。事実上の開祖である。名は基といい、窺基と通称され、長安の大慈恩寺に住んだので慈恩大師と称される。長安に生まれる。姓は尉遅氏、字は洪道。17歳のとき玄奘三蔵がインドから帰ると、その弟子として出家。大慈恩寺に入りもっぱら玄奘に師事し、梵語を習い、ついで大小の経の翻訳に従事した。著書に「成唯識論述記」「成唯識論掌中枢要」等多数がある。
 玄奘、慈恩が天台に帰伏した意は、開目抄上に「玄奘三蔵・慈恩大師・委細に天台の御釈を見ける程に自宗の邪見ひるがへるかのゆへに自宗をば・すてねども其の心天台に帰伏すと見へたり」、同下に「法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり」とある。

真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等
 各々インド出身の人で、唐代に中国へ渡り、真言宗をひろめた。この三人が、天台に帰伏した意は、開目抄下に「善無畏三蔵の閻魔の責にあづからせ給しは此の邪見による後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそ・このせめをば脱させ給いしか、其の後善無畏・不空等・法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし胎蔵の大日経・金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせし・これなり」とある。また撰時抄には「真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く『不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや』等云云、此の物語は含光が妙楽大師にかたり給しなり」とある。

律宗の道宣
 道宣(0596〜0667)は中国・唐代の僧。南山律師ともいう。律に詳しく、終南山(長安の南方)の豊徳寺に長く住んでいたので、彼の学派を南山律宗、四分律宗とも呼ぶ。著書は広範にわたり、「四分律行事抄」などの律の研究書のほか、「大唐内典録」「続高僧伝」などがある。日本に授戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子にあたる。玄奘の訳経を援助し堅く戒を持ち随一の大学者といわれた。
 道宣が天台に帰伏した意は、撰時抄に「修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く『法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す』云云」とある。

 

 

講義

 仏法の極理は難信難解である。世人――特に知識人といわれる人たちは、自分でわからなければ信じようとしない。しかし仏教は一般世人の常識や凡智には、とうていおよぶことのできない広大深遠の大哲理であり、ただ信じてこそ始めてその門に入ることができるのである。ゆえに仏は「難信難解」であると断わっているのである。しかし、またここにも重々の難信難解があり、内外相対する時は外道は易で小乗教は難、大小相対する時は小乗教は易で大乗教は難、権迹相対する時は権教は易で迹門は難、本迹相対する時は迹門は易で本門は難、種脱相対する時は文上脱益本門は易信易解、ただひとり文底下種法門のみが真実の難信難解である。

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0245:09〜0246:09 第15章 所受の本尊の徳用を明かす

 

本文

 但し初の大難を遮せば無量義経に云く「譬えば国王と夫人と新たに王子を生ぜん若は一日若は二日若は七日に至り若は一月若は二月若は七月に至り若は一歳若は二歳若は七歳に至り復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ諸の大王の子以て伴侶と為らん、王及び夫人の愛心偏に重くして常に与共に語らん所以は何ん稚小なるを以ての故にと云うが如く、善男子是の持経者も亦復是くの如し、諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず若し菩薩是の経を聞くことを得て若しは一句若しは一偈若しは一転若しは二転若しは十若しは百若しは千若しは万若しは億万恒河沙・無量無数転せば復真理の極を体すること能わずと雖も、乃至已に一切の四衆八部に宗仰せられ諸の大菩薩を以て眷属と為し乃至常に諸仏に護念せられ慈愛偏に覆われん新学なるを以ての故なり」等云云、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目なり乃至三世の諸の如来を出生する種なり乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得・仏の三種の身は方等従り生ず是れ大法印にして涅槃海に印す此くの如き海中能く三種の仏の清浄身を生ず此の三種の身は人天の福田なり」等云云。
  夫れ以れば・釈迦如来の一代・顕密・大小の二教・華厳・真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉・毘盧遮那仏・大集雲集の諸仏如来・般若染浄の千仏示現・大日金剛頂等の千二百尊・但其の近因近果を演説して其の遠因果を顕さず、速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、華厳経・大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日・天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。

 

現代語訳

 さて十界互具を論難した先の大難を遮するならば、
 無量義経にいわく「たとえば国王と夫人との間にひとりの王子が生まれたとする。この王子がもしくは一日・二日もしくは七日と日が立ち、もしくは一月・二月・七月にいたり、もしくは一歳・二歳もしくは七歳にいたり、いまだ一国の政治をとることはできないにしても、すでに臣民に尊敬され、国内のもろもろの大王の子をもって伴侶とするようになるであろう。王および夫人の愛心はひとえに重く常にこの王子のことについて語り合うであろう。なぜかというにこの王子は稚少であるから、すなわち稚少の王子がこのように尊敬され将来を期待されるのも、国王の威徳が強盛であるがゆえである。善男子よ、この経(御本尊)を信じ持つ者もまたこの通りである。諸仏の国王とこの経の夫人と和合して(人法一箇の御本尊が建立されて)この菩薩の子を生じた(御本尊を信仰して地涌の菩薩となった)。この菩薩はこの経を聞くことができて(御本尊を信じ奉って題目を唱え)もしくは一句・一偈(南無妙法蓮華経)もしくは一転・二転・十転・百転・千転・万転・億万恒河沙・無量無数転(唱題)するならば、未だ真理の極地を身に体することはできないにしても、すでに一切の四部衆・八部衆に崇び仰がれ諸の大菩薩をもって眷属となし、乃至常に諸仏に護念され、ひとえに慈愛をもって覆われるであろう。これは新学のゆえである(御本尊の功徳の賜物である)」
 普賢経にいわく「この大乗経典(妙法蓮華経)は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。乃至汝はただひたすらこの妙法蓮華経を受持し信行を励んで仏種を断じてはならない」と。またいわく「この方等経(妙法蓮華経)は諸仏の眼である。諸仏はこの妙法蓮華経を信心修行した因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼を具することができて、すなわち諸仏の智慧は完成したのである。また仏の法報応の三身は妙法蓮華経より生ずるのであり、この妙法蓮華経は大法印であり涅槃海に印すというべきである。このように海の広大無辺の中に法報応の三種の仏の清浄身を生ずるが、この三種の身は人天の福田であって一切衆生の大利益を得る所である」と。
 さてよく考えてみるのに、釈迦如来一代五十年の説法の中で、顕教と密教・大乗教と小乗教があり、華厳宗・真言宗等の諸宗の依経をいちいち勘(かんが)えてみるのに、あるいは十方蓮華台上の毘盧遮那仏と華厳経に説き、大集教には諸仏如来が雲集したと説き、般若経には染浄の千仏が示現したと説き、大日金剛頂等の経に説かれた千二百余尊等々の爾前経の説法はただその近因近果を演説しているのであって、未だ久遠の本因本果を説き顕わしていない。中には速疾頓成を説いて眼前に悟りを得るように説いていることはあっても、三千塵点劫・五百塵点劫の久遠より教化してきたことを顕わしていないから、現世に偶然に師弟の縁を結んだ偶然の悟りに過ぎない。いつの時代に下種し、どのように熟益してきたのか化導の始終がまったく顕われていないから、現世の得脱はまったく有名無実である。華厳経・大日経等は特に勝れた経であると世間の学者はいっているが、一往これを見ると別円四蔵等に似て成仏のできる教えのようであっても、再往これを勘えるならば、蔵通二教に同じであって三界六道を対象として説いた劣小の法門であり、いまだ別教・円教には遠くおよばないのである。一切の諸法にことごとく具足している本有の三因仏性が説かれていないからどうして成仏の種子を決定することができようか。それにもかかわらず、玄奘以後の新訳の翻訳者たちは中国へ仏教典を持ってきて翻訳する時に、天台の一念三千の法門を見聞してあるいは自分の持ってきた経文に盗み入れ、あるいはインドの経文の原本に一念三千の法門があるのを持ってきたと主張した。天台の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説くのを喜び、あるいは遠いインドを尊んで中国に出現した天台の法門を蔑み、あるいは旧く天台の説いた法門を捨てて新興宗教の教義を取り、実にこのような魔心・愚心が出来した。しかしながら結局のところ一念三千の仏種でなければ有情の成仏も木像・画像の本尊もまったく無益であり有名無実である。

 

語釈

無量義経
 法華三部経の一。一巻。中国・蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。0481年成立。内容は「無量義とは、一法従り生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。また、「善男子よ。我れは先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説す可からず。所以は何ん、諸の衆生の性欲は、不同なることを知れり。性欲は不同なれば、種種に法を説きき。種種に法を説くことは、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生は得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と述べ、これまでに説いた経教は、まだ真実を明かさない方便の教えであると説いた。法華経序品第一には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。

新学
 新発意ともいう。新たに菩提心を起こすことをいう。新発意の菩薩とよくいう。始行であって、まだ不退位を得ていない菩薩のことである。だがここでは、ひとたび法華経(御本尊)を持つや、三世十方の諸仏からまもられることをいう。

普賢経
 観普賢菩薩行法経の略。一巻。中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多訳。四四一年成立。観普賢経ともいう。普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。

大法印
 印は偽りない証として世間で用いているもの。法印とは印のように誤りのない仏法という意で用いる。すなわち大法印とは真実絶対の仏法の意。

十方台葉・毘盧遮那仏
 華厳の結経たる梵網経に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に坐し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。華厳では、盧舎那は毘盧遮那の略名であるとして、天台宗で毘盧遮那は法身・盧遮那は報身であると説くのに反対している。第十一章の語訳「十方台上の盧舎那」に既出。

別円四蔵
 別は別教、円は円教である。四蔵とは、玄義に声聞蔵、雑蔵、菩薩蔵、仏蔵と説き、上から次第に蔵、通、別、円に配している。大学三郎殿御書には「大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品之を見聞するに、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗の四乗之を説く。其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり。仏乗は実大乗なり。法華経に及ばざるの上、華厳・般若にも劣り、但だ阿含と方等との二経なり。大日経の極理は未だ天台の別教通教の極理にも及ばざるなり」とある。

 

 

講義

 観心を明かすにあたり、種々の問いと疑いを設けてここまできたので、正しく観心を明かすべき本章になぜ御本尊の徳用を明かすために開結二経の文を借用したかというに、およそ末法今日の観心は自力の観心ではない。ここに天台と日蓮大聖人の仏法の相違がある。天台は観念観法によって自力で己心の十法界を見んとしたのに対し、末法においては本尊の徳用によって観心の義を成ずるのである。ゆえに本尊の徳用が不明であれば、観心も成り立たないから、開結の二文によって本尊にいかなる力があるかをまず説かれるのである。
 この本尊の力は能生の徳がなければならぬ。されば能生の徳のある本尊を信じてこそよく仏界を成ずるのである。ゆえに無量義経の第四の功徳の結文に「これを名づけてこの経の第四の功徳不思議の力となす」と。この不思議な力こそ本尊の徳用であり能生の徳である。さればさきに論難されて今これに答えている要は、われわれの劣心に仏界があり得ようはずがない、権迹本の仏を見てもいずれもりっぱな仏である、どうしてわれわれの己心にあり得ようかという疑問に対する答えとして、よく仏界を生む(能生)本尊によればかならず仏界が成ずるのであると説くために、無量義経の文を引かれたのである。
「諸仏の国王」とは能生の智であり「是の経の夫人」とは所生の境である。和合してとは境智が冥合することである。
 さてここに境智が冥合すればかならず種子能生の徳を含むのである。その種子とは仏になる種であって、経に「菩薩の子を生む」というところに当たるのである。
「菩薩是の経を聞くことを得て」とはその種子能生の徳ある本尊を信ずることである。ゆえに仏界を己心に開き、しかして示し、悟り、入らしめるためには能生の種子たる本尊を信じ行じなければならない。
 さて末法において種子能生の本尊とはいかなるものかというに、文底深秘の本地難思の妙法であるが、これは第十九章において詳らかにする。この章においては本尊の相を説かないで、ただ観心はどうして成ずるかということを説かれているのである。
 秋元御書にいわく
「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:05)と。
 この御書は三世十方の仏も種子能生の徳ある妙法蓮華経の五字を信じて仏になり給うたという御意である。されば末法においては、ただ仏になる種たる本尊を信ずることによって観心が成り立つのである。
 また普賢経に「大乗経典」とあるのは、久遠元初の種子能生の妙法蓮華経を指しているのであって、諸仏の宝蔵とは主の徳であり、十方三世の諸仏の眼目とは師の徳である。三世の諸の如来を出生する種なりとは親の徳である。
 すなわち大乗教典を久遠元初の種子能生の妙法なりと断じた意は、この大乗経典に主師親の三徳を具えているからである。大乗経典と名づけられる文上の経典はいくらもあるであろうが、末法今日において主師親の三徳を具えた大乗経典は、久遠元初の種子能生の妙法以外にないのである。
 また結文たる「汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」とは、われわれの劣心に仏界を成ずべき種を断じてはならぬとの意で、よくよく味わうべきである。
 また次の引文の「方等経」とは前説通り久遠元初の妙法を指し、「是れ諸仏の眼なり」とは師の徳であり、「諸仏是に因って」とは能生の義であり、「五眼を具す」とは所生の義である。すなわち諸仏は方等経典(能生)を信じ行じて(観心)仏となった(所生)のである。されば在世末法を問わず、種子能生の本尊を信じ行じてこそ観心を成ずるのである。「仏の三種の身は方等従り生ず」とは父母能生の徳であり、「これ大法印」とは主の徳である。ゆえに方等経典は主師親の三尊を「能生」する種子であるということがわかる。ただ方等経典といっても前説のごとく釈迦仏法において名づけられたものでなく、方等経典ということばの形式であって、末法においてその実体をさがすならば、いうまでもなく本抄に説かれる日蓮大聖人御図顕の御本尊である。この御本尊を、日蓮大聖人は一念三千の仏種なりとおおせられ、日寛上人は大聖人の極説中の極説なりとおおせられているのである。
 重ねて説くが、われらの己心に荘厳なる仏界があり得ないという論難に対し、十界互具一念三千の妙法こそ、われらの生命の中に冥伏する仏界を活動させる種子であるということをまず開悟しなければならぬ。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0246:10〜0247:08 第16章 受持即観心を明かす

 

本文

 問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。
 答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、例せば大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属・武内の大臣は神功皇后の棟梁・仁徳王子の臣下なるが如し、上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云。

 

 

現代語訳

 問う、先に人界所具の十界を論難したが、いまだその会通を聞かないがどうしたか。
 答う、無量義経にいわく「いまだ六波羅蜜の修行をしていなくてもこの経を信じ受持する功徳によって六波羅蜜は自然に具わってくる」と。法華経方便品にいわく「十界互具の具足の道を聞かんと欲す」と。涅槃経にいわく「薩とは具足のことである」と。竜樹菩薩いわく「薩とは六である」と。無依無得大乗四論玄義記にいわく「沙とは六と訳す、インドでは六をもって具足の義となすのである」と。吉蔵の法華経疏にいわく「沙とは翻訳して具足となす」と。天台大師いわく「沙とは梵語であり中国語に訳すれば妙という義である」と。
 右のように薩・沙・具足・妙といずれも異なることなく、妙法華経の一法に十界三千の諸法を具足して闕減がない。私に会通を加えるならばかえって引用した文の意をけがすことを恐れるのであるが、その文意を簡単にいうならば、先に論難したところの権教・迹門・本門の釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。われらがこの五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給うのである。
 法華経信解品に四大声聞が領解して「無上の宝聚を求めずして自ら得たり」と述べているが、われらの己心の声聞界が妙法蓮華経を受持し奉り、無上の大功徳に歓喜している姿がすなわちこれである。
 方便品には仏が「法華経を説いて一切衆生に即身成仏の大直道を与え、仏と衆生と等しくして異なることがなくなった。仏がその昔に誓願した一切衆生を度脱せんとの誓いが、今はすでに満足し、一切衆生をして皆仏道に入らしめることができた」と説かれている。
 妙覚の釈尊はわれらの血肉で因果の功徳は骨髄である。すなわち師も久遠元初の自受用身、弟子もまた久遠元初の自受用身と顕われ、自受用身に約して師弟が不二となること明らかである。
 宝塔品にいわく「それよくこの経法を護ること有らん者は、釈迦仏および多宝仏を供養する者であり乃至また、もろもろの来り給える分身の化仏が諸の世界を荘厳し光飾している者を供養することになるのである」と。このように無作の報身たる釈尊・無作の法身たる多宝・無作の応身たる分身、すなわち無作三身如来は妙法五字を受持するわれらの仏界であり、無作三身の跡を継紹して無作三身の功徳を受得するのである。同じく宝塔品に「刹那でもこれを聞く者は即阿耨多羅三藐三菩提を究竟して、凡身そのままで名字妙覚の悟りに入ることができる」というのはこれである。
 寿量品にいわく「しかるに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫である」と。われらが己心の仏界たる釈尊は久遠元初に所顕の三身にして無始無終の古仏である。同じく寿量品にいわく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今なお未だ尽きることなく、また上に説いた五百塵点劫に倍するのである」と。これすなわち、われらが己心の菩薩等の九界である。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属であり、たとえば大公は周の武王の臣下、周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣下であり、また仁徳王子にも忠義の臣下であったようなものである。上行・無辺行・浄行・安立行等、地涌の大菩薩の上首唱導の師たちは、皆ことごとく、われらが己心の菩薩である。このように君主ある仏界も久遠元初、臣下たる九界も久遠元初に約すれば、ことごとく君臣が合体することが明らかである。
 妙楽大師いわく「当に知るべし、身土は一念の三千である。ゆえに成道の時にはこの本理に称うて一身一念が法界に遍するのである」と。すなわち自受用身の身土は、信ずるわれら衆生の一念に即三千と顕われる。ゆえに成仏の時にはこの本地難思境智の妙法に称って、われらの一身もわれらの信ずる一念もともに法界に遍満するのである。

 

語釈

会通
 和会疏通の意。和会、融会、会釈ともいう。経論の異義異説を和会し、一意に帰させること。和会は経論の説を照らし合わせること、疏通は筋道が通ることをいう。

無依無得大乗四論玄義記
 中国・唐代の慧均僧正の著。十巻。各論目について、毘曇、成実、地論、摂論の各宗派の主張をあげて、いちいちこれを有所得見と論破して、三論派の学無所得中道義を顕揚している。無依無得大乗とは般若の無所依不可得畢竟空の義、四論とは竜樹の大論・大智度論・十二門論と提婆の百論である。ともに一切空の義を論じているものである。

大公
 太公望のこと。周代の斉の始祖。姓は姜、氏は呂、名は尚。渭水で釣りをしていて周の西伯(後の文王)に会い、請われてその師となる。文王の祖父太公が周に必要な人材として待ち望んでいた人という意味で、のちに太公望と称された。文王の死後、武王(文王の子)を助け、殷の紂王を滅ぼして斉の主となった。

周公旦
 中国・周代の賢者。姓は姫氏、名は旦。文王(西伯)の子。文王の死後、兄の武王を助けて殷の紂王を滅ぼし、武王没後は幼い成王を助けて政治をとり周朝の基礎を固めた。周公旦の政治は殷代の神権政治を脱却し、礼楽(行為の規範と礼に伴う音楽)を採用して、社会秩序の根本としたことが特色とされる。儒教の礼は周公に始まるといわれ、その人格と治世は孔子の厚く尊崇するところであった。

周武
 中国・周王朝の祖、武王。名は発。父・西伯(文王)の死後、志をつぎ、黄河を渡って北進し、弟の周公旦らと協力して殷の紂王を滅ぼした。ついで鎬京に都を奠めて即位し、洛邑(洛陽)を建設して東都とした。また一族功臣に封土を与えて封建制をしいた。ながく開国の英主としてあおがれている。

成王
 中国・周王朝の武王の子。父の武王は殷王朝を直接統治せず、紂王の遺子武庚をたて、中原政治をまかせて監督するだけにとどめ、自身は峡西の本拠に帰った。まもなくして没したので、幼少の成王の代にいたって政治情勢が不安となり、これにつけこんで殷の武庚が大反乱を起こしたが、叔父の周公と召公とが協力して反軍を討伐し、完全に殷国を滅ぼした。その後、成王とその子の康王の時代は世に「成康の治」といわれ、周王朝の黄金時代をむかえた。

武内の大臣
 武内宿禰のこと。大和朝廷の政治家・武将。古事記・日本書紀に見られる伝説上の人物。第八代孝元天皇の曾孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五人の天皇に仕え、なかでも神功皇后の新羅征伐にしたがって大功をたてたという。

神功皇后
 名は気長足姫尊、息長帯比売命のこと。仲哀天皇崩御ののち皇后は喪を秘し男装してまず熊襲を平定し、のちみずから渡海して新羅を征服し、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。凱旋の途中、応神天皇を生んだという。大聖人御在世当時、神功皇后は第十五代天皇で、応神天皇は第十六代天皇であったが、大正十五年の皇統譜令施行以降、神功皇后は歴代天皇の代数から外され、応神天皇が第十五代天皇とされた。

仁徳王子
 第十六代天皇。応神天皇の第四子。名は大鷦鷯尊。父の崩御後、莵道稚郎子(宇治王子)と三年の間皇位を互譲しあっていたが、稚郎子の自殺により大鷦鷯尊が仁徳天皇として即位し、都を摂津の難波に定めた。即位後、仁徳天皇は大いに徳政を行なった。すなわち、高台に登って戸々のかまどの煙をながめ、その疎なるところから民の貧困を知り、「今より三年に至るまで、ことごとに人民の課、役を除せ」といって三年の間租税を免除した。そのため自らの住む大殿は雨漏りがして器で雨を受けたものの、修理もせず不自由な生活に堪えた。この結果、三年後に再び高台にから眺めると煙の盛んなるのを見て大いに喜んだという。天皇の陵は歴代の陵の中で最大のものであり、天皇の偉大なる徳がしのばれる。

 

 

講義

 当節は正しく受持即観心を明かしているのである。まず引く所の無量義経の「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」とは、因位の万行が妙法五字に具足するの義を顕わしているのである。ゆえにこの妙法五字を受持すれば、因位の万行を修しなくても、これを修行したと同じことになる。これは受持即観心を説かれていることになる。因位の万行を修行しなくても、ただ受持することによって修したと同じであるならば、果位の万徳もまた同じであることがわかるであろう。
 次に法華経以下の御文を引かれているのは、妙法とはすなわちこれ具足の義であることを顕わされているのである。妙楽大師の弘決の一には「法華経の前はいまだかつて権を開しないから具足と名づけない」と述べられている。具足とは権を開き迹を開き脱益を開き、文底下種を顕してこそ始めて具足というのである。「開」をもって仏法を論ずるならば、爾前は所開・迹門は能開、迹門は所開・本門は能開、脱益は所開・下種は能開、ゆえに文底下種本地難思の妙法をもって具足と名づけるのである。されば大聖人は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とおおせられたのである。
 この「釈尊の因行果徳の二法」とは、先にわれらの己心に権・迹・本の本尊は住し得ないと難じたその権迹本の釈尊の因行果徳の二法である。また、「妙法五字に具足す」とは、前に引いた開結二経の本地難思の境智の妙法である。その権・迹・本の釈尊の因果の二法は所生で、本地難思の境智の妙法はすなわち能生であり、所生はかならず能生に帰するのである。されば権はかならず実に帰し、迹はかならず本に帰し、脱はかならず種に帰するのである。ゆえに彼の釈尊の因行果徳の二法は妙法五字に具足すというのである。
 玄文第七にいわく「若し過去は最初所証の権実の法を名けて本と為すなり、本証より已後方便化他し開三顕一・発迹顕本は還って最初を指して本と為す、中間示現の発迹顕本も亦復・最初を指して本と為す、今日の発迹顕本も亦・最初を指して本と為す、未来の発迹顕本亦最初を指して本と為す、三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云。この文は正しく久遠元初を一根にたとえ、本果第一番以後の垂迹化他を枝葉にたとえ、百千枝葉同じく一根に趣くがごとしという意味で、権迹本の釈尊の因果の功徳は、本地難思境智の妙法に具足することを明らかにした文である。
 また、本地難思境地の妙法は、釈尊一仏だけでなく、十方三世諸仏の因行果徳をも皆ことごとく具足すべきであるのに、どうして釈尊一仏の因行果徳とおおせられているのであるかというに、ただ釈尊一仏を挙げて諸仏に例しただけのことで、たとえば「我が方便是くの如し、諸仏も亦然なり、及び諸仏如来法皆是くの如し」等というのと同じである。
 されば一切諸仏の因位の万行・果位の万徳は、皆ことごとくこの妙法五字に具足する。ゆえに末法下種の御本尊の功徳は無量無辺で、広大深遠の力用を備え給うのである。
 次に「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」とは、正しく受持即観心の義である。すなわち御本尊を受持することそれ自体が功徳を感ずるのであるから、受持即観心ではないか。しこうしてまた法華経神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文に相応するのである。すなわち、「我等」とは「我が滅度の後」という末法のわれら衆生である。「受持すれば」の「受持」というのは、まったく経文に一致してこれが観心なのである。「此の五字」とは経文の「斯の経」に当たり、すなわち御本尊なのである。神力品にいう所の「斯の経」とはすなわち長行の四句の要法である。日蓮大聖人が三大秘法抄に「名体宗用教の五重玄の五字」とおおせられているごとく、釈尊滅後末法のわれら衆生がこの五字七字の御本尊を受持し奉ることをすなわち観心と名づくるのである。
 また、なにゆえに受持をもって即観心と名づけるかというに、およそ当下種家の観心はただ信心口唱をもって観心とするのであって、受持とは正しく信心口唱であるから受持即観心というのである。
 また、なにゆえ信心口唱が正しく受持に当たるかというに、今謹んで経文を考えるのに、受持には二つの義がある。一には総体の受持、二には別体の受持である。総体の受持とは受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を受持の一行に含めて受持と名づけるのである。この受持の義は受持の一語の中に五種の妙行が含まれているのである。法華経の文の処々に「能く斯の経を持つ云云」等とあるのがこれである。二に別体の受持とは五種の妙行の中の第一、第二、第三等とあるうちの第一の受持で、「信力の故に受け念力の故に持ち・文を看るを読となし・忘れざるを誦となす」等はこれである。ゆえに神力品の結要付嘱の文においても、長行の中には別体に約して「応に一心に受持読誦解説書写して説の如く修行すべし」と説いているが、これは要法五種の妙行である。偈の中では総体に約しているから「応に斯の経を受持すべし」と説いている。これすなわち日蓮大聖人のおおせられる唯受持の一行であって、この受持によって即身成仏することができるのである。当抄の意も正しく偈の中の総体の受持であるから五種の妙行を通じて受持としている。しかるに受持が正しく信心口唱に当たるとは、信心はすなわち受持が家の受持であり、口唱はすなわち受持が家の読誦である。ゆえに受持読誦はすなわち受持が家の自行であり、今の自行の観心を明かすがゆえにただ自行の辺を取るのである。解説・書写は化他を面となすゆえに論じないが、すなわち解説は折伏・説法である。
 またこの文の中に四種の力用を明かしている。「我等受持」とは信力・行力であり、「此の五字」とは法力であり、「自然に譲り与える」とは仏力である。いわゆる信力とは、一向にただこの御本尊を信じて、この御本尊以外には絶対に成仏できる道はないと強盛に信ずるを信力というのである。天台の「但法性を信じて其の諸を信ぜず」というのがこれである。行力というのは「日が出れば燈の用がなく雨降れば露は詮なし」の道理で、今末法においては余経も法華経も詮なしとおおせのように、余事を雑えずただ南無妙法蓮華経と唱うるのが即行力である。法力というのは、すでに迹中化他の三世の諸仏の因果の功徳は、ことごとく本地自行の妙法五字に具足している。ゆえにこの御本尊の力用・化功は広大で、利益の深遠なのはすなわち法力である。仏力というのは、久遠元初の自受用身の自行化他の因果の功徳を円満に具足する妙法の五字を、一幅の御本尊に図顕して末法の幼稚に授与せられた、これは「我本誓願を立つ」の大悲力をもってのゆえであるから、われらがこの御本尊を受持し奉れば、自然に彼の自行化他の因果の功徳を譲り与え給うて、皆ことごとく、われら凡夫の功徳となし「如我等無異」の悟りを開かしめ給う、これひとえに、仏力のしからしむるところである。
 もしこの仏力・法力によらないでは、どうしてよく、われらの観心を成ずることができようか。大論第一にいわく「譬えば蓮華、水に在り、若し日光を得ざれば翳死すること疑いなきが如く、衆生の善根若し仏に値わざれば成ずるを得るに由なし」等云云。今この文は花は信力で、蓮は行力で、水は法力で、日は仏力である。蓮華は水によって生ずるように、われらの信力・行力も必ず法力によって生ずるのである。もし水がなければ蓮華は生じないように、もし法力がなければ、われらの信力・行力も生ずることがないのである。このゆえに御本尊を仰ぎ奉りて法力を祈るべきである。また水によって蓮華を生ずることができても、もし日光がなければ枯れることは疑いない。われらが法力によって信力・行力を生じても、もし仏力を得なければ信行の退転することが疑いない。蓮華はもし日光を得れば、必ず栄えるように、われらは仏力をこうむってこそ信行を成就し、速やかに最高の幸福を得るのである。ゆえに末法今時の幼児たる、われら衆生は、唯仏力・法力によって観心を成ずるので、自力思惟の観察の要がないのである。
 以上の文意を次に一表としておくから、よくその内容を把握されたい。
 蓮 …… 行力 …┬… 蓮華水にあり
 華 …… 信力 …┘  われら凡夫が信力・行力を励む
 水 …… 法力 …┬… 蓮華は水によって生ず
          └… われらは法力によって信力・行力を生ず
 日光 … 仏力 …┬… 蓮華は日光に値うて栄う
          └… われらは仏力によって即身成仏す 
 このように、われら衆生が即身成仏の大利益を得るのは、ことごとく妙法五字の御本尊の法力と、久遠元初の自受用身たる本仏日蓮大聖人の仏力によるのである。止観第五にいわく「香城に骨を粉き雪嶺に身を投ぐるとも亦何ぞ以て徳を報ずるに足らん」と。また第一にいわく「常啼は東に請い・善財は南に求め・薬王は手を焼き・普明は頭を刎られ、一日三度恒河沙に身を捨つとも尚一句の力を報ずる能わず、況んや両肩に荷負して百千万劫すれども寧ろ仏法の恩を報ぜんや」等と言っているように、御本尊の重恩を厚く思うべきである。
 要するに、簡単にこれを結論するならば「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とは本尊の妙能、妙徳を顕わし、「我等此の五字」は末法の衆生の受持すべき本尊を顕わし、「受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」は受持即観心を顕わしているのである。今、この文を承けて「四大声聞の領解に云く『無上宝聚・不求自得』」とお引きになったのは、本尊行者体一を引き起こすのである。ゆえにこれを、上を承けて下を起こすと言うのである。
 無上宝聚とは爾前有上・迹門無上、迹門有上・本門無上、脱益有上・下種無上と読むべきであるから、文底下種の本尊は無上の中の極無上である。この文底下種の御本尊に釈尊の因位の万行、果位の万徳の宝を聚むるゆえに無上宝聚と名づけ、またこの御本尊をば「功徳聚」とも名づけるのである。かくのごとき無上の宝聚を何の辛労もなく何の行功もなく、ただ信心口唱によってこれを受得することができるので「不求自得」というのである。また四大声聞の領解を引いているのは、声聞の不求自得をあらわしているのであって、その声聞とは我等己心の声聞界である。その己心の声聞界が求めずして自得なるゆえに、われらの不求自得となるのである。ゆえに御抄に「我等が己心の声聞界なり」とおおせられているのである。
 また、「我が如く等しくして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」の文を引いて、「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」と、なぜおおせられているかというのに、これは三身即一身に約して久遠元初の自受用身を明かし、師弟不二を示されているのである。「我が如く等しくして異る事無し」とは「我が昔の所願の如き今は已に満足し」たからである。この「我」は久遠元初の自受用身であらせられる。「昔の所願」の「昔」は久遠元初を意味しているのである。他門流は、これを寿量品の「我本行菩薩道」の時に立てた誓願であると解しているが、当流においては「我本行菩薩道」の時はまだまだ近い時であって、これよりなおkなお遠い時である無始すなわち久遠元初の時とするのである。されば久遠元初の自受用身の誓願を「我が昔の所願の如き」といい、この久遠元初の自受用身が末法に出現して三大秘法の御本尊を幼稚の衆生に授与せしめ給うたから、「今は已に満足しぬ」というのである。またこの御本尊を受持する衆生は、皆久遠元初の仏道に入ることになるから「一切衆生をして皆仏道に入らしむ」というのである。すでに久遠元初の仏道に入れば、われら衆生の凡身の当体は、まったくこれ久遠元初の自受用身と一体であるから「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」とおおせられる。しかして自受用身は師であり、われらは弟子である。すでに「我が如く等しくして異る事無し」で師弟不二を示しているのである。
 御義口伝にいわく、
「御義口伝に云く我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり……我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり……如我昔所願は本因妙如我等無異は本果妙なり妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや」(0720: 第六如我等無異如我昔所願の事:02)。
 また次に宝塔品にいわく「其れ能くこの経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復(また)諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云。この経文を引かれて「釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」とおおせられたのは、無作三身に約して親子一体を示されているのである。本地の無作三身とは、一身即三身に約したのであって、「其れ能く此の経法を護る事有らん者」とは、これ観心で、「我及び多宝……諸の来り給える化仏」はすなわちこれ本尊であり、「我」はこれ無作三身の報身で智を顕わす。多宝はこれ無作の法身で境を顕わす。しこうして「我及び多宝」の「及」とはすなわち、境智冥合を意味しているのである。境智冥合するところかならず慈悲がある。慈悲はすなわちこれ無作の応身である。ゆえに「諸の来り給える化仏」とは無作の応身である。
 今これを次の図解に示してはっきりとしておく。
其れ能く此の経法を護る事有らん者 … 観心 

                   ┌ 我 …… 無作報身 … 智
 我及び多宝来り給える化仏 … 本尊 … ┼ 多宝 … 無作法身 … 境
                     └ 化仏 … 無作応身
 以上のごとく経文を読む時は「其れ能くこの御本尊を護らん者は」となって、この本尊を護るわれら衆生は、受持即観心の理によって、すなわちこれ無作の三身と顕われるのである。ゆえに釈迦・多宝・十方の諸仏はわれら己心の仏界となるのである。されば、われらは無作三身の跡を紹継して無作三身の功徳を受得し、即無作三身と顕われるのである。ゆえに「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」というのである。すなわち須臾も御本尊を受持し奉れば、われらの当体が、まったく究竟円満の無作三身である。たとえば太子が先帝の跡を紹継して帝位に上れば、まったく先帝と等しく一国を統御するようなものである。されば本尊も無作三身・われらもまた無作三身、親も仏・子も仏、親も帝王・子も帝王で、まったく親子一体となることを知らねばならぬ。
 また、寿量品にいわく「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由陀劫なり」等云云の文を引かれて、「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」とおおせられているのは、久遠元初に約して君臣合体を示されているのである。また然我実成仏已来とは、通じて三身を明かすので、我は即無作の法身、成仏は即無作の報身、已来は即無作の応身である。
 御義口伝にいわく、
「第十一自我得仏来の事 御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり……我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し」(0756:第十一自我得仏来の:01)。
 されば無量無辺那由陀劫の、すなわち久遠元初の無作三身をわれらが受持するゆえに「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」というのである。五百塵点乃至の「乃至」とは何の意味か。蒙抄等には「能顕を以て乃至と云う、所顕の二字に望むる故」等と説明しているが、これは大聖人の元意に到達しておらない。今ここには五百塵点乃至とは時に約すべきである。蒙抄のごとくなれば五百塵点劫能顕所顕の三身にして無始の古仏なりとなる。しからば五百塵点劫と無始とは同じことになるか。五百塵点劫遠しといえども無始よりすれば、はなはだ近いのである。大なるあやまりが生ずるではないか。しからば乃至とはいかに読むかというに、これは後より前に向かい乃至というので、五百塵点はすなわちこれ久遠本果の時である。所願の三身は久遠名字の時にあり、いま久遠本果の時より久遠名字の時に向かってその中間を乃至するのである。すなわち、これは諸御抄の「五百塵点劫当初」の文と同じである。ゆえに今の「乃至」の二字は諸御抄の「当初」の二字と同じと読むべきである。
 当体義抄にいわく
「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513:14)。
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく
「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)。
 三大秘法稟承事にいわく
「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022:08)。
 ゆえに今の文意は「我等己心の釈尊は五百塵点の当初・名字凡夫の御時に所顕の三身にして無始の古仏である」と。
 この釈尊こそ久遠元初の自受用身にして報中論三(報身を中心として三身を論ず)の無作三身であらせられることは明白である。諸門流の輩はこの無始の本仏を知らないから、当文のご深意に到達することができないので哀れむべき者である。
 また「我本菩薩の道を行じて……己心の菩薩等なり」の文意を論ずるに、われらが己心の釈尊は即種家の本果妙で、無始の仏界である。われらが己心の菩薩界は即種家の本因妙で、無始の九界である。この本因本果の釈尊は、われらが己心の主君である。地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属である。常に恒に仏の化導を輔けてきたことは大公や周公旦のごときものである。このように君臣がすでに、われらの一心に居すから君臣合体というのである。初めの難問がすでに三徳を挙げているから今また三徳に約して一体を示したのである。諸門流の輩はまったく当御抄の深秘を知らないので、謬解に謬解を重ね、甲論乙駁して大衆を惑わしているのである。
 また当節の結文である「妙楽大師いわく『当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し』等云云」の文は、次のように読むべきである。
 すなわち「当に知るべし身土」とは本尊を示し、当抄の初めの「夫れ一心に十法界を具す……三千種の世間を具す」の文と同じで、「一念三千」の四字は観心を明かし、当抄の初めの「此の三千・一念の心に在り……三千を具す」の文と等しいのである。さて身土とはすなわち本地自受用身の身土で、自受用身の身土は十法界の全体である。身は正報であり衆生世間・五蘊世間の二千、土は依報で国土世間の一千であるから三千となる。されば「一念」は即われらの信心、「三千」は即自受用身の身土である。「成道」とはわれらの成仏であり、「本」とは本地久遠元初、「理」とは難思境智の妙法、「一身」とはわれらの五大、「一念」はわれらの信心、「法界に遍し」とは自受用身である。ゆえに文意は「当に知るべし本地自受用身の身土・我等が一念のなかの三千である。ゆえに成仏の時この本地難思の境智の妙法に称い、一身の五大が法界に遍じて所証となり、一念の信心が法界に遍じて能証の智となり、久遠元初の境智冥合の自受用身と顕われるのである」と。
 また本理が本地難思の境智の妙法、即これ事の一念三千である理由を述べるならば、
 当体義抄に
「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513:14)とある。
 五百塵点劫の当初とは、すなわち本地であり、証得の二字は能証の智・妙法の当体蓮華は所証の境である。世世番番成道はすなわち垂迹で、能証は証得の二字に当たり、所証は即妙法当体蓮華の六字である。また本理の本は五百塵点劫の当初で、理は妙法の当体蓮華の証得である。ゆえに本地難思境智の妙法を名づけて本理となすことは分明なことである。また世世番番の迹に対して久遠元初を本と名づけ、迹仏等の思慮にはとうていおよばないことであるから、難思境智の妙法を理と名づけるのである。
 さて事の一念三千と名づける理由は、この本地難思の境智の妙法は日蓮大聖人のご所有である。ゆえに日蓮大聖人の御振舞はまったく本地難思の境智の妙法の御振舞であるから、事の一念三千と名づけるのである。実にこの本地難思の妙法には無量の徳を含むから、その徳にしたがってそれぞれの名が生じたのであって、けっして一概に論ずべきではないのである。
 さらに末法における観心の意義を明らかにすれば、
 要するに正しく受持即観心を明かすということは、独一本門の御本尊を受持すること、それ自体が観心になるという一言に尽きるのである。もともと観心とは己心を観じて十法界を見るということで、これを天台流に読むときは、己心の十法界を観見することである。すなわち自分が自分の心の状態を今は苦しい、今は喜んでいる、今は怒っている、今は平和であるというように客観的に観察して、そこに一つの悟りを開くのであって、天台時代のごく上流の人の修行の仕方である。
 現代においても、われわれの人間界に十界があるとか、宇宙観が己心に住するとかいうような理論的問題を説いていると考えているが、それは観念論者の意見であって、天台の偉大な哲学に圧倒された考え方である。現在末法の人々にあっては、前記のごとき天台の観念観法によって幸福境涯を受得することはとうていなし得ない。文底よりこれを読めば、己心を観ずるというのは御本尊を信ずることであり、十法界を見るというのは、妙法を唱えることである。そのゆえは、御本尊を信じて妙法を唱えるときには、御本尊の十法界が即己心の十法界となるからである。すなわち信じ受持することによって、御本尊の因行果徳を譲り与えられて、歓喜の境涯に住することができるのである。ここに末法御本仏としての日蓮大聖人ご出世の深意があるのである。
 吾人をもって会通を加えしむれば「受持即観心」の観心とは、ある対象を絶対なりと信ずればその対象の持つ力がその人の生命生活に現われるということである。
 たとえばここに四つか五つの子供がいる。その子供は母親を絶対と信じているゆえに、母親のいうこと、なすことが、その子供にとっては絶対の信頼がある。そのゆえに母親の持つ力が子供の生活に現われてくる。母親を受持して母親のなすままに行なうゆえに安心がある。これすなわち受持即観心の定理である。母親が盗みをする。その子は母親を信頼しているとすれば盗みの母親を受持することになるので、母親の盗みの影響をその生活に受ける。それは盗みの母親を受持した子の観心ではないか。
 この「受持即観心」とは対境を絶対であると信ずることによって、対象の持つ力を自己の生命あるいは生活に現わすことである。ゆえに現代の人々の中においても自分自身で考え、そして人生観を確立して、これに執着して一歩も出ない者もいるし、また何物をも確立しないが自分というものをたよりにして、自分の心の中に画いた世界が最も正しいとしている者もある。これらの考え方は、像法時代の天台の行き方のごく初歩の者とすれば、これは与えていうことになる。もしこれを奪っていえば、達磨禅の最低のものか、いな下等な野狐禅といわれるものよりもまだ不徹底なものである。
 されば日蓮大聖人は、かかるともがらを幼稚とも貧窮・下賤ともおおせられているのである。
 この幼稚・貧窮・下賎・徳薄垢重のわれわれを日蓮大聖人は哀れとおぼしめされて、文底深秘の御本尊を確立あそばされたのである。「汝ら、幼稚下賤の身をもっていかように考えようとしても、十界互具の世界は観ずることはできない。あの上根の天台の末流が己心を観じて十法界を見るごとき観心は絶対にできるものではない。ゆえにここに御本尊を建立しておく。この御本尊を受持せよ。この御本尊を受持するなら、なんらの苦労なく天台が観じた己心の世界を現ずるであろう」とのご慈悲によりわれわれの知るあたわざる大功力ある御本尊を建立あそばされたのである。ゆえに国法とか世法とかを受持したのでは絶対に現わすことのできぬ仏界を、この御本尊によって幼稚・下賤のわれらが感得することができるのである。さればこの御本尊の受持こそ観心を成ずることになるではないか。
 天台流以下の観心は捨てよ、ただ無心に御本尊を拝め、しからば汝等の観心は成ずるであろう。これ受持即観心である。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0247:09〜0247:11 第17章 権迹熟益の本尊を明かす

 

本文

 夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間・華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。

 

現代語訳

 末法の衆生が、即身成仏のできる御本尊を見出すにあたって考えてみるのに、釈迦仏が寂滅道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、沙羅林で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間に説かれた諸仏の国土はみなことごとく無常であり破滅する国土である。すなわち華蔵経で説く華蔵世界、大日如来の住するという密厳、法華経迹門で説く三変の三土、涅槃経に説く四見の四土は、みな成・住・壊・空の四劫の法則にしたがって変化してゆくところの無常の同居土であり、方便・実報・寂光・阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日の密厳等、みな爾前迹門で説く国土は、三界同居の穢土である。ゆえにインド出世の釈迦仏が涅槃に入るならば所変の諸仏として方便土の勝応身、実報土の他受用身、寂光土の法身、安養の弥陀、浄瑠璃の薬師、密厳土の大日如来等は、釈尊の入滅にしたがって滅尽するのであるから、教主の滅尽とともにその国土もまたこのように滅尽するのである。

 

語釈

華蔵世界
 蓮華蔵世界の略。華厳経巻八で普賢菩薩が説いた仏の世界。盧舎那仏が微塵数の修行をして浄められた世界のこと。世界の最下に風輪があり、その上に香水海があって、その中から一大蓮華が生じており、この大蓮華に含蔵された世界をいう。その世界は、二十重に重なる中央世界を中心に、百十一個の世界が網のようにめぐらされ、そのおのおのに仏が出現し、衆生が充満しているという。華厳荘厳世界海ともいう。

密厳
 密厳世界、密厳浄土ともいう。大乗密厳経に説かれる、大日如来が住む世界。密厳は三密によって荘厳するとの意。特に院政期に真言宗の覚鑁が浄土思想を密教的に解釈する中で用いられた。

三変
 三変土田の略。法華経見宝塔品第十一で、釈尊が三度にわたり国土を浄化したこと。同品で多宝如来の宝塔が湧現し、釈尊は宝塔を開くにあたって十方の世界の分身の諸仏を集めることになり、まず白毫の光りを放って娑婆世界を変じて清浄ならしめ、法華経の説法の聴衆以外の不信の人界・天界の衆生を他土に移して分身の諸仏を集めた。しかし、まだ入りきらなかったため、さらに八方それぞれの二百万億那由他阿僧祇の世界を変じて清浄ならしめ、さらにまた八方それぞれの二百万億那由他阿僧祇の世界を変じて清浄ならしめ、それぞれの諸仏の天・人を他土に移して十方の世界の分身の諸仏を集め、十方世界通一仏土の相を現わした。

四見
 涅槃経に説く。衆生の機根や境涯の相違によって同じ沙羅双樹の林が、凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四種に違って見えること。

三土・四土
 三土は「三変の国土」で同居・方便・実報。四土は「四見の国土」で同居・方便・実報・寂光である。

方便・実報・寂光
 四土のうち同居土以外の三土のこと。四土とは一に凡聖同居土で凡夫も聖人も同じく住するゆえに名づけ、これをまた同居の浄土と同居の穢土とに分ける。二に方便有余土とは見惑思惑を断じていまだ塵沙・無明の惑を余すところの二乗・菩薩の住処である。三に実報無障礙土とは別教の初地以上・円教の初住以上等覚に至るまでの菩薩が分々の無明を断じた安心自立の無障礙の国土である。四に常寂光土とは仏の国土であり常は法身・寂は解脱・光は般若(智慧)の明了なるを顕わす。このように分かつけれどもその究極の意は次の総勘文抄に拝するごとくである。三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」。

安養
 安養世界の略。安養は梵語スカーヴァティー(sukh?vat?)の訳で、娑婆世界の西方にあるという阿弥陀仏の浄土。極楽とも訳される。往生した者は、心を安んじ、身を養うところからいう。

浄瑠璃
 浄瑠璃世界の略。娑婆世界の東方にあるという薬師如来の浄土。浄瑠璃とは、清浄なる瑠璃のことで七宝の一つ、紺青色の宝石。瑠璃をもって大地となすので浄瑠璃世界という。薬師如来本願経などに病気を除き,諸根を具足させる浄土と説かれる。

 

 

講義

 本節は権教・迹門に説かれた熟益の本尊を明かしている。熟益の本尊を明かすのに、すでに第十一章の教主に約して問う時くわしくその教主の身相や脇士等を述べてあるから、いま、ふたたび説明することなく、ただ国土の無常変化することのみを説いて、無常変化の本尊は有名無実であることを教えられている。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0247:12〜0247:14 第18章 本門脱益の本尊を明かす

 

本文

 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。

 

現代語訳

 爾前迹門に説いた仏も無常であり、その場かぎりで滅びてしまうものであったが、いま法華経本門寿量品の説法に至って仏の久遠の本地が明かされ、本因・本果・本国土の三妙が合論された時には、この娑婆世界が三災にも犯されることなく成・住・壊・空の四劫を循環するものでもない常住の浄土となった。久遠の本仏はすでに過去にも滅することなく未来にも生ずることのない常住不滅の仏であり、仏の説法を聞いている所化たちもまた本仏と同体で常住に実在することがはっきりと説き示された。このような説相がすなわち、釈迦在世の衆生舎利弗たちの己心の三千具足、三種の世間であった。迹門十四品には、いまだこのような三妙合論の事の一念三千が説かれなかったのは、法華経の内においてもいまだ時機が熟していなかったからである。

 

語釈


 法華経本門寿量品説法の時をいう。

本時
 寿量品に本因・本果・本国土が説かれ、久遠常住が説かれた時をいう。しかしその文底の意は末法に三大秘法の御本尊が建立される時を本時という。

三災
 大の三災と小の三災とある。小劫の減劫の時に穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)、兵革(戦乱)、疫病(伝染病の流行)の災が起こるのを小の三災という。大集経で説かれる。大劫のなかで、住劫が終わって壊劫の時の火風水の三災を大の三災という。

 

 

講義

 本章はまさしく本門脱益本尊を明かすとともに、「此れ即ち己心の三千具足」等とおおせられて在世の衆生の観心を明かしているのである。
 いま脱益の本尊を明かすのに寿量品の「時我及衆僧倶出霊鷲山」の文で消釈する。「時」とは即本時であり、「我」は即仏であり、「衆僧」は所化である。「倶出」はすなわち同体であり、師弟ともに三世常住である。「霊鷲山」はすなわち三災を離れ四劫をいでたる常住の浄土である。ゆえに伝教大師は「霊山宝土は劫火に焼けず」といっているのもこの意である。
 以上は文上脱益寿量品の意であるが、日蓮大聖人の御義口伝を拝すれば、
 御義口伝にいわく
「時我及衆僧倶出霊鷲山の事 御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり……又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」(0756)
 上の御文の如く「本時の娑婆世界」にも在世と末法・文上と文底の重大な相違のあることを知るべきである。
 また本文に「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」とあるのは、寿量品に「如是我成仏已来、甚大久遠、寿命無量阿僧祇劫、常住不滅」とあるところから、天台大師は仏の過去に不滅であることを説き、併せて未来の常住を明かしているので、いまの御文にも「未来にも生ぜず」と未来の常住を明かしているのである。
 また、在世の観心を明かす御文を消釈するのに「此れ即ち」とは上の「本時の娑婆世界」以下の文を指す。「本時の娑婆」とは本国土・依報の一千である。仏および所化は本因本果で衆生と五蘊の二千世間である、これすなわち在世の舎利弗等が己心具足の三種の世間・三千世間である。妙楽いわく「故に長寿を聞いて復宗旨を了す」と、すなわち舎利弗等は本因本果の長寿・久遠なるを聞いて一念三千の宗旨を解ったのである。
 百六箇抄にいわく、
「在世観心法華経の本迹、一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0856:02)
 このように在世の衆生の観心は、末法の日蓮大聖人の仏法からみると教相の迹門となるのである。この点が当門と他門との重大な相違で、これがわからなくては末法の仏法は会得できないのである。八品派の日忠なぞは「今本時の下は在世に約し、此れ即ち己心の下は末法に約す」といっている。また要法寺の日辰は「此れ即ち己心の三千具足とは蓮祖門弟の信者行者の己心の一念三千なり」と同様のことをいっているが、それは誤りもはなはだしいものである。なぜなら「夫れ始め寂滅道場」から「時機未熟の故なるか」までは、ぜんぶ釈尊在世のことを論じていて末法のことを論じている御文がない。この文だけを末法に約するという理由がないのである。さらにまた、この一段は本門に約して「迹門十四品には未だ之を説かず」等といっているのは釈尊在世の本門であって末法ではない。さらにまた、これを末法に約するなら、前出のごとき妙楽や日蓮大聖人の御相伝に背反するではないか。いわんや、また、この文を、強いて末法の観心となし在世の観心をもって末法の観心と混乱せしめては、まったく当抄の意に反するではないか。

成住壊空と永遠の生命

 本文に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」とあるが、この文は、本門にいたって爾前迹門までの無常の世界を打ち破って常住の世界を説き明かしたことを意味する御文である。娑婆世界が即寂光土とあらわれたことは、次項で論ずることにする。およそ三災といい、四劫といい、国土それ自体もまた、他のいっさいのものと同様に成・住・壊・空の四段階をへて、必ず破壊され、死滅してしまうという、宇宙の実相を説ききったものである。にもかかわらず、寿量品ではなぜこれを常住であると説くのか。ここでは、この点について宇宙観・生命観・幸福論等の立ち場から論じてみたい。
 その前に、四劫ということについて説明しておこう。劫とは梵語であり、長時、大時等と訳すのである。劫については経論によりさまざまである。だが一般的には、劫に小、中、大の三種類の劫があるとして次のように説かれている。
 小劫とは住劫のはじめ、人寿無量歳より百年に一歳を減じつつ、ついに人寿十歳にいたる。これを第一減劫という。次に人寿十歳より百年に一歳を増して人寿八万歳にいたる。また八万歳より百年に一歳を減じて人寿十歳にいたる。この増減を第二の増減劫という。このように増減すること十八回、最後に人寿十歳より百年に一歳を増して無量歳にいたる。これを第二十の増劫という。第一はただ一減、第二十はただ一増であるけれども、その時節の長さは各中間の一増減に等しい。この一増減の時節を一小劫と名づける。したがって、一小劫は千六百万年より二千年を減じた数(15,998,000年)にあたる。中劫とは、以上のように住劫の一減より中間の十八増減、第二十の一増にいたる。この二十増減の時節を合して、中劫とする。すなわち中劫とは二十小劫であり、319,960,000年)の長さを指すことになる。
 そして、この中劫を四つ合わせたものを一大劫といい、この宇宙(当時は須弥山を中心とした一小世界、いまでいえば太陽系を指す)の始終の長さとしている。四つの中劫とは、成・住・壊・空をいう。これが本文にお示しの四劫のことである。
 一つの世界が成立するまでの期間を成劫、成立以後衆生の住んでいる期間を住劫、火災・風災・水災の三災によって、それが壊れる期間を壊劫、消滅して空となる期間を空劫という。そして、空劫が過ぎればまた成劫がはじまり、この成・住・壊・空の四劫が循環し尽きることがないと説かれている。三災については、このうち、小劫の減劫の時に飢饉・疫病・刀兵の災が起こるのを小の三災といい、大劫のなかで、住劫が終わって壊劫の時の火風水の三災を大の三災というのである。
 宇宙に存在するもののなかで、永遠に変化せず、そのままの姿でとどまっているものは一つもない。いかなるものも、かならず、誕生、存続、破壊、死滅を繰り返して絶えず変化を続けているのである。これを仏法では成住壊空と呼んでいるのである。
 これを人間の一生にあてはめてみると、母の胎内にやどり、出生して成長する青少年時代は「成」であり、人生の爛熟期である壮年時代は「住」、老年期は「壊」、死んで生命が宇宙の中に溶け込んだ状態を「空」ということができる。人間に限らず、アミーバのような下等動物から、机やコップなどの非情の生命にいたるまで、宇宙の万物はすべてこの四階段を循環すると説いている。
 最近の天文学では、恒星も、恒星の構成体である銀河系のような島宇宙も、いっさい、成住壊空の流転を繰り返していくことが確認されている。この近代天文学による宇宙観と三千年前の仏法の宇宙観とを比較したときに、ふしぎにも一致しているのである。現在の地球の状態などを倶舎論によれば、「住劫第九の減」に相当するという。すなわち、成劫をすでに過ぎ、間もなく住劫の半ばに到ろうとしているというのである。ところで、最近の天文学では、地球の年齢について「現在の地球は成立後約五十億年、生物ができてから三十億年を経過した壮年期の惑星である」という結論を出しているが、これもみごとな一致を示している。このように、小乗、権大乗にすでに説かれている成住壊空の原理すら、最近の天文学がようやくたどりついた結論にすぎないのである。まして、法華経の本門に説く生命観、その根底たる日蓮大聖人の生命哲理が、いかばかりか深いかを知るべきである。
 しかして、最高の仏法哲理は、たんに変化し、流転していく面のみを説くのではなく、それを認めつつもその根底に常住の世界を説き明かすのである。たしかに、現象の面のみをみれば、いっさいが変化し、流転しゆくものである。だが、実は、その奥底に、一切を変化せしめていく、常住にして不滅の本源力があるのである。科学は、あくまでも、これらの現象面を扱う分野のものであり、本質を扱うものではない。
 堀米日淳上人は、この点について次のように述べられている。「科学の対象はなんであるかといえば、それは仮有の世界である。仮有の世界は、一切世間の一小部門に過ぎないのである。而も仮有の世界は流転の世界である。したがってこれを対象とする科学的知識はまた変転を免れない。ゆえに科学においては絶対不変の真理というものは考えられない。これに対して真の宗教は一切世間を対象とする。したがってその智は絶対不変である。宗教が一切世間を対象とするというのは、生命そのものを対象とするがゆえである。宗教と科学との関係は相背馳するものでなく、それは科学が宗教の一小部門にすぎないのである。すなわち科学は宗教の前衛である」
 成住壊空は、変化の世界であり、流転の世界である。これを説き明かした、爾前迹門と科学の最近の発見とが一致するのも当然といえよう。だが、寿量品にいたりて、成住壊空に左右されない、不滅の常寂光の世界を説いたのである。しかも、その常寂光の世界はどこか別世界にあるのではなく、この世界すなわちわれわれの住む世界もわれら自身の生命もまさしくそれであると説き究めたのである。ゆえに、日蓮大聖人は、寿量品得意抄に「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211:17)とおおせられたのである。
 しかして、なにものにも左右されず、万法の本源であり、かつ、あらゆるものを変化させ、流転せしめていく、宇宙に内在する大生命は、寿量品の文底に秘沈されたる南無妙法蓮華経なのである。ゆえに本抄の次下の文にいわく「所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にて御坐し候へ」と。像法の天台大師はこれを説けないため一念三千と説き、止観と弘めたのである。日蓮大聖人は、この大宇宙の本源力たる南無妙法蓮華経をそのまま一幅の御本尊としてあらわされたのである。
 いかに、大宇宙に変化ありとも、成・住・壊・空と繰り返そうが、それは南無妙法蓮華経の世界で起きている現象にすぎない。すべて南無妙法蓮華経のあらわれであり、南無妙法蓮華経を土台として成り立っているのである。「起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅」とは、このことをいうのである。
 無量義経にいわく「大いなる哉大悟大聖主は 垢無く染無く著する所無し 天人象馬の調御師にして 道風徳香は一切に熏じ 智は恬かに情は泊かに慮は凝静なり 意は滅し識は亡して心も亦た寂なり 永く夢妄の思想念を断じて 復た諸大陰入界無し 其の身は有に非ず亦た無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず 方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 造に非ず起に非ず為作に非ず 坐に非ず臥に非ず行住に非ず 動に非ず転に非ず閑静に非ず 進に非ず退に非ず安危に非ず 是に非ず非に非ず得失に非ず 彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず……」と。
 また安楽行品の十八空の文にいわく、「一切の法は空なり、如実相なり、?倒せず、動ぜず、退せず、転ぜず、虚空の如くにして所有の性無く、一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず、名無く、相無く、実に所有無く、無量無辺、無礙無障なりと観ぜよ」と。
 この無量義経および安楽行品に説かれたところのものも、文底の眼開けてみれば、その実体は南無妙法蓮華経なのである。ゆえに御義口伝に「十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり」(0750:第二一切法空の事)また「所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり」(0790:01)等とあるのである。
 このように、南無妙法蓮華経それ自体は有でもなければ、無でもなく、生じたり、滅したりするものでもないが、それがあらわれたる現象の世界は「有であり、無であり、因であり、縁であり、自他であり、方であり、円であり、短長であり、出であり、没であり、生滅であり……」となるのである。すなわち、差別の世界であり、変化の世界であり、流転の世界なのである。
 以上のことは、生命についても同じくあてはまるものである。生命そのものは、作られもしないし、生ずるものでもなく、また、こわされることも、減ずることもないのである。むろん、生命現象というものは、時々刻々と変化し、また、生死、生死と流転しゆくものである。だが、その生命の本質それ自体は、いかなる変化にも左右されないのである。
 総勘文抄にいわく「生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり?倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず……」(0563:02)と。
 ここに心法とは、生命という意味である。生命それ自体は、生じも滅しもせず、劫火にも焼けない、またどのようなものでこわそうとしても絶対に破壊されないものであり、かつ宇宙大であることが示されているのである。
 しかし、これは生命の本質についていわれたものである。もし、あらわれたる現象をみれば、それは厳しき生死の流転であり、生住異滅の変化である。
 このことを、御義口伝には「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(0724: 第八唯有一門の事:04)とおおせられているのである。「法性の大地」とは、生命論に約せば、生命の本質であり、絶対にこわされない、不滅の実体をいう。「生死生死と転ぐり行く」とは、永遠不滅の生命を根底において、生死の流転を繰り返していくことをいう。また、この文は永遠の生命観に立脚し、現実の生活をしていくことをも意味する。永遠の生命を知らざる生活は、根なし草のごとく、いたずらに有為転変の無常の世界をさまようのである。だが、永遠の生命観の上に立った生死は、本有の生死であり、妙法に照らされた、力強き生活をしていくことができるのである。
 また、御義口伝には「御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり」(0734: 第六即滅化城の事:02)とある。不滅の滅とは、永遠の生命観に立脚した死であり、これまた本有の生死のことである。かく悟るを宝処といい、真実の幸福境涯なりと説かれているのである。
 さらに同抄には、次のような深き御文がある。
「第四如来如実知見三界之相無有生死の事 御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり……」(0753: -第四如来如実知見三界之相無有生死の事:01)
 この文中「生死無ければ退出も無し」の文は、生命の本質についていったものであり、「本有の生死」とは、永遠の生命に立脚した生死の流転である。
 生死を離れるというのは、爾前迹門の考え方である。生死は厳しき実相であり、かつ生死不二であり、常住なりと説ききったのが本門の意である。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり」の文は実に重大である。いかに観念的に永遠の生命であると自分の心に言い聞かせてみてもそれで永遠の生命を覚知したと思うならば、それは大いなる錯覚、迷妄である。信心なくば、永久に流転の世界であり、無常の悲哀にとざされたままである。信心を開いたとき初めて常住の世界が現出するのである。真実に幸福な寂光の世界に住し、なにものにもおかされず、なにものにもこわされず瞬間瞬間の生命活動が大宇宙のリズムに合致し、永遠不滅の幸福境を信心の一念に築くのである。されば、末法において御本尊を信ずる者は、未来永劫にいたるまで、飢饉、疫病、刀兵の三災や、住劫の終わりに起こる火・風・水の三災にもおびやかされることのない、また成住壊空の変化にも影響されない絶対の幸福をつかむことができるのである。如説修行抄にいわく「人法共に不老不死の理顕れん時」(0502:08)等と。これ御本尊を受持した生活こそ不老であり、不死であるとのおことばである。
 生死、生死と流転しつつも、たえず幸福にみちみち、生じては大福運の身と生まれ、死しては大宇宙と冥合し滞(とどこお)りなく、たえず新しき躍動の生命にみちみち、生死にしばられるのではなく、生死を楽しみ切っていけるのである。

 

娑婆即寂光土

 爾前迹門の諸経では、凡夫の住むこの娑婆世界を、煩悩と苦しみが充満する穢土であるとし、十方の国土を、仏・菩薩の住む浄土とした。すなわち、このわれらの住む世界を忌み嫌い、遠きかなたに理想世界があるとしたのである。たとえば、西方十万億の国土を過ぎたところに、阿弥陀仏の住む極楽浄土があるとしたり、東方に薬師如来の住む浄瑠璃世界があるとしたり、また華蔵世界、密厳世界等と、経文によりさまざまな世界を説いてきたのである。
 また、娑婆世界を同居の穢土であるとし、仏の住む国土を寂光土、菩薩の住む世界を実報土、二乗の住む国土を方便土であると、国土を四つに区分して、それぞれ別世界であると述べてきたのであった。
 しかし、法華経本門寿量品にいたって、この娑婆世界に仏が現実に常住してきたことが明かされ、いままであれほど嫌われていた娑婆世界が、即本有の寂光土とあらわれたのである。また、四土も一土となり、その国土を寂光土とするか、穢土とするかは、すべてそこに住する人の一念によって決まることが明かされたのである。
 開目抄下にいわく「今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる」(0214:03)と。
 総勘文抄にいわく「四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」(0563:02)と。
 同抄にいわく「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」(0573:18)と。
 しからば、娑婆世界が即寂光土であるということが、いったいわれわれの生活にいかなる意味をもつのであろうか。
 幸福は遠くにあるものではない。どこかの別世界にあるものでもない。今現実に、自分が生きているこの世界にあるのだと説いたのが、娑婆即寂光の原理である。所詮、爾前迹門のごとき低級な哲学、思想では、現実に幸福を築くことができない。ゆえに、事を未来によせ、現実の苦悩を、あきらめによって軽減させようとする、消極的な説き方しかできないのである。
 しかし、これはたんなる仮説にすぎず、釈尊は、寿量品においてこれを徹底的に打ち破ったのである。そして事実、釈尊の境涯の上に、この原理をあらわしたのであった。
 今、末法においては、日蓮大聖人の大生命哲学以外に、いかなる世界をも幸福な楽土にしきれるものはない。それ以外の、あきらめの哲学、逃避の宗教は、ことごとく人々の心をむしばみ、無気力に、奈落の底に沈めていくのである。
 そのもっとも典型的なものは念仏思想である。この世は穢土だ、念仏を唱えて死ねば極楽往生できるという単純な理論にだまされ、それに従ってきた人が、かつてひじょうに多かったのである。そして、この害毒が歴史上も顕著にあらわれているのである。
 中国の念仏宗の開祖である善導が、発狂して、自分の寺の前の柳の木に登って自分の首をくくり自殺をはかり、飛びおりたところ、縄が切れたのか、柳の枝が折れたのか、堅い土の上に落ちて腰の骨を折り、七日七夜、苦しみあえいで、わめき、地をはいずって死んでいった最期はあまりにもみじめであった。かれが、柳の木に登ってなんといったであろうか。「此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無し」といい、西方に向かって「仏の威神以て我を取り観音勢至来って又我を助けたまえ」と叫んだのである。ここに、浄土思想の害毒がはっきりとあらわれているではないか。
 日本においても、平安末期保元の乱、平治の乱後、社会の混乱に乗じて、浄土宗がひろまり、当時の民衆をあきらめと退廃的な気分にひたらせ、自殺者を大量に出させている事実がある。これまた、どうせこの世は不幸であり、死んで極楽浄土へ行くのだという思想が蔓延した結果である。
 また徳川時代の宗教政策として、念仏をひろめたのは有名なことである。これは民衆の不平不満を抑えるためにとられた手段であった。ということは、裏を返せば、いかに念仏思想が、民衆を無気力にさせ、現状に甘んじさせるのに好都合であったという証拠である。
 まことに、低級な宗教、思想ほど恐ろしいものはない。知らずしらずのうちに、民衆の生命をむしばんでいくのである。
 ひるがえって日蓮大聖人の仏法は、いかにして、現実の不幸を打開し、この世界に真実の幸福境を現出せしめるかを、あますところなく説き明かしているのである。不幸から逃避するのではなく、その根源を絶ち、それを打破し、幸福を到来させるのである。遠きかなたの夢を追うのではなく、現実に確固たる人生を築き、未来永劫にわたる幸福を、会得せしめるのである。この日蓮大聖人の「娑婆即寂光」の大原理が樹立されないかぎり、人人は永久に不幸の巷(ちまた)を流転してゆく以外にないのである。
 次に、この世界を、娑婆と感ずるのも、常寂光と感ずるのも、その人の境涯の問題であり、一念
の強さによる。
 わが奥底の一念が、地獄であれば、われらが住む世界はことごとく地獄である。奥底の一念が修羅界であれば、われわれをとりまく世界はことごとく修羅界である。われらの一念が天界であれば、国土も天界である。わが一念に仏界を涌現すれば、われらの行くところは、いっさい常寂光土である。
 一生成仏抄にいわく「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(0384:01)と。
 したがって、いかなる、苦境に立たされた自分であり、いかなる難関が横たわろうとも、信心によって境涯を開けば、それらは、ことごとく、自分を成長させ、自分を荘厳ならしめるものとなるのである。また、それらを、ことごとく、自分を成長させ、自分を荘厳ならしめるためのものとなるのである。また、それらを、ことごとく、強き生命力によって克服していくところ、人生の醍醐味がありこの世界を自在に遊戯することができるのである。
 上野殿後家尼御返事にいわく「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし」(1504:09)と。
 地獄といい、浄土といい、それは他の世界にあるものではない。信心あれば、ただちに寂光土であり、信心がなければ、ただちに地獄であるとおおせである。たとえ、地獄の苦悩のどん底にあえぐ自分であっても、御本尊を受持するならば、すぐさま「地獄即寂光」と開けゆくことをお示しではないか。また「無量億歳云云」のおおせこそ、いかなる哲学、いかなる思想をもとにしても、またいかに努力しても、御本尊を離れるならば、たえず地獄であるとのきびしき仏法の方程式を示されたものである。
 報恩抄にいわく「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(0329:05)と。
 なんと偉大なことであろうか。われらが、この世界において、いかにつらくとも、苦しくとも、難があろうとも、日々、題目をあげ折伏を行ずる行動が、もっとも大きな福運を積み、もっとも人間革命していく源泉であるとのおおせなのである。されば、一日一日は、否瞬間瞬間が無上に尊いのである。これ娑婆即寂光土ではないか。
 さらに、経王殿御返事にいわく「いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(1124:09)と。
 御本尊は、大宇宙のいっさいの力、十方三世諸仏のいっさいの功徳を具足しているのである。われらがこの偉大なる御本尊を受持しぬいていくならば、日々の行動は、宇宙の大リズムに合致し、われらの世界には諸天の働きは充満し、ゆうゆうたる、そしてかぎりなく力強い人生行路を進んでいくことができるのである。この世界を思うがままに乱舞できるとはなんたるすばらしいことか。
 以上、われわれの境涯において「娑婆即寂光土」を論じたが、これ個人における人間革命であり、さらに、妙法の広宣流布した世界こそ「娑婆即寂光土」なりと断ずるものである。
 今日、幾多の悲惨な現実が、われわれの眼前に展開している。それは残酷、冷酷、無慈悲等々、言葉では言い表わせない現状である。全人類は一触触発の核戦争の恐怖にさらされ、弱小国はたえず動乱と戦争の絶え間がない。
 これ、まさに娑婆世界である。だが、こうした世相も、その本源をたずねれば、人間生命の貪・瞋・癡の三毒の反映である。戦争を起こすも起こさないも人の心であることは、世の識者の一同に認めるところである。だが、それを知っても、いかんともしがたいのがいつわらざる実状である。それはなすべき、なんらの支柱もないからである。
これを解決する法もまた、人間生命の究極をつきつめ、それを説き明かした仏法哲理によらなければならないと主張するものである。
 法華文句にいわく「相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇して刀兵起り貪欲増劇して飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んたり」と、これ五濁乱漫の世相の根源は、実に人間生命の濁りであることを示したことばである。しかして、われわれが、妙法を全世界に広宣流布するならば、必ずやこの乱れきった娑婆世界も常寂光土と転ずることを確信してやまない。
 立正安国論にいわく「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん」(0032:14)。
 この原理は、たんに一国のみならず全世界について同様にいえるのである。一日も早く、全世界の人々に、御本尊の偉大な力を知らしめ、絶対にくずれない、恒久平和を築いていこうではないか。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0247:15〜0248:03 第19章 文底下種の本尊を明かす

 

本文

 此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。

 

現代語訳

 この法華経本門の文底に沈められた肝心たる南無妙法蓮華経の五字にあっては、釈迦仏は随一の高弟たる文殊師利菩薩や薬王菩薩等にもこれを付嘱し給わないので、どうしてそれ以下の一般の弟子にこれを付嘱する訳がない。但涌出品から嘱累品に至る八品の間に地涌千界の大菩薩を召しいだして、これを付嘱し給うたのである。その文底下種の御本尊の為体は常住不滅の本仏が説き明かす常住の浄土たる娑婆世界の上に宝塔が空に居し、その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏がならび、釈尊の脇士には上行等の地涌の四菩薩がならび、文殊や弥勒等の迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居し、迹化の菩薩他方の国土の菩薩等大小の諸菩薩は下賎の万民が大地にひれふして雲閣月卿のごとき尊貴の人を見るがごとく、十方から来集した分身の諸仏は、迹仏迹土をあらわすゆえに大地の上に居した。
 このような尊極無比の御本尊は在世五十余年にまったくこれなし、法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品に至るただ八品の間にこれを説き地涌の菩薩に付属した。正法像法二千年の間には小乗の釈尊は迦葉と阿難を脇士として建立され、権大乗や涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は文殊や普賢等の菩薩を脇士として建立された。これらの仏をば正法・像法年間に造り画いたけれども未だ寿量品に説き顕わされた仏は建立されていない。末法に至って初めて文底下種・人法一箇の御本尊がかならず建立されるのである。

 

語釈

文殊
 文殊師利菩薩のこと。梵名マンジュシュリー(Manju?r?)の音写。「うるわしい輝きをもつ者」の意。妙徳、妙首、妙吉祥と訳す。仏の智慧を象徴する菩薩。文殊菩薩の智慧は、諸仏要集経巻下に「博聞第一」とあるように、諸菩薩の中で最も勝れているとされる。一般に非常に勝れた智慧にたとえる。迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。法華経序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、同提婆達多品第十二で沙竭羅竜王の王宮へ行き、女人成仏の範を示した竜女を化導している。

薬王
 薬王菩薩のこと。梵名バイセイジャ・ラージャ(Bhai?ajya-r?ja)。音写して吠逝闍羅惹と書き、薬王と訳す。観薬王薬上二菩薩経(以降、二菩薩経と略称)によると、瑠璃光照仏の滅後、日蔵比丘が正法を宣布した。時に長者あり、兄を星宿光といい、弟を電光明と名づく。兄弟の長者は日蔵に従って仏慧を聞き、雪山の上薬を採って日蔵と衆僧に供養し、未来世において衆生の身心の二病を治せんと誓願を立てた。釈迦仏は、その時の星宿光が今の薬王、電光明が薬上であると明かし、釈迦仏は弥勒菩薩に、彼らは未来に浄眼・浄蔵という如来になるであろうと告げたと説いている。
 法華経の会座に列しては、迹門流通の対告衆の首位となっており、薬王菩薩本事品第二十三では、過去世に一切衆生憙見菩薩として、日月浄明徳仏に、七万二千歳のあいだ、臂(腕)をやいて仏に供養した因位の修行を説いている。
 また妙荘厳王本事品第二十七では、浄蔵・浄眼の二王子が、母の浄徳夫人とともに、バラモンの教えに執着していた父の妙荘厳王を仏道に導いたことが説かれ、その時の二王子が今の薬王菩薩、薬上菩薩であると明かしている。
 なお、中国の小釈迦といわれた天台大師は薬王の化身であるといわれている。御義口伝には「天台大師も本地薬王菩薩なり」とある。

脇士
 脇侍とも書く。中尊(本尊)の左右あるいは周囲にあって中尊の徳用を表顕し、その用務を弁ずる侍聖のこと。脇士の位・様相によってその本尊の徳用の高下が判じられる。次に各教主の脇士をみると、「正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す」とある。次に法華経本門の釈尊は「上行等の四菩薩」を脇士とし、「文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し」とされている。また次に文底独一本門の教主、すなわち御本尊の姿は、「妙法蓮華経(中尊)の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」であり、さらに「釈尊の脇士」として「上行等の四菩薩」がある。すなわち妙法蓮華経の脇士は二重の脇士であって、正像の本尊とは比較にならないほどすぐれている。

弥勒
 弥勒菩薩のこと。梵名マイトレーヤ(Maitreya)。慈氏と訳す。名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一と称され、次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので一生補処の菩薩といわれた。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。

雲閣月卿
 雲閣は、四位・五位・六位の昇殿をゆるされたものの称で、殿上人ともいう。月卿とは、天皇を日になぞらえ、三位以上の公卿を月になぞらえてこのようにいう。なお、公卿とは公と卿のこと。公は太政大臣・左大臣・右大臣をいい、卿は大納言・中納言・参議および三位以上の朝官をいう。大臣公卿と分けていうときは、公卿とは納言以下の公家をいう。

普賢
 普賢菩薩のこと。梵名サマンタバドラ (Samantabhadra)。文殊師利菩薩とともに迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。普賢は六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、而も善なることをあらわした名号である。なお、法華経普賢菩薩勧発品第二十八には「爾の時、普賢菩薩は、自在なる神通力、威徳、名聞を以て、大菩薩の無量無辺不可称数なると東方従り来る。経る所の諸国は、普く皆な震動し……」とあり、普賢菩薩が出現した時に大地が震動したことが説かれている。

 

 

講義

 本章は文上熟脱の本尊を簡び文底下種の本尊を顕わす。初めに付嘱の人は本化地涌の大菩薩なることを明かし、「其の本尊の為体」以後はまさしく遺付の本尊の相貌を明かし、「是くの如き本尊」以下はかならず末法に出現すと結んでいる。
「此の本門」の三字は熟益迹門の本尊を簡び、「肝心」の二字は文上脱益の本尊を簡ぶ。ゆえに「此の本門の肝心」の五文字は文底下種本尊を顕わす文となるのである。「南無妙法蓮華経の五字に於ては」とは文底下種の本門事の一念三千の御本尊を明かしたので、これすなわち本化所属の法体である。日我は「本迹の不同・在世滅後の本尊能く能く意を留む可きなり」といっているが、在世の本迹とは始成正覚と久遠実成の相違であり、滅後の本迹とは脱益と下種益の相違であるから本迹の不同といい、文上の脱迹は在世の本尊であり文底は末法の本尊であるから在世滅後の本尊というのである。よくこの相違を領解しなければならない。あるいは「寿量品の肝心」あるいは「寿量品の肝要」等とおおせられるは、ことごとく寿量品の文底を御指示あそばされているのである。この最大事の末法弘通の本尊であるから「仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず」とおおせられたのである。
 三大秘法稟承事にいわく、
「教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや」(1021:05)
「八品を説いて之を付属す」とは、涌出品第十五には付嘱すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付嘱する本尊を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かし、随喜功徳品には、この本尊のことを聞いて五十展転する功徳を明かし、法師功徳品には、この本尊の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には、この本尊が末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付嘱し、嘱累品第二十二では付嘱を受けおわって地涌の菩薩が退去する。ゆえに八品を説いて之を付嘱すとおおせられたのである。
 妙楽いわく「今釈迦仏は本迹を説き竟って惣じて枢要を撮って諸菩薩に付嘱す」と。
 天台いわく「今日本門を説いて一切諸仏の所有の法を付嘱す」と。
 このように妙楽は一経三段の意に約し、通じて法華経一部の始終を挙げたから「本迹を説いて」という。天台は二経六段の意に約し、別して本門の始終を示すゆえに「本門を説いて」という。また宗祖日蓮大聖人は地涌の菩薩が法華経の会座につらなっている時に約し、付嘱の始終を明かすので「八品を説いて云云」とおおせられたのである。
 次に「其の本尊の為体」とおおせられているのは、まさしく地涌の菩薩に付嘱された本尊の相貌を明かしているのである。
 以下三段に分かち、第一にこれは寿量所顕の本尊なるを明かし、第二にこの本尊は文底下種の本尊なるを明かし、第三に文に随って消釈せられている。
 第一に寿量所願の本尊であるとする理由は
 新尼御前御返事にいわく
「今此の御本尊は……宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候」(0905:12)
 御義口伝にいわく
「惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟(おわ)るなり」(0770:妙法蓮華経如来神力の事:03)
 同抄にいわく
「宝塔品に事起り……涌出寿量に事顕れ神力属累に事竟るなり」(0782:16)
 このように諸御抄はみな寿量品に説き顕わすとおおせられ、また本尊抄にも次下の文にいたって「未だ寿量の仏有さず」「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」等とおおせられて、日蓮大聖人のご真意は寿量所顕の仏であることは確かなことである。しかるに「八品の仏」「八品の本尊」という者があるが、これは大なる邪見である。「八品を説いて」とはただ付嘱の始終を顕わすことであると知らなくては大なる僻見に陥るのである。今日の仏立宗のごとき八品門流は八品が寿量所見の本尊の付属の儀式であることを知らないで、八品所顕の本尊といって大なる謗法をおかしている。
 八品派の日忠は「此の本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字は八品の間に説いて上行菩薩に付属し是を本尊と為す、又此は但題目の五字とは此れ但八品と口伝する」等と言っている。このように大聖人滅後、百年ごろ発生した八品派の邪義は本尊抄のこれらの文によっているのであるが、大聖人は寿量所顕とおおせられて、けっして八品所願とは説かれていないこと前述のとおりである。もし「八品を説いて云云」が八品所顕というならば、前掲の妙楽は「本迹を説き」というから二十八品所顕というのか、また天台は「本門を説き」というから十四品所顕というのであるか。いわんや本尊抄に「彼は一品二半此れは但題目の五字」とおおせられるのを「此れは但八品」と曲解させるがごとき誤謬(ごびゅう)を誰が信ずることができようか、まったく師敵対の謗法と断定せざるをえない。
 また彼らは「是くの如き本尊は乃至但八品に限る」との文に執着して八品所願の本尊を主張するが、この寿量所願の本尊がただ八品のあいだにわたり余品にわたらないゆえに「但八品に限る」という意を知らないのである。かさねていうが、この御文意にはけっして八品所顕の意はないのである。
 また諸門流は一同にいま、この本尊は八品の儀式であるというが、これまた大なる僻見であって、まさしく寿量品の儀式である。なんとなれば宝塔品のとき二仏座をならべ分身の諸仏が来集し、涌出品のとき地涌の菩薩が涌現し、寿量品のとき十界互具のうえに国土世間がすでに顕われ、一念三千の本尊の儀式が円満具足してさらに一事の闕減もない。じつに寿量所顕の本尊であることが明らかではないか。しかるに諸門流の輩は、地涌千界が列座する在世八品の儀式を取ってそのまま末法の本尊なりと曲解する。ゆえに日蓮大聖人のご正意に到達しえないのみか、かえって法華経の意義すら解しえない盲目の徒である。
 日辰抄に、通じて本尊を明かすときは、八品所願の本尊であり、別して本尊を明かす時は寿量所顕の本尊であるから「本門寿量の本尊なり」という、といっているが、これも大なる僻見である。すなわち通じて本尊を明かす時は八品所顕というような説は日蓮大聖人の御抄に絶対にない。また日辰のいうところの寿量所顕も、文上脱益の相を帯びていて当流の所証、寿量所顕とは大いに異なるのである。
 また、蒙抄に一部八巻二十八品がみなこれ本尊である。ただ八品に限るとは本仏の一念の尊像をただ八品のあいだに事相に示すゆえである。このように事相に顕われるか隠れるかは機によって異なり仏意は当然であるといっているが、これもまた違背の曲説である。日蓮大聖人はすでに「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365:01)とおおせられているからである。ただし唱法華題目抄に「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可し」(0012:12)とおおせられているのは、佐渡以前文応元年の御抄で仏の爾前経のごとく、いまだご本懐を示しておられないからである。

 第二に「其の本尊の為体」以下は文底下種の御本尊の相貌を明らかにせられたものである。すなわちこの御本尊はまさに文底下種・本地難思境智冥合・久遠元初自受用身の一身の相貌である。この義を明らかにするために文証を引く。
 一には経にいわく「如来秘密神通之力」と。
 御義口伝にいわく「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」(0760: 第廿五建立御本尊等の事)。

諸法実相抄にいわく「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」(1358:11)
 二には経にいわく「是好良薬今留在此」等云云。
 観心本尊抄にいわく「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや」(0251:09)
 三には経にいわく「時我及衆僧倶出霊鷲山」等云云。
 御義口伝にいわく「本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり……時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」((0757:第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事:03)
 四、本抄にいわく
 「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法のにして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:09)
 五、撰時抄にいわく
 「寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたると」(0284:13)
 六、下山御消息にいわく
 「地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346:11)
 七、下山御消息にいわく
 「釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり」(0359:09)
 以上のごとく諸御書に「本門寿量の肝要」とは熟益の迹門をえらび脱益の本門を取るゆえに本門寿量品といい、脱益の文上をえらび文底下種を取るゆえに肝要という。
 開目抄に文底秘沈といい、諸御書に肝要というは同じ意である。ゆえに寿量文底大事にいわく
「文底とは久遠下種の法華経・名字の妙法に今日熟脱の法華経に帰入する処を志し給ふなり、されば妙楽大師釈して云く雖脱在現具騰本種と云云」
 また御本尊の体相はまさしく釈迦多宝の二仏、本化迹化、舎利弗目連等、釈迦在世寿量品の儀式と同じである。しかして、これをもって在世寿量品の儀式のみと断ずるならば、文上脱益迹門・理の一念三千の教相の本尊となる。いま末法地涌に付属された本尊は文底下種本門・事の一念三千の観心の法門である。なぜ在世の儀式を用いるかというに「若し迹を借らずんば何ぞ能く本を識らんや」で在世寿量品の儀式をもって久遠元初自受用身の相貌を顕わすのである。妙楽の「脱は現に在りと雖も具さに本種を騰ぐ」の意を思い合わすべきである。
 さらにこれを説明するならば施開廃の相伝がある。すなわち、
 文上の意は
(施)久遠本果の本より、中間・今日の迹を垂れ
(開)中間・今日の迹を開し、久遠本果の本を顕わす
(廃)久遠本果の本を顕わし已んぬれば、さらに一句の余法なく、久遠本果の為体が一念三千の儀式である。
 文底の意は
(施)久遠元初の本より、本果・中間・今日の迹を垂れ
(開)本果・中間・今日の迹を開し、久遠元初の本を顕わす
(廃)久遠元初の本を顕わし已んぬれば、さらに一句の余法なく、久遠元初の自受用身の当体相貌にして真の事の一念三千の為体である。
 たとえば池の月に准じて天月の姿を知り、天月を知り已れば池月の影を撥って天月を指すようなものである。しかるに諸門流の輩は天月を知らず、ただ池月を見る。「嗚呼・聳駭なりなんぞ道を論ぜん」の徒輩というべきである。
 さて末法の仏法においては、本果をもって迹に属することが重大な問題でこれを諒することが非常にたいせつなことである。すなわち文底の意はただ久遠元初をもって本地となし本果以後を通じて迹に属するのである。すなわち本果第一番成道の時すでに四教八教の浅深不同の教を説いているからである。文一にいわく「唯本地の四仏は皆是れ本なり」云云、籤七にいわく「既に四義浅深不同あり」と。このように不同があるということは、たとえ久遠の成道たりとも迹に属することを知るべきである。

第三に文にしたがって消釈す

「本師の娑婆の上に宝塔空に居す」云云とある。この本師の娑婆とはすなわち常在霊鷲山である。妙楽いわく「常在の言に拠る即ち自受用土に属す」等云云。ゆえに能居の五百由旬の宝塔というのは、すなわち本有の五大を意味し、所居の虚空はすなわち自受用身の住する寂光土を意味するのである。
「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」等とは、忠抄に「中央の妙法蓮華経の脇士は釈迦多宝なり、釈迦多宝の脇士は四大菩薩なり、文殊弥勒等は四大菩薩の眷属なり」といっているが、この義は最美であると日寛上人はおおせられている。すなわち妙法蓮華経の脇士は二重の脇士であって、正像の仏像とは大いに異なるのである。
 また、釈尊在世の宝塔中の妙法蓮華経の体については次の三意がある。
 一には妙法蓮華経とは即本有の五大である。いわゆる在世に出現した五百由旬の宝塔とは、密に本地自受用身の本有の五大を表わすのである。自受用身の本有の五大(地水火風空)とは即妙法蓮華経である。ゆえに三世諸仏総勘文抄教相廃立にいわく「五行とは地水火風空なり……是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり」(0568:01)と。
 二には妙法蓮華経とは即これ十界互具である。釈尊在世・虚空会の儀式に現われる十界の聖衆は本地自受用身の一念の心法所具の十界互具の妙法蓮華経を表わすのである。ゆえに当体義抄にいわく「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513:04)と。
 三には妙法蓮華経とはすなわち境智の二法である。いわゆる十界の聖衆が左右に坐して本地難思の境智の妙法蓮華経を表わすのである。天台いわく「境智和合すれば則ち、因果有り、境を照らす未だ窮らざるを因と為し、源を尽すを果と為す」等云云。すなわち列座の九界は境(客観世界)をいまだ照らし尽くすことができないゆえに妙因を表わし、釈迦多宝の二仏は源を尽くして智徳円満のゆえに妙果を表わし、このように境智和合因果の二法を表わすのである。
 また、御本尊の妙法蓮華経の左右に文字に書き顕わす仏菩薩を色相荘厳の脱益の仏菩薩と拝する者のあるのは大いなるあやまりである。
 すなわち種本と脱益は天地雲泥の相違である。御本尊の文字に書き表わされた仏菩薩等は、本地自証の妙法・無作本有の体徳であらせられる。たとえば一粒の種の中に百千の枝葉を具足しているようなものである。もし色相荘厳造立の仏菩薩等は迹中化他の形像で、たとえば種から生じた百千枝葉のごときものである。このようにじつに重大な相違がある。しかるに古来権迹の色相荘厳の仏菩薩に執着する者は、これは迹中化他の形像であるということがわからない。この迹中化他の形像では末法の衆生を救うことができないのである。なぜ色相荘厳の仏菩薩が迹中化他の形像であるかというに教時義にいわく「世間は皆仏に三十二相を具すを知る、此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」と。すなわち劣応身の三十二相八十種好、勝応身の八万四千の相好、華厳経等の他受用報身の十蓮華蔵微塵の相好および微妙浄法身具相三十二、応仏昇進の自受用身等はみな世間の人情に順じて現ずるところの仏身である。ゆえに機根に随ってその相好にも多少がある。ゆえに止観第七にいわく「縁の為に同じからず、多少は彼に在り」等云云。
 しかし色相荘厳の仏に執着する輩は、たとえ色相荘厳であってももし久遠本果の仏ならばすなわちこれ本地自行の成道で、決して迹中化他の形像でないと主張するが、これは大いなる僻見である。すなわち本果第一番の成道にすでに四仏があり四教八教を説いている。天台いわく「本地四仏皆是れ本なり」妙楽いわく「久遠亦四教有り」等云云、すでに方便を設けて四教八教を説くゆえに化他の形像なりというのである。妙楽いわく「本地の自行は唯円と合す、化他は不定亦八教有り」と。これらの文に明らかではないか。
 また本尊について、辰抄にいわく「本尊に惣体別体あり、惣体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり即当文是なり、別体の本尊に亦二義有り、一には人本尊・謂く報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下文の事行の南無妙法蓮華経の五字七字ならびに本門本尊の文これなり、二には法本尊・即本尊問答抄の末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とす可し等の文是なり」等と。この文について日寛上人のいわく、
「日辰の所説は文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い但在世脱益教相の本尊に執着して以て末法下種の観心の本尊と為している。全く宗祖の諸御抄の意に通ずることなく恣に惣体別体の名目を立て祖文を曲会している。今の日辰が引くところの文はみな人法体一の本尊である。人法体一と雖も人法は宛然と具している。人即法の本尊とはすなわち自受用身即一念三千の大曼荼羅である。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の日蓮大聖人であらせられる。いま『其の本尊の為体等』のこの文、および同じく本尊抄の『事行の南無妙法蓮華経並びに本門の本尊等』の文、本尊問答抄の文は人即法の本尊であり、三大秘法抄・報恩抄等は法即人の本尊である」と。
 また「是くの如き本尊は但八品に限る」について詳論するならば、この意は、「かくのごときの本尊は在世四十年にこれ無く八年のあいだにもただ八品に限る、在世八品に限るのみで正像二千年のあいだには小乗・権教・迹門の仏をば造り画けどもいまだかくのごとき寿量の仏は有さず、末法に来入してはじめてこの寿量品の仏像が出現するのである」と、このように「是くの如き」から「此の仏像出現せしむ可きか」まで一連相続の文である。八品派の主張のごとく「八品所願の本尊は但八品に限る」と読むべきではない。「末法に来入して始めて」の「始」の字に留意するならば、このような読み方はいかに曲解謬釈のはなはだしいかは明瞭であり、このようなことから邪宗教が乱立したのである。
 また前には「本尊の為体」として法の本尊を明かしながら、なにゆえ、いま「寿量の仏」・「此の仏像」等というのであるかというに、これは人法体一の深旨を顕わしているのである。前には人即法に約して本尊の為体を明かし、いまは法即人に約して末法出現を結するのである。しかして究極においてはその人法が体一である。いわく前に明かすところの本尊の為体はまったくこれ久遠元初自受用身の当体の相貌であるゆえに、いま「寿量の仏」・「此の仏像」というのである。
 人法については文上熟脱は人法勝劣であり文底下種は人法体一である。いま文上熟脱で人法の勝劣をいうならば、すなわち諸経・諸文では人法の勝劣は天地のごとく供養の功徳はなお水火のごとく説かれている。すなわち普賢経にいわく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」云云、薬王品にいわく「若し復人有って、七宝を以って三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」等云云、文の十にいわく「七宝を四聖に奉るは一偈も持たんに如かず、法は是れ聖の師・能生・能成・能栄・法に過ぎたるは莫し、故に人は軽く法は重し」等云云。妙楽いわく「四不同と雖も法を以て本と為す」等云云。籤八にいわく「父母に非れば以て生ずるなく、師長に非れば以て成ずるなく、君主に非れば以て栄ゆるなし」等云云。その他これを略するが、これらの諸文の意は法によって生まれ、法によって成長し、法によって栄えることが明らかである。三世の諸仏がすでに法によって生じているのであるから、我等衆生もまた法を供養する功徳が勝れていることが明らかである。ゆえに法華経方便品にいわく「法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば 即ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり」云云。宝塔品にいわく「其れ能く 此の経法を護ること有らん者は 即ち為れ 我及び多宝を供養するなり」云云、陀羅尼品にいわく「八百万億那由佗恒河沙等の諸仏を供養せん。乃至能く是の経に於いて、乃至一四句偈を受持し、読誦し、解義し、説の如く修行せん、功徳甚だ多し」云云、善住天子経にいわく「法を聞いて謗を生じ地獄に堕つるは恒沙の仏を供養するに勝る」云云、名疏十にいわく「実相は是れ三世の諸仏の母なり乃至仏母の実相を供養すれば則ち三世十方の仏所に於て倶に功徳を得」等云云。このように供養の功徳もまた法と人とでは天地雲泥の相違がある。
 しかしながら文底下種の仏法においては人法は体一である。されば文底下種の本尊は人のほかに法なく・法のほかに人なし、人はまったくこれ法・法はまったくこれ人、人法の名は異なれどもその体は一である。
 法師品にいわく「若しは経巻所住の処乃至此の中には、已に如来の全身有す」云云、天台いわく「此の経は是れ法身の舎利」等云云、いま天台のいう法身とはすなわち自受用身である。宝塔品にいわく「若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云、文第十にいわく「法を持つは即仏身を持つ」云云。また涅槃経には如来行を説き法華経には安楽行を説く。天台はこれを会していわく「如来は是れ人・安楽は是れ法・如来は是れ安楽の人・安楽は是れ如来の法なり、惣じて之を言う其の義異ならず」云云、妙楽いわく「如来と涅槃は人法・名殊にして大理別ならず、人即法の故に」云云、会疏十三にいわく「如来は即是れ人の醍醐・一実諦是れ法の醍醐・醍醐の人醍醐の法を説く、醍醐の法醍醐の人と成る、人と法と一にして二無し」等云云、略法華経にいわく「六万九千三八四・一々文々是れ真仏」云云、これらの文意はじつに下種の本尊・下種の本仏・人法体一の深旨を顕わすのである。経にいわく「一心に仏を見奉らんと欲せば自ら身命を惜まず、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず」等云云。この文はまさしく人法体一の深旨を示している、よくよくこれを思うべきである。
 つぎに人法体一の釈を引くならば十界互具を円仏と名づけているのである。伝教大師の秘密荘厳論にいわく「一念三千即自受用身」等云云、御義口伝にいわく「自受用身とは一念三千なり」(0759:第廿二 自我偈始終の事:02)云云、諸法実相抄にいわく「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358:11)云云。
 また身延等の文底下種の仏法を知らぬ輩が色相荘厳の釈尊を作って、あえて間違いとしない理由は、「寿量品の仏」および「此の仏像等」というのを本門寿量の教主釈尊であって色相荘厳の画像・木像であると解しているからである。彼らの考えとしては釈尊一代の聖教を正像末の三時に配当すれば、正法像法は小乗教・権教・迹門の時であって末法の今時は本門の時である、ゆえに正像の時にはすでに小権迹の釈迦仏を造って本尊となしたから、末法の今時には本門寿量の教主釈尊を造り画いて本尊となすべきである、としている。
 じつに一応はそのとおりであるが、この本門について彼らは透徹した理論を持っていない。それは大聖人のご聖意たる文底下種の仏法を知らないからである。末法今時の本門は文上脱益の本門でなく、文底独一の本門である。されば日蓮大聖人は「本門に於て二の心有り一には在世の為・二には滅後の為」とおおせられて、在世寿量の教主・色相荘厳の仏は在世脱益の本尊である。文底下種の本尊は滅後末法の本尊である。ゆえに正像末三時の配立)に少しの矛盾もないのである。
 また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」と。また救護本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0248:04〜0248:06 第20章 末法出現の本尊を問う

 

本文

 問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

 

現代語訳

 問う、正像二千余年の間は仏滅後に正しい仏法を弘めた四依の菩薩ならびに人師等が阿弥陀仏や大日如来を建て、あるいは小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立したけれども、本門寿量品文底下種の三大秘法の御本尊として、地涌の菩薩が建立する御本尊を三国の王臣が、いまだこれを崇重した例がないという。このことをほぼ聞いたけれども前代未聞のことであるゆえに、耳目を驚き動かし、心を迷い惑わすばかりである。願わくばもう一度くわしく説いてほしい。委細にこれを聞こうと思う。

 

語釈

四依の菩薩
 仏の滅後、仏法を弘通し衆生済度の中心人格となった人々の位を四段階に分け、初依・二依・三依・四依とする。四依に四類あり小乗・権大乗・迹門・本門のそれぞれであり、これらの菩薩の位の配立は諸説がある。第十章に既出。

 

講義

 前章の略釈を聞いて「此の事粗之を聞く」云云との段階に至り、いま、また詳細に説明して欲しいとの質問である。これに対する答えが五重の三段となるのである。
 本章について「本門寿量品の本尊ならびに四大菩薩」と、とくにおおせられているのは深い御意がある。「本門寿量品の本尊」とは正釈の中の人即法の本尊を指し、「並びに四大菩薩」とは法即人の本尊を挙げているのである。
 この本門寿量の本尊とは寿量品の教主・色相荘厳の釈尊でなく、四大菩薩もまた、身みな金色の四脇士ではない。その理由は、前節に「其の本尊の為体」として「塔中の妙法蓮華経」といって本経の正体を明らかにしている。釈迦多宝はこの文底下種の妙法蓮華経の脇士であり、四大菩薩はさらにその釈迦多宝の脇士であるから、文上脱益の四大菩薩でないことは明らかである。まして答えの終わりには「彼は脱・此は種」として脱迹を簡ぶ説相であるゆえに色相荘厳の仏でないことは、はっきりしているのである。
 また四大菩薩が法即人の本尊であるというのは、これ摂前顕後の徳があるゆえである。すなわち前の自受用を摂して後の日蓮を顕わす。ゆえに四大菩薩をあげて双方を顕わしているのである。ゆえに当流深秘の名異体同のご相伝にいわく「本地自受用報身の垂迹・上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854:03)とおおせられるのがこれである。
 しかして上の文意よりすれば、四大菩薩といっても、その意は別して上行菩薩にあることがはっきりするであろう。ゆえに救護本尊には上行出現とあり、また本尊抄にも「此の時地涌の菩薩出現して」とあるのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0248:07〜0248:11 第21章 一代三段・十巻三段を示す

 

本文

 答えて曰く法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経なり始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり涅槃経等は流通分なり、正宗十巻の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。

 

 

現代語訳

 答う、末法下種の三大秘法の御本尊は一代仏教の中にあって、いかなる地位にあり、またいかなる実体かについて五重の三段を立て、くわしく説明しよう。
 釈尊一代の仏教といえば、法華経の一部八巻二十八品・それ以前には華厳より般若に至る前四味、それ以後には涅槃経等じつに広大な経教であるが、これら一代の諸経を総じて、これを括くるに、ただの一経となるのである。はじめ寂滅道場で説いた華厳経より般若経に至るまでは序分である。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分である。涅槃経等、法華経以後に説かれた経は流通分である。
 また一代三段で正宗分と立てる十巻の中においても序正流通があり、無量義経と法華経の序品は序分である。方便品第二より分別功徳品第十七の半ばで、十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分であり、分別功徳品の現在の四信より後半分から普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分である。

 

語釈

序正流通
 序分、正宗分、流通分の三段である。序分とは一経の序論で準備段階。正宗分とは一経の本論で、説法の中心であり、そこに本懐(ほんかい)が述べられる。流通分は正宗分の法水を流れ通わすの意で、すでに説かれた経の趣旨を後代に伝える意をもって説かれたものである。

分別功徳品の現在の四信
 分別功徳品は、すでに涌出品、寿量品で略広の開近顕遠が説かれ、菩薩大衆は種種の功徳を得たわけであるが、その功徳にも浅深不動がある。それを分別することを説いた品である。この品は二段に分かれていて、初めから、弥勒が領解を述べた偈頌の終わりまでは、本門の正宗分で、その中に授記と領解とがあり、まず総じて菩薩に法身の記を授け、大衆の供養があり、ついで、領解、分別供養がある。つぎに、後半「爾の時、仏は弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく」から終わりまでは流通分に属し、つぎの品の終わりまでは初品の因の功徳を明かすのであって、まず一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成の現在の四信と、随喜品、読誦品、説法品、兼行六度品、正行六度品の滅後の五品を説き、次品の終わりまでにもおよんでいる。四信五品について略説すれば、
 まず四信とは、@一念信解、法華経の顕本の理を聞いて、即座にありがたいと思う心、この心をいう。A略解言趣、一念の信心が進んでいくと、その経の趣旨が了解される。一字一句から始まって、仏が教えを説いた意は、その趣旨は、目的はなんであるのかをほぼ理解していくことができる状態。B広為他説、広く他人のために法を説く状態、心に歓喜を生じて、他の人にも説きたくなること。C深信観成、自分では理解したが人に話してみるとわからないことが多い、しかし、ますます信心を強めて、より以上にわかっていく、内鑑していくこと。
 次に五品とは、?初随喜品で、法を聞いて随喜の心を起こすこと。?読誦品、経典を読誦すること。?説法品で、他人に向かってすすめること。?兼行六度品で、自他ともに救う六度の行をも心がけること。?正行六度品で、正しく六度すなわち六波羅蜜の修行を行ずること。だが日蓮大聖人は、末法においては、もっとも@一念信解および?初随喜の位が大事であるとされている。

 

 

講義

 これより五重三段を立て第五の三段として文底下種三段に日蓮大聖人出世のご本懐をのこるところなくお述べになるのである。開目抄には五重相対を立て、いまここには五重の三段を立てる。その元意は、種脱相対して立つるところの末法流布下種の三大秘法をご顕示あそばされるのである。
 いま五重相対と五重三段の説相を比較するならば、

 一往惣の三段 ┬ 一代一経三段 … 内外相対
        └ 法華十巻三段 … 権実相対
        ┌ 迹門熟益三段 … 権迹相対 ┬ 天台第一第二法門
        │              └ 当家の第一法門
 再往別の三段 ┼ 本門脱益三段 … 本迹相対 ┬ 天台の第三法門
        │              └ 当家の第二法門
        └ 文底下種三段 … 種脱相対 ─ 当家の第三法門

 一往惣の三段とは再往別の三段を顕示するための所立であるから一往という。再往は迹門熟益と本門脱益と文底下種のそれぞれの本尊を顕わすゆえ再往別の三段という。別の三段のうち迹門の三段は天台の第一教相・根性の融不融(方便品)と第二教相・化導の始終不始終(化城喩品)とを含み、これは日蓮大聖人の第一教相権迹相対に当たる。すなわち天台の第一・第二はともに迹門と爾前経の比較相対にあるからである。次に本門の三段は天台の第三教相・師弟の遠近不遠近で、よく爾前迹門の始成正覚を破り、本門の久遠実成三妙合論を明らかにしているけれども、これは当家所立第二の法門・本迹相対である。当家所立の第三法門とは、文上脱迹の本尊を簡びて文底独一本門の御本尊を顕示する。これすなわち開目抄に種脱の相対を立て本尊抄に文底下種三段を立てる所以であり、常忍抄に「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981:08)とご判定あそばされる深意がここにあるのである。なお文底下種三段の項に詳論する。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0248:12〜0248:18 第22章 迹門熟益三段を示す

 

本文

 又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。

 

 

現代語訳

 また法華経と開結二経をあわせた十巻においても、迹門と本門の二経があり、おのおの序正流通を具している。まず迹門の三段を明かすならば無量義経と序品は序分であり、方便品第二より人記品第九に至るまでの八品は正宗分であり、法師品第十より安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分である。
 この迹門を説いた教主を論ずるならば、インドに生まれ修行して成仏したという始成正覚の仏が、本門の本有常住の一念三千に対比するなら本無今有の百界千如を説いている。しかし、また三千余年の爾前経に対比するなら已今当説に超過する随自意、難信難解の正法であって諸法の実相・二乗作仏を説き明かしている。さてその説法を聞く衆生等は過去三千塵点劫の時、大通智勝仏の第十六王子として釈尊が生まれ、法華経を説いた時に仏果の種を下したものである。その時いらい長期にわたって、調機調養して、いまインドに生まれ釈迦仏が華厳経等の前四味を説くのをきいて助縁となして、大通の種子を覚知するものがあった。しかし、これは仏の本意ではなくて身体の中に潜んでいた毒がある時に発するようなものであり、爾前経を聞いて種子を覚知したものはこのような毒発等の一分であった。大多数の二乗凡夫等は前四味を助縁とし、しだいに法華経へ来至して種子を顕わし開顕を遂げて成仏を許されたのである。また在世においてはじめて正宗の八品を聞き発心下種した人界天界の衆生等は、あるいは一句一偈等を聞いて下種とし、あるいは熟しあるいは脱し、なお法華経で脱しないものも普賢経や涅槃経で脱し、なお洩れたものは正法像法年間におよび、末法の初めに小乗教や権教を助縁として脱し、ことごとく成仏した。あたかも在世の前四味を聞いて助縁とし、大通の種子を覚知したごとく仏滅後の正像末、二千余年のあいだにことごとく法華に入って成仏を遂げたのである。

 

語釈

本無今有
 迹門で成仏を許されたものは本が無くていま仏に成るといわれ、また仏も久遠を説いてないから本が無くていま有る、したがって説く法門も本が無くていま有る法を説いているに過ぎない。本門の本有常住に対していう。

過去の結縁
 今生に法華経を信じ修行に励むものはこの世で偶然に信じたのではない。過去世に下種を受け結縁しているのであると説く。迹門は三千塵点劫・大通智勝仏の下種を説き、本門は五百塵点劫・寿量文底では久遠元初以来、本仏の弟子であり眷属であったことが明かされている。

大通十六の時
 釈尊が過去世に大通智勝仏の第十六王子であった時の意。法華経化城喩品第七に、大通智勝仏が三千塵点劫の昔に出現して法華経を説法したことが説かれる。劫を大相、国を好成といい、十六人の王子がいた。魔軍を破し終わった後、十小劫じっと坐ってついに悟りを得た。成道後、十六王子や諸の梵天王の請いによって四諦・十二因縁の法を説き、十六王子もまた出家した。更に二万劫を経て十六王子の請いによって法華経を説いた。その後八千劫の間、法華経を説いたが、十六王子と少数の声聞以外はだれも信解せず、ついに静室に入り八万四千劫の間、禅定に住した。その間、十六王子はそれぞれの場所で広く法華経を説き、おのおの六百万憶那由他恒河沙等の衆生を成仏させた。これを大通覆講といい、この時、法を聞いた衆生を大通結縁の衆という。大通智勝仏は八万四千劫の禅定の後、法座に登って十六王子の法を信受した者は成仏すると説いた。この十六王子の九番目の王子が阿弥陀仏、第十六番目が釈尊である。

毒発等の一分
 毒が体内にあれば、いつ発して死ぬかもしれないところから、爾前経を聞いて過去世の法華の下種を覚ったものを毒発の一分と譬えた。

 

 

講義

 本節は迹門熟益の三段を五節に分けて明かしているのである。

一、正しく三段を明かす
 序 分 …… 無量義経と序品
 正宗分 …… 方便品より人記品までの八品
 流通分 …… 法師品より安楽行品までの五品
二、能説の教主
 迹門を説いた仏は「始成正覚の仏」であって、久遠実成の仏は本門寿量品に至ってからである。されば迹門正宗の方便品に「我れは始め道場に坐し 樹を観じ亦た経行)して 三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき」と明らかにこの世で修行して成仏したことを説いている。
三、所説の法体
 文に「本無今有の百界千如を説く」というのはのちに説く本門に相対するからである。もし与えてこれを論ずる時には、迹門を理の一念三千と名づけ、奪ってこれを論ずれば迹門は本無今有の百界千如にすぎない。
 開目抄上にいわく
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず」(0197:12)
 十法界事にいわく
「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや」(0421:13)
四、権実勝劣
 御文に「已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり」とは権実の勝劣を明かしている。すなわち本門に対する時は本無今有の百界千如である迹門が、もし権教に対するならば随自意・難信難解の正法であり、権教は随他意また易信易解である。
五、化導の始終
「過去の結縁を尋れば」云云とは化導の始終を明かしている。迹門の衆生は同じく大通第十六王子の下種でありながら次のような三類に分かれる。
 第一類は「爾前入実」といって四味三教を聞いて法華を知り大通の種子を覚知する。すなわち爾前経によって実教の境涯を覚る者である。ただしこれは仏の本意ではなくて、ただ毒が発するような不定のものであり、しかもその種類は一でないから「一分なり」とおおせられるのである。
 第二類は「今経当機」で二乗凡夫等が在世に前四味を縁として法華経に至って得脱する。これは当機衆である。この当機衆は法華経において得脱するのであるが、およそ得脱ということは種子を顕示することを得脱と名づけるので種を覚知することも得脱することも同じ意味である。ゆえに迹門の衆生は大通の種子を覚知するのが得脱であり、本門の衆生は五百塵点劫下種を覚知するのが得脱であり、いままた、われら末法の衆生は久遠下種を覚知し久遠の本仏日蓮大聖人の本眷属であることを覚知するのが得脱であり即身成仏である。また五百弟子品には親友の襟に無価の宝珠を?けておいたのを、親友は知らないで諸国を流浪し貧窮下賤となってふたたび前の親友に会えた時、じつは君の襟にはこのような宝珠があるのにそれを知らないで、なぜ生活に困るような貧窮の身となったのかといわれ、はじめて自分が持っていた宝珠を知ったと説かれているが、これすなわち脱は必ず下種に還る明文である。われわれもまた久遠の本仏より妙法五字の御本尊を下種されておりながら、それを知らないで貧窮下賤の身となり苦悩にあえいでいたのであるが、いまだ三大秘法の御本尊に値うことができて久遠の下種を覚知しはじめて絶対の幸福の境地に立つことができるのである。籤の一にいわく「聞法は珠を?けるなり是を円因と為す、得記は珠を示すなり名けて円果と為す」云云というのがこれである。
 第三類は結縁衆のことで「在世に於て始めて八品を聞く」云云の文である。またあるいは一句一偈を聞いて下種となすとおおせられている。この下種の義については二義がある。それは聞法下種と発心下種である。この御文の下種が聞法下種か発心下種かと考えるならばつぎのごとき疑問が生じてくる。もし聞法下種だというならば在世はみな本已有善の衆生であるから、いまごろになって聞法下種のものがあるはずはない。またもし発心下種であるとすればいまの文に「始めて八品を聞く」というのはおかしいことになる、すでに聞法の下種があっていままた八品を聞いて発心したはずである。こうなると聞法下種と発心下種の二義の中にいずれに属するのであろうかと、これについて日寛上人はつぎのごとくおおせられている。これは発心下種であると。そのゆえは大通十六の時すでに法華を聞いたのであるが、信じなかったから聞かないのと同じであるので、「始めて八品を聞く」等とおおせられたのである。たとえば大通第三類の人が「未だ曾て大乗の義を聞かず」というのと同じである。
 また第三類のものがあるいは「普賢経・涅槃経に至って」云云といってなぜ法華経本門寿量品で得脱したといわないかというに、本門得脱の人は本門下種の人であって、大通下種とはまったく異なるのであるから本門得脱とはいわないのである。たとえば舎利弗の大通下種といって論ずる時と五百塵点劫下種といって論ずる時とはまったく違うのと同じである。
 また「或は正像末」とあるのは、釈迦仏法は正法像法で終わるのであるが、末法の本仏出現までにそうとうの年数のあることが考えられるからである。事実、末法のはじめ二百年・日蓮大聖人のご出現までは釈迦仏法の流類として本已有善の衆生が出てきているのである。本尊抄に「三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は末法の初なり」というのもこの意である。
 以上の文は、迹門でもまさしく化導の始めから終わりまでを明かしているが、なぜこれを迹門熟益三段というのかというに、迹門の言は爾前に対し熟益の言は本門脱益に対するからである。されば爾前経に対する時は迹門に化導の始終を明かしているが、もし本門に望む時は通じて熟益に属するのである。ゆえに本尊抄に「一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ」とあるのがこの意である。
 そもそも化導の始終は当門流の第一法門であり、もし第二法門の教相に望むる時はすなわち熟益の分斉なのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0249:01〜0249:04 第23章 本門脱益三段を示す

 

本文

 又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり。

 

 

現代語訳

 また本門十四品の一経に序正流通があり、涌出品の前半分を序分となし、涌出品の後半分と寿量品の一品と分別功徳品の前半分、以上の一品二半を正宗分となし、その余はみな流通分となる。この本門の教主を論ずるならば、爾前迹門の始成正覚の仏ではなくて久遠実成の仏であり、説くところの法門も天地のごとき相違があり、十界の久遠常住、事の一念三千を説いて本国土妙を説き明かしている。しかし文底下種の独一本門に相対するならば本迹の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔つがごときわずかなものとなる。また本迹の勝劣をいうならば迹門や前四味の爾前経・無量義経・涅槃経等の已今当の三説はことごとく随他意の易信易解であり、本門はこれら已今当の三説に超過する随自意・難信難解である。

 

語釈

始成正覚の釈尊に非ず
 この世で修行して成仏したというのが爾前経から迹門まで説いてきた始成正覚の仏である。ここは、本門の釈尊は五百塵点劫の成道であることを明かす。

国土世間
 五陰世間(五蘊世間)と衆生世間は迹門までにも明かしてきたが、寿量品にいたってまさしくこの娑婆世界が本国土であると明かす。 

竹膜を隔つ
 竹膜とは竹の皮の意。竹の皮一枚の厚みほどの、わずかな違いをいう。

 

 

講義

 本節は本門脱益の三段を明かして、その内容は迹門と同じくつぎの五となっている。
一、正しく三段を明かす。
 序 分 …… 涌出品の半品
 正宗分 …… 寿量品と前後の二半、ただしこの一品二半は天台の立てる略開近顕遠の一品二半であり後出の一品二半とは異なる。
 流通分 …… その余(分別功徳品の半品よりの十一品半と普賢経)
二、能説の教主
 始成正覚の釈尊ではなくて久遠実成の本仏である。
三、所説の法体
 十界久遠常住事の一念三千で、迹門の一念三千とは天地のごとき相違がある。しかし文底下種独一本門に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜を隔つほどの小異である。
四、本迹勝劣
 文底の意に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜を隔つほどの小異であるが、迹門や前四味と文上脱益の本門と相対すれば本門は三説の外の難信難解・随自意である。
五、化導の始終
 この段には化導の始終の文は略されているが、迹門三段および文底三段から推して明らかである。すなわち「一往之を見る時は久遠を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至って等妙に登らしむ」というのがその始終である。
 しかしてこのように化導の始終を明かしているが、本門の三段とはいわないで脱益三段というのである。そのゆえは本門ということは迹門に対し、脱益ということは文底下種に対するからである。しかして迹門に対する時は化導の始終を明かしているが文底に望む時は脱益と名づけるのであるから、下文にて「彼は脱此れは種、彼は一品二半此れは但題目の五字」等とおおせられるのである。すなわち当家所立の第二の教相たる文上本門の種熟脱は、当家所立第三の教相たる文底下種本門に相対すれば、ただ脱益となるのである。

所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ

 この文には古来いくたの解釈があるが、要するに文上でただちに迹門と本門を相対すれば「天地の如き」相違があり、ついで文底に望んで文上の本迹を判ずればその本迹の相違は「竹膜を隔つ」ということになる。しかるにこの文については古来いくたの誤解があるので初めに異解を破しついで正義を示すこととする。
 初めに異解を破す。
 一には本迹抄にいわく、国土世間と十如是とただ開合の異なりのゆえに竹膜を隔つという。
 二には決疑抄にいわく、九界の一念三千と仏界の一念三千とただ竹膜を隔つるのである。
 三にはまたいわく、能居の十界と所居の国土とをすでに一念に具するゆえにただ竹膜を隔つという。
 四には幽微録にいわく、迹化の内証自行の辺と宗門の自行化他の口唱とがただ竹膜を隔つのである。
 五にはまたいわく、始成の仏を指すと久成の仏・久成の十界を説くとただ竹膜を隔つと。
 六にはまたいわく、在世の機情の近成を執する迷と仏意の悟と殆んど竹膜を隔つと。
 七にはまたいわく、十界久遠の大曼荼羅と一念三千は殆んど竹膜を隔つ。
 八にはまたいわく、法相に約する時は本有の三千・行者に約する時は一念三千、すでにこれは少分の異なりのゆえに竹膜を隔つという。
 九にはまたいわく、殆んど隔つの上に開悟の二字を添入してみよ、例えば証を取ることを掌を反すがごとしというようなものである。
 十には日朝抄にいわく、迹門の理円と本門の事円と、事理の心理がただ竹膜を隔つと。
 十一にはまたいわく、本門の一念三千がすでに顕れ已れば自己の一念三千とただ竹膜を隔つるのであると。
 十二には享抄にいわく、迹門にはいまだ国土世間を説かず本門にはこれを説く、この不同の相は殆んど竹膜を隔つと。
 十三には安心録にいわく、一念三千は凡聖同体・迷悟の隔ては猶竹膜のごときものであると。
 十四には蒙抄にいわく、寿量品の因果国の説相と、一念三千の本尊とただ竹膜を隔つと。
 十五には忠抄にいわく、十界久遠の上に国土世間既に顕れたると、一念三千の法門とただ竹膜を隔つるのであると。
 十六には辰抄にいわく、一念三千の始の相違は竹膜の如く後の相違は天地の如し、謂く迹門の妙法蓮華経を一念三千と名づけると本門の妙法蓮華経を一念三千と名づけるとは殆んど竹膜を隔つのである。もし種脱の流通に約して本化迹化の三千の不同を論ずれば天地水火の不同であると。
 十七には日我抄にいわく、一念三千殆んど竹膜を隔つとは、久成と始成と、事の一念三千と理の一念三千である。「雖近而不見」の類であり、近処の事の一念三千を知らざる竹膜を隔つというのである。略抄。
 以上のように説くのはすべて日蓮大聖人滅後の学者たちが不相伝すなわち文底の意を知らぬ者の我見を基にして解釈したものであって、まったく日蓮大聖人のご真意ではない。また以上のように日寛上人が一括してならべ上げられたことによってその誤謬は一切明白となりこれ以外の誤謬やこじつけはほとんどないのである。
 次に正義を明かす。
 この段は所説の法体を明かしているが、また二意があって、
 一にはただちに迹門と本門を相対す。ゆえにかれは本無今有の百界千如でこれは本有常住の一念三千なるがゆえ「所説の法門亦天地の如し」というのである。
 二には重ねて文底に望みて本迹を判ずるゆえに、本迹の不同は天地のごとしと雖も、文底独一の本門・真の事の一念三千に望み還って迹本二門の一念三千を見ればほとんど竹膜を隔つごときものである。譬えば一メートルと十メートルをくらべたら大きな相違があるけれども、百メートル・千メートルからみればその相違は竹膜のごとき少異となるがごときものである。仏教では二万億仏が出現したという時節は長いようであるが、もし三千塵点劫と比較したら昨日のようなものである。三千塵点劫といえばはるか遠い昔のようであるが、五百塵点劫にくらべたらなお信宿となるようなものである。妙楽は「凡そ諸の法相は所対によって不同である」と、また日蓮大聖人は「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0332:07)とおおせられるのがこれである。
 また文底の大事に望む時は迹本二門とも同じく理の一念三千と名ける。ゆえに、
 本因妙抄にいわく
「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり」(0877:02)
 またいわく
「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872:15)
 もし地上と二階を比べたなら二階は高いけれども何千メートルの高度を取った飛行機の上から見るなら、地上も二階もともに低いのと同じである。妙楽は「第一義は理と雖も観に望めば事に属す」といっている。すなわち爾前経が個々の問題を取り扱うことであるのに対し、法華経は諸法の実相を説く理であり根本である。しかし法華経の中でも第一義は理であるとはいえ観心に相対すれば事となり文底観心のみが最高唯一の理であるというのである。これと同様に当流の意は「本門は事なりと雖も文底に望めば理の一念三千に属する」のである。ゆえに文底に望む時は本迹ともに理の一念三千と名づく。いま「竹膜を隔つ」と判ぜられるのになんの不思議があろうか。また迹門熟益三段の所説の法体においても「本無今有の百界千如」といって迹門を本門に相対し、ついで「已今当に超過せる随自意難信難解の正法なり」といって迹門を爾前経に相対している点をも思い合わすべきである。
 しかし文上の本門と迹門と竹膜を隔てる程のものであっても本迹一致でないのである。およそ本迹の不同は実に天地のごとき相違がある。但文底独一の本門・真の事の一念三千に望む故に竹膜を隔つというのである。竹膜を隔つといっても、彼の天地のごとき不同がたちまち竹膜となるのではない。彼の二万億仏の時節がたちまち昨日となるのではないが、三千塵点劫という久々遠々に相対するからである。また三千塵点劫のごときがたちまち信宿となるのではない。但五百塵点劫の遠々に相対するからである。ゆえに文底に望むと雖もなお本迹一致というべきではない。まして一致派の連中は文底の大事を知らないから、どうして本迹一致といえようか。もし国王に望む時は万民がことごとく臣となるけれども、臣の中にも位階の高下がないのではない。しかるに一致派は国王を知らないでしかも万民一致というような誤謬を犯しているのである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0249:05〜0249:10 第24章 文底下種三段の序正を明かす

 

本文

 又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く、其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり、爾前迹門の円教尚仏因に非ず何に況や大日経等の諸小乗経をや何に況や華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや、与えて之を論ずれば前三教を出でず奪つて之を云えば蔵通に同ず、設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり、譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し、此等は且く之を閣く

 

 

現代語訳

 次に第五の三段として、文底下種三段を明かす。すなわち文底独一の本門において、序正流通があり、過去三千塵点劫の大通仏の十六王子が繰り返し説いた法華経から、現在にインドの釈尊が説いた華厳経をはじめとする阿含・方等・般若・法華経の迹門から涅槃経等一代五十余年の諸経も、あるいはまた十方三世諸仏の大地微塵にも等しい無量の経々は、ことごとく文底下種三大秘法の御本尊の序分である。この御本尊よりの外は、あらゆる諸経がことごとく小乗教であり邪教であり未得道教であり真実を覆いかくす覆相教である。そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論ずるならば、徳が薄く垢が重く、幼稚であり、貧窮であり、みなし児のように孤露である。しかしてわれわれ末法の衆生のためにご出現の主師親の三徳を具えられた久遠元初の本仏を知らないのは、親を知らないようなもので禽や獣と同じである。爾前や迹門に説かれた「即身成仏」するという円教すら、なお成仏の因とはならない。なぜなら過去の下種も未来の得脱も一向に明らかにされていない。ましてや大日経や華厳経のような諸の小乗経で成仏できるわけがない。さらにまた華厳宗や真言宗等のような七宗の論師や人師が仏の滅後に我見で開いた宗派によって成仏できるわけがないではないか。与えてこれを論ずれば蔵・通・別の三教を出でず、奪ってこれをいえば蔵通の範囲で灰身入滅の教えしか説かれていない。たとえこれらの宗派でその教えが甚深であるといっていてもいまだ種熟脱を論じていないから、かえって灰断に同じであり化導の始終がないというのが、これらの宗派に対する適切な批判である。たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子供は人間としてもっとも下賤な階級である旃陀羅にさえ劣るのと同じである。すなわち七宗の論師人師は高貴の王女のようであっても畜種のような華厳真言を弘めることは旋陀羅にも劣るのである。これらはしばらくおく。

 

語釈

一品二半
 法華経如来寿量品第十六の一品と前後の二品の半分(従地涌出品第十五の後半と分別功徳品第十七の前半)のこと。本章では、法華経本門の十四品を一つの経典としてとらえ、それを序・正・流通に立て分けられて、一品二半を正宗分とされている。さらに「文底下種三段」を明かす箇所では、下種の法である「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」という仏の根本の教えがどこに説かれているのかを示すという点から、再度、序・正・流通の区別を明かされ、寿量品を中心とする一品二半を正宗分とされている。
 またここでいう「一品二半」は、天台教学におけるそれとは異なり、日蓮大聖人が改めて立て直されたものである。「法華取要抄」では、天台教学における一品二半は、釈尊の化導の枠組みに基づくもので、涌出品の略開近顕遠(地涌の菩薩は久遠以来の弟子であると述べ、ほぼ開近顕遠を明かしている)から始まり、寿量品の広開近顕遠(久遠の昔に成仏したことを述べ、仏の永遠の生命を明かした)を含むもので、在世の衆生に対する脱益のための教えであるとされる。それ故、「略広開顕の一品二半」と呼ばれる。
 これに対して、大聖人御自身の本門の正宗分としての一品二半は、略開近顕遠を含まず、動執生疑のところから始まり、もっぱら滅後、その中でも末法の凡夫のためであるとされる。それ故、「広開近顕遠の一品二半」と呼ばれる。この意味での正宗分の一品二半によって明かされる寿量文底の肝心たる妙法のみが、末法における衆生成仏の要法であり、三世の諸仏の一切の経々はすべて、この妙法をあらわすための序分と位置づけられるのである。

覆相教
 真実を覆(おお)い隠している低い教えをいう。文底下種一品二半(御本尊)のほかのあらゆる教は、本有常住事の一念三千の実相を覆い隠すゆえに覆相教である。

徳薄垢重
 法華経如来寿量品第十六の文。福徳が薄く煩悩の垢が積み重なっていること。寿量品で久遠実成という仏の本地を明かす際に釈尊は、劣った法に執着するこのような者に対し、方便の教えとして始成正覚を説いてきたと述べている。

孤露
 孤はみなし子、露は慈愛で覆われるもののないこと。すなわち、久遠の本仏を知らない者。

種熟脱
 下種・調熟・得脱のこと。仏が衆生を覚りへと導く三つの段階。各段階で仏が与える利益に応じて、それぞれ下種益・熟益・脱益と呼ばれ、合わせて三益という。

灰断
 身を灰にして、なにものもなくすという二乗の修行法、灰身滅智のこと。小乗教においては、一切の不幸の原因は煩悩にあるとし、この煩悩を断ち切れば、無余涅槃という悟りの境地に到達すると説き、そのために、比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒等の戒、その他さまざまな戒を設定した。さらに、生ある以上煩悩がつきまとうというので、ふたたび、この三界に生じないように身も心もなくしてしまおうとしたのである。これを灰身滅智という。しかし、これはあくまでも架空の論議であり、またそのような境涯がかりに得られたとしても、それなどは成仏の境涯よりはるかに低く、しかも、かえってそのようなものを理想として修行すれば、真実の幸福境涯からは遠ざかるだけである。まことにもって空虚な幸福論といわねばならない。

化の始終無し
 種熟脱を論じていないから、悟りを得たといってもそれは灰断であり、いつ、いかなる仏からいかなる仏法の下種を受けて、どのように熟し、どのように得脱するかの化導の始終が明かされていない。

旃陀羅
 梵語チャンダーラ(ca???la)の音写。暴悪・屠者・殺者などと訳す。インドのカースト制度における四種姓外の賤民。狩猟・屠殺などを業とし、最も賤しい者とみなされ、蔑視、嫌悪された。
 日蓮大聖人は御自身の出自につき、佐渡御勘気抄に「日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金を・かふるにあらずや」と仰せであり、さらに「旃陀羅が家より出たり」、「民の家より出でて」、「賤民が子なり」と。これを以て「日蓮大聖人は漁業に携わる家にお生まれになり」との解説がなされる。しかし、「日蓮がその出自をこのように卑下自称するときは、必ず法華経受持の法悦の無限さを、自己の穢身凡夫の肉身と比べて説明する場面であって、この自称をそのまま事実とすることは必ずしも妥当ではない」との穿った見解もある。本抄では旃陀羅の立場を入れ換えられていわく、「王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し」と。「王女」とは「華厳・真言等の七宗等の論師・人師」等の僧を譬えられ、世に尊信をかち得た身分でありながら、旃陀羅より劣る「畜種」というべき低い教えを説いている、と喝破されている。

 

 

講義

 これより正しく文底下種三段を明かす。この段は文底下種三段であることは明らかであるが、これを了すると了しないとによって末法の真の仏法を了するか了しないかに分かれる。邪教の日蓮宗が久遠実成の脱益の釈尊を仏宝とし、南無経法蓮華経を法宝とし、日蓮大聖人を僧宝とする、大いに誤れる三宝のたて方をしているのはこの御説を了解しないからである。久遠元初の自受用身即日蓮大聖人を仏宝と当然なすべきと確信する当家は、この説を聖旨のようによくよく了しているからである。
 いまなにゆえに文底下種三段と名づけるかについては幾多の理由があるが、略して次の五項を挙げることにした。
一、五重相対に准ず
 開目抄と当抄とはあるいは教相観心となり、あるいは一巻の始終となるからその大旨は違うわけがない。開目抄には五重の相対が説かれている。それは内外相対・権実相対・権迹相対・迹本相対・種脱相対である。いま当抄を拝すると五重の三段はまったく開目抄の意と同じであるから、第五の三段は正しく種脱相対を明かしたもので文底下種三段であることは間違いない。
二、三重秘伝に准ず
 いま一往惣の三段を除いて再往別の三段を論ずれば次のようになる。
 第一 迹門熟脱三段は爾前当分・迹門跨節、権実相対、第一の教相
 第二 本門脱益三段は迹門当分・本門跨節、本迹相対、第二の教相
 第三 文底下種三段は脱益当分・下種跨節、種脱相対、第三の教相
 以上のゆえに三重秘伝の意に准ずるときは当家所立第三の教相は正しく文底下種三段である。
三、本門の両意に准ず
 日蓮大聖人は諸御抄に、本門には二つの意があって、一には在世の衆生のための本門・二には滅後末法のための本門と仰せられている。
 法華取要抄にいわく、
「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並(ならび)に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり……問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334:04)と。
 その他諸御抄は略するが、この御抄の意よりして文上脱益第四の三段は正しく在世の衆生を得脱せしめるための説法で、この下の第五の三段は末法下種の三段であることが明らかである。
四、問中の意に准ず
 五重三段を説き起こす問の中には「此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し」云云とあり、すでに前代未聞の法門について質問しているのである。それに答えたのがこの第五の文底下種三段である。されば正像二千年にはいまだ誰人もこれを弘めたことのない未曾有の大法であるから文底下種三段たることは明らかである。
五、序分の広大に准ず
 一尺の池には一丈の波は立たないように序分が狭小であれば正宗分も狭小である。しかるに序分が実に広大であるから正宗分は広大でなければならないことがわかる。正宗分が前代に超ゆる広大であるということは、これ前代未聞ではないか。天台いわく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」と。また日蓮大聖人は「法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」(1129:01)等と。ゆえに十方三世微塵の経々をその序分となすからには、またまた広大な正宗分・流通分が具わって、前代未聞の文底下種三段となるのである。
 いま古来の学者がこの段の文をどう見ているかということを論ずれば、蒙抄ではこの下を序正勝劣と判ずと名づけ文底下種三段といわないのである。
 この蒙抄の論に対して日寛上人のおおせには、「これに至る第四の三段までは、結局のところ第五の文底下種三段を明かすための手段である。もし第五の文底三段を明かさないならば天に日月なく、国に大王なく、山河に珠なく、人に神のないようなものである。啓蒙の日講はすでに宗祖弘通の骨目・真髄を失った論議を立てているから実に天魔波旬というべきである」と。
 また、辰抄ではこの下を広序の三段と名づけるが、これに対しても日寛上人は次のように破折されている。
「もしそうならば第四の次に第五の三段を立てるということになる。さて、もし序分の広大さだけを論ずるというならば、一代三段は勝れ迹門三段は劣り、迹門三段は勝れ本門三段は劣ることになる。また、本門より迹門の方が序分は広く、迹門より一代の方が広い序分となっているからである。まして序分のみが特別に広大であって正・流通が通常の釈迦仏教と同じであるというのは意味が通らないではないか。天台の譬を『雨は猛くして竜が小・華が盛にして池が浅い』とでも修正する気なのか。ましてまた流通の文と義が倶に欠けているという考えは成り立たないのである」と。
 また、忠抄の意はこの下を法界三段と名づけるが、これまた日寛上人は次のように破折なされている。
「日忠が法界といってもいまだ文底下種の三段を知らないから、それは分々の法界であって全宇宙を含む全分の法界ではない。まして、『法界』という言葉は唯漠然と広い大きいという観念的なものになってしまうから大きい間違いである」と。以上をもってこの段が文底下種三段であることが明らかとなったと思う。
 次に本文の講義に移ることとする。
 まず過去大通智勝仏の法華経についていえば、
 古来の解釈では直ちに大通智勝仏の法華経としているが、これは大通仏の説いた法華経ではなくて大通十六王子が説いて下種した法華経でなければならない。御文に略して、大通仏の法華経というのは常に大通下種というように迹門常途(じょうず)の所談である。よくその法華経の中に寿量品があったかなかったかというようなことを論ずる者があるが、それは問題とするに足らないことである。しかして大通仏の説いた法華経は次下の「十方三世諸仏」の中に入るべきなのを特別に大通仏の法華経とおおせられた御聖旨は、この序分の大旨として迹門に説かれる化導の始終の経々がみな文底下種の序分に属するとなされるお考えからである。すなわち迹門に説かれる化導の始終の経々とは、大通十六王子の法華経は結縁の始めの経々であり、釈尊在世の華厳経等は第一類の毒発等の経であり、また第二類の当機衆の熟益の終わりの経々である。迹門十四品は当機衆が得脱の終わり、結縁衆は発心の始めの経である。涅槃経等は結縁衆の得脱の終わりの経である。さて十方三世諸仏も、また復同じように、諸仏が迹門で説く化導の始終の微塵の経々は、同じく文底下種の序分となるのである。法華経に「是れ我が方便・諸仏も亦然なり」と説いているのはこの意味である。
 また彼の諸仏の微塵の経々は、それぞれの仏の文底の序分とならなければならないのに、どうしていま特別に大聖人の文底の序分となるとおおせられるかというに、大聖人の文底の意は東方の善徳仏・中央の大日如来・十方諸仏・三世の諸仏等は皆是れ久遠元初の自受用身の垂迹であるとなされるのである。天台の「一月万影」というように彼の十方三世の微塵の経々は、みなこの文底下種の序分となるのである。玄文第七に「三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云、ここに毘盧遮那とはすなわちこれ久遠元初の自受用身なのである。

一品二半の二意

 末法の衆生の依怙依托となる本尊は久遠元初の自受用身であることは、いろいろといままでに明かされてきた。日蓮大聖人出世の本懐は、この自受用身を一幅の曼荼羅に納めて我等民衆に授与することにある。されば当抄もこれを明らかにせんとして説かれたのはもちろんである。しかして最もこれを明らかに表明せられているのはこの文底三段である。この文底三段において正宗分として述べられているおことばは、「寿量品の序分なり」の「寿量」と、「一品二半よりの他は小乗教・邪教云云」の「一品二半」である。「寿量」と「一品二半」とは名前は異なるが同じく文底下種仏法の正宗分である。
 また脱益の三段にも一品二半がある。文底下種三段にも一品二半がある。ことばは同じであるけれどもその義の異なることを知らなくては文底下種仏法の真意はわからないのである。いまこれを明らかにするために一品二半をここに示してその後にこれを説明する。
 一品二半とは、涌出品の後の半品と、寿量品と、分別功徳品の前の半品をいうのである。しこうして天台の配立と大聖人の配立とには従地涌出品の半品において相違がある。天台の涌出品の半分は略開近顕遠と動執生疑とをもって涌出品の半品とし、大聖人の配立では動執生疑だけをもって涌出品の半品としているのである。
 従地涌出品の半品の文はつぎのとおり。
略開近顕遠(天台の配立はこれより)
 爾の時、世尊は是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、
「我れは今、此の大衆に於いて、汝等に宣告す。阿逸多よ。是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地従り涌出せる、汝等の昔より未だ見ざる所の者は、我れは是の娑婆世界に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり。此の諸の菩薩は、皆な是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於いて住せり。
 諸の経典に於いて、読誦通利し、思惟分別し、正憶念せり。阿逸多よ。是の諸の善男子等は、衆に在って多く説く所有ることを楽わず、常に静かなる処を楽い、勤行精進して、未だ曾て休息せず。亦た人天に依止して住せず。常に深智を楽って、障碍有ること無し。亦た常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む」と。
 爾の時、世尊は重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 阿逸よ汝は当に知るべし 是の諸の大菩薩は 無数劫従り来 仏の智慧を修習せり 悉く是れ我が化する所として 大道心を発さしめたり 此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり 常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し 大衆の?閙を捨てて 説く所多きことを楽わず 是の如き諸子等は 我が道法を学習して 昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に 娑婆世界の 下方の空中に在って住す 志念力は堅固にして 常に智慧を勤求し 種種の妙法を説いて 其の心に畏るる所無し 我れは伽耶城 菩提樹の下に於いて坐して 最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ 爾して乃ち之れを教化して 初めて道心を発さしむ 今皆な不退に住せり 悉く当に成仏を得べし 我れは今実語を説く 汝等は一心に信ぜよ 我れは久遠従り来 是れ等の衆を教化せり。
動執生疑(これより大聖人の配立)
 爾の時、弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等は、心に疑惑を生じ、未曾有なりと怪しんで、是の念を作さく、
「云何んぞ世尊は少時の間に於いて、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまえる」と。
 即ち仏に白して言さく、
「世尊よ。如来は太子為りし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れ従り已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊よ。云何んぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作したまえる。仏の勢力を以てせるや、仏の功徳を以てせるや、是の如き無量の大菩薩衆を教化して、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたまうべきや。
 世尊よ。此の大菩薩衆は、仮使い人有って千万億劫に於いて数うとも、尽くすこと能わず、其の辺を得じ。斯れ等は久遠より已来、無量無辺の諸仏の所に於いて、諸の善根を殖え、菩薩の道を成就し、常に梵行を修せり。
 世尊よ。此の如きの事は、世の信じ難き所なり。
 譬えば人有って、色美しく髪黒くして、年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言い、其の百歳の人も亦た年少を指して、是れ我が父なり、我れ等を生育せりと言わんに、是の事は信じ難きが如し。
 仏も亦た是の如く、得道より已来、其れ実に未だ久しからざれども、此の大衆の諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於いて、仏道の為めの故に、勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入・出・住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を集め、問答に巧みに、人中の宝にして、一切世間に甚だ為れ希有なり。
 今日世尊は、方に、仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊は仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。我れ等は、復た仏の宜しきに随って説きたまう所、仏の出だしたまう所の言は未だ曾て虚妄ならず、仏は知しめす所は、皆悉な通達すと信ずと雖も、然も諸の新発意の菩薩は、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん。唯だ然り。世尊よ。願わくは為めに解説して、我れ等が疑いを除きたまえ。及び未来世の諸の善男子は、此の事を聞き已りなば、亦た疑いを生ぜじ」と。
 爾の時、弥勒菩薩は重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
 仏は昔釈種従り 出家して伽耶に近く 菩提樹に坐したまえり 爾りしより来尚お未だ久しからず 此の諸の仏子等は 其の数量る可からず 久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して 世間の法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し 地従りして涌出し 皆な恭敬の心を起こして 世尊の前に住せり 是の事は思議し難し 云何んぞ而も信ず可き 仏の得道は甚だ近く 成就したまえる所は甚だ多し 願わくは為めに衆の疑いを除き 実の如く分別し説きたまえ 譬えば少壮の人の 年始めて二十五なる 人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して 是れ等は我が生ずる所なりといい 子も亦た是れ父なりと説かんに 父は小くして子は老いたる 世を挙げて信ぜざる所ならんが如く 世尊も亦た是の如し 得道より来甚だ近し 是の諸の菩薩等は 志固くして怯弱無し 無量劫従り来 而も菩薩の道を行ぜり 難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く 忍辱の心は決定し 端正にして威徳有り 十方の仏の讃めたまう所なり 善能く分別し説く 人衆に在ることを楽わず 常に好んで禅定に在り 仏道を求めんが為めの故に 下の空中に於いて住せり 我れ等は仏従り聞きたてまつれば 此の事に於いて疑い無し 願わくは仏は未来の為めに 演説して開解せしめたまえ 若し此の経に於いて 疑いを生じて信ぜざること有らば 即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為めに解説したまえ 是の無量の菩薩をば 云何んが少時に於いて 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる。
 このように一品二半といっても、文上脱益の一品二半と文底下種の一品二半は、名前は同じであるが、義は異なるのである。この名同義異の義異はどうして生じたかというと、天台の配立は在世脱益のためであり、宗祖の配立は末法下種のためだからである。
 また、天台の配立を略開近顕遠の一品二半といい、日蓮大聖人の配立をば広開近顕遠の一品二半と名づけるのである。されば一品二半と寿量品とは同じきゆえに天台の配立を略開近顕遠の寿量品、大聖人の配立を広開近顕遠の寿量品と名づけるのである。また天台の一品二品を在世の本門と呼び、大聖人の一品二半を末法の本門と名づけるのである。大聖人の一品二半が一向に滅後末法のためであることは次の御抄から明らかである。
 法華取要抄にいわく、
「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、……問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334:04)
 その他本尊抄の下文に「彼は一品二半・此れは但題目の五字」等とおおせられ、また本因妙抄に「迹の上の本門寿量ぞと得意」(0877:03)云云は、法華経本門が迹門の衆生を得脱せしめ、迹門の説法を証明するための本門寿量品であると考えるのを脱益の文の上と申すのであり、文底とは「久遠実成名字妙法を直達正観」云云とおおせられている辺からも明らかである。
 これによって略広開顕の一品二半は第四の本門脱益三段の正宗分であり、広開近顕遠の一品二半は第五の文底下種三段の正宗分である。
 しかして、日蓮大聖人はなぜ天台の略開近顕遠を除き動執生疑の半品をもって正宗分になされたかというに、これに深意がある。寿量品は一つの文ではあるがその意は両辺がある。文上は在世脱益のため、文底は末法下種のためである。先にも述べたとおりである。ここにおいて弥勒菩薩の疑請する内容から考えれば「我れ等は、復た仏の宜しきに随って説きたまう所、仏の出だしたまうの所の言は未だ曾て虚妄ならず、仏は知しめす所は、皆悉な通達すと信ず」との意よりして、文上脱益在世のための寿量品を略開近顕遠に属せしめ「然も諸の新発意の菩薩は、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん」との意よりして、文底下種末法のための寿量品を動執生疑の文に属せしめるのである。これすなわち弥勒の質問した内容によって日蓮大聖人はこのように立て分けられたのである。
 しかるに日什(顕本法華宗の開祖・大聖人滅後百年ころ)門流の輩は、一品二半の南無妙法蓮華経というが、これは彼の門流はいまだ文底の大事を知らないから、第四の三段在世脱益の一品二半をとっているにすぎない。哀れむべき徒輩である。
 ここに大聖人御内証の一品二半がはっきりとして、末法の真の仏法文底下種の本尊が確立すれば、他は小邪未覆の教であると断ずることができる。すなわち、
 序分の経々には久遠元初の種子の法体を明かしていないから小邪未覆というのである。もし別してこれを論ずるならば、久遠元初の大久の仏道を明かさないから小乗教であり、久遠元初の種家の因果を明かさないから邪見教であり、久遠元初の無上の種子を明かさないから未得道教であり、久遠元初の真秘を明かさないから覆相教というのである。
 しからば文底下種の正宗分以外の経が小邪未覆とすれば、文上の寿量品と並びに本門の十三品はみなこれ小邪未覆となるかというと、けっして文上本門は小邪未覆とはならない。いまこの文は序分と正宗分を相対しておおせられているので、序分の中に文上本門が入っていないから本門を小邪未覆というわけにはいかないのである。
 しかし迹門の十四品は、あるいは序分となし、あるいは流通分となっているのであるから、文上の本門は序分に属するのであるが「在世の本門と末法の始は一同に純円なり」で、ともに即身成仏の教であるから邪教・小乗教・未得道教・覆相教等と断ずることはできないのである。
 しかるに古来の諸師は本門流通の十一品半をもって小邪未覆なりとしているが、これは大聖人のご正意を増減する両謗である。すなわち文底の正宗を闕いているのは減の謗であり、流通の諸品を小邪未覆となすのは増の謗である。妙楽は寿量品に顕本すれば寿量品以後の流通分においても久遠の本地が説かれていることに変わりないといっているのでも、その失がわかるであろう。
 また、その小乗教・邪教・未得道教・覆相教の機を論ずるならば「徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露」である。すなわち本種を忘れ退転するから徳薄といって功徳なく、また迹に執着するから垢重といって煩悩に悩まされ、また本を退いて迹を取り、体を忘れて影に執着するその愚かなことは、あたかも小児のようであるから幼稚といい、久遠元初の主君を知らないでその加護を受けられないから貧窮といい、久遠元初の父母を知らないので、その頼るべきものがないから孤露というのである。
 いまの人生を見るに、ことごとく徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露の人々ばかりではないか。貧乏に沈んだとしても誰に頼ることもできない。事業に悩んだとしても誰に相談する相手も持たない。また病気に悩んだとしても医者は万能ではない。もし医者で治せない病気にかかったとしたらひたすら人生を悲しむ以外に方法はないのである。
 ここに日蓮大聖人ご出現の意義がある。小乗教・邪教・未得道教・覆相教によって徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露に悩まされている衆生を救わんとして、本種を忘れたものにこれを思い出さしめて迹の執着を忘れさせようとして師の徳を顕わされ、久遠元初の主君および父母を知らしめて貧窮孤露の境涯から離れさせようとしたのである。
 すなわち第一に法を論ずれば日蓮大聖人の内証の寿量品には久遠元初の大久の仏道を明かしているから大乗経≠ナあり、久遠元初の種家の因果を明かしているから正見≠フ教であり、久遠元初の無上の種子を明かしているから得道≠フ教であり、久遠元初の神秘を明かしているから顕露≠フ教である。第二にその人を論ずれば、法華本門の直機であり文底下種の主師親・久遠元初の自受用身が最も愛している臣人であり、また愛子でもあり入室の弟子でもある。古来の日蓮宗学者と称する徒拝が誰ひとりこれを知らなかったのは実にあわれむべきである。
 また、「爾前迹門の円教尚仏因に非ず」とおおせられているのは、
「一品二半よりの外は云云」からは序分の非をもって正宗の是を顕し、その中で一品二半よりの下は在世に約し、いまこの「爾前迹門の円教云云」の下は滅後に約しているのである。
 而して、釈迦仏の説いた経教について論ずるのであるから在世に約すだけでよいのに、なぜ滅後にも約すかというに、この第五の三段の正宗は正しく末法日蓮大聖人の建立あそばされるご法門であるから滅後に約すのである。またその序分の経々は正像二千年に流布した宗派の依経であるから滅後に約するのである。
 また正像に流布した宗々が、どうして末法の大仏法の序分となるのかというと、これは次の日蓮大聖人の御抄で明らかである。
 下山御消息にいわく、
「迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346:10)
 撰時抄にいわく、
「法然せんちやくをつくる本朝一同の念仏者、……此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや」(0284:02)
 このように念仏が一国に流布し上下万民がことごとく念仏を唱えたことが、じつは法華経の題目たる南無妙法蓮華経の流布する先序のためであったとは、七百年後の今日において身延山等の邪教日蓮宗が一国に流布したことをもって、当家の御本尊が正しく一国に流布する先序なりと堅く信ずるものである。
 また爾前迹門の円教とは天台宗所依の経々である。いわゆる天台宗は法華経・無量義経を正とし、傍には涅槃経および諸大乗経に説かれた円教を所依としている。このような天台宗の円教すら、なお久遠元初の下種を明かさないから仏因とはならない。いわんや大日経等の諸小乗教で仏因になるわけがない、とはっきりと大聖人はご決定あそばされたのである。
 また、なぜ天台伝教の弘通した法を序分の非に属さしたかというと、これには二意がある。一には天台伝教は像法時代に適う弘通の師であるから像法時代には非ではない。ただ天台伝教の所依とする爾前迹門の経々には久遠元初の下種を明かしていないから、末法においては序分の非に属するのである。二には彼の師の依経は像法熟益の法で末法下種の法ではない。ところが天台の末弟は時機を知らないで、いまなお末法に利益があると思っている。たとえ天台伝教のそのままの法門を弘通したからといってもいま末法に至っては去年の暦のようなもので、何の効用もない。まして慈覚大師以後は真言を合流せしめた大謗法の宗門となったのであるから、序分の非として破折しないわけにはいかないのである。
 このような天台仏立宗の依経すら仏因とはならないことがはっきりするなら、まして仏滅後の論師や人師の立てた宗々の依経が仏因になるわけがないのである。されば「与えて之を論ずれば乃至化の始終無しとは是なり」と法に約して断ぜられたのである。而してこの見地よりして「彼の論師人師の宗々の依経は与えて之を論ずれば前三教を出でず、奪って之を論ずれば蔵通に同ず」ということになる。どうして蔵通に同ずるかというならば、たとえ華厳真言等の経々に一生初地の即身成仏を明かし法は甚深であると称してみても、いまだ種熟脱を論じていない。そのゆえに、かえって二乗の灰断に同ずることになるから蔵通に同ずることになるのである。
 次に「譬えば王女たりと雖も乃至施陀羅に劣れるが如し」の文は、人に約して彼の非を断ぜられたのである。すなわち彼の七宗の論師人師の尊貴なことはたとえば王女のようであるが、蔵通のような下劣の経々を受持することは畜生の種を懐妊するようなものであると強く破折せられている。しかもその下賤なることは最下級の施陀羅にも劣る下劣な人間たちであると決定せられたことは痛快至極である。彼の宗々の者は現在でもまったく恥じずにいるが、このおことばをきいて何とも感じないものがあろうか。もし何も感じないならば犬畜生のようなものではないか。この宗々を信ずる者もまたその同類であると断ずることができる。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0249:10〜0249:17 第25章 文底下種三段の流通を明かす

 

本文

 迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す、再往之を勘うれば凡夫・正像末を以て正と為す正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す、問うて曰く其の証如何ん、答えて曰く法師品に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」宝塔品に云く「法をして久住せしむ乃至来れる所の化仏当に此の意を知るべし」等、勧持安楽等之を見る可し迹門是くの如し、本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。

 

 

現代語訳

 つぎに文底三段の流通を示そう。法華経迹門十四品の正宗の八品(方便品より人記品まで)は、一往これを見ると二乗をもって正となし、三周の説法があって二乗がことごとく成仏している。しかして菩薩凡夫は傍となって、その席につらなっているにすぎない。しかし再往これをかんがうるならば凡夫を正となし、しかも在世の声聞が得道するよりも仏滅後の正法・像法・末法をもって正となし、正像末の三時の中にも末法の始をもって正が中の正となす、このように法華経迹門は一往は在世の声聞のためであるが、再往は仏滅後末法の凡夫を正が中の正となして、すなわち迹門は凡夫のために説かれたものである。
 問う、その証はどうか。答えていわく法師品にいわく「而も此の法華経を行ずるならば釈迦仏の現在にすらなお怨嫉が多く九横の大難に遭ったが、まして仏滅後にはさらに大きな怨嫉をうけ大迫害をうけるであろう」と説かれ、迹門の流通分で滅後を主体として論じている。宝塔品にいわく「仏は滅後の弘通を勧進して諸大菩薩に滅後弘通の誓いを立てよと述べ、これひとえに仏は正法を久しく住せしめんと欲するのであり、宝塔品に来集したところの分身の諸仏は、まさに此の意を知るべし」と説いて、同じく流通にあたっては在世の諸衆を傍らとし、滅後の「令法久住」を正意としているのである。勧持品には、同じく諸大菩薩が三類の強敵を忍んで仏滅後の弘通を誓い、安楽行品には弘通の規範として四安楽行に住すべきことを説いている。迹門はこのように滅後末法のために説かれたことが明らかである。
 つぎに法華経本門は誰人のために説かれたかを論ずるならば、一向に末法の初をもって正機となしている。すなわち一往これを見るときは久遠の仏種を下種となし、中間の大通仏から前四味迹門を熟となし、本門にいたって等覚妙覚の位に入り一切衆生がことごとく得脱している。しかしこれは文上の一往の見方であって、再往これを見れば迹門とは異って本門は序正流通ともに末法の始めをもって詮(究極の正意)としている。すなわち迹門は流通の段から立ちかえってみれば文底の流通分となるのに対し、本門は最初から序正流通ともに末法を正機とし文底の流通分として説かれている。
 さて釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも一切衆生がことごとく即身成仏する純円の教である。なに一つとして闕くるところがない。ただし在世の本門と末法の本門の相違をいうならば、在世は脱であり末法は下種であり、在世は一品二半、末法はただ題目の五字である。

 

語釈

怨嫉
 反発し敵対すること。特に、正法やそれを説き広める人を信じられず、反発して誹謗したり迫害したりすること。「妙楽云く『障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く』等云云」と。

法をして久住せしむ
 令法久住。法華経見宝塔品第十一の文。「法をして久しく住せしめん」と読み下す。未来永遠にわたって妙法が伝えられていくようにすること。

等妙
 等覚・妙覚の位。菩薩の修行の段階における最高位。等覚は五十二位のうちの第五十一位。菩薩の極位をさし、有上士、隣極ともいう。長期にわたる菩薩の修行を完成して、間もなく妙覚の仏果を得ようとする段階。妙覚は、等覚位の菩薩が四十二品の無明惑のうち最後の元品の無明を断じて到達した位で、仏と同じ位。六即位(円教の菩薩の修行位)では究竟即にあたる。

 

 

講義

 本節は法華経文上の迹本二門はともに文底の流通分に属することを明かしている。
 迹門にも本門にもそれぞれ序分・正宗分があるのに、どうして文底の流通分に属するかというと、文上から論ずれば序正がはっきりして流通分とはならないのであるが、文底下種の正宗に望むと文上の三段は通じてみな流通分に属するのである。おおよそ流通とは在世正宗の法水を滅後末代に流れ通わすゆえに流通という。ところが、いまの文は迹本ともに再往は滅後末法のために説かれているというからこれは流通分である。
 御義口伝にいわく「惣じては流通とは未来当今の為なり、法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法・末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや」(0766: 第十五於如来滅後等の事:03))と。
 このように迹本二門ともに流通に属するならば本迹一致と立ててさしつかえないかというと、けっして本迹一致ではない。同じく流通に属していても本迹の勝劣は分明である。ゆえに日蓮大聖人は「今の時は正には本門・傍には迹門」とおおせられ、また「正には寿量品……傍には方便品」等とおおせられているのである。
 また迹門十四品は文底下種三段の流通分となることをはっきりするならば、
 百六箇抄に「前十四品悉く流通分の本迹、如来の内証は序品より滅後正像末の為なり」(0857:02)と。先に迹門は序分に属し小邪未覆であるといいながら、どうしていままた流通に属させるかというと、迹門において二意があることを知らなくてはならぬ。一には迹門当分で本門の顕われる以前の迹門であり、これは本無今有の法で「天月を識らずして但池月を観ず」の類で序分の非に属するのである。二には本門が家の迹門であり、これは本有常住の法で「本より迹を垂れ月の水に現る如し」で月も常住・影も常住となるのである。そこで先には迹門当分の辺をもって序分となし小邪未覆と破したのであり、いまは本門が家の迹門をもって流通に属するから、末法を正となすというのである。
 しかし、本門が家の迹門は本有常住の法であるとしても本有の勝劣が厳然と定まっている。もしこれを知らないならば彼の一致の迷いに同ずることになる。十法界事に「天月水月本有の法と成りて本迹倶に三世常住と顕るるなり」(0423:11)とおおせられて、本有常住といえども、天月と水月とに本迹をはっきりと立て分けられている。また十章抄に「設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(1275:13)等とおおせられるのがこれである。またこの迹門流通の文は、初めに在世に約して方便品から順次にこれを見れば二乗を正とし、菩薩凡夫を傍としている。これは、菩薩凡夫はむしろ成仏が易く二乗は困難であったからである。すなわち菩薩は法華已前に種子を開顕したり、凡夫は法華已後に開顕する者があったりするから二乗を正とし菩薩凡夫を傍としたのである。このことは迹門脱益三段に論じられているが、この菩薩凡夫の種子の覚知は目的でないから「此れは仏の本意に非ず」とおおせられるのが、すなわち菩薩凡夫を傍とする所以である。されば「但毒発等の一分なり」とあって、けっして菩薩を教化して得道せしむるのが目的ではなかったことがわかるのである。但二乗は法華に来至して三周の説法を聞き三千塵点劫の種子を顕示する、これが迹門三段の仏の本意である。よって二乗を正とするのである。この傍正の立て方は得脱の上に約したのであって経文の上に従ったものではない。経文のしだいに従った御書には、法華取要抄に第一に菩薩・第二に二乗・第三に凡夫となっている。
 経に「菩薩は是の法を聞いて 疑網は皆な已に除く 千二百の羅漢は 悉く亦た当に作仏すべし」といって菩薩と羅漢(二乗)を並べ挙げている。しかしこれは仏の正意でないことは先の文で明らかである。
 つぎに「再往之を勘うれば」とて滅後の流通を示されている。いわゆる迹門十四品を序品第一から第二第三等と順次にこれを読めば、在世の二乗を正としているし、これを逆次に安楽行品第十四から第十三・十二と立ちかえって読めば、通じて滅後の正像末を正としている。しかも別しては末法の初めをもって正のなかの正としているのである。この引証として法師品と宝塔品の文を引かれているが、その中で法師品の「況んや滅度の後をや」とあるのは況んや正法の時をや、況んや像法の時をや、況んや末法の時をやと読むべきである。ゆえに怨嫉にしても法をして久しく住せしめんと欲するにしても、在世よりも滅後の正法時代・正法よりも像法・像法よりも末法に仏の正意があったのである。
 このように滅後末法をもって正の中の正とするから迹門十四品を末法下種の流通段とするのである。
 つぎに「本門を以て之を論ずれば」からは本門十四品がみな文底三段の流通分となることを明かされているのである。
 百六箇抄にいわく「本果妙の釈尊・本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり、然る間日蓮修行の時は後の十四品皆滅後の流通分なり」(0864:07)と。
「一向に末法の初めを以て正機となす」とは、迹門が一往は在世のため・再往は末法のためであるのに比し、本門は初めより一向に末法のためとの意である。
 また「久種を下種と為し大通前四味迹門を熟と為し本門に至って等妙に登らしむ」とは、これ一類に約すべきでなく、いっさいにわたると約すべきである。さればいっさいにわたって久遠に下種し本門で等妙に登るのである。先の迹門でも一往再往とし、その一往の義もいっさいにわたっていたが本門もそのとおりで、本抄の下の文に「病尽く除癒えぬ等云云、久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり」とあって、いっさいにわたるのである。
 しかるに、釈尊在世の二乗は大通仏の時に下種し迹門に得脱した人であるから、この文は一類に約すべきであるとして、日澄の決疑抄には「四節の中の第一節・本種現脱の一類」と主張している。しかしこれは大なる僻見である。
 二乗が大通に下種し迹門で得脱するとは天台第二の教相・化導の始終不始終の相であり、当家の第一法門たる権迹相対の説相である。これは一往であって天台の第三教相・当家の第二法門本迹相対の時は、二乗は五百塵点劫下種・大通前四味迹門を熟益となすのである。また迹門得脱とはこれ当分の得脱であって跨節の得脱ではない。なぜなら久遠の下種を明かしていないから得脱できるわけがない。よって迹門を熟益に属すのである。まして四節の中の第一節は序品得脱の人であるのに日澄は本門得脱の人と混乱している。これは日澄がすでに天台の法門も知らないことから起っているので、まして当家神秘の法門を知っているわけがない。
 また、本門得脱において等妙に登らしむとあるが、法華経文上においては得脱は等覚位までであって妙覚位は説かれていない。しかるに大聖人は「等妙に登らしむ」とおおせられている。これは文底の意であって、文底の意ではみな名字妙覚位に入るのである。すなわち寿量品を聞いた大衆は文上の寿量品を聞き、等覚位に登ったことになっているが、文上を聞くとともに文底の神秘を悟り、ことごとく久遠元初に戻って名字妙覚の位に入ったのである。妙楽が「脱は現に在りと雖も具さに本種を騰ぐ」といい、当家深秘の口伝に「等覚一転名字妙覚」とあるのがこの意である。
 以上、一往は正宗を明らかにしたのであるが「再往これを見れば」とは、末法の流通を明かして本門が法の流通分であることを示しているのである。「迹門には似ず」とは、迹門はそれぞれの項で論じたように流通段からたち還ってみたときに末法の流通分になるのに反し、本門は序分からしてすでに末法の流通分となるのである。涌出品でまず本化地涌の大菩薩が出現するのは一向に末法流通のためであるのによってわかるであろう。
 また本門は序正流通ともに末法の始めをもって詮となす、とあるが、この本門はもし文底下種の本門であるとすれば第五の三段の正宗分となり流通分とはならないし、もし文上の脱益本門であるとすれば在世の脱益の為の説法であって「末法を詮と為す」はずがないことになる。よって末法の流通となる本門は文底下種の本門であるのか、または文上脱益の本門か、そのいずれかというに、文上脱益本門に二意があることを知らなくてはならない。一には脱益当分と二には種家の脱益である。いまは種家の脱益本門をもって流通段に属するのである。
   ┌ 文上脱益本門 ┬ 脱益当分(在世衆生のため)
   │        │       天月を知らず池月を観ずる
本門 ┤        └ 種家の脱益(末法の流通段)
   │                天月を知って池月を観ずる
   └ 文底下種本門               天月を観ずる
 天月と池月にたとえるならば文底下種の本門は天月であって第五の三段の正宗分であり、文上脱益の本門は池の水に映った月である。しかして脱益当分は天月を知らないでただ池月のみを観ずるようなもので、種家の脱益は本より迹を垂れというように月の水に現る時、天月を知って池月を観ずるようなものである。
 このように同じ水月であっても天月を知らない場合と天月を知ってからの場合とでは大きな相違があるように、同じ脱益本門であっても文底を知らない場合と知ってからとは重大な相違がある。
 このように法華経の迹門本門ともに文底下種三段の流通分となることが明らかであるのに、古来の学者はこの意義を知らないで種々なる己義を構えているが、いまその二、三をここに挙げることにする。
 日忠抄に云く、三世倶に上行付属の辺を流通に属す云云。
 破決第四に云く、常の如く十一品半を流通段と為す云云。
 日我抄に云く、一品二半の寿量の序正の時は流通の沙汰之無し、脱益の寿量品は在世正宗にて終るが故なり等云云。
 このような日蓮宗学者の謬解は、まったく日蓮大聖人の御意に背反する曲解である。文底下種三段の始には「又本門に於て序正流通有り」となっているから流通の沙汰がないわけがない。はっきりと流通分をお示しになっているのにそれが見えないのである。まして、また脱益の寿量品は在世の正宗に終わるけれども、内証の寿量はまったく末法のためである。どうして内証の寿量の流通段を明かさないわけがあろうか。
 また正しく文底下種三段を明かすならば正宗は前に示したように久遠元初の唯密の正法たる三大秘法の御本尊である。しかして惣じて一代五十余年の諸経・十方三世の微塵の経々・並びにあらゆる宗派の経典の解釈等等、これらのものをことごとく序分となし、あるいは流通分となすのである。すなわちいっさいの経教の体外(文底下種を開会しない)の辺を序分となし体内(文底下種を開会した)の辺を流通分となすのである。いまの文にただ法華経の本迹二門を流通となすとは文は略されているのであって、いっさいの経教をことごとく流通に属すとはつぎの御抄にお示しのとおりである。
 曾谷入道等許御書にいわく
「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし」(1038:13)
ゆえに吾人はあらゆる学問・あらゆる哲学また世法・国法に通じて末法の民衆救済のために一閻浮提唯一の本尊を流布しなければならないと叫ぶものである。
 また、御本尊を根底にして初めていっさいが活かされるのである。妙法を根底にしないあいだの知識、学問、哲学、思想等は、人々の幸福にはつながらず、いわば「死の法門」である。だが、ひとたび、大仏法によってそれらを用いるならば、それらのいっさいは、あたかも、生気を失った草木が、ふたたび、日光を浴び、水を得て、はつらつと成長しはじめるごとく、妙法の光を浴び、妙法の智水を得て、ことごとく「活の法門」となるのである。
 御書にいわく「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」(1295:09)と。
 創価学会の目的は、あくまでも、化儀の広宣流布であり、すなわち妙法を根底として、あらゆる文化の華を咲かせていくのである。
 また「在世の本門と末法の始は一同に純円なり……此れは但題目の五字なり」とは、在世と末法の本門の相違を判じ、末法に流通する御本尊の正体を示して観心の本尊を結成するのである。いまこの文を拝読するのに次のようになる。
 在世の本門 …… 一同に純円なり ……… 一往名同
 但し彼は脱 …… 但題目の五字なり …… 再往体異
 この文に「在世の本門」というのは第四の三段文上脱益の本門である。「末法の初」とは即久遠元初であり「久末一同の深旨」よりすれば第五の三段・文底下種の正宗・末法の本門である。よって「初」の字は「本門」と読むべきことに留意せられたい。
「一同に純円」とは、
 在世本門の教主は、久遠実成の仏にして、始成正覚の方便を帯びない
 末法本門の教主は、久遠元初の名字の凡夫にして、色相荘厳の方便を帯びない
このように人に約した場合、在世の教主も末法の教主も、ともに方便を帯びることなく即身成仏の仏身であるから「一同に純円なり」というのである。
 また、法に約せば、
 在世の本門の所説は、十界久遠の三千にして、本無今有の方便を帯びない
 末法の本門の所説は、不渡余行の妙法にして、熟脱の方便を帯びない
 このように在世の本門と末法の本門は、一往これを見る時に等しく純円でともに完全無欠の教法である。しかし再往これを見る時はその体が異なるのである。なぜこのように一往再往と分けるかといえば、まず一往の名同を示すのは再往の体異を示すためなのである。たとえば玄文第二に爾前の円と法華の円との相違を示すために、「此の妙・彼の妙・妙の義殊なることなし、但方便を帯するか方便を帯せざるかを以て異と為すのみ」といっているように、同じく円教といってもその名は同じであるが、方便を帯するか帯しないかによって爾前の円と法華の円は大きく相違することを示しているのである。
「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」とは、在世の本門と末法の本門との体異を示しているのである。
 彼は脱此れは種なり …… 彼は脱益の仏・此れは下種益の仏(能説の教主)であって脱は劣り種は勝れるとの勝劣の義を含んでいる。
 彼は一品二半此れは但題目の五字なり …… 所説の法体はまた一品二半と題目の五字の相違があり、これにまた化導の始終を含んでいる。
 ところが古来の学者は、本門は仏も法も同体であって利益に脱と下種の相違があるとしているが、これが今日当家以外の邪宗の義である。日辰も「本同益異」といっている。これらの義こそ大謗法の藍觴であり種脱を混乱する邪義の根源である。いまつぎのように三段に分け、一に文相を詳にし、二に種脱を詳にし、三に本尊を詳にして邪義を挫くとともに正義を示すことにする。
 末法今時には色相荘厳の仏像は一には道理、二には三徳の縁が浅いこと、三には人法勝劣のあることから本尊とあおぐべきではない。
 初めに道理とは、一に釈尊は脱益の教主である。釈尊が久遠五百塵点劫の昔に下種し、その衆生は大通仏に結縁し、その機が純熟して仏の出世を感じたので、釈尊は本より迹を垂れインドの王宮に誕生し、出家して樹の下に坐して成道し、世情に随順して色相を荘厳し、爾前迹門を説いてさらにその機縁を熟し、ついで本門寿量を説いて下種結縁した衆生をことごとく脱せしめたのである。ゆえに色相荘厳の尊形は在世脱益の教主であって、末法下種の本尊ではないのである。二に、三徳の縁が浅いことを示すならば、在世は本已有善の機類である。ゆえに色相荘厳の仏に対してその縁がもっとも深い。いま末法には本未有善の衆生であるから、色相荘厳の仏に対しては三徳の縁が浅い。ゆえに末法今時のわれらの本尊とはならないのである。三には人法勝劣があるゆえに。本尊問答抄にいわく「本尊とは勝れたるを用うべし」と、天台云く「法は是は聖の師・生養成栄・法に過ぎたるはなし」と、妙楽云く「四不同と雖も法を以て本と為す」と。このように色相荘厳の仏は劣り、法がすぐれているから、色相荘厳の仏を本尊にすることはできないのである。
 次に文証を引くならば、法華経に云く「復た舎利を安んずることを須いず」と、天台云く「更に生身の舎利を安くべからず」と、妙楽云く「生身の全砕は釈迦・多宝の如し」と、法華三昧に云く「必ず形像舎利を安くべからず」と、本尊問答抄に云く「汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり」(0366:07)と、門徒存知にいわく「五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可し……日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」等云云、このように釈迦の仏像を本尊としてはならない証文が分明なのである。

 さて次に宗祖日蓮大聖人をもって末法の御本尊となすべきことを示すならば、
 初めに道理として、
 一には下種の教主なるが故に、末法は本未有善の衆生である。ゆえに不軽菩薩が大乗をもって強毒したように、日蓮大聖人が妙法五字をもって下種すべき時期である。ゆえに聖人知三世事に「日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に」(0974:09)とある。
 二には三徳の縁が深き故に。開目抄にいわく「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237:05)、御義口伝にいわく「自受用身とは一念三千なり」(0759:第廿二 自我偈始終の事:02)、伝教いわく「一念三千即自受用身」、妙楽いわく「本地の自行は唯円と合す」、諸法実相抄にいわく「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358:12)と。
 次に文証を引くならば、百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863:下種の法華経教主の本迹)開目抄にいわく「一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186:01)、またいわく「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237:05)その外これらの例文は無数でるから略すことにする。
 つぎに御抄の一片を曲解して釈迦仏造立の根拠とずるものがある。これは身延山等の類であって末法の仏法を破る者であるから、一括してその邪義を破折しよう。いまその曲解を引く、
 一に、本尊抄の「事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず」(0253:13)との文の、“本門本尊”の四字を色相荘厳の仏像となす者がある。
 これは当抄の大意に迷う者で、この文意は南岳や天台がただ理具を論じて観心本尊を行じておらない。事行の南無妙法蓮華経とは即観心であり、本門の本尊とは即本尊である。ゆえに本門本尊の四字は正しく当抄に明かすところの日蓮大聖人御建立の大御本尊である。どうしてこれを色相荘厳の仏であるといえようか。
 二に、三大秘法抄にいわく「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022:08)と、この文の釈尊が色相荘厳の仏像であると迷う者がある。
 この文の意は「我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊是れなり」との釈尊と同じ意である。五百塵点劫の当初とは総勘文抄の「五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時」(0568:13)の当初と同意であって、すなわち久遠元初のことである。久遠元初の本有無作三身とはすなわち日蓮大聖人であらせられけっして色相荘厳の釈迦仏ではない。
 三に、報恩抄にいわく「日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328:15)との文に迷う者がある。
 この文は、また人法一体の深旨を顕わす明文である。そのゆえは初めに人に約してこれを標し「教主釈尊」等といい、ついで法本尊で約して釈するに「所謂宝塔の内の釈迦多宝」等というのである。すなわち所謂以下の釈文は大御本尊の説明であって当抄に明かすところの十界互具一念三千の大御本尊と少しも異ならないのである。報恩抄の文は少ないがその意はまったく同じである。さて標文に「本門の教主釈尊」というのは、即ち是れ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊である。これ本因妙の教主釈尊の当体はこれ十界互具・一念三千の妙法の五字であるから「本尊と為すべし」とおおせられているのである。インド応誕の釈迦はすなわち宝塔の中に座していることを考え合わすのならはっきりとするであろう。
 四に、もししからば本因妙の教主釈尊を本尊とすべきであって、どうして日蓮大聖人が本尊であろうかと思って、本因妙の教主釈尊と日蓮大聖人の結びつきに困っている者がある。
 本因妙の教主釈尊とはすなわち日蓮大聖人の御事である。ゆえに百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863:下種の法華経教主の本迹)とまた報恩抄にいわく、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(0329:03)等と明らかに三徳をお述べになっている。ゆえに本尊と崇めるのである。先に述べたごとくであるが、重ねて教主釈尊について述べるならば、教主釈尊とはその名が一代に通ずるけれども、その体に六種の不同がある。それは蔵教の釈尊・通教の釈尊・別教の釈尊・迹門の釈尊・本門の釈尊・文底の釈尊である。「名同体異」の御相伝がこれである。第六の文底の釈尊とはすなわち日蓮大聖人であらせられる。「名已体同」がこれである。
 五に、四条金吾釈迦仏供養事、日眼女造立釈迦仏供養事、真間釈迦仏供養逐状等に釈迦仏の造立を賛嘆しているのをとって色相荘厳の釈尊を造立することが御聖旨であると誤解している者がある。
 これについては三意がある。一には一機一縁のためであって、相手によって一時的にに許されたもので、これらの仏像は一体仏である。日興上人は五人所破抄におて「一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや」(1614:05)と破折しておられる。たとえば大黒天を供養する場合によって許されたようなものである。二には阿弥陀仏の造立に対して許された。すなわち日本国中はみな阿弥陀の像を立てて信仰している時に釈迦仏を造立することは、権仏を捨てて実仏たる釈迦へ帰り法華経に帰する第一歩であるゆえに称歎されたのである。三には内証の観見に約すゆえ、すなわち日蓮大聖人の御内証においては、この釈迦の一体像がすなわち己心の一念三千自受用身の本仏であるから用いられたものである。また唱法華題目抄には「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(0012:12)等とおおせられているが、これは佐渡以前の御書である。
 六に、宝軽法重事にいわく「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像を・かきつくれる堂塔いまだ候はず」(1475:17)と。この釈迦仏を色相荘厳の仏像と解している者がある。
 この文も、また人法体一の深旨を表わす。下種の法華経・わが内証の寿量品の釈迦仏の形を文字にこれを書けば即大曼荼羅となり、木画にこれを作れば日蓮大聖人の御形となる。ゆえに書き造ると仰せられているのである。しかも、この御抄の始に人軽法重の事が述べられてあり色相荘厳の人は法に劣ることが明らかである。
 七に、本尊問答抄には「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365:01)とおおせられているが、なぜ日蓮大聖人の御影像を像立するかについて一言つけ加えておくならば、法華経の題目とは日蓮大聖人の御事であり、日蓮大聖人の御当体は即ちこれ法華経の題目である。諸法実相抄にいわく「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358:11)と、またこの点については末法相応抄にくわしく日寛上人がお説きになっている。ただし日蓮大聖人の御像を像立するとはいえ、その胸奥の中に一閻浮提総与の大曼荼羅をかけまいらなくては、人に魂がないように仏像とは申されないことをしらなくてはならない。されば、日蓮大聖人の御像をたんに御姿として刻んだものは安置すべきでない。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0249:18〜0250:13 第26章 本門序分の文を引く

 

本文

 問うて曰く其の証文如何、答えて云く涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる大衆の中に於て起立し合掌し礼を作して仏に白して言さく、世尊若し我等に仏の滅後に於て娑婆世界に在つて勤加精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴し給わば当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし、爾の時に仏・諸の菩薩摩訶薩衆に告げ給わく止ね善男子・汝等が此の経を護持せんことを須いじ」等云云、法師より已下五品の経文前後水火なり、宝塔品の末に云く「大音声を以て普く四衆に告ぐ誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かんものなる」等云云、設い教主一仏為りと雖も之を奨勧し給わば薬王等の大菩薩・梵帝・日月・四天等は之を重んず可き処に多宝仏・十方の諸仏客仏と為て之を諫暁し給う、諸の菩薩等は此の慇懃の付属を聞いて「我不愛身命」の誓言を立つ、此等は偏に仏意に叶わんが為なり、而るに須臾の間に仏語相違して過八恒沙の此の土の弘経を制止し給う進退惟れ谷まり凡智に及ばず、天台智者大師前三後三の六釈を作つて之を会し給えり、所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、又迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる故なり、天台大師云く「是れ我が弟子なり応に我が法を弘むべし」妙楽云く「子父の法を弘む世界の益有り」、輔正記に云く「法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す」等云云。

 

現代語訳

 問うていわく本門が末法を正機とする証文いかん。
 答えていわく涌出品にいわく「爾の時に他方の国土から来ている八恒河沙にもすぎた多数の大菩薩たちが、大衆の中にいて起立し合掌し礼をなして仏に申しあげるには、世尊よ、もしわれらに仏の滅後において娑婆世界にあっておおいに努め精進して法華経を護持し読誦し書写し供養することを許してくださるならば、まさにこの娑婆世界にながく住して法華経を弘通したいと思う、と誓った。その時に仏はもろもろの大菩薩に告げていわく、止ね善男子よ汝らがこの経を護持するとの誓いを用いない」と涌出品に説かれている。法師品から安楽行品までは仏滅後に法華経を弘通せよ誓いを立てよと説いてきているのに、いまここで止みね善男子というのはまったく経文が前後水火のように相容れない説き方である。宝塔品の末にいわく「仏は大音声をもって普ねく比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に告げ、誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説くものはおらないか」といっている。たとえ教主が釈迦仏一人であってもこのように仏滅後の弘教をすすめられたならば、薬王等の大菩薩にしても大梵天・帝釈天・日・月・四天等にしてもこのような命令を重んじたことであろう。その上さらに多宝仏も十方分身の諸仏も客仏となってこれを諌め励ましている。もろもろの菩薩はこのような懇切丁寧な付嘱を聞いて「わが身命を惜しまない、ただ無上道を惜しみわが身を捨てて正法を弘通する」との誓いを勧持品で立てているのである。これらはひとえに仏の意にかない滅後に弘めようと誓ったのである。
 しかるにちょっとのあいだに仏の説くことばはまったく相反して、八恒沙に過ぎた多数の大菩薩の娑婆世界における弘経を制止してしまった。進退きわまってまったく凡夫の智慧では考えようもない。天台大師は他方の菩薩を制止した前三と地涌の菩薩を召し出だした後三の六つの釈を作ってその理由を説き明かされた。結局のところ迹化の菩薩や他方の菩薩にはわが内証の寿量品たる文底下種の三大秘法を授与することはできない、なぜなら末法の初めは謗法の国にして悪機であるから、迹化他方の菩薩ではとてもその弘通に耐えられない。ゆえにこれを止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって一閻浮提の一切衆生に授与せしめたのである。また迹化の菩薩は釈尊の初発心の弟子ではないが、本化の菩薩は久遠より釈尊の初発心の弟子である。天台大師云く「地涌の菩薩は釈迦仏の本弟子であるから応にわが法を末法に弘めよと付嘱した」と。妙楽云く「本化の弟子たる子が父の法を弘めるならば世界の利益がある」と。輔正記には道暹が「法が久成の法である故に久成の人に付嘱した」と説き明かしている。すなわちこの意は法が久遠実成名字の妙法であるが故に久遠実成名字の妙法を所持する人に付嘱した。すなわち上行菩薩はすでに久成の人であり、名字の妙法を所持している人であったことを明かしている。

 

語釈

前後水火
 迹門の流通分では法華経弘通の誓いを立てよといっているのに対し、涌出品では「止みね善男子」といっているのは、経文の意味が、まったく水火のごとく相容れない、すなわち正反対であるとの意。

前三後三
 天台大師智は「法華文句」巻九上で、他方の菩薩の弘通を制止する理由を三つ(前三)挙げ、それに続いて地涌の菩薩を呼び出す理由を三つ(後三)示している。前三義は、@他方の菩薩はそれぞれの土において自己の任務があること、A他方の菩薩は娑婆世界との結縁が薄いこと、B他方の菩薩に弘通を許せば、地涌の菩薩を召し出すことができず、迹を破し久遠を顕すこと(開近顕遠=始成正覚を開いて久遠実成を顕すこと)ができなくなること、をいう。後三義は、@地涌の菩薩は久遠の仏の本眷属であること、A地涌の菩薩は娑婆世界に結縁深厚であること、B地涌の菩薩を召し出すことによって開近顕遠を示すことができること、をいう。

世界の益
 四悉檀のうち世界悉檀の利益。世界の差別に応じてことごとく施し、大歓喜する利益を得せしめる。

輔正記
 道暹律師の著。正しくは「法華文句輔正記」。十巻。妙楽大師の法華文句記を注釈した。道暹は、中国・唐代の天台宗の僧。天台県(浙江省)の人。大暦年間長安に来て盛んに著述を行ったという。

 

 

講義

 本章以後、証文として一には本門序分の文・二には本門正宗の文・三には本門流通の文を引かれている。当章においては涌出品にいわくとして、文底下種本門が顕われると本門序分の文が文底下種本門の流通分となる理由を述べられている。すなわち、
 百六箇抄にいわく「本果妙の釈尊・本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり、然る間・日蓮修行の時は後の十四品皆滅後の流通分なり」(0864:07)
 要するに本門の序分は迹化他方の菩薩では、わが内証の寿量品を譲り与えることができない。本化の菩薩でなければ末法においてこの御本尊の弘教はできないとして地涌の菩薩を呼びだしたのである。この序分では末法において御本尊を弘通すべき人および資格を定められたものである。
 さて迹化他方本化の菩薩とはいかなる菩薩を指すかというに、一には菩薩所住のところに約すのと、二には仏の本迹の教化に約して定まるのである。まず菩薩所住のところに約すならば、本化の菩薩とは下方空中に住するゆえに下方というのである。この菩薩については御義口伝にいわく、「此の四菩薩は下方に住する故に釈に『法性之淵底玄宗之極地』と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く『下方とは生公の云く住して理に在るなり』と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり」云云(0751:09)。また、他方の菩薩とはこの娑婆世界以外の仏国土に住する菩薩をさす。すなわち薬王、観音、妙音等である。この他方の菩薩に対して文殊、弥勒等の迹化の菩薩を旧住の菩薩というのである。
 二に仏の本迹の教化に約すならば、すなわち下方の菩薩は仏の本地において教化した菩薩であるから本化といい、経に「我久遠より来是等の衆を教化せり」といっているのである。文殊等の菩薩は仏が迹中に教化した菩薩であるから迹化といい、また他方の菩薩は本地の教化でもなく迹中の教化でもない。ただ他仏の弟子であるから他方というのである。もしこの意を知るならば、この三種の菩薩とわれらとの関係の親疎がおのずから明らかとなるであろう。
 さて迹化他方の菩薩に仏滅後の弘教を中止してなぜ本化を召し出したかというに、これについて天台は前三後三の釈を説いて明らかにしている。いまその前三後三の六種の釈を述べるならばつぎの御書に明らかである。
 上行菩薩結要付属口伝
前三
 一、汝等各各に自ら己が任有り、若し此の土に住せば彼の利益を廃せん。
 二、他方は此土結縁(しどけちえん)の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん。
 三、若し之を許さば則ち下を召すことを得ず、下若し来らずんば迹を破することを得ず、遠を顕すことを得ず。
後三
 一、是れ我が弟子なり、我が法を弘むべし。
 二、縁深広なるを以て能く此の土に遍じて益し、分身の土に遍して益し他方の土に遍して益す。
 三、開近顕遠することを得。
 また日寛上人は第一に他方・本化の前三後三として、
前三
 一、他方は釈尊の直弟に非(る故に、義疏第十に云く「他方は釈迦の所化に非ず」と。
 二、他方は各任国有り、故に天台云く「他方は各々自らの任国有り」と。
 三、他方は此土結縁の事浅し、故に天台云く「他方は此土結縁の事浅し」と。
後三
 一、本化は釈尊の直弟の故に、天台云く「是れ我が弟子我が法を弘むべし」と。
 二、本化は常に此土に住する故に、曾谷入道等許御書に云く「娑婆世界に住すること多塵劫なり」と。
 三、本化は結縁の深きが故に、天台云く「縁深厚を以て能く此土に遍じて益す」と。
 つぎに迹化・本化の前三後三とは
前三
 一、迹化は釈尊名字即の弟子に非る故に、本尊抄に云く「迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ず」と。
 二、迹化は本法所持の人に非る故に、本尊抄に云く「爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非ず」と。
 三、迹化は功を積むこと浅き故に、新尼御前御返事に云く「是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし」等云云。
後三
 一、本化は釈尊名字即の弟子なるが故に、本尊抄に云く「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」と。
 二、本化は本法所持の弟子なる故に、輔正記に云く「法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す」と、御義口伝に云く「此の菩薩は本法所持の人なり」と。
 三、本化は功を積むこと深き故に、下山御消息に云く「五百塵点劫以来一向に本門寿量の肝心を修行し習ひ給へる上行菩薩等」云云。
 このように迹化・他方と地涌の大菩薩の根本的な相違を知るならば仏が迹化の菩薩等を制止して本化の菩薩を召し出した意味がわかるであろう。
 しこうしてこれほど仏が大事にせられたわが内証の寿量品とは、久遠元初の本因妙・寿量品の肝心妙法五字である。能詮の辺にしたがっては内証の寿量品といい、所詮の辺にしたがっては久遠元初の本因妙という。能詮所詮まったく二なく別ではないからわが内証の寿量品と仰せられたのである。
 百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり」(0863:04)と。
 このおことばをよくよく味わうべきである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0250:14〜0251:10 第27章 本門正宗の文を引く

 

本文

 又弥勒菩薩疑請して云く経に云く「我等は復た仏の随宜の所説・仏所出の言未だ曾て虚妄ならず・仏の所知は皆悉く通達し給えりと信ずと雖も然も諸の新発意の菩薩・仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん、唯然り世尊・願くは為に解説して我等が疑を除き給え及び未来世の諸の善男子此の事を聞き已つて亦疑を生ぜじ」等云云、文の意は寿量の法門は滅後の為に之を請ずるなり、寿量品に云く「或は本心を失える或は失わざる者あり乃至心を失わざる者は此の良薬の色香倶に好きを見て即便之を服するに病尽く除癒ぬ」等云云、久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり、経に云く「余の心を失える者は其の父の来れるを見て亦歓喜し問訊して病を治せんことを求むと雖も然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず、所以は何ん毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり乃至我今当に方便を設け此の薬を服せしむべし、乃至是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差じと憂うること勿れ、是の教を作し已つて復た他国に至つて使を遣わして還つて告ぐ」等云云、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云。
  問うて曰く此の経文の遣使還告は如何、答えて曰く四依なり四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す、大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す、三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は末法の初なり、四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや。

 

現代語訳

 (本門の涌出品で、地涌の菩薩が出現した時、一座の大衆はなぜこのように高貴な大菩薩が出現したかとおおいに疑いをもった。その時仏は略して久遠の本地を説いたところ)弥勒等の大菩薩は、われらは仏の説法を信ずるけれども滅後の衆生でこれを疑う者が出るといけないから、さらにくわしく説いてほしいとつぎのように質問した。すなわち弥勒菩薩が疑っていうには、経にいわく「われらは仏が衆生の機根の宜しきに随って法を説き、しかも仏の説法にはいまだかつて虚妄がなく、ことごとく真実であり、仏の智慧は一切の諸法にことごとく通達しているとわれらは信ずるけれども、もろもろの新しく発心する菩薩たちが仏の滅後において、もし地涌の菩薩は釈尊の久遠以来の弟子であるとの涌出品の説法を聞くならば、あるいはこれを信受しないで破仏法の罪業の因縁を起こすであろう。どうか世尊よ、われらのために更にくわしく解説してわれらの疑を除いてください。そうすれば未来世のもろもろの善男子もこのことを聞いてまた疑を生じないであろう」と。この経文の意は涌出品のつぎに説かれた寿量品を滅後の衆生が疑いを生じないために説いてくださいとお願いしているのである。
 寿量品には久遠の下種を忘れ本心を失った者についてつぎのように説かれている。すなわち「良医の子供たちは父の留守中に邪宗教の毒を飲み、あるいは本心を失った者と本心を失わない者とがあった。乃至本心を失っていない者は父の良医が帰ってきて色香倶に好い良薬を与えたところすなわちこの良薬を飲んで病はことごとく回復することができた」と。この経文の文上の意は、久遠に下種し大通仏の十六王子に結縁し乃至華厳・阿含・方等・般若から法華経の迹門に至るまでの一切の菩薩や二乗や人天等が法華経本門で得道する経緯を譬えているのである。また寿量品にいわく「邪教の毒を飲んで本心を失っている者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び病をなおしたいと父に尋ねながらも、しかも父が薬を与えても服しない。すなわち父の教を信じなかった。なぜ信じないかというに邪教の毒が深く食い入って好き色香のある薬を美くないと思い、すなわち正法を正法として信ずることができなかった。そこで良医はいま方便をもうけてこの薬を服せしめようと思い、この好き良薬をいま留めてここに在くから汝らはこれを服しなさい。病気がなおらないと心配することはない、必ずなおる。このように子供たちに教えて他国へ行ってしまい、使いを遣わして子供たちに汝らの父は死んだと伝えた。子供たちは父が死んだと聞いておおいに悲しみ、すなわち父のことばを信じて薬を服し病はことごとくなおることができた」という。また分別功徳品には「悪世末法の時」等と説かれているが、これもまた寿量品が末法のために説かれている証拠である。
 問う、寿量品に「使いを遣わして還って告ぐ」とあるがこれはどういう意味か。
 答う、仏の使いというのは四依の菩薩・人師である。四依には四種類あり、第一に小乗の四依は迦葉・阿難を初めとして多分は正法時代の前五百年に出現した。第二に大乗の四依は竜樹・天親を初めとして多分は正法時代の後五百年に出現した。第三に迹門の四依は南岳・天台等が多分は像法時代に出現し、少分は末法の初め、日蓮大聖人の御出現以前に出現した。第四に本門の四依は地涌千界の大菩薩であり必ず末法に出現する。いまの「遣使還告」とは地涌の菩薩であり「是好良薬」とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経すなわち三大秘法の御本尊である。この良薬をば仏はなお自分の直弟子たる迹化の菩薩に授与しなかった。まして他方の国土からきた他方の菩薩に付嘱するわけがなかったのである。

 

語釈

或は本心を失える或は失わざる者あり
 天台では失心とは三界に貪著して、先に植えたところの三乗の善根を失うこと。不失心とは五欲に執著すといえども、三乗の善根を失わないなどと説く。しかし、文底の仏法では、失心とは久遠元初の下種を忘れた逆縁の者であり、不失心とは久遠元初に御本仏のおそばにいたことを忘れていない順縁の者である。御義口伝巻に「第七或失本心或不失者の事 御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云」とある。

是の好き良薬を今留めて此に在く汝取って服す可し差じと憂うること勿れ
 天台では、経教を留めて在りと説く。文底の仏法では、三大秘法の御本尊を、日蓮大聖人が、末法の時、日本の国にのこされたことである。御義口伝巻に「第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事 御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり」とある。

使を遣わして還って告ぐ
「使い」とは、広い意味で四依(仏滅後に正法を宣揚し、人々の依りどころとなった人)のことで、時代によって四依は異なるが、「今の遣使還告は地涌なり」とおおせであり、末法の四依とは地涌の菩薩であると示されている。別しては日蓮大聖人である。総じては日蓮大聖人の御正意を伝持する弟子檀那である、詳しくは我ら創価学会員を指すのである。

名体宗用教
 天台大師智が諸経の深意を知るため、諸経の解釈をするにあたって用いた法門。五重玄、五重玄義ともいう。天台大師は法華玄義に釈名・弁体・明宗・論用・判教(名・体・宗・用・教)の五面から、妙法蓮華経を釈した。@釈名とは経題を解釈し名を明かすこと。A弁体とは一経の体である法理を究めること。B明宗とは一経の宗要を明かすこと。C論用とは一経の功徳・力用を論ずること。D判教とは一経の教相を判釈すること。天台大師は五重玄の依文として、法華経如来神力品第二十一の結要付嘱の文である「要を以て之れを言わば、如来の一切の有つ所の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事は、皆な此の経に於いて宣示顕説す」を挙げている。また教とは法華の一切の教えに対し優れている教相をいい、名体宗用をもって釈するときに法華の無上醍醐の妙教であることが明らかになる。日蓮大聖人は「曾谷入道殿許御書」で、法華経の肝心である妙法蓮華経という題目の五字に五重玄義がそなわることを示されている。

 

 

講義

 本章は正宗分が文底下種仏法の流通分であることを、経文を引いて説いているのである。涌出品の文は動執生疑の文であるが、とくに「諸の新発意の菩薩は、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん」に力を入れている。「仏の滅後に於いて」ということばは正宗分が滅後流通に当たることを意味しているとなし、また、「未来世の諸の善男子は、此の事を聞き已りなば、亦た疑いを生ぜじ」と未来世の言にもその意を説かれている。
 つぎに寿量品においては「良薬」と「不失心」と「失心」、「今留在此」と「遣使還告」と引いて流通分なることを強く示されている。
 また分別功徳品の「悪世末法の時」は「今留」の二字を助成して流通分なることを示されている。
 さて「是好良薬」というのは一往は在世の正宗を明らかにしたのである。その故に御書に「久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり」とおおせられている。
 再往にはこの「良薬」は末法流通の正体たる南無妙法蓮華経の本尊である。すなわち当章の終わりに「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」とおおせられているのはこの意である。「肝要」とは文底の異名であるから、これをいいかえれば、是好良薬とは脱益寿量の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経となる。
 この良薬は天台においては「経教を留めて在り故に是好良薬今留在此」といって良薬を経教として一代経に約している。妙楽は「頓漸に被ると雖も本・実乗に在り」といって、良薬を実乗すなわち法華経に約している。
 しこうして日蓮大聖人は末法御出現の本仏であるから、この良薬を文底下種の妙法に約されたのである。このように法華経は一法であるが時機にしたがって同じでないことを知るべきである。
 また是好良薬の文をもってなぜ名体宗用教の五重玄と判ずるかというに、ここには深意がある。是好良薬とは色香美味をみなことごとく具足している。天台はこれを釈して「色は是れ般若・香は是れ解脱・味は是れ法身・三徳不縦不横秘密蔵と名く、教に依って修行し此の蔵に入ることを得」と。妙楽いわく「体等の三章は只是れ三徳」と。今天台の釈によってこれを考えるのに、色は般若で、すなわち妙宗であり、香は解脱、すなわち妙用であり、味は法身、すなわち妙体であり、秘密蔵はすなわち妙名で、依教修行は即ち妙教である。これを図示すれば、
 色 …… 般若・妙宗
 香 …… 解脱・妙用
 味 …… 法身・妙体
 秘密蔵 ……… 妙名
 依教修行 …… 妙教
となる。以上のゆえに御書に「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」とおおせられているのである。また妙楽の体等の三章とはただこれ三徳三身であるから是好良薬とは久遠元初の自受用身の一身の当体であり、報中論三の無作三身如来であらせられる。人法体一の深旨を能く能く思うべきである。
 しかるに、啓運抄第一に「名体宗用教は序品より起る故に迹門の五重玄なり、今本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず、故に知んぬ本迹一致なり」といって本迹一致をたてているが大なる誤りである。かかる謬解をもって本迹一致をたてようとするのは邪宗のつねである。すなわち、序品の名体宗用教の次第は約行の次第と名づけ、神力品の名体宗用教の次第は約説の次第と名づける、かく名づけてはいるが、その義はまた迹本二門に通ずるのである。ゆえに迹門に約説の次第があり、本門にまた約行の次第がある。だから一辺に限ることはできないのである。いま啓運抄の邪義を日寛上人はつぎのごとく七項に別けて論破せられている。
 つぎに「失心」についていうならば、心を失える者とは末法今時の衆生を指すのである。寿量品の意に準ずるのに「失心」といってもやはり仏の子である、仏の子である以上仏と結縁し、下種善根もあることになる。そうなると末法今時の衆生を本未有善の衆生と名づけられないことになると一応考えられる。しかし、仏子ということを論ずる時にはその義に正了縁の三意がある。この「失心」の者を仏の子であるとするのは正因の子であって縁因の子ではないのである。
 また「失不失」を釈するのに、初め正因に約し、つぎに縁因に約す両解がある。ここに「失心」というのは縁因の失心ではなくて正因の失心であるから、仏子というも失心といってもこれ皆本未有善の衆生である。しこうして正因をもって論ずるならば正因はことごとく法界である。この論点よりすれば已善未善は論ずるに足らないのである。かくのごとく「失不失」を論ずるのは皆この本門が末法の流通分となることが明らかである。
 また「今留在此」は正しく流通の義である。正しく文底より拝すれば御義口伝にいわく「今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり」(0756:第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事;02)と。と。
 天台は釈尊一代の経々の中に止めてありといい、妙楽は法華経の中に止めてありといい、大聖人は日本国に止めてあるというのである。
 つぎに遣使還告については本文に答えていわくとあるように、「本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し、今の遣使還告は地涌なり」とおおせられているが、別しては日蓮大聖人である。総じては日蓮大聖人の宗旨を奉戴(ほうたい)する類である、詳しくは我ら創価学会員を指すのである。
 諸法実相抄に
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」云云(1360:08)とあるとおりである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0251:11〜0252:17 第28章 本門流通の文を引く

 

本文

 神力品に云く「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者皆仏前に於て一心に合掌し尊顔を瞻仰して仏に白して言さく世尊・我等仏の滅後・世尊分身の所在の国土・滅度の処に於て当に広く此の経を説くべし」等云云、天台の云く「但下方の発誓のみを見たり」等云云、道暹云く「付属とは此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、夫れ文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子・観音は西方無量寿仏の弟子・薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子・普賢菩薩は宝威仏の弟子なり一往釈尊の行化を扶けん為に娑婆世界に来入す又爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば末法の弘法に足らざる者か、経に云く「爾の時に世尊乃至一切の衆の前に大神力を現じ給う広長舌を出して上梵世に至らしめ乃至十方世界衆の宝樹の下師子の座の上の諸仏も亦復是くの如く広長舌を出し給う」等云云、夫れ顕密二道・一切の大小乗経の中に釈迦諸仏並び坐し舌相梵天に至る文之無し、阿弥陀経の広長舌相三千を覆うは有名無実なり、般若経の舌相三千光を放つて般若を説きしも全く証明に非ず、此は皆兼帯の故に久遠を覆相する故なり、是くの如く十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云く、経に曰く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げ給わく諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり若し我れ是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て嘱累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」等云云、天台云く「爾時仏告上行より下は第三結要付属なり」云云、伝教云く「又神力品に云く以要言之・如来一切所有之法・乃至宣示顕説已上経文明かに知んぬ果分の一切の所有の法・果分の一切の自在の神力・果分の一切の秘要の蔵・果分の一切の甚深の事皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云、此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与し給うなり前の五神力は在世の為後の五神力は滅後の為なり、爾りと雖も再往之を論ずれば一向に滅後の為なり、故に次下の文に云く「仏滅度の後に能く此の経を持たんを以ての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云。
  次下の嘱累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏・法座より起つて大神力を現じ給う右の手を以て無量の菩薩摩訶薩 疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず、驚いて云く

の頂を摩で乃至今以て汝等に付属す」等云云、地涌の菩薩を以て頭と為して迹化他方乃至・梵釈・四天等に此の経を嘱累し給う・十方より来る諸の分身の仏各本土に還り給う乃至多宝仏の塔還つて故の如くし給う可し等云云、薬王品已下乃至涅槃経等は地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給う?拾遺嘱是なり。

 

現代語訳

 つぎに本門流通分を引くならば、神力品第二十一にいわく「釈迦仏が滅後の弘通を付嘱するにあたって、千世界微塵の無量無数の地涌の大菩薩たちはみな仏の前において一心に合掌し、仏の顔をふり仰いで申し上げるには、世尊よ、われらは仏の滅後に世尊の分身の国土においてもまた世尊の滅度し給う国土においても、まさに広く法華経を説き弘めるであろう」と。天台はこれを釈して「ただ下方から涌出した地涌の大菩薩のみが弘通の誓を発するのを見た」といい、道暹は「付嘱する段になってはこの経をば唯下方から涌出した菩薩にのみ付属した。なぜかというに妙法五字はすでに久成の法であるから、久成の人たる地涌の菩薩に付属したのである」といっている。いったい法華経を初め諸経に出て釈迦仏の説法を助けている大菩薩を見るのに、文殊師利菩薩は東方の金色世界にいる不動仏(不動智仏)の弟子であり、観音菩薩は西方の世界にいる無量寿仏(阿弥陀仏)の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子であるとなっている。これらの諸菩薩は一往釈尊の行化を扶けるために娑婆世界へ来ているのであって、また爾前迹門に活躍する菩薩である。本法たる妙法五字を持っていないから、末法に法を弘め、衆生を化導する能力がないのであろう。
 さらに法華経神力品にいわく「爾の時に世尊は一切の大衆の前において大神力を現じた。十神力の第一として広長舌を出し、空高く梵天までも舌をとどかしめ、数多くの宝樹の下にある師子座に座した十方世界の諸仏もまた同じように広長舌を出して、釈迦仏の所説が虚妄でないと証明した」と説かれている。釈迦一代の経々の中で顕教にも密教にもまた一切の大乗経・小乗経の中にも釈迦仏と十方の諸仏が並び坐して、梵天にまで至る広長舌を出したとの文は法華経以外には絶対にない。阿弥陀経で六万の諸仏がそれぞれの国土に在って広長舌相を現じ三千を覆(おお)ったとあるが、これは有名無実である。般若経で舌相が三千世界を覆いその舌根より光明を放って般若を説いたというが、これも権仏が権教を説いて自ら証明したのであって神力品の広長舌相とはまったく比較にならない。これは皆権教を兼帯しているゆえに仏の久遠の本地を覆いかくしている。すなわち寿量品の十界常住・事の一念三千が説かれるまでは真実の説法はなかったのである。
 さてこのようにして仏は法華経神力品において十神力を現じ、地涌千界の大菩薩に妙法五字を嘱累した状況を次のように説いている。すなわち神力品にいわく「爾の時に仏は上行等の菩薩大衆に告げていわく、諸仏の神力はいま十種の神力を示したごとく無量無辺不可思議である。もしいま仏がかくの神力をもって無量無辺百千万億阿僧祇劫において、妙法五字を嘱累するためのゆえにこの法華経の功徳を説くとも、なお説きつくすことはできない。いまその肝要を取り上げていうならば如来の一切の所有している法(名)・如来の一切の自在の神力(用)・如来の一切の秘要の蔵(体)・如来の一切の甚深の事(宗)・以上四箇の肝要をみなこの経において宣べ示し説き顕した」等云云。天台いわく「爾の時に仏は上行等に告ぐというより下は第三の結要付嘱である(第一は菩薩命を受く、第二は仏十神力を現ず)」と。また伝教はこれを釈していわく「神力品に要をもってこれをいわば如来の一切の所有の法・乃至宣示顕説したと説かれてある。これによって明らかに知ることができる。仏が仏果の上において所有する一切の法・一切の自在の神力・一切の秘要の蔵・一切の甚深の事・すなわち本果の本仏があらゆる点からみなことごとく法華において宣示顕説したのである」等云云。このように十神力を現じて妙法蓮華経の五字をもって上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与し給うたのである。前の五神力は在世のため・後の五神力は滅後のために現じたのであると一般には解釈しているが、再往これを論ずるならば一向に滅後のためである。ゆえに次下の文には「仏滅度の後に能くこの経を持つことをもっての故に諸仏はみな歓喜して無量の神力を現じ給う」と説かれている点からみても、十神力は釈迦在世の衆生のためではなくて、仏の滅後を正意としていることが明らかである。
 神力品についで説かれた嘱累品には「爾の時に釈迦牟尼仏は法座より起って大神力を現じ給う、右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂をなでられ乃至今以て汝等に付属す」と説かれている。すなわちこの意は地涌の大菩薩を先頭にして迹化他方の諸菩薩、ないし梵天帝釈四天等にこの経を嘱累し給うたのである。この総付嘱が終わると十方世界より集まって来ていた分身の諸仏を各本土へ還らしめ、また多宝仏の塔を閉じてもとへ戻らしめたと説かれてある。つぎの薬王品以後の経教から各品の涅槃経までは地涌の菩薩が本地へ帰ってしまった後で、迹化や他方の菩薩等のために重ねてこれを付属せしめられている。「?拾遺嘱」というのがこれである。

 

語釈

道暹云く……
 道暹律師の「輔正記」(天台の法華文句、妙楽の法華文句記の注釈書。「法華天台文句輔正記」の略。十巻)信解品の下に「付属とは、此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、なにがゆえに爾る、法は是れ久成の法なるによるがゆえに久成の人に付す」とある。道暹は中国・唐代の天台宗の僧で、天台県(浙江省)の人。大暦年間長安に来て盛んに著述を行ったという。

薬王菩薩は……
 法華経の薬王菩薩本事品による。薬王菩薩は、過去の世には星宿光といい、瑠璃光照仏の滅後、日蔵比丘が正法を宣言する時、雪山の上薬をもって衆僧を供養し、未来世において、衆生の身心の二病を治せんと誓願を立てた。それ以後薬王といわれるようになった。法華経の会座に列しては、迹門流通の対告衆の首位となっている。また、薬王菩薩本事品では、過去世に一切衆生憙見菩薩として、日月浄明徳仏に、身を燃やして供養したことが説かれている。なお、中国の小釈迦といわれた天台大師は薬王の化身であるといわれている。御義口伝には「天台大師も本地薬王菩薩なり」とある。

師子の座
 仏を師子王として、その座を師子座という。金剛宝座ともいい、仏の座すところはいかなる悪魔もこれを侵すことができない堅固な席であるという意である。

兼帯
 円教を主として権教を兼ね帯びているとの意。ただし阿弥陀経も般若経も兼帯とは与えた判釈であって、本来は爾前権教である。

十神力
 法華経如来神力品第二十一に説かれる十種の神通力のことで、釈尊は結要付嘱にあたってこの神力を現した。神通力は超人的な力・働きをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。@吐舌相)。梵天まで届く長い舌を出すことで、仏の不妄語を表す。A通身放光。全身の毛孔から光を発し、あまねく十方の世界を照らすこと。仏の智慧があまねく一切に行きわたることを表す。B謦?。法を説く時にせきばらいをすることで、真実をことごとく開示してとどこおるところがないことを表す。C弾指。指をならすことで、随喜を表す。D地六種動。地が六種に震動すること。初心から後心に至り、六段階で無明を打ち破ることを表す。また一切の人の六根を揺り動かして清浄にすることを明かす。E普見大会。十方の世界の衆生が霊山会をみて歓喜すること。諸仏の道が同じであることを表す。F空中唱声。諸天が虚空において十方の世界の大衆に向かって、釈尊の法華経の説法に心から随喜し供養せよと高声を発したこと。未来にこの教法が流通されることを表す。G咸皆帰命。空中唱声を聞いて衆生がことごとく仏に帰依すること。未来にこの教法を受持する人々で国土が充満することを表す。H遙散諸物。十方から仏に供養する諸物が、雲のように諸仏の上をおおうこと。未来にこの教法に基づいて実践する行法のみになることを表す。I十方通同。十方の世界がことごとく一仏土であるということ。未来に修行によって一切衆生の仏知見が開示され、究竟の真理が国土に行きわたることを表す。

?拾遺嘱
 ?拾とはひろい取るの意で、別付属、総付属が終わってなおかつ漏れた衆生のために、重ねて付嘱しているのをいう。

 

 

講義

 この項は別付嘱の文である。初めの神力品の「此の経を説くべし」までは地涌の菩薩の発誓である。この神力品の発願は地涌の菩薩に限る。天台の「但下方の発誓のみを見たり」というのがこの意である。勧持品の発誓は本化迹化に通じ、迹化に対しては嘱累品の総付嘱があるのに対し、神力品は発誓、付嘱ともに地涌に限るのである。つぎに道暹は久成の人に付すと釈しているが、上行等はすでに久成の大菩薩であらせられたことに注意すべきである。
 つぎに経に云く「爾の時に世尊」より「広長舌を出し給う」までは十神力の文を引いて「此の十神力は一向に滅後末法流通の為に」現じていることを次下の文に明かされている。
 その経にいわく「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告ぐ」より「宣示顕説す」までは結要付属の文である。ゆえに神力品は第一に菩薩命を受け、第二に仏が十神力を現じ、ついで第三に結要付属となるのである。これ皆滅後末法のためであって、本門の流通分が末法御出現の三大秘法の御本尊の流通分となることを明らかにするためにこの経文を引かれたのである。
 また結要付属の文については二義がある。「此の経の功徳を説くと雖も猶尽すこと能わじ」までは称歎付嘱の文で、これは本尊の功徳を称歎している。その文意は、わがこの神力をもって無量無辺百千万億劫にわたってこの文底深秘の本門の本尊・妙法五字の功徳を説くともなお尽くすこと能わじというのである。「此の経」とはすなわちこれ文底深秘の本門の本尊・妙法蓮華経の五字である。つぎに「要を以て之を言わば」からは結要付属の文である。その結要付属の法体はいうまでもなく文底深秘の本門の本尊である。文に「要を以て之を言わば……宣示顕説す」とは、如来の一切の名体宗用を皆是の本門本尊・妙法蓮華経の五字において宣示顕説するのであると。すなわちこれは寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経である。
 また本尊においては、妙法五字をもって地涌の菩薩に付嘱すとおおせあるのに、これをもって文底深秘の本門の本尊と読む理由は、惣じて結要付属の一段の経文に三大秘法が分明に説かれているからである。すなわち初めの称歎付属では本尊の功徳を称嘆し、つぎの結要付属は正に文底深秘の本門の本尊を付属し、三に「是の故に汝等如来の滅後に於て……説の如く修行すべし」とは本門の題目・五種の妙行を勧奨し、四に「所在の国土に若しは受持読誦し……もしは山谷曠野にても是の中に皆塔を起てて供養すべし」とあるのは本門の戒壇建立を勧奨しているのである。ゆえに結要付属の文は先述のごとく正しく本門の本尊を授与するのである。
 次に嘱累品の文は総付嘱の文である。「地涌の菩薩を頭となし」とは総付嘱が本化迹化に通じて付嘱される故である。しかして総付嘱は法華一経だけでなく前後一代の一切経にわたるのである。
 このように一代諸経を付嘱するについて、一代諸経の体外の辺は迹化等に付嘱したもので、これまた二意がある。一には正像二千年の機のためで、二には末法弘通の序分のためである。また一代諸経の体内の辺は本化に付嘱して文底の流通としたのである。ゆえに神力品では正宗を付嘱し嘱累品では流通を付嘱しているから御抄には神力嘱累に事極まる等とおおせられているのである。
 このゆえに神力品の付嘱は末法出現の御本仏の未来記であり予言である。また嘱累品は一往は正像二千年の菩薩方が一切経を流通する予言書である。また再往は文底顕われ終われば本仏出現以後において地涌の菩薩が文底深秘の御本尊を流通する予言書である。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0252:18〜0254:02 第29章 本化出現の時節を明かす

 

本文

 疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず、驚いて云く法華経並びに本門は仏の滅後を以て本と為して先ず地涌千界に之を授与す何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや、答えて云く宣べず、重ねて問うて云く如何、答う之を宣べず、又重ねて問う如何、答えて曰く之を宣ぶれば一切世間の諸人・威音王仏の末法の如く又我が弟子の中にも粗之を説かば皆誹謗を為す可し黙止せんのみ、求めて云く説かずんば汝慳貪に堕せん、答えて曰く進退惟れ谷れり試みに粗之を説かん、法師品に云く「況んや滅度の後をや」寿量品に云く「今留めて此に在く」分別功徳品に云く「悪世末法の時」薬王品に云く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」涅槃経に云く「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て心則ち偏に重きが如し」等云云、已前の明鏡を以て仏意を推知するに仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり、然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり、「今留在此」とは「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり。
  地涌千界正像に出でざることは正法一千年の間は小乗権大乗なり機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。
  今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地?倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。

 

現代語訳

 疑っていわく、正像二千年のあいだに地涌千界の大菩薩が閻浮提に出現してこの経を流通するのであるか。
 答えていわく、そうではない。
 驚いていわく、法華経もそうであるし、また法華経本門においても仏の滅後を本となしてまず地涌の菩薩に授与しているのである。どうして地涌の菩薩は正像に出現してこの経を弘めないのか。
 答えていわく、宣べない。
 重ねて問うていわく、如何。
 答う、これを宣べない。
 また重ねて問う、如何。
 答えていわく、これを説明するならば一切世間の諸人が軽慢を起こし、威音王仏の末法のごとく正法誹謗の罪によって地獄へ堕ち、またわが弟子の中でもこれを疑い誹謗をなすであろう。ゆえに黙止するに限ると思う。
 求めていわく、そのように重大な法門を説かないならば、汝は慳貪の罪に堕ちるであろう。
 答えていわく、説くも不可・説かないでも不可で進退谷まってしまった。試みにほぼこれを説き示そう。法師品には「いわんや滅度の後をや」と説かれて、法華経が在世よりも滅後を正とする意が説かれており、寿量品には「この好き良薬をいま留めてここにおく」とあり、分別功徳品には「悪世末法の時」薬王品には「後の五百歳に閻浮提において広宣流布するであろう」と明らかに末法の広宣流布を予言している。また涅槃経に云く「譬えば七人の子供があるとする。父母の慈愛というものはもちろん平等であるが、病の子供に対しては心がすなわち偏えに重く格別の心配をするのと同様である」と。以上五箇の経文の明鏡をもって仏の真意を推知するのに、釈迦仏の出世は霊鷲山で八年にわたり法華経を聴聞した諸人を正意とするのではなくて、釈迦滅後・正像末の人のために出世したものであり、また正像二千年の人のためではなくて末法の初めに出現する予がごとき者のためである。涅槃経で「しかれども病者に対しては」という意味は、釈迦滅後の法華経誹謗の者を指すのである。寿量品で「いま留めてここにおく」とは同じく寿量品で「この好き色香の薬において美からずと謂えり」の者を指す、すなわち正法誹謗の人を指すのである。
 地涌千界の大菩薩が正像二千年のあいだに出現しないのはつぎのような理由による。すなわち正法一千年のあいだは小乗教・権大乗教が流布され、これによって衆生は利益を得る時代であった。寿量文底下種の三大秘法などはこれを信ずる機根の衆生もおらなければ、また三大秘法の流布される時代でもなかった。ゆえにこの時代の四依の大菩薩たち大乗教や権教を縁として、釈迦在世に下種された衆生を脱せしめていた。すなわち法華本門の大法を説いたのでは誹謗するばかりで、せっかく過去世に下種し熟益してきた善根を破るがゆえに説かなかったのである。たとえば釈迦が華厳・阿含・方等・般若と四十余年にわたって調養してきた機根の衆生と同じようなものであった。像法次代の中頃から末へかけて、観音菩薩は南岳大師・薬王菩薩は天台大師と示現し出現して、迹門を面とし本門を裏となして百界千如・一念三千の法門を説きその義を説きつくした。しかしこれは唯理性に具する一念三千を理論の上から説いたのみであって、事行の南無妙法蓮華経の五字ならびに本門の本尊についてはいまだ広くこれを行ずることはなかった。それは所詮・円機の一分があっても、まだ円時でなかった。すなわち末法に入らなければ事行の南無妙法蓮華経は弘通される時代でなかったのである。
 いま末法の初めに入って小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、東を西といい西を東といって東西ともにこれを失し、天地を?倒する大混乱の時代となった。像法時代に正法を弘めた迹化の四依の菩薩はすでに隠れて現前せず、諸天善神はこのような謗法の国を捨てて去り守護しておらない。この時にあたり地涌の菩薩が初めて世に出現し、ただ三大秘法の妙法蓮華経の五字をもって幼稚の衆生に服せしめるのである。妙楽大師が「謗ずる因によって悪に堕ち、かならずその因縁によって大利益を得る」というように、末代幼稚の邪智謗法の衆生は初めて妙法五字の大良薬を与えられてもこれを信じられないが、たとえ誹謗して悪道に堕ちてもかならずそれが因となり下種となって即身成仏の大良薬を服することができるのである。
 わが弟子たちはこのことをよく考えよ。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子であり最高尊貴の大菩薩である。それでありながら釈迦仏が成道して初めて説いた寂滅道場の華厳経の時も来ていないし、また最後の説法たる涅槃経の時も来ておらない。これは実に不孝の失というべきであろう。法華経においても迹門の十四品には来ないでまた本門に入っても薬王品第二十三以後の六品には座を立っている。要するに釈尊五十年の説法中、法華経本門の涌出品から嘱累品までの八品のあいだに来還しているに過ぎない。このような高貴の大菩薩が釈迦多宝分身の三仏に約束して妙法五字を譲り与えられ受持しているのである。どうして末法の初めに出現しないことがあろうか、かならず出現するのである。まさに知るべし、この四菩薩は折伏を現ずる時には賢王と成って武力を以って愚王を責め誡しめ、摂受を行ずる時は聖僧と成って正法を弘持するのである。

 

語訳

円機有って円時無き
 いまここに像法にも「円機有って」とおおせられるのは一往の与えた釈である。ゆえに像法において一往は三大秘法の円機が少分はあるとしても、時代が末法のごとき下種の時代ではなかった。

因謗堕悪必因得益
 謗法の因によって悪道に堕ちたものは、かならずその因縁によって大利益を得るという意味。妙楽が法華経不軽品第二十によって、逆縁の功徳を説いた文。原文には「因謗堕悪必由得益」となっている。記の九には「問う、謗るに因りて悪に堕すれば菩薩は何んが故に苦を作る因を為すや。答う、夫れ善因無き者は謗ぜざるもまた堕す。謗るに因りて悪に堕す、必ず由りて益を得る。人の地に倒れて還って地従り起つが如し。故に正の謗を以て邪の堕を接す」とある。

 

 

講義

 「疑って云く正像二千年……答えて曰く爾らず」の文は、略して正像未出すなわち正像には地涌の菩薩が出現しないことを示されている。ついで「驚いて云く」云云と「重ねて問うて云く」と「又重ねて問う如何」の三句は三請であり、「答えて云く宣べず」と「答う之を宣べず」と「答えて云く」云云の三句は三誡である。「求めて云く」云云は重請であり「答えて云く」云云は重誡となる。寿量品においても三請不止とあるごとく三度請うて三度誡められ、さらに四度請うて「汝等諦聴」と四度誡められてから如来秘密神通之力の説法がある。これと同じ儀式を大聖人もとられているのである。いかんとなれば釈尊出世の本懐は寿量品を説かんがためであるから、三度請い三度これを制止し、四度重ねて請うてまた四度誡められた後に寿量品の肝心たる如来秘密神通之力を説かれたのである。またいま大聖人も末法に出現してそのご本懐たる文底深秘の三大秘法の御本尊をわれらに受持せしめんとして、その授与する人を明かす重大な問題であるから同じ儀式をとられたのである。
 しかし地涌というと雖もご自身全体がその人なることを明かさんがために「又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり」とおおせられているのである。かく論ずれば日蓮大聖人は地涌唱導の大導師上行菩薩の本地のみが顕われて、大聖を上行菩薩なりと断じ切ってしまうおそれがある。しかしこれは教相の面であって内証の面ではないことに留意すべきことである。御内証の面よりすれば、授与する人それ自体が授与する法体と即一である。ゆえに日蓮大聖人は久遠元初の自受用身それ自体であることを知らねばならぬ。
 また仏意が正しく末法にあることを示されているご文の法師品は、いわんや滅度の後においては仏の在世よりその難が多いという意味にお用いになられているのではない。この法師品御所用のご聖意は「況や滅後正法をや」「況や滅後像法をや」「況や滅後末法をや」とだんだんと進んで末法を指すとなされているのである。
 地涌千界正像に出でざるの項は正像未出の所以を明かし、いま末法の初云云の項は末法必出を明かされている。
 すなわち正法時代には御書にも明らかなごとく解脱堅固・禅定堅固の時であったから釈尊との結縁の衆生が多くいまだこの大良薬を用いる要がなかったのである。像法の時においては釈尊結縁のものがようやく少なくなってきたので小権の薬ではとうていおよばなくなったので、嘱累品の総付嘱および薬王品以下の四品の?拾遺嘱の義によって観音、薬王が、南岳、天台と示現して実大乗をもって民衆を救済したのである。南岳が観音の後身であり、天台が薬王の後身であるとは南岳は観世音菩薩普門品により、天台は薬王品によって法華経の妙理を体得してその本地をこの二聖者が感得したことによるからである。しこうして彼の人たちは迹門を面とし、本門をもって裏となして百界千如(南岳)一念三千(天台)の法門を説いたのである。これを迹面本裏というのである。すなわち迹門の理を用いては一念三千の義をつくすことができないので、本門の理を裏に用いて一念三千の義を尽くしたのである。
 今日邪宗の諸門流は、末法いまは本門の時なりとおおせある大聖人のおことばを取り違えて、本面迹裏と称して法華経本門の十四品を面とし法華経迹門の十四品を裏となしているのである。じつにこれはうかつな事であって、脱益文上のみを知って文底下種を知らないのである。大聖人のご聖意は法華経文上脱益の本迹二門を迹として、文底下種の妙法を本とするのである。そのゆえに天台および邪宗の諸門流と御聖旨とは水火である。いまこのご聖旨を帯する日蓮宗は創価学会のみであることを吾人はここに断言するのである。
 治病大小権実違目にいわく
「天台・伝教等の御時には理なり今は事なり……彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998:15)
 本因妙抄にいわく
「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872:07)
 本因妙抄にいわく
「今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す」(0872:13)
 このように天台の迹面本裏と、大聖人の本面迹裏とはっきりしているのにこれに迷ってつぎのごとくいう者がある。
「末法の愚人は理観に堪えず、妙法を口唱する時に三千を具足する、故に口唱を以て事行と名けるなり」と。
 これは理行の南無妙法蓮華経も事行の南無妙法蓮華経も知らぬ邪宗の者の意見であり、日蓮大聖人は天台の口唱をもって理行の題目と名づけ、ただ文底下種の妙法を口唱するをもって即事行の題目と名づけるとおおせられている。
 さればこれに準じて考うるに、日本国中の諸門の口唱は一同に皆これ理行の題目である。すなわちその信仰している法体が脱益の法華経・本迹倶に迹門理の一念三千なるがゆえである。ただ当流の口唱のみ本門事行の題目である。これすなわちその法体が文底下種の法華経・独一の本門事の一念三千なるがゆえである。
 またある人いわくには、ならびに本門の本尊とはすなわちこれ久成の釈尊なりと。これまた大なる謬見で、いまいわく当抄の大旨は正しく文底下種の法の本尊を明かして文上脱益の人の本尊を明かしていない。けっしてこのようなことに迷ってはならぬ。これに迷えばこれ邪宗となるのである。
 また本文に「未だ広く之を行ぜず」についていうならば、天台宗の本尊は久成の釈尊であり、また天台の法華懴法に南無妙法蓮華経とあるから、天台も自身はこれを行じていたが、いまだ在世帯権の円機のごとき時代であるがゆえにいまだ広くこれを行じなかったのであるというのである。かの宗の本尊は縦い久成の釈尊であるといっても、なおこれ在世脱益の教主にして、文底下種の本門の本尊ではない。天台は妙法を口唱したからといっても、なおこれは在世脱益の教主にして、文底下種の本門の本尊ではない。また天台は妙法を口唱したからといってもなお理行の題目であって事行の南無妙法蓮華経ではない。ゆえに自身がこれを行じたとはいえないのである。
 さればいまだ広くこれを行ぜずという真意は末法の広行に望むゆえである。天台自身これを行じた、行じないという事を論ずるのではない。例せば正像未弘等の文と同じである。このゆえにご真意はおそらく「未だ曾て之を行ぜず」と作るべきではなかろうか。すなわち本尊の未曾有の文と同じと解すべきである。
 また「今末法の初小を以て大を打ち」等の文は、末法必出の所以を明かすのである。
「此の時地涌の菩薩……幼稚に服せしむ」とは前文の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」の文に相応する。「妙法蓮華経の五字」とは即これ本門の本尊であり、「幼稚に服せしむ」とは観心である。「妙法五字」は是好良薬であり、「幼稚に服せしむ」は汝可取服に当たるのである。
「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」とは、地涌の菩薩は釈尊の久遠名字のお弟子である。しかるに初成道にも入涅槃にもこなかったのは不孝の失となる。もし末法に出なければ不孝の失を免れることはできないと。これは世界悉檀に約しておおせられているのである。世界悉檀とは楽欲悉檀ともいって一般世間の楽う所にしたがって説法し、歓喜の利益を与えること。
 また「当に知るべし此の四菩薩」等の文について論ずるならば、四菩薩が折伏を行ずる時は聖僧となって出現する。すなわち日蓮大聖人がそれであらせられるのに、なぜここで賢王となりとおおせられるかというに折伏に二義がある。一には法体の折伏であって法華折伏破権門理のごときものである。二には化儀の折伏であって涅槃経に「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と、すなわち仙予国王等がこれである。いま化儀の折伏に望んで法体の折伏を判ずるゆえに摂受と名づけるのである。ゆえに「摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」といい、「折伏を現ずる時は賢王と成って云云」は、また兼ねて広宣流布の時を判じられているのである。
 ともかく創価学会の重大使命に歓喜勇躍すべきご文である。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0252:18〜0254:02 第29章 本化出現の時節を明かす

 

本文

 疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず、驚いて云く法華経並びに本門は仏の滅後を以て本と為して先ず地涌千界に之を授与す何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや、答えて云く宣べず、重ねて問うて云く如何、答う之を宣べず、又重ねて問う如何、答えて曰く之を宣ぶれば一切世間の諸人・威音王仏の末法の如く又我が弟子の中にも粗之を説かば皆誹謗を為す可し黙止せんのみ、求めて云く説かずんば汝慳貪に堕せん、答えて曰く進退惟れ谷れり試みに粗之を説かん、法師品に云く「況んや滅度の後をや」寿量品に云く「今留めて此に在く」分別功徳品に云く「悪世末法の時」薬王品に云く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」涅槃経に云く「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て心則ち偏に重きが如し」等云云、已前の明鏡を以て仏意を推知するに仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり、然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり、「今留在此」とは「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり。
  地涌千界正像に出でざることは正法一千年の間は小乗権大乗なり機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。
  今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地?倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。

 

現代語訳

 疑っていわく、正像二千年のあいだに地涌千界の大菩薩が閻浮提に出現してこの経を流通するのであるか。
 答えていわく、そうではない。
 驚いていわく、法華経もそうであるし、また法華経本門においても仏の滅後を本となしてまず地涌の菩薩に授与しているのである。どうして地涌の菩薩は正像に出現してこの経を弘めないのか。
 答えていわく、宣べない。
 重ねて問うていわく、如何。
 答う、これを宣べない。
 また重ねて問う、如何。
 答えていわく、これを説明するならば一切世間の諸人が軽慢を起こし、威音王仏の末法のごとく正法誹謗の罪によって地獄へ堕ち、またわが弟子の中でもこれを疑い誹謗をなすであろう。ゆえに黙止するに限ると思う。
 求めていわく、そのように重大な法門を説かないならば、汝は慳貪の罪に堕ちるであろう。
 答えていわく、説くも不可・説かないでも不可で進退谷まってしまった。試みにほぼこれを説き示そう。法師品には「いわんや滅度の後をや」と説かれて、法華経が在世よりも滅後を正とする意が説かれており、寿量品には「この好き良薬をいま留めてここにおく」とあり、分別功徳品には「悪世末法の時」薬王品には「後の五百歳に閻浮提において広宣流布するであろう」と明らかに末法の広宣流布を予言している。また涅槃経に云く「譬えば七人の子供があるとする。父母の慈愛というものはもちろん平等であるが、病の子供に対しては心がすなわち偏えに重く格別の心配をするのと同様である」と。以上五箇の経文の明鏡をもって仏の真意を推知するのに、釈迦仏の出世は霊鷲山で八年にわたり法華経を聴聞した諸人を正意とするのではなくて、釈迦滅後・正像末の人のために出世したものであり、また正像二千年の人のためではなくて末法の初めに出現する予がごとき者のためである。涅槃経で「しかれども病者に対しては」という意味は、釈迦滅後の法華経誹謗の者を指すのである。寿量品で「いま留めてここにおく」とは同じく寿量品で「この好き色香の薬において美からずと謂えり」の者を指す、すなわち正法誹謗の人を指すのである。
 地涌千界の大菩薩が正像二千年のあいだに出現しないのはつぎのような理由による。すなわち正法一千年のあいだは小乗教・権大乗教が流布され、これによって衆生は利益を得る時代であった。寿量文底下種の三大秘法などはこれを信ずる機根の衆生もおらなければ、また三大秘法の流布される時代でもなかった。ゆえにこの時代の四依の大菩薩たち大乗教や権教を縁として、釈迦在世に下種された衆生を脱せしめていた。すなわち法華本門の大法を説いたのでは誹謗するばかりで、せっかく過去世に下種し熟益してきた善根を破るがゆえに説かなかったのである。たとえば釈迦が華厳・阿含・方等・般若と四十余年にわたって調養してきた機根の衆生と同じようなものであった。像法次代の中頃から末へかけて、観音菩薩は南岳大師・薬王菩薩は天台大師と示現し出現して、迹門を面とし本門を裏となして百界千如・一念三千の法門を説きその義を説きつくした。しかしこれは唯理性に具する一念三千を理論の上から説いたのみであって、事行の南無妙法蓮華経の五字ならびに本門の本尊についてはいまだ広くこれを行ずることはなかった。それは所詮・円機の一分があっても、まだ円時でなかった。すなわち末法に入らなければ事行の南無妙法蓮華経は弘通される時代でなかったのである。
 いま末法の初めに入って小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、東を西といい西を東といって東西ともにこれを失し、天地を?倒する大混乱の時代となった。像法時代に正法を弘めた迹化の四依の菩薩はすでに隠れて現前せず、諸天善神はこのような謗法の国を捨てて去り守護しておらない。この時にあたり地涌の菩薩が初めて世に出現し、ただ三大秘法の妙法蓮華経の五字をもって幼稚の衆生に服せしめるのである。妙楽大師が「謗ずる因によって悪に堕ち、かならずその因縁によって大利益を得る」というように、末代幼稚の邪智謗法の衆生は初めて妙法五字の大良薬を与えられてもこれを信じられないが、たとえ誹謗して悪道に堕ちてもかならずそれが因となり下種となって即身成仏の大良薬を服することができるのである。
 わが弟子たちはこのことをよく考えよ。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子であり最高尊貴の大菩薩である。それでありながら釈迦仏が成道して初めて説いた寂滅道場の華厳経の時も来ていないし、また最後の説法たる涅槃経の時も来ておらない。これは実に不孝の失というべきであろう。法華経においても迹門の十四品には来ないでまた本門に入っても薬王品第二十三以後の六品には座を立っている。要するに釈尊五十年の説法中、法華経本門の涌出品から嘱累品までの八品のあいだに来還しているに過ぎない。このような高貴の大菩薩が釈迦多宝分身の三仏に約束して妙法五字を譲り与えられ受持しているのである。どうして末法の初めに出現しないことがあろうか、かならず出現するのである。まさに知るべし、この四菩薩は折伏を現ずる時には賢王と成って武力を以って愚王を責め誡しめ、摂受を行ずる時は聖僧と成って正法を弘持するのである。

 

語釈

円機有って円時無き
 いまここに像法にも「円機有って」とおおせられるのは一往の与えた釈である。ゆえに像法において一往は三大秘法の円機が少分はあるとしても、時代が末法のごとき下種の時代ではなかった。

因謗堕悪必因得益
 謗法の因によって悪道に堕ちたものは、かならずその因縁によって大利益を得るという意味。妙楽が法華経不軽品第二十によって、逆縁の功徳を説いた文。原文には「因謗堕悪必由得益」となっている。記の九には「問う、謗るに因りて悪に堕すれば菩薩は何んが故に苦を作る因を為すや。答う、夫れ善因無き者は謗ぜざるもまた堕す。謗るに因りて悪に堕す、必ず由りて益を得る。人の地に倒れて還って地従り起つが如し。故に正の謗を以て邪の堕を接す」とある。

 

 

講義

 「疑って云く正像二千年……答えて曰く爾らず」の文は、略して正像未出すなわち正像には地涌の菩薩が出現しないことを示されている。ついで「驚いて云く」云云と「重ねて問うて云く」と「又重ねて問う如何」の三句は三請であり、「答えて云く宣べず」と「答う之を宣べず」と「答えて云く」云云の三句は三誡である。「求めて云く」云云は重請であり「答えて云く」云云は重誡となる。寿量品においても三請不止とあるごとく三度請うて三度誡められ、さらに四度請うて「汝等諦聴」と四度誡められてから如来秘密神通之力の説法がある。これと同じ儀式を大聖人もとられているのである。いかんとなれば釈尊出世の本懐は寿量品を説かんがためであるから、三度請い三度これを制止し、四度重ねて請うてまた四度誡められた後に寿量品の肝心たる如来秘密神通之力を説かれたのである。またいま大聖人も末法に出現してそのご本懐たる文底深秘の三大秘法の御本尊をわれらに受持せしめんとして、その授与する人を明かす重大な問題であるから同じ儀式をとられたのである。
 しかし地涌というと雖もご自身全体がその人なることを明かさんがために「又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり」とおおせられているのである。かく論ずれば日蓮大聖人は地涌唱導の大導師上行菩薩の本地のみが顕われて、大聖を上行菩薩なりと断じ切ってしまうおそれがある。しかしこれは教相の面であって内証の面ではないことに留意すべきことである。御内証の面よりすれば、授与する人それ自体が授与する法体と即一である。ゆえに日蓮大聖人は久遠元初の自受用身それ自体であることを知らねばならぬ。
 また仏意が正しく末法にあることを示されているご文の法師品は、いわんや滅度の後においては仏の在世よりその難が多いという意味にお用いになられているのではない。この法師品御所用のご聖意は「況や滅後正法をや」「況や滅後像法をや」「況や滅後末法をや」とだんだんと進んで末法を指すとなされているのである。
 地涌千界正像に出でざるの項は正像未出の所以を明かし、いま末法の初云云の項は末法必出を明かされている。
 すなわち正法時代には御書にも明らかなごとく解脱堅固・禅定堅固の時であったから釈尊との結縁の衆生が多くいまだこの大良薬を用いる要がなかったのである。像法の時においては釈尊結縁のものがようやく少なくなってきたので小権の薬ではとうていおよばなくなったので、嘱累品の総付嘱および薬王品以下の四品の?拾遺嘱の義によって観音、薬王が、南岳、天台と示現して実大乗をもって民衆を救済したのである。南岳が観音の後身であり、天台が薬王の後身であるとは南岳は観世音菩薩普門品により、天台は薬王品によって法華経の妙理を体得してその本地をこの二聖者が感得したことによるからである。しこうして彼の人たちは迹門を面とし、本門をもって裏となして百界千如(南岳)一念三千(天台)の法門を説いたのである。これを迹面本裏というのである。すなわち迹門の理を用いては一念三千の義をつくすことができないので、本門の理を裏に用いて一念三千の義を尽くしたのである。
 今日邪宗の諸門流は、末法いまは本門の時なりとおおせある大聖人のおことばを取り違えて、本面迹裏と称して法華経本門の十四品を面とし法華経迹門の十四品を裏となしているのである。じつにこれはうかつな事であって、脱益文上のみを知って文底下種を知らないのである。大聖人のご聖意は法華経文上脱益の本迹二門を迹として、文底下種の妙法を本とするのである。そのゆえに天台および邪宗の諸門流と御聖旨とは水火である。いまこのご聖旨を帯する日蓮宗は創価学会のみであることを吾人はここに断言するのである。
 治病大小権実違目にいわく
「天台・伝教等の御時には理なり今は事なり……彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998:15)
 本因妙抄にいわく
「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872:07)
 本因妙抄にいわく
「今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す」(0872:13)
 このように天台の迹面本裏と、大聖人の本面迹裏とはっきりしているのにこれに迷ってつぎのごとくいう者がある。
「末法の愚人は理観に堪えず、妙法を口唱する時に三千を具足する、故に口唱を以て事行と名けるなり」と。
 これは理行の南無妙法蓮華経も事行の南無妙法蓮華経も知らぬ邪宗の者の意見であり、日蓮大聖人は天台の口唱をもって理行の題目と名づけ、ただ文底下種の妙法を口唱するをもって即事行の題目と名づけるとおおせられている。
 さればこれに準じて考うるに、日本国中の諸門の口唱は一同に皆これ理行の題目である。すなわちその信仰している法体が脱益の法華経・本迹倶に迹門理の一念三千なるがゆえである。ただ当流の口唱のみ本門事行の題目である。これすなわちその法体が文底下種の法華経・独一の本門事の一念三千なるがゆえである。
 またある人いわくには、ならびに本門の本尊とはすなわちこれ久成の釈尊なりと。これまた大なる謬見で、いまいわく当抄の大旨は正しく文底下種の法の本尊を明かして文上脱益の人の本尊を明かしていない。けっしてこのようなことに迷ってはならぬ。これに迷えばこれ邪宗となるのである。
 また本文に「未だ広く之を行ぜず」についていうならば、天台宗の本尊は久成の釈尊であり、また天台の法華懴法に南無妙法蓮華経とあるから、天台も自身はこれを行じていたが、いまだ在世帯権の円機のごとき時代であるがゆえにいまだ広くこれを行じなかったのであるというのである。かの宗の本尊は縦い久成の釈尊であるといっても、なおこれ在世脱益の教主にして、文底下種の本門の本尊ではない。天台は妙法を口唱したからといっても、なおこれは在世脱益の教主にして、文底下種の本門の本尊ではない。また天台は妙法を口唱したからといってもなお理行の題目であって事行の南無妙法蓮華経ではない。ゆえに自身がこれを行じたとはいえないのである。
 さればいまだ広くこれを行ぜずという真意は末法の広行に望むゆえである。天台自身これを行じた、行じないという事を論ずるのではない。例せば正像未弘等の文と同じである。このゆえにご真意はおそらく「未だ曾て之を行ぜず」と作るべきではなかろうか。すなわち本尊の未曾有の文と同じと解すべきである。
 また「今末法の初小を以て大を打ち」等の文は、末法必出の所以を明かすのである。
「此の時地涌の菩薩……幼稚に服せしむ」とは前文の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」の文に相応する。「妙法蓮華経の五字」とは即これ本門の本尊であり、「幼稚に服せしむ」とは観心である。「妙法五字」は是好良薬であり、「幼稚に服せしむ」は汝可取服に当たるのである。
「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」とは、地涌の菩薩は釈尊の久遠名字のお弟子である。しかるに初成道にも入涅槃にもこなかったのは不孝の失となる。もし末法に出なければ不孝の失を免れることはできないと。これは世界悉檀に約しておおせられているのである。世界悉檀とは楽欲悉檀ともいって一般世間の楽う所にしたがって説法し、歓喜の利益を与えること。
 また「当に知るべし此の四菩薩」等の文について論ずるならば、四菩薩が折伏を行ずる時は聖僧となって出現する。すなわち日蓮大聖人がそれであらせられるのに、なぜここで賢王となりとおおせられるかというに折伏に二義がある。一には法体の折伏であって法華折伏破権門理のごときものである。二には化儀の折伏であって涅槃経に「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と、すなわち仙予国王等がこれである。いま化儀の折伏に望んで法体の折伏を判ずるゆえに摂受と名づけるのである。ゆえに「摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」といい、「折伏を現ずる時は賢王と成って云云」は、また兼ねて広宣流布の時を判じられているのである。
 ともかく創価学会の重大使命に歓喜勇躍すべきご文である。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0254:03〜0254:17 第30章 如来の謙識を明かす

 

本文

 問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」
  此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す、聖武天皇・東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。
  此れを以て之を惟うに正像に無き大地震・大彗星等出来す、此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか、天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。

 

現代語訳

 問うていわく、仏の未来記の文はどのようにあるか。
 答えていわく、薬王品には「後の五百歳・末法の初めに閻浮提に広宣流布するであろう」と。天台大師は「後の五百歳末法の初めにおいて仏の在世を遠く隔てるが妙法の大利益に沾おうであろう」と予言し、妙楽は「末法の初めに下種の大利益たる冥益が必ずある」と記し、 伝教大師は「正像二千年がほとんど過ぎおわって末法がはなはだ近づいている」といっている。ここで末法がはなはだ近きにありと伝教がいったのは、自分の時は法華の正時ではないという意味である。伝教大師はまた日本に出現し、末法の初めを記していわく「時代を語れば像法時代の終わり末法の初めであり、その土地は唐国の東・靺羯国の西であり、その時代の人間はすなわち五濁が盛んで闘諍堅固の民衆である。法華経法師品に如来の現在すら猶怨嫉が多い、いわんや滅度の後はさらに怨嫉が強盛になると説かれているが、この言は末法の世相と照らし合わせて実に深い理由のあることばである」と。
 伝教大師の釈に闘諍の時というのは、いまの自界叛逆・西海侵逼の二難を指すのである。このとおり経釈の予言に的中した時に地涌千界の大菩薩が世に出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提第一の本尊がこの国に建立されるであろう。インドにも中国にもいまだこの御本尊は出現したことがなかった。日本の国では聖徳太子が四天王寺を建立したけれども、いまだ御本尊の建立される時ではなかったから、他方の仏たる阿弥陀仏を本尊とした。聖武天皇は東大寺を建てたが、その本尊は華厳経の教主であって、いまだ法華経の実義を顕わしてない。伝教大師はほぼ法華経の実義を顕示したけれども、いまだ末法の時が来ないので東方の薬師如来を建立して本尊となし、法華本門の四菩薩をば顕わさなかった。結局のところ地涌千界にこれをゆずり与えられたのであったからである。この地涌の大菩薩は仏勅を蒙り近く大地の下に待機している。正像二千年には未だ出現しなかったが、末法にもまた出で来らないならば大妄語の大士となり、三仏の未来記も水の泡と同じに消え去ってしまうであろう。
 これをもって以上の経緯を考えてみるのに、正像にはいまだかつてなかった大地震・大彗星等が最近になってつぎつぎと出来している。これらは金翅鳥・修羅・竜神等の起こす動変ではない。ひとえに四大菩薩を出現せしむべき先兆であろう。天台云く「雨の猛き現証を見て竜の大なることを知り、花の大きく盛なるを見てその池の深いことを知る」等云云、妙楽いわく「智人は将来起こるべきことを知り蛇は自ら蛇を知る」等云云、天が晴れるならば地はおのずから明かなとなる。法華を識るは天が晴れるごとく、したがって世法もおのずから明らかとなり、三秘の御本尊が建立されて即身成仏の寂光土が眼前に建設されるのである。

 

語釈

後の五百歳遠く妙道に沾わん
 天台大師の法華文句巻一の文。「但だ当時に大利益を獲るのみに非ず、後の五百歳、遠く妙道に沾う故に」とある。いま、この文の引用の元意は、後の五百歳とは末法の初めであり、遠くとは万年の外をさす。妙道とは、妙とは能嘆の辞で道は文底深秘の大法であり、沾うとは流布の義である。すなわち文の意は、末法の初めより万年の外、未来永劫まで文底深秘の三大秘法を流布しなければならないということである。

末法の初冥利無きにあらず
 妙楽大師の法華文句記の文。輔正記一十六には、この文を釈して「末法の時にいたり顕益なしといえども冥利はすなわちあり」といっているが、今ここで冥利というのは下種益のことである。これすなわち熟益や脱益の利益が正像時代に現にあらわれていることとはまったく違うことを意味する。

正像稍過ぎ已て……其の時なり
 伝教大師の守護国界章巻上の下の文。「当今の人機、皆転変し、都て小乗の機無し。正像稍過ぎて末法太だ近きに有り。法華一乗の機、今正く是れ其時なり。何を以て知ることを得る、安楽行品の末世法滅の時なることを」とある。伝教大師が末法に御本仏日蓮大聖人が出現し、三大秘法を広宣流布せられることを心から待ち望んだことばである。顕仏未来記にいわく「末法の始を願楽するの言なり」と。法華取要抄にいわく「『末法太有近』の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり」と。

唐の東・羯の西
 日本の位置をさしている。羯は靺鞨で、六世紀半ばから約一世紀の間、中国東北部の松花江流域に住んだツングースの一種族を、中国では隋・唐の時代にこう呼んだ。日蓮大聖人当時の地理観では、日本はその国より西に位置していると考えられていた。

脇士
 つねに仏の両脇に立ち随って仏の化導を助ける菩薩のこと。夾侍、挾侍,脇侍、脇立ともいう。釈尊には文殊と普賢、阿弥陀仏には観音と勢至、薬師如来には日光と月光の各菩薩が脇士になっている。

上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す
 上宮は上宮太子の略。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子・豊聡耳皇子・上宮王ともいう。聖徳太子は諡。用明天皇の第二皇子。叔母・推古天皇の皇太子、摂政となり、冠位十二階、十七条憲法を制定。小野妹子を隋に派遣し国交を開く。また四天王寺をはじめ七大寺を造営し、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女に告げた「世間は虚仮なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解にたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている。

東方の鵝王
 鵝王は仏の異称。鵞王とも書き、鵞は鵞鳥のこと。応化の仏の三十二相の中に手足指縵網相といって、手足の指の間に水かきがあり、鵞鳥の足に似ていることから仏の異称とされたもの。衆生を指の間から漏れなく救う象徴とされる。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であることから、東方の鵝王(鵞王)といわれている。

金翅鳥
 古代インド伝説上の鳥で、天竜八部衆の一つ、迦楼羅の訳名。翅や頭が金色なのでこのように呼ばれる。翼をひろげると三百三十六万里あるとされ、須弥山の下に棲み、竜を食すといわれる。

智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る
 妙楽大師の法華文句記巻九中の文(智人は智を知り蛇は自ら蛇を識る)で、これは法華経従地涌出品第十五で地涌の菩薩が大地から忽然と現れたのに対して、補処の弥勒菩薩がその因縁を説きたまえと述べたところを釈した文である。智者は物事の起こる由来を予知し、蛇は蛇だけの知る世界を知っているという文意である。

 

 

講義

 如来の兼讖を明かすのに三段となっている。初めに問い、つぎに答え、答えの文は第一に讖文を引き、つぎにこれを釈し、第三に地涌出現の前兆を明かしている。
 釈尊一代の仏教の利益は正法像法に限っている。末法においては釈迦仏法の利益がないことは明らかである。その末法に仏なしとすることは三世十方の仏の本懐ではない。また三世十方の仏はこの末法に仏の出現を願求することは当然である。
 さればこれに答えて日蓮大聖人由比ケ浜以前は地涌の菩薩として、それ以後は久遠元初の自受用身としてみずから証得し、末法救済の本仏として出現せられたのである。
 されば正像の法華経の大導師がこれを予言しておらないわけがない。「三世を知るを聖人とす」との意よりして、これはもちろんのことである。
 釈尊は二千年と二千五百年の間に仏が出現することを予言し、天台も同じく後五百歳広宣流布を予言し、妙楽もまた末法の初めを指して冥益あることを示して法華経の流布を予言し、伝教は末法甚だ近きにありとして自分の法華経流布は正時でないことを示し、ついでまた時と所とを明らかにして末法の初めの広宣流布を予言している。
 さればこそ、この予言に合して大聖人ご出現あって「この時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」とはっきりとおおせられたのである。
 この「一閻浮提第一の本尊」とは妙法五字の文底深秘の本門の本尊であることはいうまでもない。前文に塔中の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏・多宝仏というのがこの本門の釈尊を脇士となすとの意であり、また一閻浮提第一の本尊と同意である。また「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」というのも同じ意である。
 この文について他宗派にあっては「地涌千界出現して本門の釈尊の脇士となる」といい、あるいは本門の釈尊とは中央の妙法なりというが、これは本尊抄一巻の大旨・前来の諸文からみて大なる謬りである。この謬りから本尊の混乱を来して大衆を誤らせているのであって恐るべきことである。また一閻浮提第一とおおせある以上宗宗異なりといえども、みな仏をもって本尊となすからは当抄のこの本門の釈迦・多宝を脇士となす妙法五字の本尊を仏とあおぐべきである。これを仏とせぬ日蓮宗門下は師敵対の輩である。
 またインドにも中国にもいまだこの本尊がましまさなかったとは、御本尊の讃に「一閻浮提の内未曾有の大曼荼羅なり」とおおせられる意と同じである。その理由は天に二つの日はなく国に二人の主がないと同様に、能弘の師がこの日本国に生まれられて、インド・中国にはお生まれにならないからである。すなわち今日においてわが国からインド・中国へ、仏法が渡るということと同じ意である。
 以上の讖文よりしても地涌の菩薩の出現は必至である。さればこの讖文の終わりに「此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ」とあるのはその必至を意味しているのである。
 しこうして大地震、大彗星の出来をもって地涌出現の先兆となして地涌の菩薩の出現を結しているのである。すなわち大地震、大彗星が正像にもないような大きなものであることは、偉大なる仏の出現を意味するとして「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」との例を引かれているのである。
 また「智人は起を知り蛇は蛇を識る」とおおせあって智人はわが智慧を知り、蛇はみずからの足を知るとの意をもって、ご自分は地涌の菩薩即自受用身なるがゆえにこの事を明らかに知ったとおおせられている。
 また「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」とおおせあって、ご自分は法華経の行者なるがゆえに世法を知る。ゆえに天変地夭は即地涌の出現の先兆であるとはっきり断言せられたのである。
 この日蓮大聖人のご智慧をもって惟うに昭和二十年の、三千年来未曾有の日本の敗戦は他国侵逼難の最第一なるものであって、正像にも末法今日までも見ざる所のものである。これ一閻浮提第一、文底深秘、三大秘法の独一本門の御本尊が日本国中へ広宣流布する先兆か。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0254:18〜0255:02 第31章 総結

 

本文

 一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。
  文永十年太歳癸酉卯月二十五日  日蓮之を註す

 

 

現代語訳

 一念三千を識らない末法のわれわれ衆生に対して久遠元初の御本仏は大慈悲を起こされ、妙法五字に一念三千の珠を裹み独一本門の御本尊として末代幼稚の頚(に懸けさしめたもう、四大菩薩がこの幼稚の衆生を守護したまわんことは、太公・周公が文王に仕えてよく守護し商山の四皓が恵帝に仕え奉ったのと異ならないのである。
  文永十年太歳癸酉卯月二十五日   日蓮がこれを記した。

 

語釈

太公周公の文王を摂扶し
 本章の第十六章に「大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属」とあるのに同じ。太公望および周公旦が、文王を助け、周の国家をきずいたことをさす。摂扶とは補佐すること。なお周公旦は武王の死後、幼少の成王を助け、周王朝を支えた。とある。

四皓が恵帝に侍奉せし
 四皓は中国秦代の末、国乱を避けて陝西省の商山(商洛山)に入った隠士で、東園公、綺里季、夏黄公、?里先生の四人。みな鬚眉皓白の老人であったところからこの名がある。漢の高祖のとき、性格の柔弱な盈太子を廃して、戚夫人の子・隠王如意を立てようとした。この時、盈太子の母・呂皇后は高祖の功臣・張良と謀り、四皓を盈太子の補佐役とした。高祖は自ら招聘しても応じなかった商山の四君子が盈太子の後ろに師としていることに驚き、盈太子を改めて認め、廃嫡の決意を翻したという。この盈太子が高祖の没後に即位し、第二代恵帝となった。

 

 

講義

 本段は最後の結文である。
 この文の意は末法今時の理即但妄の凡夫は自受用身即一念三千の仏を識らずに不幸におちいっている。ゆえに久遠元初の自受用身即日蓮大聖人は大慈悲を起こされて妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕せられて、末代幼稚の頸に懸けてくださった。すなわちこれを信ぜしめよとの意である。
 この文について「妙法五字の袋の内に本果修得・事の一念三千の珠を裹む」あるいは「妙法五字の袋の内に理の一念三千の珠を裹む」と解しているものがあるが、これは文底深秘のご聖旨を知らぬものである。これは、ただ妙法五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠を裹むと拝すべきである。しこうして久末一同の義を思い合わせるに久遠元初の自受用身とは日蓮大聖人の御事であると、はっきり胸にきざみこまぬと末法の大仏法は諒々とならないのである。
 すなわち妙法五字とは、その体は一念三千の本尊であり、一念三千の本尊の体とは宗祖日蓮大聖人であらせられる。たとえば「一心は是れ一切法・一切法は只是れ一心」というがごとく、大聖人の一心に具足せられる一念三千の御本尊は即妙法五字の御本尊であらせられる。
 われらはこの本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱え奉れば、わが身即一念三千の本尊、日蓮大聖人とご同体になるので、三世十方の仏・菩薩・梵天・帝釈・四天等がわれらを守護されるのである。これ正しく幼稚の頸(くび)に懸けしむの意である。ゆえに、ただ仏力法力をあおいで信力行力を致すべきである。「一生空しく過して万劫悔ゆるなかれ」との日寛上人の強き誡めと拝すべきである。

 

 

 

0238〜0255 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 0255:01〜0255:07 観心本尊抄送状

 

本文

観心本尊抄送状
  帷一つ・墨三長・筆五官給び候い了んぬ、観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開〓せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目之を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人座を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん、恐恐謹言。
  文永十年太歳癸酉卯月廿六日 日 蓮 花押
  富木殿御返事

 

 

現代語訳

 帷一つ、墨を三挺、筆五管をお送りくださったのが着きました。
 観心の法門を少々これを注して大田殿・曾谷教信殿その他強信の人々に送り奉る。この事は日蓮が身に引き当てての大事であり深くこれを秘す。純一の信心で無二の志があればこれを開いて拝読せよ。この書は論難が多くて答えが少ない。未聞のことであるから恐らく人々は耳目を驚動するであろう。たとえ他人が集まって見る時でも、三人四人と座を並べてこれを読んではならない。仏滅後二千二百二十余年の今日に至るまで、いまだこの書の肝心が世に説き出されたことはなかった。いま日蓮は王難を受け、佐渡の孤島へ配流されている身であることをも願みず、五五百歳に当たる末法の初めを期してこの未曾有の法門を演べ説き明かすのである。こい願わくは一見を歴て来るの輩はかならず堅く信じ抜いて師弟ともに霊山浄土に詣でて三仏の御顔を拝見し奉ろうではないか。恐恐謹言。
  文永十年太歳癸酉卯月廿六日     日 蓮  花 押
   富木殿御返事

 

語釈


 夏の着物の一種。「片方」の意で、古くは衣服に限らず裏のつかないものの総称であった。それが、平安中期には公家装束の下着である単小袖をさすようになり、小袖が男女の表着となると麻や絹縮みの単衣を帷(帷子)と呼ぶようになった。

大田殿・教信御房
 大田殿は大田五郎左衛門尉乗明(大田乗明)、教信御房は曾谷二郎兵衛尉教信(曾谷教信)。富木・大田・曾谷の三人はともに下総の近在にあって、よく強信に外護にあたられた。

大田殿
 大田五郎左衛門尉乗明のこと。大田乗明、大田金吾、大田左衛門尉ともいう。鎌倉幕府の問注所の役人。同僚の富木常忍に折伏され、以後、富木常忍、曾谷教信、金原法橋等とともに下総(千葉県)中山を中心に日蓮大聖人のもとで外護の任にあたった強信者である。曾谷教信、富木常忍等とは親交深い間柄であったので、共通のお手紙として賜ったものも多い。

教信御房
 曾谷二郎兵衛尉教信のこと。下総国葛飾郡曾谷の人。富木常忍に次いで日蓮大聖人の弟子となる。転重軽受法門に「一人も来らせ給へば三人と存じ候なり」との激励を受けるほど、富木、大田等と団結してがんばっていた。迹門不読の我見を起こして、日蓮大聖人から訓誨を受けたこともある。

三仏
 法華経見宝塔品第十一から始まる虚空会に集った釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏のことで、すべての仏を意味する。

 

 

講義

 本書は、いうまでもなく観心本尊抄の送り状である。この観心本尊抄には、末法万年のほか未来までも流布され、一切衆生の即身成仏すべき御本尊が明かされているゆえに、「日蓮身に当るの大事」とおおせられているのである。
 このように一期の大事をお述べあそばされているゆえに「無二の志を見ば之を開?せらるべきか」とおおせられ、通常に用いられる拓とは異なり、ほんとうに胸を開いて拝せよとの御意を「開?」の御文字からも推察申し上げるしだいである。そして「三人四人坐を並べて之を読むこと勿(なか)れ」との厳誡を垂れられている。日寛上人は四十余人にこの本尊抄をご講義あそばされるにあたって、「四十余輩はむしろ一人ではないか」とおおせられ、われわれがいかに唯一無二の信心に立脚しなければ本尊抄を拝しがたいかをお述べになっている。
 最後に「一見を歴来たる者は師弟共に霊山浄土に詣でよう」との力強いご金言に、さらに強く身の引き締まる思いがする。
 正像二千年間におけるいかなる大論師大人師よりも、かの天台の座主よりも末法の非人・末法の癩人が優れているとのご遺誡は、実にただこの御本尊が御座すゆえである。われわれはこの御本尊を信じ奉らなければ永遠に三悪道の苦悩から脱することができないのだ。
 このように一切衆生即身成仏の御本尊が厳然と伝承されてきておりながら、日本国の大多数の者はこれを知らず、またせっかく御本尊を信仰し奉りながらも、説のごとくこれを行じない者が多い。まことに創価学会員こそ「三仏の顔貌を拝見し奉る」ことの叶う唯一の資格があるのである。それには、いかなる強敵、いかなる大難をも乗り切って金剛宝器のごとき堅い信心に立たなければならないのである。
 観心本尊抄を拝読するにあたっては、まずこの送り状を拝読してよく本御抄の重大性を確認してから本文へ入り、本文の拝読が終わったならば、再びこの送り状を拝して再思三省するのがよいと思われるのである。